番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆9月 29日(月)
エイス・オブ・ベイス  「オール・ザット・シー・ウォンツ」

スウェーデンのイエーテボリ出身で、2人の女性ボーカルに男性2人組という4人組のエイス・オブ・ベイス。"スウェーデン出身""男女4人組"というところから90年代のアバと言われますが、エイス・オブ・ベイスは、ジョーカーと呼ばれるヨーナス・バーグレンと、ジョーカーの2人の妹、リンとジェニーという兄妹、ジョーカーの友人、ウルフ・ブッダ・エクバーグというメンバー構成になっています。
1990年に結成し、本国スウェーデンでは見向きもされませんでしたが、デンマークのメガ・レコードから、シングル「ホイール・オブ・フォーチュン」でデビューし、注目を集めます。そして、セカンドシングルとなったこの曲「オール・ザット・シー・ウォンツ」は、レゲエ・テイストを溶け込ませたポップなユーロ・サウンドが受けて大ヒット。イギリス、ドイツなどヨーロッパ10カ国で1に輝きます。その勢いが世界に飛び火し、この曲で、ワールド・ワイド・デビュー。全米で2位を記録します。
全米では続くシングル曲「ザ・サイン」が1に輝き、年間1シングルに輝きました。また、これらの曲を収めた1STアルバム『ザ・サイン』も、全米の年間1を獲得。スウェーデン人で史上初めてシングルとアルバムが全米年間1を獲得しました。さらにこのアルバムは全世界で2300万枚以上売り上げて、最も売れたデビューアルバムとしてギネスブックに掲載されました。

◆9月 30日(火)
沢田知可子  「会いたい」

埼玉県の運転免許試験場に勤めながら、ライブハウスで歌っているところをスカウトされた沢田知可子。1987年、シングル「恋人と呼ばせて」でデビューしました。1990年に、4枚目のアルバム『アイ・ミス・ユー』からシングル・カットされたこの曲、「会いたい」が、全国の有線放送所から火がついて、問い合わせが殺到。
オリコンのシングルチャート100位以内に、87週の長期にわたって、ランクインするというロングヒットとなり、最終的には130万枚以上のセールスを記録。翌91年には紅白歌合戦にも出場し、全日本有線放送大賞グランプリも受賞しました。作曲は、チューリップの財津和夫、作詞は、沢ちひろが担当しています。
この曲は、沢田がプロの歌手になろうと決めて、中学時代の先輩に相談したところ、俺がファン第1号になるよと言ってくれたのに、1週間後に交通事後で亡くなってしまったという出来事と、在りし日を回想し会いたい気持ちを募らせる歌詞の内容が重なり、2001年に行われた「21世紀に残したい泣ける名曲」の第1位にも輝きました。2007年9月にはデビュー20周年アルバム『花心』を発売しています。

◆10月 1日(水)
カーズ 「ユー・マイト・シンク」

アメリカ、ボストンの学生だったギター&ボーカルのリック・オケイセックとベース&ボーカルのベンジャミン・オールを中心に1976年に結成されたカーズ。メンバーは、ほかギターのエリオット・イーストン、キーボードのグレッグ・ホークス、ドラムのデビッド・ロビンソンの5人組で、メンバー全員が「車好き」という理由から、カーズというバンド名になりました。活動当初からボストンに来るビッグ・スターたちの前座を務め、ラジオ局に送ったデモテープの「燃える欲望」という曲がデビュー前からリクエストが殺到し、レコード会社の注目を集め、1978年にアルバム『錯乱のドライブ』で鳴り物入りでデビューします。
このアルバムは、139週連続でチャートインし、200万枚以上売り上げ、ローリングストーンズ誌の最優秀新人賞を獲得し、グラミー賞新人賞にもノミネートされます。この曲「ユー・マイト・シンク」は、カーズ最大の売り上げを記録した5枚目のアルバム『ハートビートシティ』からのシングル曲で、MTV時代の到来をいち早くキャッチしたリックがハエになって飛び回るというビデオ・クリップを自ら手掛け、マイケル・ジャクソン、シンディ・ローパーといった強敵を押しのけて、第1回MTVアワード大賞を受賞しました。
1987年、アルバム『ドア・トゥ・ドア』を発表しますが、ライブの観客動員数が減ったことを理由に突然解散してしまいます。その後、リックは、ウィーザーのプロデューサーとして広く知られるようになりますが、ベンジャミンは2000年にすい臓がんのために53歳という若さで亡くなっています。一方、エリオットとグレッグは、2006年にトッド・ラングレンをボーカルに招いて、新生カーズを結成し、ニューアルバムを発表し、全米ツアーを行い、話題になりました。

◆10月 2日(木)
ルック 「シャイニン・オン〜君が哀しい〜」

新宿のライブハウスの常連として別々のバンドで出演していたバンドから、ギターの鈴木トオル、ピアノの千沢(ちざわ)仁(まさし)、サックスのチープ広石、キーボードの山本はるきちの4人が集まって「ルック」を結成。そして、トントン拍子に話が進み、1985年、この曲「シャイニン・オン〜君が哀しい」でデビューします。
鈴木トオルの高音ハスキー・ボイスをフィーチャーしたこの曲は、ヒットチャートを駆け上がり、35万枚を超すセールスを記録します。その後、「少年の瞳」「ラストシーンから始めよう」などのシングル曲を発表しますが、デビュー曲ほどのヒットには至らず、鈴木トオルの脱退をきっかけに、1989年、解散してしまいます。この曲は、去年、ジャンヌダルクのヤスのソロプロジェクト、「アシッド・ブラック・チェリー」によってカバーされたことで再び脚光を浴びました。

◆10月 3日(金)
リップス 「ファンキー・タウン」

1979年、アメリカ・ミネアポリスで結成されたテクノ系ポップ・ユニット、リップス。メンバーは、曲作りをはじめ、ドラム、キーボード、パーカッション、さらにプロデュースもこなすというスティーブン・グリーンバーグ、実力派R&Bシンガーで、サックスも吹ける、シンシア・ジョンソンの2人。
もともとは、スティーブン・グリーンバーグが自主制作した「ロック・イット」という曲が、ミネアポリスの地元ラジオ局でヒット。ちょうど女性ボーカルを探していたとき、ミス・ブラック・ミネソタに輝いたことのあるシンシアが加入。この曲「ファンキー・タウン」を作り上げます。
そして、1979年にアルバム『マウス・トゥ・マウス』を発表すると、当時のテクノ・ブームにのって、アルバムからのシングル曲「ファンキー・タウン」が全米1に輝きます。 その後、4枚のアルバムを発表しましたが、シンシアが1982年に脱退し、1983年、リップスは解散してしまいます。この曲は、1987年にオーストラリア出身のスード・エコーがカバーし、リバイバル・ヒットしました。

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