番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆3月31日(月)
ジャクソン・ファイブ  「ABC」

アメリカ、インディアナ州出身のジャクソン兄弟が結成したジャクソン・ファイブ。父親の影響で、まず、ジャッキー、ティト、ジャーメインが、近所に住んでいた友達たちとジャクソン・ブラザーズとして活動を始め、そこへ、マーロンとマイケルが加わり、ジャクソン・ファイブになります。最年少ながら張りのあり躍動感が溢れるリード・ボーカルのマイケルの声と、5人のピッタリ合ったコーラスやダンスで、地元はもとより、アメリカ各地のタレントショーに出演し、アマチュアながら人気を博していきます。
そして、1967年、アポロシアターで行なわれたアマチュアナイトで優勝し、ダイアナ・ロスに発掘される形で、1969年、「帰ってほしいの」でデビュー。デビュー後、あっという間に全米のお茶の間に人気者となり、「帰ってほしいの」は、ビートルズの「レット・イット・ビー」を押しのけて、全米ナンバー1に輝きます。
この曲「ABC」は1970年に発表したセカンドシングルで、続く「小さな体験」「アイル・ビー・ゼア」まで、4曲連続全米ナンバー1を獲得。デビュー1年にして、トップスターに登りつめます。
特にマイケルの人気は絶大で、1971年に「ガット・トゥ・ビー・ゼア」でソロデビューも果たしました。1975年、CBSレコードへの移籍に伴い、ジャーメインがグループを脱退。ランディが新たに加わり、グループ名をジャクソンズに変更します。しかし、年々人気が低迷し、それに反比例する形で、マイケルの人気が沸騰。アルバム『スリラー』が1億万枚を超す大ヒットを記録したことで、ソロ活動に専念。1984年の「ビクトリー・ツアー」を最後にグループを脱退してしまいます。その後、ジャクソンズは、1990年に正式に解散を発表しますが、去年からジャクソン・ファイブの再結成の噂が流れており、マイケルは勿論ながら、ジャネットも加えたジャクソン・ファミリーとしてのツアーが水面下で計画されています。

◆4月1日(火)
スピッツ  「ロビンソン」

1987年、進学の為に上京してきた草野マサムネ、三輪テツヤ、田村明浩、崎山龍男の4人によって結成されたスピッツ。新宿ロフトや渋谷ラママなどを中心に積極的にライブ活動を続け、着実にファンを増やしていきます。
1991年3月にシングル「ヒバリのこころ」、アルバム『スピッツ』を同時にリリースし、メジャーデビューを果たします。メジャーデビュー後は、しばらくアルバム制作に専念し、91年11月にセカンドアルバム『名前をつけてやる』、92年9月には3枚のアルバム『惑星のかけら』をリリースしますが、すべてオリコンの100位以内に入らなかったことで、笹路正徳をプロデューサーに迎えて、4枚目のアルバム『クリスピー』を発表。そこからシングルカットされた「君が思い出になる前に」がヒットし、その後、ライブの動員も増え、注目を集めるようになります。そして、1995年この曲「ロビンソン」が初めてオリコンのシングルチャートでトップ10入りすると一気にブレイク。160万枚を超すセールスを記録し、続くシングル「涙がキラリ☆」も初登場2位となって、これらを含むアルバム『ハチミツ』は、100万枚を超し、より多くの人にその名が知られるようになります。
去年は、結成20周年を記念した「旅の途中」というエッセイも発売し、12枚目となるアルバム『さざなみCD』も発表。現在もそのアルバムを引っさげ、精力的にライブを行っています。

