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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆1月7日(月)
ハワード・ジョーンズ  「ニュー・ソング」

イギリス、サザンプトン出身のハワード・ジョーンズ。 7歳からピアノを弾き始め、マンチェスターの王立北部音楽院でクラシックピアノを学んでいましたが、バンド活動を始めるようになり、大学を中退。工場で働いたり、ピアノの講師をしたりしながら、クラブやパブなどで歌い続け、1983年にメジャー契約にこぎつけます。
デビュー曲となったこの「ニュー・ソング」で、当時最先端だったシンセサイザーを駆使した独特の音楽性を確立させ、イギリスのシングルチャートで3位というヒットとなります。続く、「ホワット・イズ・ラブ」「かくれんぼ」とヒット曲を連発し、これらの曲を収めたファーストアルバム『かくれんぼ』は全英1位に輝きます。
セカンドアルバム『ドリーム・イントゥ・アクション』からは、「悲しき願い」がアメリカでもヒット。親しみやすいポップなサウンドで世界中で人気を博すようになり、ローリング・ストーン誌で1986年度のベスト・キーボード・プレーヤーに選ばれます。デビュー当初は、シンセサイザーを駆使して、全ての演奏を一人でこなしていましたが、90年代に入ると、ピアノの生の音を重視したアコースティック路線に変更していきます。
去年は、80年代に活躍したアーティストが集ったレトロ・フェスティバルに参加しながら、ツアーを行い、今年1月いっぱいは全米をくまなく回るツアーを行います。なお、この曲は、リメイクされたバージョンがスズキ「ワゴンR」のCMソングとして使われていました。

◆1月8日(火)
高野寛  「虹の都へ」

YMOに影響を受けて音楽に目覚めた高野寛。 1986年にそのYMOの高橋幸宏、ムーンライダーズの鈴木慶一が主催するオーディションで見出されて、そのまま2人が結成したビートニクスのツアーギタリストとしてツアーに参加するようになります。そして、1988年、高橋幸宏プロデュースのもとで、シングル「シー・ユー・アゲイン」、アルバム『ハロー・ハロア』でデビューします。
この曲「虹の都へ」は、高野が敬愛するトッド・ラングレンをプロデューサーに迎えて発表したシングルで、ミズノのスキーウェアのCMソングとなり、オリコンシングルチャート2位を記録します。続くシングル「ベステンダンク」もトッド・ラングレンがプロデュースしヒット、その名を確固たるモノにします。
その後、オリジナル・ラブの田島貴男とコンビを組んで発表した「ウィンターズ・テイル」で話題を呼び、他のミュージシャンとのコラボレーションも多くなります。
ギタリストとの才能も評価され、坂本龍一のワールドツアーやブームの宮沢和史のヨーロッパ、南米ツアーに参加。また、小泉今日子、山下久美子、大貫妙子、ハルカリのプロデューサーとしても活動する一方で、東京No.1ソウルセットのビッケとのナタリー・ワイズ、クラムボンの原田郁子らとの4B、そして宮沢和史とのガンガ・ズンバといったユニットに参加。
現在は、「ハース」名義のソロ・ユニットの活動を開始し、2006年にインストルメンタル・アルバムをリリースするなど、非常に幅広い音楽活動をしています。

