番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆6月25日(月)
パイロット  「マジック」

1973年、元ベイ・シティ・ローラーズのメンバーというディビッド・ペイトンとビリー・ライオールが図書館の前で偶然再会し、デモテープを作り始めたことがきっかけで結成されます。
彼らのキャリアと確かな音楽性が認められて、1974年、アラン・パーソンズをプロデューサーに迎えてデビューアルバム『パイロット』が制作されて、(デビューシングル「ジャスト・ア・スマイル」はほとんど当たらなかったものの)、この曲「マジック」がいきなりアメリカ、イギリスでヒットチャートを駆け上がり、大ヒットします。日本でも大ヒットし、ホンダ・モビリオのCMソングなどにも使用されています。
その後、セカンドアルバム『セカンド・フライト』から「ジャニュアリー」が全英で1位に輝きますが、アイドル・グループとして見られ、正当な評価を得られることが出来ず、アルバムのセールスが伸び悩み、ビリー・ライオールが脱退し、ソロ・デビューしてしまいます。1977年4枚めのアルバムをリリースしますが、最高傑作の呼び声とは裏腹に、全く売れず、プロデューサーのバンドであるアラン・パーソンズ・プロジェクトに吸収される形で、自然消滅してしまいます。
しかし、2002年、再結成されてニューアルバム『ブルー・ヨンダー』をリリースし、今年11月についに初来日公演が実現します。

◆6月26日(火)
はしだのりひことクライマックス  「花嫁」

ドゥーデー・ランブラーズの一員としてプロデビューするものの、北山修に誘われ、1968年に、ザ・フォーク・クルセダーズに途中参加し、メンバーとなったはしだのりひこ。ザ・フォーク・クルセダーズ解散後、杉田二郎、越智友じ、井上博とともに「はしだのりひことシューベルツ(靴のひも)」を結成します。
そして、北山修が作詞を担当し、はしだが作曲したデビュー曲「風」が大ヒットし、日本レコード大賞・新人賞を受賞し、学校の音楽の教科書にも掲載されるほど、ポピュラーな存在になります。
しかし、1970年、井上博が腎臓病で亡くなったことで、「シューベルツ」を解散。翌年、「はしだのりひことクライマックス」を結成し、またまた北山修が作詞し、はしだのりひこが作曲したこの曲「花嫁」が大ヒットし、オリコン1位を獲得します。この「花嫁」は、当時の結婚式での定番曲となり、年末に「紅白歌合戦」にも出場します。
しかし、1972年解散、そして「はしだのりひことエンドレス」を結成しますが、それも解散。
現在は、ソロシンガーとしてコンサート活動を続けながら、奥さんの3年間の闘病生活を元にした主夫体験を生かして、講演会や執筆活動も行っています。

◆6月27日(水)
エレクトリック・ライト・オーケストラ 「トワイライト」

70年代に最も多くのヒットを放ち、ギネスブックにも登録されたエレクトリック・ライト・オーケストラ。ムーブというバンドで活動していたロイ・ウッド、ジェフ・リン、ベブ・ベバンが「弦楽オーケストラをフィーチャーしたロック・バンド」をコンセプトに実験的なプロジェクトとしてスタートさせました。
1971年、9人編成バンドとしてアルバム『エレクトリック・ライト・オーケストラ』でデビューし、バンド名の頭文字をとって、ELOという愛称で親しまれます。
しかし、リーダーのロイ・ウッドが脱退、その後ジェフ・リンが中心メンバーとなって、ポップな要素を強め、チャートにどんどんヒット曲を送り込んでいきます。
そのきっかけとなったのが、「ロール・オーバー・ベートーベン」。この曲のヒットで一躍注目を集め、シングル・ヒットを連発し、全英、全米チャートの常連になります。
この曲「トワイライト」は、1981年にリリースしたアルバム『タイム』からのヒット曲で、日本では、テレビドラマ『電車男』のオープニング曲をはじめ、トヨタ「セリカ」のCMソングなど、一番タイアップが多い曲として有名となっています。しかし、ジェフ・リンのワンマン・バンド色が次第に強くなり、ストリングス・メンバーを排除したシンセサイザーのみの曲になり、1986年ELOは解散してしまいます。
ジェフ・リンはその後、ジョージ・ハリソンやビートルズのアンソロジー・プロジェクトのプロデューサーとして大成功を収めますが、2001年に15年ぶりにELO名義でアルバム『ズーム』をリリースし、往年のファンを喜ばせてくれました。

◆6月28日(木)
中西保志 「最後の雨」

奈良県出身で、大学時代にクラブ・オーディションで優勝をしながら、デパートの店員として就職。しかし、体を壊し、フリーターになったことがきっかけでミュージシャンを目指した中西保志。スティービー・ワンダーの物まねをして歌っていたところを、たまたまレコード会社の目に留まり、26歳で上京し、歌手デビューのための下積みを重ねます。
そして、30歳の時に山一證券のCMソングに起用されて、話題を集めた「愛しかないよ」でデビューします。
この曲「最後の雨」は、1992年8月にリリースしたセカンドシングルで、ロングヒットとなり、1年間で80万枚を超すセールスを記録します。ソウルフルな歌声と抜群の歌唱力で、男女問わず多くのファンを魅了していますが、デビュー15周年を迎えた今年、日本の最高のポップスとして歌い継がれるスタンダード曲をカバーしたアルバム『スタンダード』を発表して話題になりました。
山下達郎、竹内まりや、井上陽水、久保田利伸、松任谷由実、サザンオールスターズなどのスタンダードナンバー11曲に加えて、この「最後の雨」も2007年バージョンとして、カバーしています。この曲は現在でも失恋バラードの定番として、カラオケで人気があるだけでなく、倖田来未をはじめ、韓国出身のゼロなど、多くのアーティストにもカバーされています。
なお、中西保志は、現在、カバーアルバム「スタンダード」を引っさげて、全国各地でライブを行っています。

◆6月29日(金)
ドリーム・アカデミー 「ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン」

イギリス出身のボーカル、ギターのニック・レアード=クロウズと、キーボードのギルバード・ガブリエルが結成したポリティクス・オブ・ポップに、ロンドンの名門音楽学校に在学中、女性バンドを結成していたボーカルのケイト・セント=ジョンが加わって、1983年にドリーム・アカデミーが結成されます。
そして、1985年、ピンク・フロイドのデイビッド・ギルモアをプロデューサーに迎えてアルバム『ドリーム・アカデミー』でデビューします。
この曲は、そのアルバムからのデビューシングルで、ファンタジックなアコースティックサウンドと叙情的な歌詞が話題になって、本国イギリスをはじめ、アメリカ、日本でも大ヒットします。
この曲は、リック・スプリングフィールドにカバーされたり、ダリオGの「サンシャイム」がサンプリングしたりとスタンダードな1曲になっています。
その後、ドリーム・アカデミーは合計3枚のアルバムをリリースしますが、1991年に解散。ニックは、ピンク・フロイドに参加した後、トラッシュモンクというバンドを結成。ケイトはソロでアルバムを発表する一方で、日本のインディーズ・アーティストに参加し、注目を集め、ギルバードはハウスユニットを結成するなど、各々ソロ活動をしています。

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