渡辺俊介投手のコメントです。
「このたびは多数のご応募ありがとうございます。本当にびっくりするほどたくさんの『助け合い』のメッセージを頂きました。小さな子から、高齢な方までいろいろな地域の方からメッセージを頂きました。そのすべてが胸に響くものばかりで、正直当選者を選ぶ作業は難しかったです。(当選者に関しては決して作品の優劣で決めたつもりはありませんのでご理解いただければと思います。今回のテーマにしている助け合いには、とても身近なところでやろうと思えば簡単に出来ることから、すごく困難な事に対して心の底から助けたいという気持ちから行動したりと、いろいろとあるんだという事が今回のメッセージからも分かりました。私も一つ一つのメッセージを読むたびに胸が熱くなる思いがしました。今の時代、人と人のつながりが希薄になっていると言われがちですが、今回の応募を見て、世の中、そんな事はない。尊い気持ちを持って日々を過ごしている人たちはこんなにちゃんといるんだという事を改めて気が付かされました。その思い、そして助け合っている人たちがきょうも日本中にいることを今後もこの企画を通じて伝えていければと思います。次回も多数のご応募お待ちしています。
以下、4月に頂いたなかから渡辺俊介投手が印象に残ったメッセージをご紹介いたします。※掲載にあたりましてご本人のご承諾を頂いております。また渡辺俊介投手と選考に関わった実行委員の千葉ロッテマリーンズ梶原紀章(※K)と文化放送事務局スタッフ(Q)のコメントも添えさせて頂きます。
■東京都 S.Uさん(39歳男性)
隣の家には老夫婦が住んでいます。特別なことをしてあげられるわけではありませんが、見かけた際は声をかけるようにしていました。そんな時、ちょっとしたことで気持ちが落ち込んでいた私に老夫婦のお二人が声をかけてくれました。その一言でなんとなく気分が晴れた私。もし私のかけた声で老夫婦が少しでも元気になってくれていればうれしいと思います。声を掛け合うというちょっとしたことが「助け合い」になればと思います。
~「最近はご近所関係が薄くなったと言われがちです。声を描け合うというちょっとした事、当たり前のような事も十分、人と人の助け合いなのだという事を改めて感じさせられました」(※K)
~「身近なところでのちょっとしたことですが、心温まりました」(※Q)
■埼玉県 R.Iさん(28歳女性)
病院で看護師として働いていた私、3月11日震災が起こった次の日、「宮城の病院に災害支援に行ってほしい」と言われ、どこに行くのか、現地はどんな状況なのか、たどり着けるのか、私に何ができるのか不安でいっぱいでしたが、少しでも助けになればという思いで支援に行くことを決めました。震災3日目に支援先の宮城県塩釜市の病院に到着。建て直したばかりの病院は見た目には問題はありませんでしたが、トイレの壁には亀裂がはしり、書類が散乱していました。そして病院入り口の壁一面、トリアージタッグ(災害治療の優先順位の指標)であふれていて、救急車が何台も到着し次々と人が運ばれてきて、怪我人や病人、医療スタッフで溢れかえっており本当に戦場のような光景でした。黒いトリアージタッグ(生命徴候がなく救命の見込みがないもの)と一緒に免許証(身分証明できるもの)が掲示され、その方、一人一人の人生を思うと心が苦しくなりましたが、一人一人のかけがえのない命、今を一生懸命生きようとしている命のため災害救護支援にあたりました。本当にいろんな方が運ばれてきました。津波で流され命からがら助かった方、自分だけ助かったことに対して罪悪感を感じ、リストカットされた方。一番印象に残っているのは、家が火事になり、火の中から助け出された女性の方。やけどの治療をおえ、ほっと一息ついたところに、警察の方がきて、一緒に暮らしていただんな様がなくなったと...。その時、彼女は「私は死ねばよかったのに。。」「もうすべて失った。」「もう私は1人。」と悲しそうに話されていて、一緒に手を握って、そばにいることしかできませんでした。でも被災地にいけて本当によかったと思っています。