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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆1月14日(月)
ダスティ・スプリングフィールド  「この胸のときめきを」

イギリス、ロンドン出身のダスティ・スプリングフィールド。19歳のときに、ラナ・シスターズに参加し、歌手としてデビューし、2年後、兄と共にスプリングフィールズを結成し、その時に、ダスティ・スプリングフィールドと名乗るようになります。
スプリングフィールズは、「慕情のなぎさ」などのヒット曲を生み出し、イギリスで人気を博しますが、全米ツアーを行った時に、ダスティがモータウン・サウンドの虜になってしまい、1963年、グループを脱退。ソロ・シンガーとしてデビューします。デビュー曲は、ベイ・シティ・ローラーズのカバー曲として知られている「アイ・オンリー・ワナ・ビー・ウィズ・ユー」で、イギリスでも、アメリカでもヒットします。
そして、モータウン・サウンドを気品のある親しみやすいソウル・ポップに仕立てて、当時のヒットチャートを席巻。白人女性ソウルシンガーの第一人者となっていきます。また、円錐形に結い上げたブロンドのビーハイブ・へアと「パンダの目」のような濃いマスカラは、彼女のトレードマークとして有名になりました。
この曲「この胸のときめきを」は、元々はイタリアの男性歌手、ピノ・ドナッチオの作品で、1966年にバーし、彼女にとって初の全英ナンバー1に輝きました。その後は、『007カジノ・ロワイヤル』の主題歌「恋の面影」を歌い、アカデミー賞主題歌賞にもノミネートされます。70年代に入ると、ドラッグで入退院を繰り返しますが、1987年に克服し、ペット・ショップ・ボーイズとのデュエット・ソング「とどかぬ想い」でイギリス、アメリカで共に2位を記録し、復活を遂げます。
90年代に入って、乳がんと診断され手術を受け一時快方に向かったのですが、1999年、ロックの殿堂入りを果たす、5日前に59歳の若さでこの世を去ってしまいました。

◆1月15日(火)
上田正樹  「悲しい色やね」

1974年「上田正樹とサウストゥサウス」を結成し、有山淳司とのジョイントアルバム『ぼちぼちいこか』がヒットするなど、伝説のスーパーバンドとして当時のバンドブームの頂点を極めた上田正樹。1976年に「サウストゥサウス」を解散し、翌年、ファンク、フージョン色の濃いアルバム『上田正樹』でソロ・デビューします。
この曲「悲しい色やね」は1981年に発表したシングル曲で、関西地区の有線放送で火が付いて、ロングヒットとなり、1983年にはシングルチャートで1位を記録するなど、彼の代表曲となります。ソウルフルなボーカル力に定評があり、その後、レイ・チャールズやBBキングといったブルースアーティストとの共演を果たしました。
日本文化解禁前の1999年には、韓国でデビューも果たし、「ハンズ・オブ・タイム」という楽曲が視聴率30%以上のドラマ「ゴースト」の主題歌になり、韓国デビューアルバムが20万枚を超すセールスを記録します。
2001年には、インドネシアの歌姫レザとのデュエットソング「フォーエバー・ピース」がインドネシアで17週連続1位を記録し、その人気がマレーシアにも飛び火して、上田正樹の人気はアジアでも確固たるモノとなります。
去年は『大阪』というアルバムを発表すると共に、ニューズウィーク日本版では「世界が尊敬する日本人」の100人のうちの1人に選ばれるなど、ワールドワイドに通用する日本人シンガーといえます。

