番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆6月 2日(月)
カーペンターズ  「雨の日と月曜日は」

アメリカ・コネチカット州出身の兄・リチャード・カーペンターと妹のカレン・カーペンターからなる兄弟デュオ、カーペンターズ。リチャードが、8歳からピアノに親しむようになると、音楽産業が盛んなカリフォルニア州に引越し、若くしてその才能を開花させます。一方、カレンは、高校に入学するとドラムを叩き始め、1965年、リチャード・カーペンター・トリオというジャズ・バンドを結成。このバンドが注目を集め、レコード契約を結びますが、会社が倒産。その後、サマーチャイムズ、スペクトラムというバンドを結成したり、カレンがソロ活動するもののうまくいかず、2人で活動していくことを決意します。そして、2人で作ったデモ・テープがA&Mのハーブ・アルパートの耳にとまり、1969年、ビートルズのカバー曲「涙の乗車券」でデビュー。続いて、発売した「遙かなる影(クロース・トゥ・ユー)」が全米4週連続1、さらにグラミー賞最優秀新人賞・最優秀ボーカルグループ賞を獲得し、一躍スターダムにのし上がります。
この曲「雨の日と月曜日は」は、「愛のプレリュード」を書いたポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルによって書かれた6枚目のシングルで、全米2位を記録しました。その後も、「スーパースター」「トップ・オブ・ザ・ワールド」「イエスタデー・ワンス・モア」「シング」「プリーズ・ミスター・ポストマン」などのヒット曲を連発。70年代を代表するグループとなりますが、カレンが拒食症との長年にわたる闘病に勝てずに、1983年、32歳という若さで他界し、その活動に終止符が打たれました。

◆6月 3日(火)
エックス  「エンドレス・レイン」

千葉の高校に通っていたヨシキとトシを中心に結成されたエックス。「無限の可能性という意味」と「1文字だと目立つ」ということで、バンド名をエックスにし、その風貌は、アメリカのキッスの影響から派手なルックスで「ビジュアル系」といわれる先駆け的な存在となります。
高校卒業後、本格的に活動を開始。パタ、ヒデ、タイジがメンバーとなり、1988年、ヨシキが設立したエクスタシーというインディーズ・レーベルから『バニシング・ビジョン』というアルバムをリリース。これが、当時のインディーズとしては異例の初回生産分1万枚を1週間で完売するという記録を作り、翌89年にアルバム『ブルー・ブラッド』でメジャー・デビューします。この曲「エンドレス・レイン」は、そのアルバム『ブルー・ブラッド』に収められた1曲。メジャー第2弾シングルとして発売された本格的なバラードナンバーで、オリコン・シングル・チャートでは3位を記録。アルバム『ブルー・ブラッド』は60万枚を超すセールスを記録。1992年には日本人初となる東京ドーム3デイズを行なうなど、その勢いはとどまらなかったのですが、東京ドームコンサートで、タイジが脱退を表明。レコード会社から契約が解除され、活動休止を余儀なくされてしまいます。
その後、世界進出を果たすべくバンド名をエックスジャパンに変更し、新たにヒースをメンバーに加えて活動が再開します。しかし、アルバム『ダリア』を発表しただけで、1997年に解散を発表。さらにヒデが不慮の死をとげてしまい、エックスジャパンの再結成は 不可能と思われていたのですが、去年再結成。映画『ソウ4』のメインテーマ「アイビー」を全世界に発信し、遂に海外を果たします。今年3月には3夜連続東京ドーム・コンサートも行い、7月にはパリ、8月には台湾、9月にはニューヨーク公演も決まっています。

