番組について
ONAIR REPORT
BACK NUMBER
◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆2月25日(月)
スティング  「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」

イギリス、ニューキャッスル出身のスティングは、黒と黄色の縞模様のシャツを愛用していたことで、蜂みたいだったことから、蜂の針という意味で「スティング」と呼ばれるようになったそうです。小学校の教師をしながら、ジャズロックバンドに参加していたスティングに、アメリカ出身のドラムのスチュワート・コープランドが声を掛けて、そこへギターのアンディ・サマーズが加わり、1977年にポリスを結成。
1978年にリリースされたデビューアルバム『アウトランドス・ダムール』からレゲエ調の「ロクサーヌ」が注目を集め、続く「孤独のメッセージ」がイギリス・シングルチャートでbPに輝き、イギリスでは確固たる地位を確立させます。そして、1983年にリリースしたシングル「見つめていたい」がイギリスとアメリカで同時に1に輝きます。
アルバム『シンクロニシティ』も1を獲得し、グラミー賞にも輝きますが、ツアー終了後、突然、バンド活動を休止。各々がソロ活動に入ります。
スティングは、若手の才能あふれるジャズ・ミュージシャンと共に1985年に1STソロアルバム『ブルータートルの夢』をリリースし、イギリスで1に輝きます。この曲「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」は1987年にリリースした3枚目のアルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』からのシングル曲で、後にシャインヘッドが「ジャマイカン・イン・ニューヨーク」という替え歌にするなど、スティングの代表曲になっています。
スティングは、俳優としても活躍する傍ら、熱帯雨林保護活動や世界人権活動も行うなど、社会運動にも積極的に参加。そして、去年のグラミー賞の授賞式で、ポリスの再結成を発表し、ワールドツアーが行われ、2月13日14日、東京ドームで来日コンサートが行われました。

◆2月26日(火)
山根康広  「ゲット・アロング・トゥゲザー〜愛を贈りたいから〜」

1993年にリリースしたデビュー曲である「ゲット・アロング・トゥゲザー」が180万枚を超すミリオンヒットを記録し、日本のミュージックシーンにその名が知られるようになった山根康広。1988年に「ビー・フリー」というバンドを結成。関西で人気を集めますが、91年に解散し、1993年にこの曲で、ソロデビューを果たします。
この曲は結婚式の定番ソングとしても有名ですが、実は結婚する友人のために1週間で書き上げたラブソングで、発売当初は全くヒットの兆しはありませんでした。しかし、有線やラジオなどで楽曲の良さが話題となり、半年後に「愛を贈りたいから」というサブタイトルをつけたリメイク版「ゲット・アロング・トゥゲザー」をセカンドシングルとしてリリース。見事に大ヒットし、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞しました。
去年は、デビュー15周年にあたり、9枚目のアルバム『ゴールデン・フライヤー』をリリース。今年4月までの全国ツアーを行うなど、精力的に活動しています。

◆2月27日(水)
ロックウェル  「ウォッチング・ミー」

世界的に有名なモータウン・レーベルの創始者であるベリー・ゴーディJr.の5番目の息子であるケネス・ゴーディが、ロックウェルという名前でリリースしたデビュー曲で、全米シングルチャートで3週連続2位を記録したヒット曲。
その当時は、ジャケットも目だけを出して、顔を隠し、ロックウェルという名前で、素性を隠していたのですが、バック・コーラスに「スリラー」が大ヒットしたばかりのマイケル・ジャクソンが参加していたこともあって、秘密とはならず、そんなことも話題となってヒットしました。マイケルが在籍していたジャクソン5がモータウン・レーベルからレコードをリリースしていたことと、マイケルのお兄さんのジャーメインとロックウェルのお姉さんが結婚していたこともあって、2人は幼い時から知り合いでした。
そして、1983年のモータウン記念コンサートで再会した時に、マイケルからロックウェルに協力するからレコーディングしないかと誘われて、1984年に『スキャンダラスな肖像』というアルバムでデビューし、そのアルバムからこの曲「ウォッチング・ミー」がヒットしました。
アルバムには元ビートルズのジョージ・ハリソンが楽曲を提供したり、テリー・デザリオがバック・コーラスに参加して、アルバムもヒットしています。2006年には、ビートフリークスがカバーして話題になりました。

◆2月28日(木)
イルカ  「なごり雪」

大学在学中に結成したフォークグループ「シュリークス」で、 1971年、「君と生まれた朝」でデビューしたイルカ。このイルカと言う芸名は、在籍していたフォークソング同好会のメンバーがギターケースを持って帰る姿がイルカの群れのようであったことから、「イルカ」と呼ばれ、そこに由来するそうです。シュリークスが全く陽の目を浴びず、イルカは1974年にシングル「あの頃のぼくは」でソロ・シンガーとしてデビューします。 そして1975年にこの曲「なごり雪」がヒットし、女性フォーク・シンガーとしての地位を確立しました。
もともとこの曲は、元かぐや姫の伊勢正三が作った楽曲で、かぐや姫が74年に発表したアルバム『三階建ての詩』に収録していたもので、イルカがカバーし、大ヒットしました。
その後、イルカは長男の出産と子育てのために2年間休業しますが、再び音楽活動を始め、現在もコンサート活動を中心に毎年全国ツアーを行っています。また、「青い傘のノエル」「不思議草」などの「ちいさな空」シリーズを始めとした絵本を発表するなど、絵本作家としても活動をしています。2002年には、大林宣彦監督がこの曲をモチーフに「なごり雪」という映画を作り、平原綾香、徳永英明、KATなどにカバーされるなど、永遠の青春ソングとして今なお、歌い継がれています。

◆2月29日(金)
REOスピードワゴン  「涙のフィーリング」

1968年、アメリカ・イリノイ大学の学生だったキーボードのニール・ドーティー、ギターのゲイリー・リチラース、ドラムのアラン・グラッツァーを中心にに結成された5人組バンド・REOスピードワゴン。バンド名は、ロンサム・エリ・オールズ社がデザインした、1911年型の消防用ワゴン車に由来しています。
1971年、アルバム『REOスピードワゴン』でデビューしますが、すぐにボーカルがケビン・クローニンに変わるなど、ボーカリストが一定せず、レコードセールスは伸び悩んでいました。一方、年間300本というライブをアメリカ国内のクラブや高校などで行っていたため、「アメリカで最も売れていないが長続きしているバンド」「万年前座バンド」という不名誉な称号もつけられていました。
しかし、1980年に発表したシングル「キープ・オン・ラビング・ユー」、そして、その曲が収められていた11枚目のアルバム『禁じられた夜』が、全米ナンバー1になったことで、アメリカを代表するロック・バンドとして、その名を知らしめました。この曲「涙のフィーリング」は、1984年にリリースしたアルバム『ホイールズ・アー・ターニン』からのシングル曲で、通算2曲目の全米ナンバー1に輝き、世界的にも知られるようになりました。
その後、1991年に一度解散を発表しますが、翌92年、解散を撤回し、現在も活動中で、3月からは、スティックスとデフ・レパードと共に全米ツアーを行います。また、日本では、おととい2月27日、26枚目のアルバム『ファインド・ユア・オウン・ウェイ・ホーム』をリリースし、往年のロックファンを喜ばせています。

PAGE TOP

サウンド オブ マイスター トップページ 玉川美沙たまなび INAX JOQR 文化放送 1134kHz 音とイメージの世界 SOUND OF MASTER サウンド オブ マイスター