浜美枝のいつかあなたと

毎週日曜日
 9時30分~10時00分
Mr Naomasa Terashima Today Picture Diary

寺島尚正 今日の絵日記

2019年3月25日 近所の標本木

今年も都心のソメイヨシノが3月21日開花した。
しかし、八王子、近所の桜はまだ1輪だけ。
その1輪、「あれ?私、フライング?」そんな佇まいだ。
週末、45年ぶりの再会があった。
昨年、11月11日 私用のアドレスに
1本のメールが入っていた。
「寺島さん 突然のメールで失礼します。覚えていますでしょうか。
小学,中学と一緒だった佐藤 欣(仮名)です。
昨年末のテレビを見ていたら、寺島さんが写っていて、
おっ、と懐かしく思い、連絡しようと思いつつ約一年が過ぎてしまいました。
私は、大学卒業後自動車関連の会社に入社し、海外勤務などを経て
今年8月無事定年退職しました。再雇用制度で、継続勤務はしていますが。
都合が合えば会えればと思っています。
都合いかがでしょうか。連絡お待ちしています」
頭の中が瞬時に半世紀前へ。
小学生の時、私は極度の寂しがり屋だった。1人で過ごすのが怖かった。
とにかく誰かと一緒に居て、孤独感と立ち向かう毎日。
その心の拠り所になってくれたのが「欣ちゃん」だった。
小学校3年から6年まで同じクラス。
家も近所。
眼差しがラクダの様に優しい。
大概のいたずらは許してくれた。
学校が終わると、仲間4,5人で、
野球をやったり、缶蹴りをしたり、
そろばん塾にも通った。何をやるにも「欣ちゃん」が一緒。
家族以上の存在だ。一方でライバルでもあった。
彼の運動神経は抜群。特に足が速く、彼に追いつこうと
密かに砂利道で練習した。
「欣ちゃん」と時間を共有しなくなったのは中学だ。
クラスが別となり、自然に会う時間も減っていく。
クラブ活動は同じ「ハンドボール部」だったが
別々の友人も出来、さらに中1の夏に私が転居して、遠距離通学となり
クラブ活動から離れた。
それ以来45年の月日が流れている。
3月23日、横浜線のとある駅近くにある割烹で再会することにした。
待ち合わせの5分前に着き、引き戸を引くと、白木のカウンターが見えた。
その奥から3番目の席に白髪交じりの男性が座っている。
「欣ちゃん」だ。
容姿はお互い45年分皺が刻まれている。
しかし、欣ちゃんの優しい眼差しはあの時のままだった。
欣ちゃんは中学の名簿や小学校時代一緒に写っている写真を持参。
それは、白黒、もしくはセピア色のカラー写真ばかりだった。
当時の事、お互いの家庭の事、仕事の事、
次から次にこれまでの時を埋めていった。
お互い、未来に向かってぶつかりながらも進み続けた事は一緒だった。
店の大将がカウンター越しに写真を覗き込み
「私は昭和32年生まれだから、話が合いますね!」
普段は出さない自家製のイカの部位料理をサービスしてくれる。
あっという間の3時間半。
「半年に1回位会いたいね。それまで元気で!」
握手をして、それぞれの家路についた。
帰りの車中、スマホが震えた。欣ちゃんからだった。
「寺ちゃん、ありがとう。
心から、大切な友達に会えたこと、感謝です。
またよろしくお願いします。  欣」

「『心から、大切な友達』か・・」
気が付くと、声を出して復唱していた。
その言葉が宝石に思える。
「さん」が「ちゃん」になっていたのも嬉しい。
あの時、無邪気で過ごしてきたからこそ、
そして、それぞれの道を歩んできての再会の思い。
その感情が、今夜、また集った。

「欣ちゃん
今夜は素敵な夜をありがとう。
久しぶりに、あの時に戻れました。
見えない明日に向けて、お互い、もがいてきたからこそ、
今があるのですね。
欣ちゃん、体、大切に。
では、また。寺島  」
50年という時を栄養にした、友情という名の桜が再び花開いた。
近所の標本木
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懐古
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