番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆4月30日(月)
スタイル・カウンシル 「シャウト・トゥ・ザ・トップ」

イギリスのパンク・バンド、ジャムのリーダーとして1977年にデビューしたポール・ウェラーが音楽的な趣向の変化から、1982年に当時人気絶頂だったジャムを突然解散させ、元デキシー・ミッドナイト・ランナーズのキーボーディスト、ミック・タルボットと共に結成したバンドがスタイル・カウンシル。
1983年、シングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」でデビューしましたが、単に60年代を意識したモータウンサウンドの枠にとどまらず、「スタイル評議会(カウンシル)」という名前が示すように、ファンク、ボサノバ、ジャズ、フレンチポップ、さらにはハウスのエッセンスをうまく取り入れたおしゃれなサウンドで、イギリスで絶大な人気を博します。1984年にリリースした1Stアルバム『カフェ・ブリュ』の中に収められた「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」がアメリカでも大ヒットし、スタイル・カウンシルの人気を決定付けます。
そしてこの曲「シャウト・トゥ・ザ・トップ」を収録したセカンドアルバム『アワー・フェイバリット・ショップ』を1985年にリリース、イギリスで1位に輝きます。日本では、大学生のマストアイテム的な「おしゃれ系サウンド」として知られるようになり、本国イギリスよりも絶大な人気を誇りました。特にこの曲「シャウト・トゥ・ザ・トップ」は、自動車のCMソングになったり、テレビ番組のオープニング曲に使われる名曲となっています。その後、バンドは解散、1991年ポール・ウェラーは、ソロ・アーティストとしてデビューし、再び高い評価を得ています。

◆5月1日(火)
円広志  「夢想花」

円広志は、中学の時から作曲を始め、中高はバンドでボーカル、ギターを担当し、大学時代は「ズーム」というロックバンドを結成します。関西ではセミプロとしてその名を知られるようになるのですが、メンバーの音楽の方向性の違いが元で解散しソロシンガーとして活動を始めます。
そして、1978年、ヤマハ主催のポプコンでグランプリを獲得し、この「夢想花」でデビュー。さらに世界歌謡祭でもグランプリを受賞し、この曲は80万枚を超す大ヒットとなります。しかし、歌手としてはこの曲以外ヒット曲に恵まれず、いわゆる一発屋といわれていますが、関西ではテレビで見ない日はないというぐらいバラエティ番組を中心に活躍中。俳優としても、映画「セーラー服と機関銃」、NHKの朝連続ドラマ「走らんか」に出演するなど、タレントとして幅広く活動しています。
また作曲家として、自分以外の歌手に楽曲を提供してヒットしています。特に森昌子への「越冬つばめ」は有名で、この曲で森昌子は日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しました。
最近さっぱりな人たちを集めたユニット「さっぱりネットワーク」を結成して、ライブを成功させたり、本人も定期的にライブ活動も行っています。
そのパワフルな歌声とおしゃべりには定評があります。

◆5月2日(水)
ザ・フー 「ピンボールの魔術師」

ボーカルのロジャー・ダルトリーを中心に結成されたデトワーズというバンドに、ギターのピート・タウンゼント、ベースのジョン・エイントウィットが参加し、さらに若干17才のドラム、キース・ムーンが加わり、本格的なプロとしての活動がスタートします。あるテレビ番組に「デトワーズ」というバンドが出演していたことで、バンド名を「ザ・フー」に改め、1965年シングル「アイ・キャントエクスプレイン」でデビュー。3枚目のシングル「マイ・ジェネレーション」がイギリスでのチャートが2位になったことで、その人気に火が付きます。
モッズ・ファッションに身を固めながら、腕をぐるぐる回しながらギターを演奏するピート、縦横無尽にステージを飛び跳ねながら、マイクを振り回すロジャー、天才ながら最後はドラム・セットを壊してしまうキース。そして、高度なベース・テクニックのジョンという4人のパフォーマンスが、当時のほかのバンドを圧倒しており、ライブも大いに話題になります。
しかし、毎回、最後には、あらゆる機材が滅茶苦茶になってしまう破壊的なライブのために、多額の借金を抱えながらのパフォーマンスでした。
この曲は、1969年、満を持して発表されたアルバム『トミー』からのシングル曲で、史上初の「ロック・オペラ」として世界中で大絶賛され、後に、映画化、ミュージカル化されます。ザ・フーは、1971年にリリースしたアルバム『フーズ・ネクスト』で、初めて全英1位に輝きますが、1978年にドラムのキースがドラッグの過剰摂取で、31歳の若さでこの世を去ってしまいます。それがきっかけで、ザ・フーのパワーは、急激に低下してしまい、1982年、リーダーのピートが解散を宣言します。その後、何度か再結成を繰り返し、2002年、本格的に再結成を果たします。
再結成ツアーの前日に、ベースのジョンが突然亡くなってしまいますが、2004年には、ライブイベント「ロック・オデッセイ」で初来日を果たし、往年のロック・ファンを喜ばせてくれました。

