番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆11月19日(月)
ジョー・ジャクソン   「ステッピン・アウト」

イギリス、ポーツマス出身のジョー・ジャクソン。幼い頃は病気がちで、外で周りの子供たちと一緒に遊ぶことが出来ずに、バイオリンを学びます。その後、ピアノに興味を持つようになり、独学でどんどんと上達し、その才能が認められて、奨学金を得て、イギリス王立音楽院に入学します。
しかし、クラシックよりもロックに惹かれ、ナショナル・ユース・ジャズ・オーケストラに参加したり、アームズ&レッグスというバンドのメンバーとしてシングルをリリースしますが、長続きせず、個人でデモ・テープ作りを始めます。そのデモ・テープがA&Mレコードのプロデューサーに気に入られ、1979年アルバム『ルック・シャープ』でデビューします。
その後は、ロック、ソウル、レゲエ、サルサ、スゥイング・ジャズとアルバムをリリースする毎に作品のカラーが様々で「カメレオン・クール」と呼ばれ、人気を博していきます。この曲「ステッピン・アウト」は、ジョー・ジャクソンが活動の拠点をイギリスからニューヨークに移した1982年のアルバム『ナイト&デイ』からのシングル曲で、ジョー・ジャクソン最大のヒット曲になります。
このアルバムは、大都会ニューヨークの昼と夜をリアルに表現し、ニューヨークを代表するサウンドとして取上げられて、一躍時の人となります。
その後は、オーケストラとのアルバムを発表したり、映画『タッカー』のサントラを手掛けたりと幅広い活動を続け、2000年に発表したクラシックアルバム『シンフォニア・bP』ではグラミー賞も獲得しています。

◆11月20日(火)
はっぴいえんど  「風をあつめて」

ボーカル大滝詠一、ベース細野晴臣、ドラム松本隆、ギター鈴木茂の4人から成るはっぴいえんど。エイプリル・フールというバンドで活動していた細野晴臣と松本隆に大滝詠一と鈴木茂が加わり、はっぴいえんどの前身となるバレンタイン・ブルーを結成します。時代は歌謡曲やフォークが全盛で、ロックは英語で歌うといった固定観念があり、4人ともニール・ヤングが結成したバッファロー・スプリングフィールドのようなサウンドで、日本語の歌詞にこだわった日本のロックバンドを作ることで一致し、バンド名をはっぴいえんどに変えて、活動をスタートさせます。当時フォークの神様といわれた岡林信康のバックバンドとしてステージに立ち、その名が知られるようになり、1970年アルバム『はっぴいえんど』でデビューします。
この曲「風をあつめて」は、次にリリースされたアルバム『風街ろまん』の代表曲で、失われた東京の原風景を構築しようとした松本隆の歌詞と卓越した演奏力で、日本語のロックバンドのパイオニアとしての地位を確立します。しかし、大滝詠一のソロ活動も平行して行われ、バンドとしての方向性がメンバー間で生じ始め3枚目のアルバム『ハッピー・エンド』の製作中にバンドの解散が決定し1973年の文京公会堂でのライブではっぴいえんどは解散してしまいます。
しかしながら、わずか3年間の活動にも関わらず、その後の日本のポップスシーンの中心となるニュー・ミュージックを生み出す土台になります。解散後は、細野と鈴木はキャラメル・ママを結成、さらに細野はYMOの活動へと続き、大滝はソロとして活躍し、松本は作詞家として名を馳せ、今もなお、日本の音楽シーンに多大な影響を与えながら、第一線で活動しています。

◆11月21日(水)
ケイト・ブッシュ  「嵐が丘」

イギリス、ケント州出身のケイト・ブッシュ。幼い頃からピアノに親しみ、16歳の時に、ピンク・フロイドのデイビッド・ギルモアにその音楽的な才能を見出されて、約2年かけてダンスやパントマイムなども勉強し、1978年、19歳の時にこの曲「嵐が丘」でデビューを果たします。イギリス文学の金字塔とも言われているエミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」にインスパイアされた文学的な歌詞と独特で個性的な歌声がセンセーションを巻き起こし、デビュー曲でありながら、イギリスのシングルチャートで4週連続1を獲得し、この曲が収められたデビューアルバム『天使と小悪魔』は、40万枚のセールスを記録します。
その後は、ケイト・ブッシュ自身がプロデュースも行なうようにますます個性的なファンタジー路線の作品を発表しますが、1993年アルバム『レッド・シューズ』を発表すると、子育てに専念して第一線から姿を消してしまいます。
しかし、2005年に2枚組のアルバム『エアリアル』をリリースし、往年のファンを喜ばせ、イギリスでは、「過去30年間でイギリスが生んだ最も成功したエキセントリックな女性アーティスト」と絶賛されていました。
なお、この曲は日本では、テレビ番組「恋のから騒ぎ」のオープニングテーマに使われており、非常に人気の楽曲になっています。

◆11月22日(木)
Char 「気絶するほど悩ましい」

デビュー以来、多くのギターキッズの憧れであり、絶大なリスペクトを集めているチャー。幼い頃にピアノを習い、ベンチャーズに影響され8歳でギターを手にし、中学生の時にスタジオでプロとしてのキャリアをスタートさせます。
そして、17歳で、鳴瀬善博、佐藤順、藤井章司、金子マリと日本ロック史上伝説のバンドといわれている「スモーキー・メディスン」を結成します。早熟の天才ギタリストとして注目を集めますが、「スモーキー・メディスン」は解散、1976年、「ネイビー・ブルー」でソロ・デビューします。
この曲「気絶するほど悩ましい」は1977年にリリースされたセカンドシングルで、この曲のヒットで、一般的な人気も獲得し、その後も「逆光線」「闘牛士」等がヒット。78年にはゴダイゴをバックバンドに率いて全国ツアーを行い、武道館ライブも行います。1979年には後にピンク・クラウドに改名するジョニー、ルイス&チャーを結成し、日本最強のトリオと呼ばれ、往年のロック・ファンをうならせます。その後も、石田長生とアコースティックデュオ「バホ」を結成、「サイケデリックス」を結成し、海外の名うてミュージシャンとセッションをするなど、枠にとらわれないフレキシブルな活動を展開し、日本が誇るギタリストとして活動しています 。

◆11月23日(金)
ジュリア・フォーダム 「ハッピー・エバー・アフター」

イギリス、ポーツマス出身のジュリア・フォーダム。6歳の時に父親に買ってもらったギターがきっかけで、音楽に親しむようになり、12歳から曲作りをスタートさせ、14歳でお兄さんのバンドにも参加し、地元のクラブで演奏するようになります。
本格的にプロのミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたのは、ロンドンに出てきた19歳のときで、キム・ワイルドのバック・コーラスをしながらデモテープを作り、それが認められて1988年にアルバム『ときめきの光の中で』でデビューを果たします。透明感あふれる歌声と洗練された都会的なサウンドで、人気を集め、本国イギリスで、この曲「ハッピー・エバー・アフター」がスマッシュ・ヒットとなります。
日本では、この曲が浅野ゆう子主演のドラマ「ハートに火をつけて」の挿入歌となったことでヒットし、清楚なルックスも相まって、トヨタ、エクシブのCMにも出演します。その後は、ライフ・ワークである自然環境保護活動も行いながら、チャリティーにも積極的に参加していますが、2004年には大人の色気が詰まった8枚目となるアルバム『ザッツ・ライフ』をリリースし、2年前に来日コンサートを行いました。

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