番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆6月30日(月)
ニュー・オーダー  「リグレット」

イギリス、マンチェスターの「セックス・ピストルズ」のライブで出会ったギター、バーナード・サムナーとベース、ピーター・フックが作ったバンド、「スティッフ・キトゥンズ」。そこに、ボーカルのイアン・カーティス、ドラムのスティーブン・モリスが加わり、1978年、「ジョイ・ディヴィジョン」が結成されます。
1979年『アンノウン・プレジャー』でデビューし、ギター・サウンドをベースにしたポスト・パンク・バンドとして一世を風靡しますが、全米ツアー直前にカリスマ・ボーカルのイアンが自殺。この事件後に発売されたアルバム『クローサー』はヒットするものの、バンド存亡が危ぶまれます。残ったメンバーは、ニュー・オーダーとして1981年、シングル「セレモニー」、アルバム『ムーブメント』を発表し、活動を再開。そして、女性キーボード、ギリアン・ギルバードをメンバーに加え、デジタル・ダンス・ビートを追求したエレクトリック・ポップバンドへと変貌を遂げます。1983年「ブルー・マンデー」が300万枚を超すセールスを記録し、瞬く間にイギリスを代表する国民バンドとなります。1990年にはイタリアワールドカップに出場したイングランド代表応援歌「ワールド・イン・モーション」で初めて全英1を獲得。
この曲「リグレット」は、1993年に発表したアルバム『リパブリック』からのシングル曲で、世界的にヒットするものの、その後、活動が休止してしまいます。2000年、映画『ビーチ』のサントラに参加し、2001年、フジ・ロック・フェスティバルに来日し、8年ぶりに、アルバム『ゲット・レディ』を発表し、奇跡の復活を果たします。2005年にアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』を発売し、話題になりましたが、現在は再び活動休止状態となっています。

◆7月 1日(火)
さだまさし  「関白宣言」

3歳からバイオリンを弾き始め、バイオリンの修行の為に小学校卒業後、長崎からひとりで上京したさだまさし。加山雄三とサイモン&ガーファンクルに影響されて、ギターを奏でながら、歌を作るようになります。1972年、高校時代からの友人吉田政美とフォークデュオ「グレープ」を結成し、1973年「雪の朝」でデビューします。翌74年に発表した「精霊流し」が名古屋のラジオ局から、火がついて、全国的なヒットとなり、日本レコード大賞作詩賞を受賞。しかし、自分たちのやりたい音楽と世間とのギャップを感じたさだは、1976年「グレープ」を解散、シングル「線香花火」でソロ活動を始めます。
セカンドシングル「雨やどり」がオリコンチャートで、「グレープ」、ソロを通じても、初の1位を獲得し、アルバム『風見鶏』も1位を獲得します。
この曲「関白宣言」は、1979年に発表したシングルで、160万枚というミリオンセールスを記録。さだまさし最大のヒット曲になり、レコード大賞金賞を受賞し、その年の紅白歌合戦に初出場しました。
その後も、「オヤジの一番長い日」や「道化師のソネット」「防人の詩」、ドラマ「北の国から」の主題歌などのヒット曲を生み出しました。また、映画監督として「長江」を制作したり、小説「精霊流し」「解夏」「眉山」などを書き下ろすなど、幅広い分野で活躍しています。6月15日から35周年記念コンサートをスタートさせていますが、コンサートの回数は3500回を超えており、日本で最もソロ・コンサートを行なっている歌手でもあります。