◆5月3日(木)
崎谷健次郎 「もう一度夜を止めて」

大学在学中から「ビジョン」というバンドでキーボードを担当し、プロとして活動する一方、郷ひろみ、山下久美子のサポート・プレイヤーとして活動していた崎谷健次郎。
1985年に稲垣潤一の「ザ・ルール・オブ・ラブ」という曲で作曲家としてデビューすると数多くのシンガー、アイドルへ楽曲を提供します。その中に入っていたデモテープの歌が関係者の耳に止まって、1987年公開の映画「いとしのエリー」の主題歌「思いがけないシチュエーション」でシンガーデビューします。
さらに、崎谷のしなやかで力強いハイトーンボイスが話題になって、この曲「もう一度夜を止めて」がヒットします。その後、ハウスミュージックのアルバムに挑戦したり、イギリスのロイヤル・フィル・オーケストラと共演したりと音楽のジャンルにとらわれないアルバムを発表します。
また、斉藤由貴、柴咲コウ、高橋真梨子、島谷ひとみなどへの楽曲提供をはじめ、映画音楽、テレビドラマ、舞台音楽なども手掛けています。
2004年からのどの病気を患い一切のライブ活動を休止していましたが、今年1月からライブ活動を再開、その際に全国からファンが殺到し、ファンを喜ばせました。

◆5月4日(金)
ブレッド 「イフ」

デビッド・ゲイツを中心に、ドラム以外のすべての楽器ができるというスタジオ・ミュージシャン、ジェイムス・グリフィン、ロブ・ロイヤーの3人が、1968年にロサンゼルスで結成したブレッド。結成当時は、プレジャー・フェアというトリオで、1969年にバンド名をブレッドに改め、アルバム『灰色の朝』でデビューしますが、あまりパッとしませんでした。
1970年にドラムのマイク・ボッツを加えてセカンドアルバム『オン・ザ・ウォーターズ』をリリース。このアルバムから、デビッド・ゲイツが作ったシングル「二人の架け橋」が全米1に輝くと、一躍ブレッドの名は世界的に知られるようになります。
そして、1971年に満を持して発表した3枚めのアルバム『神の糧』からのこの曲「イフ」が大ヒット。特に日本ではいわゆる癒し系サウンドとしてラジオで驚異的なオンエアを記録します。穏やかに奏でられるアコースティックなサウンド、温かく包み込むようなロマンチックなこの曲は、長く愛され続け、ドリー・パートン、ジョー・パス、原田知世など数多くのアーティストにカバーされ、1994年にはドラマ「この愛に生きて」の挿入歌にもなります。その後も、「愛の別れ道」「涙の想い出」などのヒット曲を生み出しますが、1973年、「もう創造性を使い果たした」とライブ・コンサート中に突然解散宣言しファンを驚かせます。
1976年に再結成を果たしますが、アルバムを1枚リリースして再び解散してしまいます。その後、デビッド・ゲイツは、ソロ・アーティストとしても成功を収め、今なお、メロディ・メーカーとして高く評価されています。

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