番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT

◆12月 22日(月)
ユーリズミックス  「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル」

1980年、ボーカルのアニー・レノックスと、サウンド・メイカーのデイブ・スチュワートが結成したユニット・ユーリズミックス。2人の出会いは、1977年、ロンドンのとあるレストランで、音楽仲間と食事をしていたデイブ・スチュワートのところへ、料理を運んできたのが、アニー・レノックス。そのアニーにデイブが一目惚れして、声をかけたのがきっかけだったそうです。間もなく2人は一緒に暮らし始めるのですが、アニーがシンガーになることを夢見てロンドンに来ていたこともあって、バンドを組むことになりました。
最初はザ・ツーリスツという5人組のバンドを結成しますが、あまり話題になることなく80年に解散。同時に恋人関係も解消して、ユーリズミックスとして活動をスタートさせます。1981年、アルバム『イン・ザ・ガーデン』でデビュー。アニーのユニ・セックスなファッションとソウルフルな歌声、そして、洗練されたエレクトロニック・ポップ・サウンドが話題になり、83年、シングル「スィート・ドリームス」が全米と全英に1位に輝きました。
この曲「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル」は、アルバム『ビー・ユアセルフ・トゥナイト』からのシングルカット。スティービー・ワンダーがハーモニカで参加したことも注目を浴びて、全英ナンバー1を獲得しました。90年代に入ると、お互いのソロ活動が本格化し、バンド活動が休止してしまいますが、99年に突如再結成。アルバム『ピース』を発表して話題になりました。

◆12月 23日(火)
B’z  「いつかのメリークリスマス」

ギターの松本孝弘とボーカルの稲葉浩志(こうし)によるユニット「B’z」。20歳からプロのギタリストとして多くのセッションやライブに参加していた松本孝弘が、稲葉のデモテープを聴いて、セッションすることになり、そのまま「B’z」を結成。1988年、シングル「だからその手を離して」、アルバム『B’z』を同時にリリースしてデビューしました。
89年に発表したミニアルバム『バッド・コミュニケーション』で人気に火が付くと、5枚目のシングル「太陽のコマチ・エンジェル」が、オリコンのシングルチャート1位を記録し、ブレイクしました。この曲「いつかのメリークリスマス」は、92年に発表したミニアルバム「フレンズ」に収められた1曲。B’zの中でも人気の楽曲であり、同時にクリスマスソングの定番にもなっています。B’zは、今年9月に結成20年を迎え、今年発表したシングル「バーン〜フメツノフェイス」まで41曲連続オリコン1を記録。デビュー20年間でのシングルとアルバムを合わせた売上は、7800万枚と日本の音楽シーンのトップに君臨しています。

◆12月 24日(水)
ナタリー・コール&ナット・キング・コール  「クリスマス・ソング」

アメリカ、ロサンゼルス出身のナタリー・コールは、ナット・キング・コールの 次女として生まれ、11歳で、ステージデビューを果たすのですが、15歳の時に、 父親と死に別れてしまいます。その後、しばらく音楽から離れますが、マサチューセッツ大学に通いながら、 地元のローカルクラブで歌い、注目を浴びるようになり、 1975年、アルバム『インセパラブル』で歌手デビューを果たします。
このアルバムから「ジス・ウィル・ビー」がトップ10ヒットとなり、 翌年、グラミー賞で新人賞とR&B女性ボーカル賞の2部門に輝きました。 続くアルバム『ナタリー』もグラミー賞を受賞し、デビューから6作連続で ゴールド・ディスクを獲得という快挙を成し遂げ、名実ともに大物歌手の 仲間入りを果たしました。
しかし、80年代に入ると、麻薬中毒に陥り、喉の手術を受けるなどして、 一時歌手活動を中断しなければならなくなり、不遇の時代を迎えますが、 88年シングル「ピンク・キャデラック」がヒットし、復活を遂げました。さらに91年に亡き父ナット・キング・コールとのデュエット・カバー・アルバム 『アンフォゲッタブル』を発表して、ジャズ作品ながらアルバムチャートで 5週連続1位を獲得し、全世界で1400万枚のセールスを記録、 さらにグラミー賞では最多となる7部門を受賞し、父に勝るとも劣らない人気を 確立しました。
この曲「クリスマス・ソング」は、アルバム『アンフォゲッタブル』と同じ手法で、 生前の父親の音源にナタリーのボーカルをオーバーダビングさせた デュエットソングとして話題になりました。今年9月、ナタリーは再び父ナット・キング・コールとのデュエット「歩いて帰ろう」を 収録した『スティル・アンフォゲッタブル』を発表しました。

◆12月 25日(木)
杉山清貴  「最後のホーリー・ナイト」

オメガトライブの前身となる「きゅうてぃぱんちょす」でポプコンに出場し、1983年、杉山清貴&オメガトライブでデビューした杉山清貴。デビュー曲である「サマー・サスピション」をはじめ、「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語」などのヒット曲を放ちますが、1985年解散。翌86年、「さよならのオーシャン」でソロデビューします。続くセカンドシングルとして発表されたのが、この曲「最後のホーリー・ナイト」。
JALハワイアンキャンペーンにも起用され、杉山自身の最高のセールスを記録する大ヒット。1996年には“96年バージョン”としてリメイクされ、今なお色褪せることのないクリスマスのスタンダードソングとなっています。

◆12月 26日(金)
ペリー・コモ  「マジック・モーメント」

アメリカ、ペンシルベニア州出身のペリー・コモ。少年の頃から歌が好きで、高校卒業後には理髪店を開業し、得意の歌をサービスして「歌う理髪師」として話題になっていました。ビング・クロスビーに憧れていて、その真似をして町のコンクールなどで優勝。包み込むような温かいバリトンの歌声がオーディションで音楽関係者の耳に留まり、1936年、テッド・ウィームスに認められる形で、ウィームス楽団の歌手としてプロデビューを果たしました。第2次世界大戦中の42年に楽団は解散。ソロ活動を始めますが、レコーディング禁止令中の軍用レコードとして「グッドバイ・スー」がヒットし、その名が知られるようになります。
そして、1945年、ショパンの「英雄ポロネーズ」を基調とした「時の終わりまで」が10週連続で全米ナンバー1を獲得。300万枚を超すセールスを記録し、脚光を浴びました。1948年には音楽バラエティ番組「ペリー・コモ・ショウ」がスタート。
日本でも放送されて人気者となって、国際的なスターとしての名声も確立し、15年にも及ぶ長寿番組になりました。この曲「マジック・モーメント」は、バート・バカラックが書いた1曲で、1958年に発表されヒット。その年に作られた第1回グラミー賞では最優秀男性歌唱賞を受賞しました。2001年、88歳で亡くなりましたが、その生涯で「14曲の全米ナンバー1ソング」と「24曲のミリオンセール」という記録を持っています。

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