◆7月 2日(水)
サーチャーズ  「恋の特効薬」

イギリス、リバプール出身のサーチャーズは、高校の同級生だったジョン・マクナリーとマイク・ペンダーのギターデュオに、ボーカルでベースのトニー・ジャクソンとドラムのクリス・カーティスが加わって、1961年に結成されます。このサーチャーズという名前は、ジョン・ウェインの映画「サーチャーズ」から拝借したというのは有名な話で、彼らは、まず、カントリー系のジョニー・サンドンのバックバンドとして活動を始めます。そこから独立し、ビートルズと同じく、ドイツのスター・クラブに出演するようになり、プロデューサーのトニー・ハッチに見出されて、1963年にドリフターズのカバー曲「スウィーツ・フォー・マイ・スウィート」でデビューしイギリスで1を獲得します。
トニー・ハッチが書いたセカンドシングル「シュガー・アンド・スパイス」は2位を記録しますが、ジャッキー・デ=シャノンのカバーとなった3枚目のシングル「ピンと釘」からボーカルがマイク・ペンダーとなり、再び全英1を記録します。この「ピンと釘」を発表した直後にトニーが脱退し、フランク・アレンが加わります。彼らはイギリスだけでなくアメリカや日本でもヒットし、この曲「恋の特効薬」のヒットでその人気を決定付けます。
この曲は、黒人グループ「クローバーズ」がオリジナルですが、サーチャーズ・バージョンの方がよく知られており、以後サーファリスなど白人バンドにカバーされるようになりました。その後も、サーチャーズはメンバーチェンジを経ながらも、ジョン・マクナリー、フランク・アレンはオリジナルのメンバーとして残っており、現在も活動を続けています。

◆7月 3日(木)
ジューシィ・フルーツ  「ジューシィ・フルーツ」

ハルヲフォンを解散した近田晴夫が、1979年に結成した近田春夫&ビーフのメンバーだったギターの柴矢俊彦、ベースの沖山優司、ドラムの高木利夫、そして、女性ギタリストのイリアこと、奥野敦子が結成したジューシィ・フルーツ。バンド名は、ブライアン・デ・パルマ監督のミュージカル映画『ファントム・オブ・パラダイス』に登場するロックバンドの名前を引用したもので、1980年、近田春夫プロデュースで、この曲「ジェニーはご機嫌ななめ」でデビューします。
ちょうどYMOやプラスチックスなどのテクノ・ポップが流行りだした頃で、この曲は、瞬く間にオリコンのシングルチャートを駆け上がり、4位にランクインし、35万枚のセールスを記録します。エレキ歌謡曲にテクノ・ポップなサウンドと、お茶目なアイドル的なメンバーのビジュアルが親しまれて、半年に1枚というハイペースでアルバムを発表していきます。
4枚目のアルバム『27分の恋』から自分たちでプロデュースを行なうようになるのですが、1985年、ジュージー・フルーツは解散してしまいます。その後、イリアはソロ・シンガーとして2枚のアルバムを発表し、沖山はベーシストとして近田春夫のビブラストーンに参加し、柴矢は作曲家として活動し、「おさかな天国」をヒットさせました。また、2001年には1度だけ再結成し、この曲をセルフカバーして話題になりました。

◆7月 4日(金)
O.M.D.  「イフ・ユー・リーブ」

オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークというバンド名の頭文字をとって、『O.M.D.』で世界的に通用してしまうバンドO.M.D.。イギリス、リバプールで学生時代から友人のアンディ・マクラスキーと、ポール・ハンフリーズの2人が、ドイツのバンド、クラフトワークに影響を受けて、ユニットを結成。最初に「オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク」という曲を作り、1978年、O.M.D.を結成し、1979年、シングル「エレクトリシティー」でデビューします。
テクノ・サウンドが全盛になりつつあった80年代、「オルレアンの少女」や「エノラ・ゲイ」がイギリスのシングルチャートを賑わせます。1982年には、マーティン・クーパーとマルコム・ホルムズが加わり、4人組となり、1986年には、ツアー・メンバーのグラハム・ワイアとニール・ワイアも加わり6人組になります。
この曲「イフ・ユー・リーブ」は、その6人組となった1986年のヒット曲で、映画『プリティ・イン・ピンク』の主題歌となって、初めて全米でも大ヒットし、4位を記録しました。

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