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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆4月21日(月)
ビートルズ  「プリーズ・プリーズ・ミー」

イギリス・リバプール出身のジョン・レノンが結成したクォーリーメンに、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソンが加わり、ビートルズの原型が出来ます。そしてレコード店主にもかかわらず、彼らの魅力にとりつかれマネージャーになったブライアン・エプスタインが積極的に売り込み、1962年、ドラムのピート・ベストの代わりにリンゴ・スターを加え、ビートルズとして「ラブ・ミー・ドゥ」でデビュー。
この曲「プリーズ・プリーズ・ミー」は、「ラブ・ミー・ドゥ」に続いて1963年に発表されたセカンドシングル。初の全英1に輝くと共にこの曲のヒットがきっかけでビートルズの名前は、イギリス中に知られるようになります。デビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は、レコーディング時間がわずか12時間だったにもかかわらず、リリースされると1位に輝き、30週連続で1位になります。
続くセカンドアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』も22週連続で1位になり、ほぼ1年に渡ってイギリスのアルバムチャートの1位を独占しました。さらに5枚目のシングル「抱きしめたい」がアメリカでも1に輝くと、その人気は世界中に飛び火し、世界中のポピュラー・ミュージック、引いては、若者の文化全般にまで、影響を及ぼすようになります。
人気絶頂だった1967年、マネージャーのブライアン・エプスタインの死をきっかけに、メンバー間に亀裂が生じ始め、アルバム『アビーロード』の制作終了後、ビートルズは解散。わずか8年の活動期間だったにもかかわらず、解散後も、その人気は衰えることなく、今なお、影響を与え続けています。

◆4月22日(火)
ローリング・ストーンズ  「サティスファクション」

1962年にイギリス、ロンドンで結成され、40年以上も第一線で活躍している世界的なロック・バンド、ローリング・ストーンズ。ミック・ジャガーを中心に結成され、初期のメンバーはブライアン・ジョーンズ、キース・リチャーズ、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツの5人。
1963年、チャック・ベリーのカバー「カム・オン」でデビュー。デビューアルバム『ローリング・ストーンズ』がビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』を蹴落として、12週連続1に輝きます。その勢いで、アメリカ進出を図るのですが、アメリカツアーは失敗に終わります。しかし、1965年キースとミックの共作であるこの曲「サティスファクション」がイギリスとアメリカで1に輝くと、ビートルズに続いて、世界的な成功を収めます。
その後は、世界中のロック・ファンの心をつかんで、大ヒットを飛ばしますが、1969年、ブライアン・ジョーンズが脱退後、謎の死を遂げたり、ミックやキースがドラッグで逮捕されるなど、私生活でスキャンダラスな話題が多くなります。メンバーチェンジも激しく、現在はミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツ、ロン・ウッドの4人となっています。80年代に入ると、ミックとキースの確執が表面化し、ソロ活動が目立ちましたが、90年のワールドツアーをきっかけに再びバンド活動が復活し、念願の初来日も果たします。2005年には8年ぶりのニューアルバム『ア・ビガー・バン』を発表。そのアルバムを引っ提げてのワールドツアーを去年まで行なっているなど、メンバーの平均年齢が60歳を超えてもそのパワーと人気は衰えを 見せていません。

