番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆9月24日(月)
デフ・レパード   「ラブ・バイツ」

イギリス、シェフィールドで活動していたアトミック・マスというバンドに、ボーカルのジョー・エリオットが加わり、デフ・レパードが結成されます。初期のメンバーは、ボーカルのジョー・エリオット、ギターのピート・ウィリス、スティーブ・クラーク、ベースのリック・サベージ、ドラムのリック・アレンの5人組で、1980年にアルバム『オン・スルー・ザ・ナイト』でデビューします。セカンドアルバムからマット・ラングをプロデューサーに迎え、ポップで、メロディアスなサウンドで、全米を席巻し、同じくマット・ラングがプロデュースした3枚目のアルバム『炎のターゲット』が全世界で900万枚のセールスを記録します。
しかし、アルコール問題を抱えていたギター、ピートの脱退、そして、ドラムのリック・アレンが交通事故で、左腕を付け根から失い、バンド存続の危機に陥ってしまいます。そういったアクシデントを経て、新しいギタリスト、フィル・コリンが加わり、リックは、片腕で叩けるドラムセットを開発し、再びマット・ラングをプロデューサーに迎えて作られたアルバムが『ヒステリア』で、全世界で1600万枚というモンスターヒットを記録します。この曲「ラブ・バイツ」は、このアルバムからのシングル・カットで、1988年、初めて全米bPに輝いた曲で、結果的にこのアルバムから7曲のシングル曲がリリースされ、ハード・ロック・バンドが発表した1枚のアルバムから最多となるシングルヒット記録が生まれます。
その後、もう一人のギターのスティーブがアルコールと薬の過剰摂取で、死亡するという衝撃的な事件も起きますが、その不幸も乗り越え、新たにビビアン・キャンベルをギターに迎えて、5枚目のアルバム『アドレナライズ』をリリースし、世界15カ国で1に輝きます。
去年は、『イエ〜イ』というクラシック・ロックのカバー・アルバムを発表し、ブライアン・アダムスやジャーニー、ボン・ジョビらとワールド・ツアーを行いました。

◆9月25日(火)
ハウンド・ドッグ  「フォルティシモ」

1976年、ボーカルの大友康平が、東北学院大学のサークルのメンバーとハウンド・ドッグを結成。ロック・ジャム79の決勝大会で、バンドは準グランプリを、大友は最優秀ボーカル賞を受賞し、1980年「嵐の金曜日」でデビューします。初期のメンバーは、大友康平、八島順一、蓑輪単志、海藤節生、高橋良秀、藤村一清の6人。軽快なロックンロールと重厚なバラードを武器に、1年間に100本以上のライブを行うなど、絶大なライブの動員力があったのですが、1982年5枚目のシングル「浮気なパレット・キャット」がカネボウのキャンペーンソングになったことでブレイクし、翌年、武道館ライブも成功させます。しかし、1984年、メンバーチェンジが行われ、海藤、高橋、藤村が脱退、鮫島秀樹、橋本章司、西山毅が正式メンバーとなります。
そして、1985年、10枚目のシングルとしてリリースされたのが、この曲「フォルティシモ」で日清カップヌードルのCMになり、大ヒットします。その後も、「アンビシャス」「オンリー・ラブ」「ブリッジ〜あの橋を渡るとき」などのヒット曲を生み出す一方で、足掛け3年間のライブツアーや東京ドーム初の日本人単独ライブや前人未到の武道館15日間ライブなど、ライブバンドとしての実績を積み上げていきます。
また、大友は、90年代に入ると俳優としても活動をスタートさせ、映画『ゴールドラッシュ』『のど自慢』『パッチギ』などの作品に出演しました。
デビュー25周年となった2005年、大友と所属事務所との意見の対立で、解散の危機がありましたが、去年、大友康平一人でも活動を行うと宣言し、サポートメンバーを従えて、50回目の武道館ライブや年末のカウントダウンライブを行いました。

