番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆10月22日(月)
ザ・クラッシュ   「ロック・ザ・カスバ」

父親が外交官であったことから、幼い頃から多くの国で過ごし、世界各国の音楽に親しんできたジョー・ストラマーは、ロンドンでアートスクールに通う傍ら、仲間たちとロックバンドを結成します。そして、セックス・ピストルズのライブに衝撃を受けたジョー・ストラマーは、ギターのミック・ジョーンズ、ベースのポール・シムノン、ドラムのトッパー・ヒードンと共にザ・クラッシュを結成、1976年シングル「白い暴動」でデビューします。
70年代中期に起こったパンクムーブメントもあって、ザ・クラッシュは非常に高い人気を獲得しますが、その音楽性は、パンクの枠にとらわれず、レゲエやダブ、ロカビリー、ジャズ、スカといった様々な音楽の要素が盛り込まれ、独自の個性を発揮していきます。また、歌詞の中に明確な政治姿勢を打ち出し、当時のイギリスの社会問題、失業問題、人種差別などを痛烈に批判し、社会的弱者や多くの若者から圧倒的な支持を集めます。3枚目のアルバム『ロンドン・コーリング』はアメリカでも人気を博し、積極的にアメリカ進出を目指すようになります。そして、1982年に発表した5枚目のアルバム『コンバット・ロック』はアメリカでもミリオン・セールスを記録するのですが、『コンバット・ロック』に収められたこの曲「ロック・ザ・カスバ」は、シングルチャートで、トップ10入りをします。しかし、バンド内の不協和音が表面化し、ドラムのトッパー・ヒードン、ギターのミック・ジョーンズが相次いで脱退、新しい3人のメンバーを加えてニューアルバムをリリースしますが、ファンの支持を得られず、1986年にザ・クラッシュは解散してしまいます。
その後、ジョー・ストラマーはソロとして活動しますが、2002年、オリジナルメンバーでのザ・クラッシュ再結成を検討している中、心臓発作で50歳という若さでこの世を去っています。

◆10月23日(火)
荻野目洋子  「ダンシング・ヒーロー」

小学生の時に「ちびっ子歌まねベストテン」に出場し、チャンピオンになったことで、スカウトされ、「ミルク」という3人組の小学生グループでデビューした荻野目洋子。ミルクの活動は小学生時代だけで、その後、映画『ションベンライダー』のオーディションを受けたのがきっかけで、中学生ながらアニメ『みゆき』のヒロイン若松みゆき役の声優として人気を博し、1984年シングル「未来航海〜セイリング」でソロデビューします。
そして、1985年、アンジー・ゴールドのカバー曲であるこの曲「ダンシング・ヒーロー」をリリースすると、瞬く間に大ヒットとなり、この曲で、紅白歌合戦にも初出場を果たします。その後、「六本木純情派」などのヒット曲を生み出し、1986年から4年連続で日本レコード大賞金賞を受賞し、高い歌唱力で人気シンガーとしての地位を獲得します。
また、女優としてもテレビドラマに主演するなど、幅広い分野で活動しますが、2001年、同級生のプロテニスプレイヤー、辻野隆三と結婚し、現在は3人の娘の母親として育児に専念しています。

◆10月24日(水)
シャンプー  「トラブル」

ジャッキーとキャリーの2人の女の子から成るイギリスのガールズ・バンド、シャンプー。2人は、マニック・ストリート・プリーチャーズというバンドの追っかけでしたが、マニック・ストリート・プリーチャーズ向けのファンが作るミニコミ誌の編集が縁で知り合い、意気投合しシャンプーを結成します。キュートなコギャルファッションとキャラクターが受けて、インディーズで話題となり、ブラーが所属していたフード・レーベルからメジャーデビューを果たします。
その記念すべきデビューシングルがこの曲「トラブル」で、イギリスのシングル・チャートで、トップ10入りし、人気を獲得します。キャッチーで、軽快なパンク・サウンドもさることながら、当時、ジャッキーが19歳、キャリーが17歳で、そのキュートなルックスがティーネイジャーのハートを捉えて、爆発的な人気を博し、本国イギリスはもとより、その人気は日本にも飛び火し、この曲を収めたデビューアルバム『ウィ・アー・シャンプー』は90万枚を超すセールスを記録します。
この曲は、カーターUSMというバンドもカバーされるなど、人気の楽曲になっています。

◆10月25日(木)
コンプレックス 「ビー・マイ・ベイビー」

吉川晃司と元ボウイのギタリスト、布袋寅泰が1988年に結成した音楽ユニット、コンプレックス。吉川がボウイのアルバムにコーラスとして参加し、吉川のアルバムに布袋がギターで参加したことが縁で知り合い、ボウイ解散後、コンプレックスが結成されます。 コンプレックスというバンド名は「劣等感」という意味ではなく、「複合体」「合成物」という意味で、吉川晃司の持つポップスター性と布袋寅泰の持つ作曲家としての才能がどういう形で、融合されて、世に送り出されるかが、デビュー前から注目を集めます。
そして、1989年、デビューシングルとしてリリースされたのが、この曲「ビー・マイ・ベイビー」で、オリコンシングルチャートで1位を獲得し、アルバム『コンプレックス』も1を獲得しました。
それに伴った全国ツアーは、すべてのライブチケットがソールドアウトとなり、スーパーロックユニットとして人気を博します。 翌90年には、シングル「1990」、アルバム『ロマンティック1990』をリリースし、共にナンバー1を獲得し、高い人気を誇っていましたが、2度目の全国ツアーの最終公演である東京ドームでのライブを最後に無期限の活動停止を発表し、事実上解散となりました。

◆10月26日(金)
グロリア・ゲイナー 「恋のサバイバル」

アメリカ、ニュージャージー出身のグロリア・ゲイナー。10代で歌手になる決心をし、18歳からプロとして活動を始めますが、まったく陽の目を浴びずに6年間下積み生活を続けます。シティ・ライツというグループを結成し、ニューヨークで演奏した際にその声がクライブ・デイビスというレコード業界の大物の耳に止まり、レコード契約を結ぶことが出来ます。
そして、1975年、ようやく「ハニー・ビー」という曲でメジャーデビューし、ディスコでDJたちの人気を集めます。次にリリースしたジャクソン5の「さよならを言わないで」がトップ10ヒットとなり、ディスコチャートでNo.1を獲得し、DJ達が選ぶディスコ・クィーンに選出され、ニューヨーク市長に「クィーン・オブ・ディスコ」と正式に認定されます。
このまま順調に行くかと思われたグロリア・ゲイナーですが、ヨーロッパツアー中に転倒し、入院して手術を受けるほどの大怪我を負い、突然、表舞台から姿を消すことになってしまいます。
復活第1弾として発表したのがこの曲、「恋のサバイバル」で、初めは「サブスティチュート」という曲のB面でした。ところが、全米のラジオ局やディスコDJがB面の「恋のサバイバル」をオンエアし、A面とB面が入れ替わり、1979年、ついに全米ナンバー1に輝きます。
さらにグラミー賞にも輝き、その後、世界中で様々なアーティストにカバーされ、日本でも布施明がカバーして、2003年にはグロリア自身がセルフカバーしています。

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