番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆10月1日(月)
アル・クーパー   「ジョリー」

アメリカ、ニューヨーク出身のアル・クーパーは、15歳で、(“タモリ倶楽部のオープニングでお尻を振っている時に流れている曲”でお馴染み、)ロイヤル・ティーンズというグループにギタリストとして参加し、プロとしてのキャリアをスタートさせます。そして、ボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」にオルガンでレコーディングに参加し、曲のイメージを決定付ける演奏したことで、その名が知られるようになります。これがきっかけとなり、ジミ・ヘンドリックスやローリング・ストーンズのレコーディングに参加します。
そして、1968年にブラス・ロックの先駆けとなった8人組、ブラッド・スウェット&ティアーズを自ら結成し、アルバム『子供は人類の父である』でデビューします。しかし、音楽性の違いで、このアルバムをリリースするとアルは、バンドを脱退。マイク・ブルームフィールドとスティーブン・スティルスというタイプの違う2人の天才ギタリストと「スーパー・セッション」というジャム・セッション・アルバムを発表します。このアルバムは、A面がブルームフィールドとのセッション、B面がスティルスとのセッション構成で、非常に高い評価を得、スーパー・セッション・ブームを巻き起こします。 そして、1969年に『アイ・スタンド・アローン』でついにソロ・デビューすると、72年には早くも6枚目のアルバム『赤心の歌』をリリースします。
この曲「ジョリー」は、『赤心の歌』のシングル・カットで、クインシー・ジョーンズの娘に向けて歌った愛の歌で、話題になります。日本では、コーザノストラやヨシカなどがカバーし、今なお歌い継がれている1曲です。その後、アルは自分でレコード会社を作って、レーナード・スキナードを世に送り出し、サザン・ロック・ブームの一翼を担います。
2005年には30年ぶりに『ブラック・コーヒー』というソロアルバムを発表し、東京国際フォーラムでの来日公演が話題になりました。また、今年の年末にも来日が予定されています。

◆10月2日(火)
ザ・モッズ  「激しい雨が」

福岡を中心に活動していた「開戦前夜」のリーダー森山達也が、さらにブリティッシュ・ビート系のスタイリッシュな雰囲気のバンドに発展させる形で、「ザ・モッズ」を結成します。幾度となくメンバーチェンジが行われ、1979年に森山達也、苣木寛之、北里晃一、梶浦雅裕のメンバーになり、1981年シングル「崩れ落ちる前に」、アルバム『ファイト・オア・フライト』でメジャーデビューを果たします。
荒削りなサウンドながら、観客を熱くするライブ・パフォーマンスが話題を呼び、着実にライブへの動員数を増やしていきます。そして、日比谷野外音楽堂で行ったデビュー1周年記念ライブが途中から雨が降り出し、豪雨になってしまったにもかかわらず、4000人の観客が誰一人帰ることなく、最後まで行われ、今なお伝説と呼ばれるライブを行います。
そして、翌83年にリリースされた4枚目のシングル曲がこの「激しい雨が」で、マクセルカセットテープのCMソングに起用されヒットし、ザ・モッズの名が一躍全国的に知られるようになり、1986年には武道館でのライブを成功させます。 その後も、年間100本前後のライブを行いつつ、コンスタントに作品を世に送り続け、ライブバンドとしての不動の地位を築き上げていきます。
去年、デビューから森山達也、苣木寛之、北里晃一、梶浦雅裕の不動のメンバーで、25周年を迎え、大いに盛り上がったのですが、今年2月、ドラムの梶浦が脱退し、ファンを驚かせました。
6月には新生ザ・モッズとしてニューシングル「ハロー」をリリース、11月にはニューアルバムを発表し、来年2月までの全国ツアーも行われます。

