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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆7月16日(月)
ジャン&ディーン 「サーフ・シティ」

ジャン&ディーンは、ロサンゼルス出身のジャン・ベリーとディーン・トーレンスの2人組。高校時代に知り合い、意気投合し、ユニットを組むことになります。しかし、ディーンが高校卒業後、兵役に就いたことで、ジャンが、友人であるアーニー・ギンズバーグとジャン&アーニーという名前で、1958年に「ジェニー・リー」という曲でデビューします。このデビュー曲が大ヒットするのですが、翌年にディーンが兵役を終えてロスに戻ってきたことで、改めてジャン&ディーンとして、「ベイビー・トーク」でデビューし、これが全米トップ10のヒットとなります。
ビーチ・ボーイズとともにサーフィン&ホット・ロッド・サウンドで知られているジャン&ディーンです。デビュー当時は、黒人ドゥーワップの影響を受けたコーラスサウンドでした。セカンドアルバム『テイク・リンダ・サーフィン』をリリースした時に、ビーチ・ボーイズの「サーフィン」と「サーフィン・サファリ」をカバーしたことから、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンと交流を持つようになり、1963年にジャンがブライアンと共作でできた曲がこの「サーフ・シティ」。
ジャン&ディーンは、この曲で初の全米ナンバー1に輝くと共に、作曲家のブライアンも初めて全米1を獲得します。その後も「パサディナのおばあちゃん」「危険なカーブ」などのヒット曲を生み出すのですが、1966年、ジャンが交通事故で、意識不明の重体というアクシデントに見舞われ、解散状態に陥ってしまいます。しかし、ジャンの奇跡的な復活によって1975年「ファン・シティ」という曲をリリースし、80年代には、2人をモチーフにした映画「夢のサーフ・シティ」が公開され、そこでも音楽を担当し、ファンを喜ばせました。
日本では、この曲がコダックのCMソングに起用され、ちょっとしたブームにもなりました。

◆7月17日(火)
太田裕美  「木綿のハンカチーフ」

1974年、19歳で「雨だれ」でデビューした太田裕美。アイドル全盛の中、作詞家・松本隆、作曲家・筒美京平というゴールデン・コンビと、白いピアノを弾きながら歌うという異色のアイドルとして人気を博します。
この曲「木綿のハンカチーフ」は、3枚目のアルバム『心が風邪を引いた日』からシングル・カットされた曲で、85万枚を超すセールスを記録しました。日本の音楽界で歴代1シングルとなる「およげ!たいやきくん」に阻まれ、オリコン1位を獲得することは出来ませんでしたが、1976年の年末にはこの曲で紅白歌合戦にも初出場を果たします。
作詞家・松本隆、作曲家・筒美京平というゴールデン・コンビと、端正なルックスから醸し出される独特のハイトーンボイスで、その後も「赤いハイヒール」「しあわせ未満」「九月の雨」「さらばシベリア鉄道」などのヒット曲を生み出し、大学生の絶大な人気を得て、最初に「学園祭の女王」という称号も得ます。しかし、1982年、突然ニューヨークへ単身で留学し、帰国後は、それまでのニュー・ミュージック路線とは全くかけ離れたテクノ・ポップ調の曲をリリースし路線変更します。
そして、1985年、結婚を機に歌手としての活動を休止し、子育てに専念。子育てが一段落した1998年に松本隆・筒美京平コンビで再び歌手として活動を再開し、去年、ヨーキン、堂島孝平、ビギン、ポルノグラフィティ、クラムボンなどのアーティストから楽曲提供を受け、22年ぶりに『始まりはまごころだった』というフルアルバムをリリースしました。
現在は、ピアノの弾き語りのアコースティック・ライブをはじめ、CMやドラマに出演するなど勢力的に活動しています。