◆9月26日(水)
レオ・セイヤー  「星影のバラード」

イギリスのヨシャハム出身のレオ・セイヤーは、芸術学校に在学中から、ロンドンのクラブでハーモニカを演奏するようになって、卒業後は、雑誌のイラストを描きながらバンド活動をスタートさせます。そして、パッチェズというバンドでオーディションに参加していた時に、デイブ・コートニーに出会い、レオ・セイヤーの非凡な曲作りの才能が認められて、コートニーとソング・ライティングチームを組み、元フーのDジャー・ダルドリーなどに曲を提供するようになります。ソングライターとしての評価を得たレオ・セイヤーは、1973年にアルバム『道化師の孤独』でデビューすると、このアルバムから「ショー・マスト・ゴー・オン」という曲がイギリスのヒットチャート2位に輝き、その名が知られるようになります。そして、1976年、「恋の魔法使い」「はるかなる想い」がイギリス、アメリカでbPに輝き、「恋の魔法使い」はグラミー賞にノミネートされ、非常に親しみやすいポップシンガーとして人気を博します。
この曲「星影のバラード」は、1980年にリリースしたシングル曲で、もともとは、ボビー・ビーが1961年に歌った曲で、全く陽の目を浴びなかったのですが、レオ・セイヤーがカバーし、イギリス・アメリカのヒットチャートで2位まで昇るヒット曲となって、日本では、CMソングとして知られるようになります。
80年代の後半からはF1の公認カメラマンの資格を取得し、カメラマンとして世界中を飛び回っていましたが、90年に7年ぶりとなる『クール・タッチ』というアルバムをリリースし、再び注目を集めました。現在は、オーストラリアで音楽活動をしています。

◆9月27日(木)
岸田智史 「君の朝」

岡山県出身の岸田智史は、両親が学校の先生であったことから京都教育大学に進学し、教師を目指していました。ただこの頃から、曲作りやバンド活動を始めるようになって、デモテープを作るようになります。そして、岸田の従兄弟がソニーのオーディションを受けたところ、たまたま岸田のデモテープを再利用していたために、消し残された岸田の歌声を聞いたプロデューサーの耳にとまります。歌手になるつもりがなかった岸田は、プロデューサーに説得され、1976年「蒼い旅」でデビューします。この曲「君の朝」は、1979年にリリースしたシングル曲で、テレビドラマ「愛と喝采と」の挿入歌となるとともに、本人もこのドラマで俳優としてデビューします。
そして、オリコンのシングルチャートで、ナンバー1に輝くと、この曲を収めたアルバム『モーニング』も1位を獲得し、60万枚を超すセールスを記録します。
80年には、「3年B組金八先生」に続いて放送された「1年B組新八先生」で、新八先生役でドラマに出演し、話題になります。
その後は、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」や舞台「ミス・サイゴン」「屋根の上のバイオリン弾き」に出演するなど幅広い分野で活躍しています。
(ちなみに現在は、名前を岸田敏志に改名しています。読み方は変わりません。)

◆9月28日(金)
トンプソン・ツインズ 「ホールド・ミー・ナウ」

イギリス、シュエフィールドで結成されたトンプソン・ツインズは、トム・ベイリーを中心に4人編成のグループとして活動をスタートします。グループ名が「ティンティンの冒険」という漫画のキャラクターに由来することもあり、漫画チックな曲を作り出そうとして、当時流行っていたニューウェーブ・サウンドで注目を集め、1981年アルバム『ア・プロダクト・オブ』でデビューします。この時、トンプソン・ツインズは7人編成でしたが、セカンドアルバムからの「イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ」という曲がアメリカのディスコを中心にヒットし、ダンスチャートを賑わすと、音楽の方向性からバンドが2分し、結局、トム・ベイリーと女性パーカッションのアラナ・カリー、ベースのジョー・リー・ウェイの3人組になってしまいます。
そして、さらにシンセポップ色の強いアルバム『イントゥ・ザ・ギャップ』をリリースすると、このアルバムからこの曲「ホールド・ミー・ナウ」が大ヒットし、全米のヒットチャートで3位を記録し、その人気を確立します。
その後もポップで親しみやすいサウンドが受けて、世界各国で幅広い人気を獲得するのですが、1986年、リーウェイが俳優になるためにグループを脱退、1993年に、トンプソン・ツインズは解散してしまいます。
トムとカリーは結婚し、ニュージーランドに移住し、バブルという夫婦デュオを結成。何枚かアルバムをリリースしますが、現在はプロデューサーとして活躍しています。

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