◆6月 4日(水)
ネルソン  「アフター・ザ・レイン」

ネルソンは、マシュー・ネルソンとガナー・ネルソンという双子の結成したバンドで、アメリカのミュージックシーンで語ることが欠かせないリッキー・ネルソンを父に持ったことで、2人は幼いときから音楽に親しんで育ちます。2人は13歳のときに自分たちのバンドを結成し、ナイトクラブなどで演奏をはじめ、16歳の時にネルソンズという本格的なバンドを結成しますが、まもなく父リッキーが飛行機事故で亡くなってしまいます。
その悲しみを乗り越えて、新たに結成したバンドがネルソンで、プロデューサーのマーク・タナーのバックアップの元で、マシューとガナー兄弟に4人のメンバーが加わり、1990年、シングル「ラブ&アフェクション」でデビューします。そして、その甘いマスクと父親譲りの歌唱力、ポップで勢いのあるロックナンバーで、たちまち人気が爆発し、全米1を獲得します。
この曲「アフター・ザ・レイン」は、「ラブ&アフェクション」に続くセカンド・シングルで、6位を記録します。これらの曲を収めたアルバム『アフター・ザ・レイン』は、200万枚を超すセールスを記録し、日本でも大ヒットし、本人たちがCMに出演するなどお茶の間にも浸透しました。また、祖父のオジー・ネルソン、父親のリッキー・ネルソンも全米1に輝いており、全米エンターテイメント史上唯一の3世代に渡って1位のヒット曲を生み出したというギネス記録を持っています。

◆6月 5日(木)
稲垣潤一  「ドラマティック・レイン」

中学時代から本格的にバンド活動を始めた稲垣潤一は、高校卒業後、ライブハウス、ディスコ、米軍キャンプといった場所で、ライブ活動を始めます。ドラムを叩きながらのボーカルというスタイルが注目を集め、1982年、シングル「雨のリグレット」でデビューします。
この曲「ドラマティック・レイン」は、3枚目のシングルとして発表されてヒットし、この曲を収めたセカンドアルバム『スカイライツ』は、日本レコード大賞ベストアルバム賞に輝きました。その後も「夏のクラクション」、「1ダースの言い訳」、「メリークリスマスが言えない」、「クリスマスキャロルの頃には」などのヒット曲を次々に生み出し、日本のAORともいえる稲垣ワールドを築いていきます。
去年は、デビュー25周年を記念して、稲垣潤一の濡れた甘い声、雨の情景が浮かぶようなヒット曲を集めた『レイニー・ボイス』というベスト・コレクション・アルバムをリリースし、今年2月にはニューシングル「サヨナラからのメッセージ」をリリースしています。

◆6月 6日(金)
ジョージ・マイケル  「フェイス」

イギリス、ロンドン出身のジョージ・マイケル。12歳の時にアンドリュー・リッジリーと出会い、ワムを結成、1982年シングル「ワム・ラップ」でデビューします。続く「ヤング・ガンズ」でブレイクすると、「バッド・ボーイズ」「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「ラスト・クリスマス」といったヒット曲を生み出し、世界中で爆発的に人気を博します。しかし、人気絶頂の1986年、ウェンブリー・アリーナでのコンサートで、突然、解散を発表。お互いにソロ活動を始めます。
ワム時代からも「ケアレス・ウィスパー」「ディファレント・コーナー」といったソロシングルをヒットさせていましたが、1987年には、アレサ・フランクリンとのデュエット・ソング「愛のおとずれ」を発表し、全米ナンバー1に輝きます。さらに映画『ビバリーヒルズ・コップ2』のサントラに収められた「アイ・ウォント・ユア・セックス」もヒットし、満を持してファーストソロアルバム『フェイス』を発表します。この曲「フェイス」は、そのアルバムからのシングル・カットで、全米ナンバー1となるだけでなく、1988年度の年間シングルチャートでも1位、アルバムは、12週連続1を記録しました。全世界でも1400万枚を超すセールスを記録し、第32回グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーにも輝きました。
セカンドアルバムのセールスをめぐって、レコード会社と訴訟問題にまで発展し、長期間に渡り音楽活動の制限を受けてしまいます。しかし、それが解決し、1996年、6年ぶりに3枚目のアルバム『オールダー』をリリース。シングル「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド」が全英1位に輝き、見事復活を遂げます。去年は、デビュー25周年を記念し、ワム時代からのベストを集めた『25』を発表し、さらに15年ぶりにヨーロッパツアー『25LIVE』を行いました。今年は6月17日から全米ツアー『25LIVE』が行われます。

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