番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT

◆9月 8日(月)
マイケル・フォーチュナティー 「ギブ・ミー・アップ」

イタリア出身のマイケル・フォーチュナティー。1986年、ベルギーで、この曲「ギブ・ミー・アップ」でデビューすると、イタリア人ながら、1を獲得します。さらにフランス、イタリア、ドイツ、オランダなど、ヨーロッパ各国でヒットします。翌1987年には、東京音楽祭で来日し、ディスコ&ダンス部門でグランプリを獲得。日本でも大ヒットとなります。さらに、セカンドシングル「イントゥ・ザ・ライト」も大ヒットし、ユーロ・ビートというジャンルを確立させます。
当時、ユーロ・ビート・ヒットは、歌謡曲でカバーされ、この曲も、2人組のアイドル、ベイブがカバーし、斉藤由貴主演のテレビドラマ「あまえないでよ!」の主題歌になり、大ヒットしました。2005年には安良城紅もカバーし、TDKのCMソングになりました。さらに去年、マイケル自身がセルフカバーし、「ギブ・ミー・アップ2007」を発表しました。

◆9月 9日(火)
にしきのあきら  「空に太陽があるかぎり」

鹿児島市のキャバレーで、専属歌手として歌っていたところをスカウトされたにしきのあきらは、1970年、「ソニー演歌のナイト」というキャッチフレーズで、「もう恋なのか」でデビューします。声量抜群の独特な歌声の持ち主で、歌もさることながら、ずば抜けた運動神経だったことで、当時、芸能人スポーツ大会で活躍していました。芸能人スポーツ大会でもライバル関係にあった野村真樹とは、日本レコード大賞新人賞を争って、最優秀新人賞を受賞し、紅白歌合戦にも初出場を果たしました。翌71年に、この曲「空に太陽があるかぎり」を発表し、シングルチャートで4位となり、30万枚を超す売り上げを記録し、にしきのあきらを代表する楽曲となります。
90年代に入ると、俳優として開花し、さらに「とんねるずの生でダラダラいかせて」の出演をきっかけに、「スターにしきの」としてのキャラクターで脚光を浴び、再び、人気を博しました。50歳だった99年には24時間テレビの「チャリティー・マラソン」にも挑戦し、当時の史上最高齢ランナーとして完走し、話題になりました。今年60歳になりますが、現在も日本トライアスロン連合の特別広報委員をつとめるなど、さまざまなスポーツに挑戦しています。

◆9月 10日(水)
ラーズ  「ゼア・シー・ゴーズ」

ボーカル、ギターのリー・メイバースとベース、ボーカルのジョン・パワーを中心に1986年、イギリス、リバプールで結成された4人組バンド、ラーズ。地元リバプールで精力的にライブを行い、話題となり、1987年、ゴー・ディスク・レーベルからシングル「ウェイ・アウト」でデビューしました。翌88年にセカンドシングルとして、この曲「ゼア・シー・ゴーズ」を発表しますが、音楽評論家たちの評価とは裏腹に、チャート、セールス的に成功しませんでした。その後、本格的なアルバム制作に入るのですが、リー・メイバースが完璧主義のために、アルバムの仕上がりに満足せず、デビューから2年以上たってもアルバムが完成しない状況に、レーベル側は、U2のプロデューサーとして有名なスティーブ・リリーホワイトをプロデューサーに立てて、1990年、アルバム『ラーズ』が完成し、発表し、それをきっかけにこの曲が、イギリス、日本、さらに、アメリカでもヒットします。
そして、このアルバムを引っさげて、日本をはじめ、イギリスツアーを行いますが、レーベルとの確執が深刻になり、1枚のアルバムを残しただけで、1992年、解散。その後、ジョン・パワーはキャストを結成し、人気バンドとなります。伝説のバンドとなったラーズでしたが、2005年に突如再結成し、日本のサマーソニックに出演し、さらにイギリスやアイルランドでライブを行い、往年のファンを大いに沸かせました。なお、この曲は、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーやロビー・ウィリアムズがカバーし、リバイバルヒットしています。

◆9月 11日(木)
一風堂 「すみれセプテンバー・ラブ」

りりぃのバック・バンド、バイバイ・セッション・バンドや大橋純子のバック・バンドのギタリストとして腕を磨きた土屋昌巳は、見岳章、藤井章司、赤尾敬文とともに一風堂を結成します。1979年、「もっとリアルに」でデビューすると、日本では当時珍しかったプロモーション・ビデオを作り、日本よりもイギリスで人気を博しました。土屋は、一風堂以外にイギリスのバンド、ジャパンのギタリストとして、ワールドツアーに参加したり、坂本龍一とコラボレーションするなど、ワールド・ワイドなスタンスで活動していました。
1982年、6枚目のシングルとなったこの曲「すみれセプテンバー・ラブ」がカネボウ化粧品のキャンペーン・ソングとなり、オリコンのシングルチャートで2位となり、80万枚以上の売り上げを記録し、大ヒットしました。一風堂は1984年に解散し、土屋はロンドンに移住し、ソロ活動と並行しながら、小泉今日子やグレイ、ブランキー・ジェット・シティなどのプロデュースを手掛けたり、最近では、佐久間正英の呼びかけで、ジャパンのミック・カーン、屋敷豪太、ビビアン・スーとともにThe d.e.pに参加しています。なお、この曲は、1997年、シャズナがカバーして、リバイバル・ヒットしました。

◆9月 12日(金)
スティクス 「ミスター・ロボット」

アメリカ、シカゴで、ジョン・パノッゾ、チャック・パノッゾ兄弟が結成した"トレイド・ウィンズ"が母体となっているスティクス。そこへ、デニス・デ・ヤング、ジェイムス・ヤング、ジョン・クルリュウスキーが加わり、バンド名をギリシア神話で「黄泉の国の川」という意味を持つ"スティクス"に変更。1972年、アルバム『スティクス』でデビューします。デビュー当初は、プログレッシブな要素が強かったのですが、クルリュウスキーに代わって、トミー・ショウがメンバーに加わると、次第にポップなサウンドへと変更していきます。そして、1979年、シングル「ベイブ」が全米ナンバー1に輝くと、アメリカを代表するアリーナ・ロック・バンドとなります。
この曲「ミスター・ロボット」は、1983年に発表されたアルバム『ミスター・ロボット』からのシングルカットで、近未来を舞台にしたミュージカル仕立ての世界観が受けてヒット。「ドモアリガト、ミスター・ロボット。ヒミツヲシリタイ」という日本語の歌詞が含まれている事もあり、日本でもその人気が浸透していきました。しかし、その後、スティクスは活動を休止。それぞれがソロ活動を始めるようになります。1996年には、ジョン・パノッゾの死をきっかけとして再結成。追悼コンサートが行われるとともに、ニューアルバムが発表され話題となりました。

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