番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆2月11日(月)
ケニー・ロギンス  「デンジャー・ゾーン」

アメリカ、ワシントン州出身のケニー・ロギンスは、音楽出版社の仕事をしながら、まず作曲家としても活動。1971年、ジム・メッシーナとデュオを組み、ロギンス&メッシーナとしてデビューします。カントリー・ロック調なサウンドで人気を集め、「ママはダンスを踊らない」などがヒットしますが、1977年にソロに転向。フリートウッド・マックの前座を務めたことがきっかけとなり、ボーカルのスティービー・ニックスと共演した「二人の誓い」がヒット。また、マイケル・マクドナルドと共に書いたドゥービー・ブラザーズの「ホワット・ア・フール・ビリーブズ」がグラミー賞を獲得し、作曲家としても成功を収めます。そして、1984年に映画の脚本制作の段階から、深く関わった「フットルース」の主題歌が全米1に輝いたことで、その名を全世界に知られるようになりました。
この曲「デンジャー・デーン」は、アメリカ海軍の戦闘機パイロットの青春群像を描いた映画『トップ・ガン』の主題歌。トム・クルーズが主演し、1986年度の全米興行成績1位を記録し、主題歌も全米2位を記録します。
その後、ケニー・ロギンスは映画のサウンド・トラック絡みのヒット曲を放ち、サントラ・キングと呼ばれます。
また環境問題にも強い関心を持っていたことで、「愛の確信」という曲を91年にリリースし、ゴア副大統領に環境保護運動の非公式賛歌として称えられました。2005年にはロギンス&メッシーナを再結成。全米ツアーを行い、話題を集めました。

◆2月12日(火)
ビル・コンティ  「ロッキーのテーマ」

シルベスタ・スタローンを一躍スターにした映画『ロッキー』のサントラを手掛け、全世界的な人気を集めた作曲家、ビル・コンティ。アメリカ、ロードアイランド出身のビル・コンティは、幼い頃からイタリアン・バーで演奏するなど音楽的な才能を開花させ、さらにルイジアナ州立大学では作曲を専攻。そこで、実力をつけ、1969年から映画音楽を手掛けるようになります。この曲は「ロッキー」の主題歌として知られていますが、全米シングルチャートでもNo.1に輝きました。
スタローンから制作準備段階で、ビル・コンティに直々に主題歌を書いて欲しいと依頼があり、ビルと同じ事務所の作詞家キャロル・コナーズと共に曲を書き上げました。トランペットと荘厳なオーケストラとコーラスが見事に一体となって映画を盛り上げ、アカデミー賞最優秀作曲賞にノミネートされました。
「ロッキー」は3流で無名のプロ・ボクサーでしたが、全くの偶然から世界ヘビー級チャンピオンによってタイトルマッチの挑戦者に指名され、人生最大のチャンスに立ち向かうというストーリー。シルベスタ・スタローンが自ら脚本を書き、主演し、作品賞など3つのアカデミー賞を受賞。スタローン自身、全く無名の俳優でしたが、この作品によって一躍スターダムを駆け上がり、「ロッキー」シリーズは去年の「ザ・ファイナル」まで6作も続きました。
ビル・コンティ自身「ロッキー」シリーズ6作すべてのサントラを手掛け、1983年には映画『ライトスタッフ』で念願のアカデミー賞を受賞しました。

