番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆11月5日(月)
トロッグス   「恋はワイルド・シング」

1964年にボーカルのリッグ・プレスリー、ギターのクリス・ブリットン、ベースのピーター・ステイプルス、ドラムスのロニー・ボンドという4人で結成されたイギリス最初のパンク・バンド、トロッグス。1966年、「ロスト・ガール」でデビューしますが、キンクスを手掛けたプロデューサー、ラリー・ページの提案で、この曲をセカンド・シングルとしてリリースすると、全米で瞬く間に1を獲得します。この曲は、もともとワイルド・ワンズという全く無名のバンドが歌っていたのですが、歌詞が猥褻ということもあり、全く注目されませんでした。トロッグスバージョンもその歌詞の内容が問題ということで、放送禁止となってしまいますが、「僕はあなたに首ったけ」で本国イギリスで1を獲得します。
そして、「ボクは危機一髪」「ラブ・イズ・オールラウンド」などのヒット曲を放ち、イギリスのガレージ・パンクを支えます。その後、この曲はジミ・ヘンドリックスにカバーされ、60年代を象徴する1曲となりましたが、1989年に公開された映画『メジャーリーグ』のテーマ曲としてエックスがカバーしたことで、スポーツのビッグ・イベントで盛り上がる定番の1曲となっています。

◆11月6日(火)
アリス  「チャンピオン」

谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の3人からなるアリス。もともと谷村と堀内の2人が1971年、アリスを結成し、翌72年にシングル「走っておいで恋人よ」でデビューします。そこへ矢沢が合流する形で、ツインギターとドラムという3人組となるのですが、デビュー当時は全くヒット曲に恵まれず、1974年には1年間に303回のライブをこなすなど、地道なライブ活動を続けます。
7枚目のシングル「今はもうだれも」のカバーがヒットしたことでブレイク、1977年には「冬の稲妻」が初のトップ10ヒットとなり、この曲「チャンピオン」で初めて1を獲得します。その年には、日本人アーティストとしては初となる、武道館3日間公演も成功させ、後楽園球場、大阪球場、横浜スタジアムなど野球場でのコンサートも満員にします。しかし、谷村と堀内がアリスと平行してソロ活動も行っており、音楽性の違いが明確になり、1981年、後楽園球場でのコンサートを最後に解散してしまいます。
その後、1987年に再結成しシングル「ブライ」を発表、2001年には阪神淡路大震災追悼コンサートがきっかけとなって再結成し、全国ツアーも行われ、2005年には、紅白歌合戦のために再結成されるなど、3度再結成されています。

◆11月7日(水)
コリー・ハート  「ネバー・サレンダー」

カナダ、モントリオール出身のコリー・ハート。幼い頃は父親の仕事の関係で、イタリア、メキシコなど、世界各国で過ごし、あまり友達が出来なかったコリーは、14歳の時に初めて買ったロッド・スチュワートの「マギー・メイ」を聴いて、ロック・シンガーになることを決心します。「1980年、ヤマハ世界音楽祭でカナダ代表として武道館のステージに立つものの、予選落ちしてしまいます。しかし、これがきっかけで、レコード会社と契約することになり、1983年アルバム『ファースト・オフェンス』でデビューを果たします。」
このアルバムから「サングラス・アット・ナイト」という曲が、本国カナダのみならず、アメリカでもヒットし、84年のグラミー賞の最優秀新人賞にノミネートされます。そして、翌85年にセカンドアルバム『ボーイ・イン・ザ・ボックス』を発表し、この曲「ネバー・サレンダー」が全米トップ3を記録、カナダでは7週連続1位を記録し、カナダのグラミー賞であるジュノー賞を獲得します。
その後は、エルビスのカバー曲「好きにならずにいられない」などがヒットしますが、最近ではセリーヌ・ディオンや自分の奥さんであるジュリー・マスなどへ楽曲を提供するなど、ソングライターとして活動しています。

◆11月8日(木)
高橋真梨子 「桃色吐息」

ジャズ・クラリネット奏者だった父親の影響で、幼い頃からジャズを聴いて育った高橋真梨子。16歳で上京し、高校に通いながら本格的なレッスンを受けるのですが、卒業後、博多に戻り、ライブハウスで歌っていたところに、ペドロ&カプリシャスの2代目ボーカリストとしての誘いを受けて、1972年、プロデビューします。
「ジョニーへの伝言」がヒットし、紅白歌合戦に出場しますが、1978年、ペドロ&カプリシャスを脱退、「あなたの空を翔びたい」でソロデビューします。そして、1984年、この曲「桃色吐息」がカメリア・ダイアモンドのCMソングとなり、大ヒットし、ソロとしても紅白歌合戦に出場します。
その後は「はがゆい唇」「ごめんね」などのヒット曲を生み出し、「バラードの女王」とよばれるなど、実力派ボーカリストの地位を確立します。
今年9月には「1億人のためのリクエスト・キャンペーン」と銘打ったファン投票によるリクエストベストアルバムを発売し、話題になりました。

◆11月9日(金)
シェリル・クロウ 「オール・アイ・ワナ・ドゥ」

アメリカ、ミズーリ州出身のシェリル・クロウは、両親の影響で、5歳からピアノやオルガンを習い始め、大学ではクラシック音楽を専攻、卒業後は、小学校の教師として音楽を教えます。その一方で、13歳からオリジナル・ソングを書き始め、夜はライブハウスで歌っていたのですが、24歳で教師を辞め、ミュージシャンを目指し、ロサンゼルスに移り住みます。
下積み生活を続けながら、プロとして最初の仕事は、マイケル・ジャクソンのツアーのバック・コーラスで、18ヶ月間ツアーに同行します。その後、ドン・ヘンリーやロッド・スチュワート、スティングのバック・コーラスをしつつ、エリック・クラプトンに楽曲を提供し、作曲家としても知られるようになりますが、自分自身のソロ契約には至りませんでした。
そんな彼女の転機となったのが、マイケルやマドンナのプロデューサーであるビル・ボットレルの家で毎週火曜日の夜に行われるジャム・セッションで、そこで出来た曲を集めて、『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』という1枚のアルバムにまとめて、1993年デビューアルバムとして発表します。そのアルバムからの3枚目のシングルがこの曲「オール・アイ・ワナ・ドゥ」で、全米シングルチャート2位を記録し、アルバムは全米で400万枚を超す大ヒットになります。またグラミー賞でも最優秀新人賞、最優秀レコード賞など3部門で賞を獲得するなど一躍注目の女性ロック・シンガーとして注目を集めます。
その後は、グラミー賞の常連として、現在までに9回も受賞していますが、昨年、乳がんの手術を受けていたことを発表し、しばらく静養していました。しかし、現在はニューアルバムの制作中で、来年2月にリリースされるそうです。

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