◆1月9日(水)
レッド・ツェッペリン  「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」

ビートルズ、ローリング・ストーンズと並び3大ブリティッシュ・ロック・バンドの一つに数えられているレッド・ツェッペリン。エリック・クラプトン、ジェフ・ベックに続くヤードバーズの最後のギタリストになったジミー・ペイジがヤードバーズを解散させて、夢であった"サイケデリック・ブルース・バンド"として1968年に結成したのが、レッド・ツェッペリン。まず、友人のベーシストで、アレンジャーのジョン・ポール・ジョーンズに声をかけ、新人ながらセクシーな高音域の声の持ち主であるロバート・プラント、ヘビーなドラムでバンドの核を担った天才ドラマー、ジョン・ボーナムをメンバーに迎え、新人ながらレコード会社と7200万円という破格の契約を結び、1969年アルバム『レッド・ツェッペリンT』でデビューします。
レッド・ツェッペリンという名前は、ザ・フーのドラマーであるキース・ムーンが、いつ急降下するか分からない「鉛の飛行船」と言ったことから由来していますが、実力に裏づけされた音楽性で、その名前に反して瞬く間にスターダムを駆け上がり、同じく69年にリリースしたセカンドアルバム『U』はビートルズの『アビーロード』を蹴落として、イギリス・アメリカで同時に1に輝きます。
この曲は、記念すべきデビューのアルバムの1曲目に収録されていて、「移民の歌」「胸いっぱいの愛を」「天国への階段」と並ぶレッド・ツッペリンの代表曲になっています。
1970年代、アルバムセールスやライブの動員数などで空前の記録を樹立しますが、1980年、ドラムのジョン・ボーナムが亡くなったことで、解散を余儀なくされてしまいます。
1988年、アトランティック・レコード創立40周年記念ライブにつづき、去年12月にアトランティック・レコードの創設者であるアーメット・アーティガンの追悼チャリティコンサートで19年ぶりに再結成され、話題になりました。

◆1月10日(木)
ちあきなおみ  「喝采」

5歳の時にタップダンサーとして初めて舞台に立ち、小学生の時に米軍キャンプを回り、中学生になってからはジャズ喫茶で歌い始めたというちあきなおみ。
オーディションがきっかけとなって、レッスンを受けるようになり、1969年シングル「雨に濡れた慕情」でデビューします。1970年にリリースした4枚目のシングル「四つのお願い」がヒットし、その年の紅白歌合戦に初出場を果たします。
この曲「喝采」は1972年に発売され、日本レコード大賞を受賞し、翌年も80万枚を超すヒットとなり、一躍、日本歌謡界の頂点に駆け上がります。
ただ、同じ時期に宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」が1位を独走していた為に、この曲はオリコンのシングルチャートで12週間にわたって2位という記録を残すことになりました。その後も「夜間飛行」「円舞曲」などのヒット曲を放ちますが、1978年俳優の郷^治との結婚を機に充電期間に入ります。
結婚2年後に、女優として芸能活動をスタートさせると、シャンソンやジャズ、ファドなどの海外の作品をカバーするなど、自分の歌いたい歌にじっくりと取り組むようになるほか、金鳥の「タンスにゴン」のCMキャラクターにも起用され、そのコミカルな演技が話題になります。
1988年には「紅トンボ」がヒットし、11年ぶりに紅白歌合戦に出場するものの、92年に夫の郷^治が亡くなってからは、一切の芸能活動を休止しています。

◆1月11日(金)
スピナーズ  「クッド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラブ」

アメリカ、ミシガン州デトロイト出身の5人組コーラス・グループ、スピナーズ。ビリー・ヘンダーソンを中心に同じ高校に通っていた同級生で結成され、「ドミンゴス」というグループ名で活動を始めますが、1961年に「スピナーズ」と名前を改めてデビューします。
なかなかヒット曲に恵まれず、モータウンに移籍し、アポロ・シアターで歌い絶賛されるもののジャクソン5の運転手をさせられたりと、満足なサポートを受けられずにいました。そして1969年、リード・ボーカルにGCキャメロンに代わると、スティービー・ワンダーが楽曲を提供し、プロデュースも担当した「イッツ・ア・シェイム」が初めてヒットします。
その後、アレサ・フランクリンの誘いもあって、アトランティック・レコードに移籍、リード・ボーカルもGCキャメロンに代わって、フィリップ・ウェインが加わり、制作陣も一新され、プロデューサーのトム・ベルの手によってこの曲「クッド・イット・ビー・アイム・フォーリング・イン・ラブ」が大ヒットします。続くディオンヌ・ワーウックとのデュエット「愛のめぐりあい」で全米1に輝き、スピナーズの黄金期を迎えます。
その後も「ゲームス・ピープル・プレイ」などヒット曲を放ちますが、1977年にリード・ボーカルがジョナサン・エドワーズに代わり、アーバン・サウンドに移行。1999年にロックの殿堂入りを果たしました。
ちなみにこの曲は、1985年にジャッキー・グラハムとデビッド・グランドとのデュエットで、 リバイバル・ヒットしています。

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