番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆7月 14日(月)
ジノ・ヴァネリ  「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」

カナダ、ケベック州モントリオール出身のジノ・ヴァネリ。父親がジャズ・シンガーであったことから、幼い頃からジャズを聴いて育ち、ジャズ・ドラマーになることを真剣に考えていました。しかし、ビートルズに出会い、ロックやポップスへと大きく傾倒し、さらにジェームス・ブラウンの影響で、12歳のときに初めてバンドを結成し、モータウン・スタイルのソウル・ミュージックを演奏するようになります。
まず、16歳でヴァン・エリという名前のバンドでデビューし、何枚かシングルをリリースします。そして、A&Mのハーブ・アルパートに認められ、1973年アルバム『クレイジー・ライフ』でソロ・デビューを果たします。セカンドアルバム『パワフル・ピープル』に収録された「ピープル・ガッタ・ムーブ」が全米でヒットし、その名が知られるようになります。
この曲「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」は、1978年の6枚目のアルバム『ブラザー・トゥ・ブラザー』からのシングル・カット。タイトルが示すようにジノ・ヴァネリ本人と兄ジョーと弟ロスの3人が、共同プロデューサーとして名前を連ねており、この曲は弟ロスが作詞・作曲し、兄ジョーがアレンジを担当。全米4位を記録し、グラミー賞「ベスト・男性ポップ・ボーカル賞」にもノミネートされました。続くアルバム『ナイトウォーカー』からは、ジャズ寄りのアルバムになりましたが、AORファンに支持されました。2006年にニューアルバム『ジーズ・アー・ザ・デイズ』を発表し、現在も精力的に活動を続けています。

◆7月 15日(火)
ザ・ブーム  「島唄」

1986年、「常に流行に左右されず、自分たちの音楽を貫いていけるように」という逆説の意味を込めてボーカル宮沢和史、ギター小林孝至、ベース山川浩正、ドラム栃木孝夫の4人で結成されたザ・ブーム。原宿のホコ天を中心に活動を始め、ソニーのオーディションに合格。デビュー当時は、派手なパフォーマンスが話題のスカバンドでしたが、3枚目のアルバム『ジャパネスカ』が転機となり、音楽の幅が広がっていき、三線を加えるなど、沖縄民謡への関心が垣間見られるようになります。
この曲「島唄」は、次の4枚目のアルバム『思春期』に収められていた1曲でしたが、沖縄の言葉であるウチナーグチ・バージョンのシングルが沖縄だけで限定販売され、大ヒット。そして、1993年にオリジナル・バージョンのシングル「島唄」が全国で発売されると、幅広い層に支持されて、150万枚を超すセールスを記録します。日本レコード大賞でベストソング賞を受賞し、この曲で、紅白歌合戦にも初出場を果たしました。
その後、「島唄」は、日本のみならず、世界11カ国以上のアーティストにカバーされます。特にアルゼンチンの国民的な大スター、アルフレッド・カセーロは、日本語の「島唄」をそのままカバーして、アルゼンチンのグラミー賞といわれているガルデル音楽賞を3部門獲得。2002年サッカーワールドカップ、アルゼンチン代表の公式サポートソングに起用され、全世界に伝えられました。そして、2002年の年末にはアルフレッド・カセーロとともに、紅白歌合戦のステージに立ち、この「島唄」を歌いました。現在は、お互いソロ活動が目立っていますが、来年のデビュー20周年に向けて、動き出しています。

◆7月 16日(水)
デビー・ギブソン  「エレクトリック・ユース」

アメリカ、ニューヨーク州ブルックリン出身のデビー・ギブソンは、幼い頃からピアノを嗜み、作曲の才能を発揮するようになります。そして、16歳のときにアトランティック・レコードと契約を結び、1987年、彼女自身が作詞、作曲、プロデュースを手掛けたアルバム『アウト・オブ・ザ・ブルー』でデビューしました。デビューシングルとなった「オンリー・イン・マイ・ドリームス」が全米4位を記録し、4枚目のシングル「フーリッシュ・ビート」が全米1に輝き、一躍アイドルからスターダムにのし上がります。
この曲「エレクトリック・ユース」は、1989年に発表したセカンドアルバム『エレクトリック・ユース』からのタイトルソングで、ハイトーンで、伸びやかなボーカルにシンセサイザーとエレクトリック・ビートを全面に押し出した軽快なダンス・チュ−ンで、大ヒットしました。また、このアルバムからシングル・カットされた「ロスト・イン・ユア・アイズ」は2曲目の全米1を獲得し、アルバムは、600万枚以上のセールスを記録しました。
90年代後半からは、ミュージカル女優として活動を始め、「レ・ミゼラブル」「グリース」などに出演し、現在は、名前をデボラ・ギブソンに改名して、活動しています。

◆7月 17日(木)
大黒摩季  「夏が来る」

3歳の頃からピアノを習い始め、中学生では、バンド活動に明け暮れると同時に作詞作曲を始めた大黒摩季。18歳でプロの歌手になることを目指して、単身北海道から上京し、オーディションに合格するものの、B'zやザード、チューブ、織田哲郎(おだてつろう)などのコーラスやCMソングの作詞作曲といった下積みを経て、コンピレーションアルバム『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』でアレサ・フランクリンの「リスペクト」を歌い、その歌唱力で高い評価をえます。
そして、1992年、シングル「ストップ・モーション」でデビューし、続くセカンドシングル「ダ・カ・ラ」がミリオンセールスを記録、日本レコード大賞新人賞を受賞し、一気にスターダムにのし上がります。その後も「チョット」「別れましょう私から消えましょうあなたから」「あなただけ見つめてる」といった「恋愛における女性の本音」を見事に歌い上げた曲がヒットし、同世代の女性から絶大な支持を集めます。
この曲「夏が来る」は、1994年に発表した8枚目のシングルで、2003年には、続編となる「夏が来る、そして」を発売して話題になりました。1999年12月31日の奈良東大寺でのカウントダウンライブ後、1年間充電休養をして、2001年から活動を再開し、精力的にライブを行うようになります。去年は、デビュー15周年を迎え、今年1月に発売したニューアルバム『ポジティブ・スパイラル』を引っさげて、15周年記念ライブツアーを開催しました。

◆7月 18日(金)
ベイパー・トレイルズ 「サーフサイド・フリーウェイ」

もともとヴィーティーズというバンド名で知られていた、イギリス出身の3人のセッション・ミュージシャンが結成したバンド、ベイパー・トレイルズ。メンバーは、ボーカル&ギターのジョン・マクバニー、ベースのフィル・カーティス、ギターのアンディ・ダルビィで、1979年、ラリー・カールトンのプロデュースのもと、この曲「サーフサイド・フリーウェイ」が収録されたアルバム『ベイパー・トレイルズ』を発表します。しかし、アメリカはもとより、本国イギリスでも陽の目を浴びることがなく、この1枚を発表しただけで解散してしまいます。
日本では、音楽番組「ベスト・ヒットUSA」のテーマ曲として知られる様になりますが、オンエア当時、日本でのレコードの販売権が別の会社になってしまった事もあって、ヴィーティーズというバンド名で、アルバムタイトルも『オータム・ブリーズ』に変えて、発売されていました。発売から20年経った1999年、初のCD化にともなって、音楽ファンの間で再び熱い注目を浴び、リバイバルヒットしました。

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