◆7月18日(水)
カイリー・ミノーグ 「ロコ・モーション」

オーストラリア・メルボルン生まれのカイリー・ミノーグは、幼いときからモデルとして活動し、14歳の時に人気テレビドラマ『ネイバーズ』に出演したことがきっかけで、人気が爆発します。この「ネイバーズ」は、本国オーストラリアだけでなくイギリスでも放映され、19歳の時に「オーストラリアで最も人気のある女優賞」を最年少で受賞します。この時にこの曲「ロコモーション」をカバーし、デビューを果たします。
この曲のオリジナルはリトル・エバで、1962年に全米1に輝き、70年代にもグランド・ファンクがカバーして、全米1に輝いた名曲中の名曲。カイリーは、この曲によってオーストラリアで7週連続1位を獲得します。
この「ロコモーション」のヒットが、イギリスのユーロビート・プロデューサー・チーム、ストック・エイトキン&ウォーターマンの目に止まり、活動の拠点をイギリスに移し、「ラッキー・ラブ」をリリース。日本も含む世界10カ国で1を獲得して、イギリスでは5週連続1位という記録を樹立して、名実共に世界のポップアイドルとしての人気を確立しました。
その後、アイドル路線からセクシー路線に方向性を変え、2000年にはアルバム『ライト・イヤーズ』でミリオンヒットを記録。次のアルバム『フィーバー』からは「熱く胸を焦がして」が大ヒットし、全世界で600万枚以上売り上げるという快挙を成し遂げます。ただ、2005年のツアー中に乳がんが発覚、闘病生活を強いられるのですが、早期発見だったことが幸いし、半月で完治し、去年の年末にツアーを再開させました。このツアーの模様のライブCD、DVDが先月リリースされています。

◆7月19日(木)
西田敏行 「もしもピアノが弾けたなら」

1967年にテレビドラマ「渥美清のないてたまるか」で俳優デビューした西田敏行。1970年に劇団青年座に入団し、翌年に青年座の『写楽考』で主役に抜擢され、早くから注目されます。個性的な演技と愛嬌のある顔立ちと体型で、「西遊記」「池中玄太80キロ」などのドラマに出演し、また、アニメ映画「がんばれ!タブチくん!」の主人公タブチくんの声を担当するなど、人気俳優として活躍します。
また、歌唱力にも定評があったことで、1976年に「木綿の愛情」で歌手としてデビューし、この「もしもピアノが弾けたなら」は、ドラマ「池中玄太80キロU」の主題歌として1981年に発表され、大ヒット。紅白歌合戦にも出場します。
この曲は、今年の1月からタウンページのCMの中で、石原良純に歌われています。
俳優としては、1988年からは映画『釣りバカ日誌』シリーズに主演し、本人の素に近いコミカルな演技が人気を博して、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞の主演男優賞も獲得し、ライフワークになっています。
最近は、ジャンボ宝くじのキャラクター、西田夢蔵として「人生デ☆ラックス」をリリースしました。

◆7月20日(金)
ゴーゴーズ 「バケーション」

ゴーゴーズは、ボーカルのベリンダ・カーライル、ギターのジェーン・ウィドリン、ギター&キーボードのシャーロット・キャフィ、ドラムのジーナ・ショック、ベースのキャシー・バレンタインの5人で、アメリカ、ロサンゼルスで結成されます1978年にステージデビューを果たすのですが、その当時、ロサンゼルス公演でアメリカに来ていたイギリスのバンド、マッドネスに見初められて、マッドネスの前座を務めるようになります。
さらに、マッドネスのイギリス・ツアーにも同行することになり、1980年にイギリスで「ウィ・ガット・ザ・ビート」でデビューします。翌1981年にアルバム『ビューティ・アンド・ザ・ビースト』で、本国アメリカでメジャーデビューすると、明るく健康的でキュートな音楽性が評判となり、女性だけのロック・グループとしては初の全米1を獲得します。
この曲は1982年に発表されたセカンドアルバム『バケーション』からのシングル曲で、日本では、本人たちも出演したスズキ・ジムニーのCMソングになり、本国アメリカを凌ぐ大ヒットとなります。しかし、音楽的な成功とは裏腹にメンバー間の不仲とベリンダのドラッグ問題が浮上、次のアルバム『トーク・ショー』を発表すると1985年に解散してしまいます。その後、ベリンダは立ち直り、「ヘブン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」で、ゴーゴーズ時代にも成しえなかったシングルでの全米1に輝きます。その後、ゴーゴーズは1990年にベネフィット・コンサートの為に復活し、1994年に再結成。2001年にはニューアルバム『ゴッド・ブレス・ザ・ゴーゴーズ』をリリースし、ニューヨーク・セントラルパークでライブも行いました。

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