被災地支援に入った時、塩竈市は電気もガスも水道もライフラインすべて寸断されており、あまり情報を入ってきませんでした。私は病院に働いていたので災害対策本部から情報は伝わってきていましたが、地域の暮らしている人たちはテレビを見ることもできず、寒くて暗い中でとても不安が強かったと思います。そのなかで、他県から支援に来てる取り残されていないとわかっただけで、被災者の方が笑顔になったり、涙を流して喜んでくれたり、元気になったりして、それだけで、精神的な支援も大きかったと思います。被災して大変なのにも関わらず、自分のことより私たちのことを気にしてくれて、「来てくれてありがとう。住んでいるところは大丈夫?」。人の優しさに、心が救われました。正直、看護師として仕事を続けていこうが迷っていた時期でもありました。しかし、人の優しさにふれて、もう一度看護師を続けようと思いました。今も人の命と向き合い、自分の不甲斐なさや無力さ、医療の限界にたびたび落ち込みますが、しかしそのたびに患者様の言葉や笑顔に支えられ、今も看護師の仕事を続けられることが出来ています。一人でも多くの方の助けになれるようにこれからも一生懸命頑張って行きたいと思います。4月7日か8日の日本ハム戦が希望ですが、ただ震災が起こって一年経ち、震災を風化させないためにもと思い、私が体験したことを何か伝えたい、少しでも何かを感じて頂けたならと思いで、この企画に応募しました。震災はとても悲しいことで辛いことでしたが、辛い中でも人の優しさや温かさを感じることができました。人との絆を大切にしていきたいと思います。
~「看護師という仕事は本当に大変な仕事であり、大事な仕事だと思います。その仕事に一生懸命取り組み、助けを必要としている人たちへの思いを大事にし、日々、成長するために自問自答を繰り返している石塚さんの気持ちが心に残りました」(※K)
~「貴重な体験されたことを今回メッセージでお寄せ頂きありがとうございました」(※Q)
■東京都 Y.Nさん(68歳女性)
昨年の3.11。福島県南相馬市にある私の実家は大きな津波に流され家族は過酷な避難生活を余儀なくされました。市内にある県立原町高校の野球部員だった甥っ子は将来のことを考え転校を勧める周りの声に耳を貸さず「原高(ハラコウ)で野球をやるんだ」と強く宣言しました。間借りした校舎、グラウンドなど厳しい環境にもめげず、監督・父兄の方々,そして大切なチームメイトと助け合いながら最後の夏を戦い抜きました。そんな彼もこの4月からは上京して大学生に。今までガンバったごほうびに大好きなプロ野球を見せてあげたいと思います。
~「甥っ子さんの地元を愛する気持ちと、それを温かく見守る中田さんの思い。上京をしていろいろと大変な事もあると思いますが、頑張って欲しいです」(※K)
~「ぜひ大学生になった甥っ子さんとマリンに来てください」(※Q)
■東京都 Y.Sさん(38歳男性)
我が家の11歳になる長男と9歳になる次男が、大のマリーンズファン。サブロー選手が大好きだった長男は、昨シーズンジャイアンツにサブロー選手が移籍してしまいガッカリしていましたが、今シーズンは奇跡の復活!!長男もとても喜んでいます。4人兄弟の我が家の子供たちは、父子家庭と言うこともあり、みな助け合って生活しています。父親である私が言わなくても、自ら進んで家事などの手伝いをしてくれています。本当ならば、大好きなマリーンズの試合を見に行かせてあげたいのですが、私の収入の少なさのせいで見に行かせてあげることができません。お願いします。私はかまわないので、長男と次男に試合を見に行かせてあげたいのです。日にちの希望はありません。プレゼントしていただけるのならば、どんなカードでも大喜びです。父親として子供たちの笑顔が見たいのです。
~「家族が助け合って日々を過ごしている姿が目に浮かぶようなメッセージでした。助け合いというものは外だけではなく家庭の中でも必要であることを改めて感じさせられました」(※K)
~「4人兄弟助け合って家事をやっている姿が想像できます。これからも頑張ってください」(※Q)