番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆10月 13日(月)
エブリシング・バット・ザ・ガール  「ミッシング」

トレイシー・ソーンとベン・ワットの男女2人組ユニット、エブリシング・バット・ザ・ガール。メイン・ボーカルを務めるトレイシーは、イギリス、ハートフォード州出身で、高校時代に女性ばかりのガールズ・ユニットを結成。インディーズデビューを果たしますが、トレイシーが大学に入学したことで、バンドが解散。その後、チェリー・レッド・レコードからソロ・デビューします。一方のベンは、父親がジャズ・ピアニストということもあって、幼いころから音楽に親しみ、大学に入学すると、トレイシーより一足早く同じチェリー・レッド・レコードからデビュー。人気を集めていました。
チェリー・レッド・レコード側のアイデアで、2人のデュエットソングを作ることになり、エブリシング・バット・ザ・ガールを結成。1983年、コール・ポーターの「ナイト・アンド・デイ」をカバーし、以降ユニットとして活動を続けていくことになります。ちなみに、このエブリシング・バット・ザ・ガールというバンド名は、偶然にも2人が通っていた大学が同じで、その大学の近くにあった家具雑貨店の名前から取ったものだそうです。1984年、ファーストアルバム『エデン』を発表。ジャジーなボサノバ・サウンドで、ネオ・アコースティック・ムーブメントを巻き起こしました。この曲「ミッシング」は、1994年に発表したアルバム『アンプリファイド・ハート』からのシングル曲で、イギリスで3位、アメリカで2位、ドイツで1に輝くなど、エブリシング・バット・ザ・ガールの最大のヒット曲となりました。その後、2人は結婚し、1999年にアルバム『テンパラメンタル』を発表しますが、ベンが難病に倒れたこともあって、その後、新しいアルバムは発表されていません。

◆10月 14日(火)
本田路津子  「耳をすませてごらん」

1970年、ジョーン・ハエズの「シルキー」を歌い、ハルミラ・フォークコンテストに優勝。シングル「秋でもないのに」でデビューした本田路津子は、高く澄んだ透明感のある歌声で、第2の森山良子と呼ばれ、カレッジ・フォークの歌姫として注目を集めます。続く「ひとりの手」もヒットし、1971年、紅白歌合戦に初出場を果たします。
この曲「耳をすませてごらん」は、1972年のNHK連続テレビ小説「藍より青く」の主題歌。お茶の間に広く浸透し、2年連続で紅白歌合戦に出場しました。その後、1975年、結婚を機に歌手活動をやめてアメリカに渡りますが、88年に帰国。帰国後は、ゴスペルシンガーとして活動をスタートさせ、現在は、教会を中心にコンサート活動をしています。なお、この曲は、1990年に南野陽子がカバーし、オリコン7位を記録しました。

◆10月 15日(水)
エアプレイ 「アフター・ラブ・イズ・ゴーン」

プロデューサー、作曲家、そして、プレイヤーとして超一流のジェイ・グレイドンと デビッド・フォスターが1980年に結成した伝説のユニット、エアプレイ。 ロサンゼルス出身のジェイ・グレイドンは、歌手である父親の影響で、 14歳でギターをはじめ、20歳で一流セッション・ギタリストとして 名を馳せるようになり、次第にプロデューサーとしても実力を発揮していきます。 一方、カナダ出身のデビッド・フォスターは、大物ミュージシャンの キーボード・プレイヤーとして成功をおさめ、セッション・マンとして 知られるようになり、ジェイ・グレイドンとは、ボトムライン、ペガサス、 ミッドナイト・フライヤーという3つの覆面ユニットで一緒にプレイをします。
そして、1979年、この曲「アフター・ラブ・イズ・ゴーン」を共作し、 アース・ウィンド&ファイヤーに提供し、1980年、満を持して2人の プロジェクトであるエアプレイとして、この曲を収録したデビューアルバム 『ロマンティック』を発表します。ボーカリストにはトミー・ファンダーバーグを起用し、 さらに当時トトのメンバーであったジェフ・ポーカロ、スティーブ・ポーカロ、 スティーブ・ルカサー、デビッド・ハンゲイトが参加し、AORの頂点を 極めた作品として、世界中の音楽シーンに多大な影響を与えました。
また、この曲「アフター・ラブ・イズ・ゴーン」は、もともとシカゴのボーカル、 ビル・チャップリンのソロの為に作られた楽曲でしたが、ビル・チャップリンより先に、 アース・ウィンド&ファイヤーによって歌われて大ヒットし、グラミー賞の 最優秀R&B楽曲賞を受賞、後に本人たちはもとより数多くのアーティストによって カバーされています。

◆10月 16日(木)
イモ欽トリオ 「ハイスクール・ララバイ」

1981年、フジテレビで放送されていた萩本欽一司会のバラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から生まれたコミックソングユニット、イモ欽トリオ。メンバーは良い子ヨシオ役の山口良一、悪い子ワルオ役の西山浩司、普通の子フツオ役の長江健次の3人。ユニット名は当時人気だった「たのきんトリオ」と「YMO」(イモ)から来ています。
デビュー曲となったこの曲「ハイスクール・ララバイ」は、作詞・松本隆、作曲・細野晴臣という元はっぴいえんどコンビ。当時、松本隆は松田聖子の一連の作詞を手掛け、細野晴臣はYMOで一世を風靡していましたが、萩本欽一からのオファーを快く受けて、オリコンのシングルチャートで、7週連続1位となり、150万枚を超すセールスを記録しました。細野が作曲したということもあって、楽曲はYMOの「ライディーン」を、振り付けもYMOを真似るなど、テクノ歌謡ブームを巻き起こしました。
1982年で長江健次が大学受験の為に脱退。その後、メンバーチェンジが行われましたが、翌83年に番組が終了すると、イモ欽トリオは解散してしまいます。「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のDVDボックス発売の記念として、イモ欽トリオは、11月8日に池袋サンシャイン噴水広場で27年ぶりに再結成されることが発表されています。

◆10月 17日(金)
ステーシーQ 「トゥー・オブ・ハーツ」

アメリカ、カリフォルニア出身の女性ボーカル、ステーシーQ。もともとは、1981年、本名のステーシー・スウェインとして、プロデューサーであるジョン・セント・ジェームスと、映画『007』に出てくる発明家の名前“Q”から取った、その名も“Q”というユニット名で活動を始めます。
新たにメンバーを加え、ステーシー・スウェイン・Qの頭文字を取ったS.S.Q.に改名。アルバム『プレイバック』を発表、さらには映画『バタリアン』の主題歌も担当して、話題になります。その後、ステーシー・スウェインを前面に出したソロ・プロジェクト形式に変更。ユニット名を「ステーシーQ」に改め、1986年、この曲「トゥー・オブ・ハーツ」で再デビューすると、ディスコを中心に大ヒット。
全米3位を記録し、ファーストアルバム『ベター・ザン・ヘブン』もヒットしました。去年は、S.S.Q.時代を含めたベストアルバムをリリース。現在、ニューアルバムのレコーディングに向けて準備を進めていると噂されています。

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