◆4月2日(水)
ウィルソン・ピケット  「ダンス天国」

独特のハスキー・ボイスを豪快にシャウトする歌い方で、サザン・ソウルの第一人者として有名なウィルソン・ピケットは、アメリカ、アラバマ州出身で、幼い頃からゴスペルに親しんでいたことで、ゴスペル・シンガーとしてそのキャリアをスタートさせました。その後、ファルコンズというコーラス・グループにリード・ボーカルとして加入し、1962年「アイ・ファウンド・ア・ラブ」がヒット、一躍その名が知られるになります。1965年、アルバム『イン・ザ・ミッドナイト・アワー』でソロデビューすると、シングル「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」がヒット、「ムスタング・サリー」「ファンキー・ブロードウェイ」といったヒット曲を生み出しました。
この曲「ダンス天国」は、1966年のヒット曲で、今やウィルソン・ピケットのオリジナルのようになっていますが、もともと、クリス・ケナーのオリジナル作品で、オリジナルは全く売れず、ウィルソン・ピケットがダイナミックにカバーしたことで、全米6位を記録するヒット曲になり、その後、多くのアーティストにカバーされるダンス・スタンダードになりました。
70年代に入ると、第一線から姿を消してしまいますが、98年に映画「ブルース・ブラザーズ2000」に出演し、99年にアルバム『イッツ・ハーダー・ナウ』をリリースします。しかし、2004年頃から健康を害し、2006年、64歳のとき心臓発作で亡くなりました。

◆4月3日(木)
トワ・エ・モア  「空よ」

芥川澄夫と山室英美子から成る男女混成デュエット・グループ、トワ・エ・モア。高校在学中から銀座にあるミュージック・スポット「メイツ」で弾き語りをしていた山室英美子は、そこで、同じくソロとして活動していた芥川澄夫と知り合います。レコード会社のディレクターのすすめもあって、トワ・エ・モアを結成。1969年、「或る日突然」でデビュー、ミリオンヒットを記録します。
この曲「空よ」は、視聴者の作った曲をプロが歌うという―NHKの「あなたのメロディー」という番組から生まれた曲で、1970年に発売されて大ヒット。国民的な人気を博し、紅白歌合戦にも初出場を果たします。
さらに札幌オリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」、「誰もいない海」などのヒット曲を生み出しましたが、1973年解散してしまいます。芥川は、音楽プロデューサーとしてレコード会社に勤務。山室は結婚し、家庭に入りますが、77年に鴉鷺を結成し、音楽の世界に戻ります。さらに1982年にはアルバム『レディ』を発表し、白鳥英美子としてソロデビューします。
そして、1997年には「思い出のメロディー」に出演したことがきっかけとなり、トワ・エ・モアを再結成。2006年に新しい卒業式の定番ソング「旅立ちの日に」をリリースし、話題になりました。

◆4月4日(金)
ブルース・ブラザーズ  「ギミー・サム・ラビン」

アメリカのコメディアン、ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドをフロントメンバーとして結成されたユニット、ブルース・ブラザーズ。1977年から人気テレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」にジョン・ベルーシとダン・エイクロイドがブルース・ブラザーズとしてコンビを組んで、前座として登場。前座にも関わらす、歌やダンス、ギャグが受けて人気を博し、黒い3つボタンのスーツ、黒いソフト帽、黒いサングラスがトレードマークとなって、あっという間に番組のセミ・レギュラーの座を獲得さらに本格的なバンドとしても活動するようになります。
1980年には、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロモーション・ビデオで知られるジョン・ランディス監督が、ストーリーをつけて『ブルース・ブラザーズ』という映画を制作。スティーブ・クロッパーを初めとするバンドメンバーと、ジェームズ・ブラウン、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリンといった共演者の顔ぶれの豪華さも話題になりました。
この曲「ギミー・サム・ラビン」は、スティーブ・ウィンウッドが所属したスペンサー・デイビス・グループのカバーで、現在では、オリジナルを凌ぐ人気の楽曲になっています。
1982年、ジョン・ベルーシは薬物中毒で亡くなりますが、1998年には続編となる映画「ブルース・ブラザーズ2000」が公開されて、ブルース・ブラザーズ人気が再燃しました。

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