◆10月3日(水)
ウェザー・ガールズ  「ハレルヤ・ハリケーン」

サンフランシスコ出身のマーサ・ウォッシュとアイゾラ・レッドマンからなる女性R&Bデュオ、ウェザー・ガールズ。マーサ、アイゾラともにゴスペルシンガーでしたが、70年代に入るとシルベスターのバック・コーラスとしてそのキャリアをスタートさせます。そして、その圧倒的な歌唱力が買われて、1980年にトゥー・トンズ・オブ・ファンというグループ名でデビューします。しかし、全く成功を収めることが出来ず、1982年にウェザー・ガールズに名前を変え、この曲「ハレルヤ・ハリケーン」で再デビューします。
すると、この曲が、世界中のディスコ・シーンを盛り上げるヒット曲となって、一斉を風靡します。その後もパワフルなボーカルを発揮したアルバムを3枚リリースしますが、「ハレルヤ・ハリケーン」ほどのヒットにはならず、グループは解散。アイゾラはドイツへ渡り、マーサは、セダクション、ブラック・ボックス、C&Cミュージック・ファクトリーの影のリードボーカリストとして活躍します。
1999年に一時的に再結成し、セルフカバーとなる「ウェザー・ハリケーン99」をリリースしますが、2004年にアイゾラは心臓病を患い62歳で、この世を去りました。

◆10月4日(木)
熊谷幸子 「風と雲と私」

3歳からピアノを弾くようになり、高校生の時に坂本龍一に影響を受けて、作曲を始めた熊谷幸子。高校卒業後、秘書として働く傍ら、松任谷正隆主宰のマイカ・ミュージック・ラボラトリー作曲コースに入学します。そして、その歌唱力と作曲能力の高さが買われ、1992年、シングル「恋の色」でデビューします。そして、1994年5枚目のシングルとしてリリースされたのが、この曲「風と雲と私」で、和久井映見主演のドラマ「夏子の酒」の主題歌となり、ヒットします。「夏子の酒」では、ドラマのオリジナルサウンドトラックも手掛けたことで、その後も、ドラマ「私の運命」、中村俊介の映画「時をかける少女」のサントラを手掛け、松本伊代や内田有紀、酒井法子などへも楽曲を提供し、その才能を如何なく発揮します。
1998年に5枚目のアルバム『SK』をリリース後、所属レコード会社のディレクターと結婚し、引退という形で歌手活動を辞めたのですが、最近、子育ての傍らで、作曲家として活動しています。

◆10月5日(金)
ニール・セダカ 「雨に微笑を」

アメリカ、ニューヨーク出身のニール・セダカは、幼い頃からピアノを習い、その才能を開花させ、ピアニストとして嘱望されていました。そして、後にコンビを組むことになる作詞家のハワード・グリーンフィールドが同じアパートに住んでいたこともあって、共同で曲作りを始めるようになります。そして、ニールは高校に入学すると、学校の友人達とドゥーワップ・グループ・トーケンズを結成し、「ライオンは寝ている」をカバー、見事全米1に輝きます。その後、ジュリアード音楽院に進学し、クラシックを学びます。1958年、コニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」がいきなり全米トップ10入りすると注目を集め、歌手としても「おお!キャロル」「カレンダーガール」「素敵な16歳」などのヒット曲を生み出します。
そして、「悲しき慕情」が全米1に輝くと、世界的にも大ヒットし、日本でも大ヒットします。特に日本では、平尾昌晃がカバーしてヒットした「恋の片道切符」でよく知られるようになります。
50年代後半から60年代前半に一世を風靡するのですが、それ以降不遇の時代を迎え、全くヒット曲が生まれなくなってしまいます。そして、1970年代に入るとエルトン・ジョンの誘いもあり再出発を図ります。そして、1974年にリリースしたのがこの曲「雨に微笑を」で、全米で発売すると「悲しき慕情」以来12年ぶりに再び全米bPに輝きます。
勢いを取り戻したニールは、エルトン・ジョンとのデュエット曲「バッド・ブラッド」でも1に輝き、キャプテン&テニールがカバーした「愛ある限り」でもグラミー賞を獲得します。
日本人に馴染深いニール・セダカですが、日本のアニメ「起動戦士Zガンダム」に「Z刻をこえて」「星のBELIEVE」「水の星へ愛をこめて」という3つの楽曲を提供しています。

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