番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆8月20日(月)
デッド・オア・アライブ 「ユー・スピン・ミー・ラウンド」

イギリス、リバプール出身のピート・バーンズを中心に結成されたデッド・オア・アライブ。もともとレコード店の店員だったピート・バーンズは、地元のクラブの常連とユニセックスな個性を全面に押し出した奇抜な衣装を身にまとったミステリー・ガールズというバンドを結成します。
その後、メンバーが脱退し、1980年にピートが名付け親となって、デッド・オア・アライブに生まれ変わります。そして、ピートのビジュアルが一大センセーションを巻き起こし、1983年に「ミスティー・サークルズ」というハードなダンスナンバーで、メジャーデビューを果たします。これがきっかけで多くのテレビ出演がきまり、この曲はイギリスだけでなく、アメリカのクラブでも盛り上がりを見せ、1STアルバム『美醜の館』が発売されると、アメリカでライブツアーを行う程になりました。
そして、リリースされたのがこの曲「ユー・スピン・ミー・ラウンド」。イギリスで2週連続1を獲得すると、世界17カ国でも1位を記録。デッド・オア・アライブの名前が世界的に知られるようになります。そして、この曲が収められたセカンドアルバム『ユースクエイク』からは、ストック・エイトキン&ウォーターマンをプロデューサーに起用し、ポップで、ハイエナジーなダンスミュージックで世界中を席巻します。
1986年には3枚目のアルバム『ブラン・ニュー・ラバー』がリリースされると、ワールド・ツアーも行われ、日本にも来日し、武道館公演も成功をさせます。4枚目からはセルフ・プロデュースとなり、世界的には幾分人気が落ち目になりますが、日本ではバブルの象徴のような存在となり、「ディスコ・イン・ドリーム」と銘打った東京ドームコンサートも行われます。
最近では、ピート・バーンズが自伝を発表したり、長年のパートナーであるマイケル氏と結婚したりと音楽活動以外で話題を提供しています。

◆8月21日(火)
松田聖子  「夏の扉」

1980年に「裸足の季節」でデビューすると、典型的なアイドルとしてヒット曲を連発し、髪型をはじめ、後には生き方に至るまで、様々な面で日本の大衆文化に大きな影響を与えてきた松田聖子。
ミスセブンティーン・コンテストに応募したことがきっかけで、芸能界にスカウトされ、1979年にドラマ「おだいじに」にて松田聖子役で出演、この時の役名が芸名になり、歌手としてデビューします。歌手としては3枚目のシングル「風は秋色」から26枚目の「旅立ちはフリージア」まで、24曲連続オリコンシングルチャート1位という金字塔を打ち立てます。
この曲「夏の扉」は1981年にリリースした5枚目のシングルで、チューリップの財津和夫が担当、その年の紅白歌合戦にはこの曲で出場しました。楽曲の制作陣は、財津和夫以外にも松本隆、松任谷由実、大滝詠一、細野晴臣、南佳孝、尾崎亜美、矢野顕子、佐野元春、大江千里、小室哲哉、土橋安騎夫、奥居香といった錚々たるメンバーが名前を連ね、ヒット曲を次々と生み出していきました。
90年代に入ると作詞作曲、プロデュースを自ら取り組むようになり、アーティストとしての活動を展開し、1996年にリリースした「あなたに逢いたくて」は自ら作詞作曲を手掛け、130万枚を超し、自身最大のヒットを記録しています。
結婚・出産・2度の離婚を経てもなお、第一線の音楽家として活動を続け、自立した女性のシンボルとして、同世代の女性たちから圧倒的な支持を集めています。

