番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆6月23日(月)
ルパート・ホームズ  「エスケイプ」

イギリス、チェシャイヤー出身ながら、6歳でニューヨークに移り住み、マンハッタン音楽学校でクラリネットと作曲法を学んだルパート・ホームズ。ブロードウェイの音楽から影響を受けて、70年代初頭からソングライター、プロデューサーとして頭角を現します。
そして、1974年、アルバム『ワイドスクリーン』でデビュー。このアルバムは、全く売れなかったものの、バーブラ・ストライザンドに注目され、そのバーブラのアルバム『まどろみの昼下がり』をプロデュースし、さらにバーブラが主演した映画『スター誕生』のサントラも手掛けるようになり、注目を集めます。
そして、作品を重ねるごとに、洗練されたサウンドと温もりのある歌声、卓越したソングライティングが人気を集めるようになり、1979年に発表した5作目のアルバム『パートナーズ・イン・クライム』からこの「エスケイプ」が、全米ナンバー1に輝きます。
この曲は、結婚生活に飽きた男が、ある日新聞の個人広告欄に自分の趣味にぴったりの女性の投稿を見つけ、「2人で退屈な日常から脱出しよう」と連絡を取りつけて、約束の場所に行くと、そこに現れたのは、自分の妻だったという洒落たドラマ性が受けて、サブタイトルになったピナ・コラーダというカクテルも一躍有名になりました。

◆6月24日(火)
コレクターズ  「世界を止めて」

東京モッズシーンの中核として活動してしたザ・バイクの加藤ひさしとリンゴ田巻に古市コータローとチョーキーとしはるが加わり、1986年、コレクターズが結成されます。このバンド名は、テレンス・スタンプ主演のカルト映画「コレクター」から来ています。インディーズ盤『ようこそお花畑とマッシュルームの王国へ』が話題になり、1987年、アルバム『僕はコレクター』でメジャー・デビュー。ザ・フーやキンクスといったブリティッシュ・ロックをコレクターズ流にアレンジし、カラフルなポップ性とグルーブで、人気を集めます。
1991年にリンゴ田巻とチョーキーよしはるが脱退し、小里誠と阿部耕作が加入したのを機に、レコード会社を移籍。ピチカート・ファイブの小西康陽がプロデュースしたシングル「シーソー」とアルバム『コレクター・bT』が注目を集め、93年にリリースしたこの曲「世界を止めて」が大ヒットしました。
デビュー20周年となった去年は、3年ぶりにニューアルバム『東京虫バグス』を発表。今月28日(土)からは、ライブツアー「東京虫フライング・トゥ・スカイ2008」がスタートします。

◆6月25日(水)
フレディ・マーキュリー  「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」

アフリカ東海岸のイギリス領ザンジバル島出身のフレディ・マーキュリーは、ペルシャ系インド人の両親の元に生まれ、イギリス政府の仕事をしていた父親の都合で、10歳のときにインドに移り住みます。この頃ピアノを習い始め、ボンベイ郊外の寄宿舎で過ごしている時に、いくつかのバンドを結成し、ボーカルとピアノを担当します。その後、家族と共にイギリスに戻り、フレディは、イーリング・アート・カレッジに進学し、「スマイル」というバンドにいたギターのブライアン・メイとベースのロジャー・テイラーに出会い、1971年、ドラムのジョン・ディーコンと共にこのバンドに加わり、クィーンが結成されます。
そして、1973年、アルバム『戦慄の女王』でデビューすると、まず、日本で人気が爆発し、その後、1975年に「ボヘミアン・ラプソディ」が全英で9週連続1位を獲得し、アルバム『オペラ座の夜』で世界的なバンドに成長します。フレディは、4オクターブの音域と声量、そして、ステージ・パフォーマンスで、クィーンのリード・ボーカルとして、人気を博します。この曲「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」は、1985年、フレディ・マーキュリーがソロ名義で発表したシングル曲で、この曲を収録したアルバム『ミスター・バッド・ガイ』をリリースして話題になりました。
その後、ソロとしては、プラターズのカバー「ザ・グレイト・プリテンダー」、オペラ歌手モンセラート・カバリェとのデュエット「バルセロナ」を発表しました。しかし、1991年11月、エイズの為に45歳という若さでこの世を去っています。なお、この曲は、1995年にアルバム『メイド・イン・ヘブン』でフレディのボーカルをそのままに残して、クィーンとして大幅にアレンジし直して発表し、2004年には、ドラマ「プライド」の主題歌として使われました。

◆6月26日(木)
チェリッシュ  「てんとう虫のサンバ」

1968年、5人組のグループとして活動を始めたチェリッシュ。1971年、第1回全国フォーク音楽祭全国大会に中部地区代表として出場したのがきっかけで、「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューします。続く「だから私は北国へ」もヒットするものの、3枚目のシングル「ひまわりの小径」から松崎好孝と松井悦子の2人組となり、初めてベスト10ヒットとなり、一躍人気デュオとなります。
この「てんとう虫のサンバ」は、アルバム『春のロマンス』に収録された曲でしたが、関西のラジオ局でオンエアしたところリクエストが殺到。急遽シングルカットされて、ミリオンセールスを記録し、結婚式で歌われる定番の曲として大ヒットしました。
続く「白いギター」もヒットし、その年の紅白歌合戦に初出場し、レコード大賞歌唱賞と歌謡大賞放送音楽賞を受賞しました。1977年、2人は結婚し、夫婦デュオとなり、今年2月には10年ぶりに新録となる4枚組のCD「ラブ」を発表。その中にこの曲の新バージョンも収められました。

◆6月27日(金)
キャット・スティーブンス  「雨にぬれた朝」

イギリス、ロンドン出身のキャット・スティーブンス。ギリシャ系キプロス人の父とスウェーデン人の母の間に生まれ、両親の経営するギリシャ・レストランで育ちました。12歳のときに音楽に目覚め、ピアノやギターを覚え、作曲も行なうようになり、18歳のときにスプリングフィールズというグループの一員だったマイク・ハーストに見出されて、1967年、シングル「アイ・ラブ・マイドッグ」でデビュー。アルバム『マシュー・アンド・サン』もヒットします。
同じく67年にリリースされたセカンドアルバム『ニュー・マスターズ』はヒットしなかったものの、「ザ・ファースト・カット・イズ・ザ・ディーペスト」は、後に異なる4人のアーティストがヒットさせて、ASCAPソングライティング・アワードを受賞しています。
この「雨にぬれた朝」は、エリナー・ファージョンが歌詞をつけた賛美歌のカバーで、この曲を収録したアルバム『ティーザー・アンド・ファイヤーキャット』は、ビルボードのアルバムチャートで2位となり、全米で300万枚を超すセールスを記録しました。
キャット・スティーブンスは、1977年、イスラム教に改宗し、ユスフ・イスラムに改名。78年から音楽業界から離れてしまいます。その後、ユスフ・イスラム名義で、イスラムの伝統的な曲を収めたアルバム『ザ・ライフ・オブ・ザ・ラスト・プロフェッツ』やボスニアの反戦ソング集、イラクの被災地の子供を救うためのチャリティ・アルバムなどをリリースします。2006年には、28年ぶりにポピュラー・ミュージック界復帰となるアルバム『アン・アザー・カップ』を発表して話題になりました。

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