◆1月16日(水)
クワイエット・ライオット  「カモン・フィール・ザ・ノイズ」

1975年、アメリカ・ロサンゼルスでギターのランディ・ローズが、ボーカルのケビン・ダブロウたちを呼びかけて結成されたヘビー・メタルバンド、クワイエット・ライオット。1978年にアルバム『静かなる暴動』でデビューするのですが、発売されたのはランディのルックス先行で人気となった日本だけで、ファースト、セカンドともに本国アメリカで発売されずに、活動を停止してしまいます。
その後、ランディ・ローズは、ベースのルディ・サーゾとともに、オジー・オズボーンのバンドに参加し、ここで、天才ギタリストとしてランディ・ロ−ズの名前が知られるようになります。ところが、1982年、飛行機事故のためにランディ・ローズが亡くなってしまい、ランディの意志を受け継ぐボーカルのケビン・ダブロウが、ベースのルディと共に、クワイエット・ライオットとして活動を再開。
1983年3枚目にしてアメリカでのデビューアルバムとなる『メタル・ヘルス』を発表します。このアルバムからのセカンドシングルとしてリリースされたのが、この曲「カモン・フィール・ザ・ノイズ」で、もともとは1973年のスレイドのヒット曲のカバーでしたが、全米シングルチャートで5位を記録します。
この曲のヒットもあり、アルバム『メタル・ヘルス』は、600万枚を越すセールスを記録し、ヘビー・メタルバンドとしては初めて全米ナンバー1に輝きます。続く、アルバム『コンディション・クリティカル』も300万枚のセールスを記録しますが、メンバーチェンジが激しくなり、解散や再結成を繰り返すようになってしまいます。
2005年に再び再結成し、おととし5年ぶりに『リハブ』というニューアルバムをリリースしたのですが、去年11月にボーカルのケビン・ダブロウが52歳で亡くなってしまいました。

◆1月17日(木)
原田真二  「シャドー・ボクサー」

高校2年の時に、フォーライフ・レコードの新人オーディションに応募し、吉田拓郎プロデュースのシングル「でぃーんず・ぶるーす」でデビューした原田真二。デビュー翌月にはセカンドシングル「キャンディ」をリリースし、さらに次の月にはこの曲「シャドー・ボクサー」をリリースするという「3ヶ月連続レコードリリース」という前代未聞の形でデビューを飾りました。しかもこの3枚のシングルが同時にオリコンのトップ20入りするという日本音楽史上初の快挙も成し遂げます。当時ニューミュージック系のミュージシャンは、テレビに出ないことが多かったのですが、原田は「ザ・ベストテン」などのカウントダウン番組に積極的に出演します。
そのため、男性のピアノの弾き語りというスタイルが認知され、また、カーリーヘアーと可愛らしいルックスやハスキーボイスが若い女性に絶大な支持を受けて、ファーストアルバム『フィール・ハッピー』は、史上初の初登場1位を獲得します。
その後は、自分の活動と併行して、中森明菜、郷ひろみ、山下久美子など数多くのシンガーに楽曲を提供し、2002年には松田聖子のサウンド・プロデュースやツアーへの参加で注目を集めました。デビュー30周年となる去年は、3年ぶりに『フィール・フリー』という30年目で初となるセルフカバーアルバムをリリースして話題になりました。
最近は、全国の神社をライブ会場にして、森作りのチャリティコンサートである「鎮守(ちんじゅ)の森コンサート」を定期的に行っているほか、来月23日には、渋谷AXでライブも行われる予定です。

◆1月18日(金)
スパイス・ガールズ  「ワナビー」

ジンジャー・スパイスことジェリ・ハリウェル、ボッシュ・スパイスことビクトリア・ベッカム、スポーティ・スパイスことメラニーC、スケアリー・スパイスことメラニーB、そしてベイビー・スパイスことエマ・バントンの5人から成るスパイス・ガールズ。イギリスの業界誌『ステージ』の「18歳から23歳まででダンスが出来て歌が歌える女性」という募集広告がきっかけで、2000人の中から選ばれ、1996年この曲「ワナビー」でデビューします。
この曲は、本国イギリスを初め世界31ヶ国でナンバー1に輝き、世界中に「ガール・パワー」旋風を巻き起こします。この「ワナビー」は全世界で400万枚以上のセールスを記録し、女性グループでは史上最高の売り上げを記録する他に、イギリスとアメリカで同時にナンバー1に輝いた初の女性グループになります。
そして、この曲を収めたファーストアルバム『スパイス』は、アルバムチャートで15週間ナンバー1に輝き、全世界で2400万枚以上というセールスを記録しました。続くセカンドアルバム『スパイスワールド』も世界11カ国でナンバー1に輝き、2枚のアルバムを引っさげてワールド・ツアーを行いました。
しかし、このツアー中にジェリ・ハリウェルが脱退を発表し、4人組になってしまいます。2000年には3枚目のアルバム『フォーエバー』がリリースされるのですが、2001年に活動休止が発表されます。しかし、去年の11月には期間限定ながら再び5人揃っての再結成が発表されて、ベストアルバムがリリース。12月にカナダ・バンクーバーからワールドツアーがスタートし、話題になりました。

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