◆8月22日(水)
ポール・マッカートニー&ウィングス 「ジェット」

イギリス、リバプール出身のポール・マッカトニーは、ジャズトランペッターだった父親の影響で、トランペットを習い、14歳の時にギターを弾き始めるなど、幼い頃から音楽に親しんでいました。
そして、ジョン・レノン、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターとともにビートルズを結成、数多くのヒット曲を生み出しますが、1970年、ポールがビートルズ脱退宣言をしたことで、ビートルズが解散。ほぼ同時に1STソロアルバム『マッカートニー』を発表します。しかし、ビートルズの中でも一番ライブ好きだったポールは、1972年に妻のリンダ、元ムーディー・ブルースのデニー・レインとともに「ウィングス」を結成し、アルバム『ワイルド・ライフ』で「ウィングス」としてデビューを飾ります。
この曲「ジェット」は、3枚目のアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』からのシングルカットで、全世界で600万枚を超すセールスを記録し、ビートルズ解散後、最大の成功を収めます。またグラミー賞においても最優秀アルバム賞に輝き、大規模なワールドツアーも成功させます。
その後も「あの娘におせっかい」「心のラブソング」「夢の旅人」「しあわせの予感」といったナンバー1ソングを生み出していきます。
しかし1980年、待望の初来日となったコンサートツアーで、ポールは大麻の不法所持で現行犯逮捕され、国外退去処分を受け、この事件がきっかけでデニー・レインが脱退し、自然消滅に近い形でウィングスは解散してしまいます。
その後、ポールは、ポール・マッカートニー名義でソロ活動を再開させ、多くのヒット曲を世に送り出し、1997年にナイトに叙勲され、サーの称号を得ます。今年65歳になりましたが、まだまだ健在で、6月に『メモリー・オールモスト・フル』を発表し、話題になりました。

◆8月23日(木)
桑田佳祐 「悲しい気持ち」

1978年、サザンオールスターズとしてシングル「勝手にシンドバッド」で、衝撃のデビューを果たした桑田佳祐。
3枚目のシングル「いとしのエリー」で不動の地位を築くと、サザンオールスターズの活動だけにとどまらず、嘉門雄三の名前でソロとしても活動します。1986年、原由子の産休に伴い、サザンが休業期間に入ると、1年限定のソロプロジェクト「KUWATA BAND」を結成。
そして、「KUWATA BAND」の活動を終えると、1987年、ソロ名義としては初となるこの曲「悲しい気持ち」をリリースします。そして、当時まだ無名に近かった小林武史と共同プロデュースという形をとり、サザンサウンドとは違ったキーボードに特徴のあるシーケンサープログラミングで、ポップス路線を展開し、1988年に1STソロアルバム『KEISUKE KUWATA』を発表。その年の年末に日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞します。
また、その小林武史とスーパーチンパンジーというバンドを結成したり、ミスター・チルドレンとチャリティシングルを発表したり、さらに映画監督として『稲村ジェーン』を撮るなど、一つのジャンルにとらわれない幅広い活動を続けています。
今年は5年ぶりにソロ活動を再開。5月に「明日晴れるかな」をリリースし、今月22日には、映画『ライフ〜天国で君に会えたら』の主題歌である「風の詩を聴かせて」をリリース。11月から年末にかけては全国ツアーも行われます。

◆8月24日(金)
ライチャス・ブラザーズ 「アンチェイド・メロディ」

ビル・メドレーとボビー・ハットフィールドの2人が1962年に結成し、アメリカ・カリフォルニア州で活動をスタートさせた男性コーラス・デュオ、ライチャス・ブラザーズ。もともとは、パラモーンズというグループ名で活動していましたが、白人ながら黒人のようなソウルフルな歌声であったことから、黒人の観客から「われわれと同じかっこいい兄弟だ」という意味で、「ライチャス・ブラザーズ!」と言われ、グループ名を「ライチャス・ブラザーズ」に変えたそうです。そして1963年、シングル「リトル・ラテン・リュプリ」でデビューすると、元祖ブルー・アイド・ソウル・アーティストとして人気を博します。
そんな彼らの歌声に魅了されたプロデューサー、フィル・スペクターは、2人を自分のレーベルに引き抜き、1964年に「フラレた気持ち」で2人を初の全米1に導きます。
この曲「アンチェインド・メロディ」は、1955年に公開された映画「アンチェインド」に使われた曲のカバーで、シングル「ハング・オン・ユー」のB面に収録されていました。ところが全米のラジオ局がこぞってB面のこの曲をかけた為、全米トップ5を記録するヒット曲となり、さらに1990年には映画「ゴースト」にも使われ、再びヒットするなど、全米ヒットチャートにおけるリバイバル最多記録を持つスタンダードナンバーとなっています。

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