◆4月23日(水)
ビーチボーイズ  「グッド・バイブレーション」

1961年、ブライアン・ウィルソンを中心に、弟のデニス、カールのウィルソン3兄弟と従兄弟のマイク・ラブ、そして、ブライアンの友人であるアル・ジャーディンの5人で、アメリカ・ロサンゼルスで結成されたビーチ・ボーイズ。はじめは、ペルデルトーンズと名乗っていたのですが、メンバーも知らないうちにバンド名がビーチ・ボーイズに変更され、「サーフィン」で、インディーズ・デビューします。
そして、1962年、「サーフィン・サファリ」でメジャーデビューすると、青い海、ビーチの女の子、サーフィン、自動車をテーマにした軽快な楽曲で、ヒット曲を連発し、成功を収めます。ブライアンは、この「サーフィン・車・女の子」という固定されたイメージに頭を悩まし、さらに過酷なツアーに耐えられず、スタジオワークに専念するようになります。そして、全身全霊を注ぎ込んで、アルバム『ペット・サウンズ』を制作したにもかかわらず、商業的に成功を収められず、次にリリースされたのがこの曲「グッド・バイブレーション」で全米1に輝きます。この曲は、7ヶ月間の制作期間、90時間以上の録音テープ、そして5万ドルという当時としては破格の制作費をかけて練り上げられた傑作となりました。
そしてブライアンは、さらなる音楽の理想郷となるアルバム『スマイル』の制作に取り組むのですが、神経衰弱とドラッグに溺れてしまい、リリースは中止となり、人気にかげりが出てきます。また、デニスがクルーザーから水中に飛び込んで溺死し、グループの存続が危ぶまれますが、トム・クルーズ主演の映画『カクテル』の挿入歌「ココモ」が全米1に輝き、復活しました。現在は、ブライアンはソロとして活動し、マイク・ラブと、ブライアンの代わりにメンバーとなったブルース・ジョンストンが、ビーチ・ボーイズとして活動を続けています。

◆4月24日(木)
ラビン・スプーンフル  「魔法を信じるかい?」

アメリカ、ニューヨークを中心に活動していたマグワンプスというグループからママス&パパスを結成するキャス・エリオットとダニー・ドハーティーが脱退し、残されたジョン・セバスチャンとザル・ヤノフスキーを中心に新たにラビン・スプーンフルという4人組が結成されます。
そして、1965年、この曲「魔法を信じるかい?」でデビューすると、いきなり全米9位にランクインし、その名が知られるようになります。さらに「デイドリーム」が2位を記録し、「サマー・イン・ザ・シティ」が全米1に輝くと「グッド・タイム・ミュージック」と呼ばれ、アメリカのみならず、イギリスでも大ヒットします。
しかし、ザルがドラッグで逮捕され、バンドを脱退すると、その人気に陰りが出始めます。1968年ジョン・セバスチャンもバンドを脱退すると、ラビン・スプーンフルは解散。ジョン・セバスチャンは70年代シンガーソングライターとして活動しました。

◆4月25日(金)
モンキーズ  「アイム・ア・ビリーバー」

イギリスのビートルズに対抗するべく、アメリカのビートルズを作ろうと、映画『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!』をヒントに行われたオーディションで、俳優のデイビー・ジョーンズ、子役で活躍したミッキー・ドレンツ、ミュージシャンのマイク・ネスミス、ピーター・トークの4人がモンキーズに選ばれます。そして、1966年、全米ネットワークテレビ『ザ・モンキーズ・ショー』が始まると、テレビとの相乗効果で、デビューシングル『恋の終列車』は、全米1に輝きます。
この曲「アイム・ア・ビリーバー」は、ニール・ダイアモンドによって書かれたセカンド・シングルで、予約だけで105万枚を突破し、当然のことながら全米1になりました。そして、デビューアルバム『恋の終列車』は、31週連続全米1の座を独占し、500万枚以上のセールスを記録。全米に「モンキーズ旋風」を巻き起こしました。
日本でも1967年から『ザ・モンキーズ・ショー』が放送され、爆発的な人気となり、翌68年には武道館コンサートが開かれました。しかし、メンバー自身が制作に携わるという約束が果たされなかったことで、マイク・ネスミスが反旗を翻し、また、テレビシリーズの終了も重なり、人気に陰りが出始めます。
ピーター、マイクが相次いで脱退し、1970年アルバム『チェンジ』を最後にモンキーズは解散。しかし、「ザ・モンキーズ・ショー」が再放送されたり、「デイドリーム・ビリーバー」がCMソングに起用されたことで、リバイバルブームが起きて、過去に何度か再結成されています。

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