◆2月13日(水)
ベン・E・キング  「スタンド・バイ・ミー」

1958年に、ドリフターズにリード・ボーカルとして加入して、「ダンス・ウィズ・ミー」、「ラストダンスは私に」などのヒット曲を放ったベン・E.キング。1960年に脱退して、ソロシンガーとなって、61年にこの曲「スタンド・バイ・ミー」が大ヒットし、その人気を不動のものとします。
その後、この曲は、ジョン・レノンやアース・ウィンド&ファイヤーのモーリス・ホワイトなどによってカバーされ、リバイバル・ヒットしますが、1986年、アメリカのホラー作家、スティーブン・キングの小説を映画化した、「スタンド・バイ・ミー」の主題歌となったことで、オリジナルが再び大ヒットしました。
この映画は、スティーブン・キングの自伝的な映画で、ある中年作家が、1959年の夏の出来事の思い出を語る、という形で進行する青春映画になっています。主人公と仲の良い3人の少年が、町のヒーローになれると信じて、不良グループに殺されたという、友達の死体を捜しにいくというストーリーで、全米の世代を超えた共感を集め、1986年の夏の興行成績1を記録します。
ベン・E.キングは、その後、ファンキーな「スーパーナチュラル・シング」がヒット、アヴェレージ・ホワイト・バンドとの共演など話題を集めます最近は、"ベン・E.キング・スタンド・バイ・ミー財団"を設立して、慈善活動を行っています。

◆2月14日(木)
ゴー・ウエスト  「キング・オブ・ウィッシュフル・シンキング」

1982年、イギリス・ロンドンでピーター・コックスとリチャード・ドラミーの2人が結成したポップ・デュオ、ゴー・ウエスト。もともとピーターは、ヒットチャート専門のクラブのバンドの一員として活動し、リチャードは新聞の広告代理店に勤めていたのですが、2人で作曲家チームを結成します。まずは、作曲家としてレコード契約を結び、ピーター・フランプトンやディビッド・グラントなどに曲を提供するようになり、1985年、シングル「ウィ・クローズ・アワー・アイズ」でデビューします。そして、新進のブルー・アイド・ソウル・デュオとして注目を集めますが、1987年セカンドアルバムをリリースすると活動を停止してしまいます。
この曲は、1990年に公開されたリチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ主演の映画『プリティ・ウーマン』のサントラからシングル・カットされ、全米8位を記録し、再びゴー・ウエストの人気に火が付いた1曲です。映画『プリティ・ウーマン』は、コール・ガールがエリート・ビジネスマンに出会い、幸福をつかみとるという、マイ・フェア・レディを下敷きにした、シンデレラ・ストーリーで、1990年度全米興行収入1に輝き、ジュリア・ロバーツはゴールデン・グローブ賞主演女優賞を受賞しました。
ゴー・ウエストは1992年にこの曲も収録した3枚目のアルバム『インディアン・サマー』をリリースし、ヒットしますが、翌94年からピーター・コックスがソロ活動をスタートさせます。
現在、ゴー・ウエストの活動も並行させており、この春、ニューアルバムを発表し、そのアルバムを引っさげて、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパツアーを行う予定です。

◆2月15日(金)
レイ・パーカーJr.  「ゴーストバスターズ」

アメリカ、デトロイト出身のレイ・パーカーJr.。セッション・ギタリストとしてそのキャリアをスタートさせ、スティービー・ワンダーやテンプテーションズ、バリー・ホワイトのバックで演奏して、次第にその評価が高まっていきます。そして、1977年にソウル・ポップグループ、レイディオを結成。1981年には「ウーマン・ニーズ・ラブ」が全米ナンバー1に輝きますが、直後にグループを解散。ソロとして活動をスタートさせます。
この曲「ゴーストバスターズ」は、映画『ゴーストバスターズ』の主題歌として、全米ナンバー1に輝くと共に、映画も世界的に大ヒット。その人気を不動のものとします。映画は、3人の個性的な科学者が研究費を稼ぐために「幽霊」退治を始め、突如現れた恐ろしい大魔王からニューヨークを救うというSFコメディで、5年後には続編『ゴーストバスターズ2』も作られました。しかし、この曲がヒューイ・ルイス&ニュースのヒット曲に非常に似ていたことで、裁判沙汰となり、結局、レイ・パーカーJr.は敗訴。そのキャリアに汚点を残す事になります。
90年代に入ると、プロデューサーとして、ニュー・エディションなどの若手プロデューサーとして活躍しますが、家庭の事情で、一時期音楽活動を休止。2000年からは、再び音楽活動を始め、おととし、ニューアルバム『アイム・フリー』をリリースして、話題になりました。

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