2018年01月17日

直木賞&芥川賞(の一部)的中! 


第158回直木賞は、門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』(講談社)が受賞しました!

ついでに予想した芥川賞も若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社)が受賞!

石井遊佳さんとの同時受賞までは予想できませんでしたが、ともあれ皆さんおめでとうございます!!

『銀河鉄道の父』は、
宮沢賢治の父・政次郎に初めてスポットを当てたことと、
そこで描かれたのが決して特殊な父親像ではなく、ぼくたちとなんら変わらない父親であったこと、
つまり読者が共感できる普遍的な父親像を提示できたことが素晴らしかったと思います。

威厳のある父親を演じながら、その実、子どもたちのことが心配でたまらない。
本作ではそんな姿が時にユーモラスに描かれていますが、
一方で政次郎が娘のトシと賢治を相次いで亡くすという悲しみに直面したことも忘れてはいけません。

この小説には書かれていませんが、
先日蓮如賞を受賞した今野勉さんの傑作評伝
『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』(新潮社)によれば、
トシは地元の学校に通っている時に恋愛スキャンダルに巻き込まれ、心を病んだりもしています。

政次郎はきっと父親としていろいろなことを背負っていたのではないでしょうか。

誰かの父親である人はもちろん、
そうでない人も自分の父親を思い出しながらぜひ読んでいただきたいと思います。

芥川賞受賞作については、また機会をあらためてご紹介しますね。

最後にお三方に重ねてお祝いを申し上げます。
おめでとうございます!!!

投稿者 yomehon : 19:00

2018年01月15日

第158回直木賞の受賞作はこれ!!


今回の注目はなんといっても藤崎彩織さんの『ふたご』です。

もし受賞すれば大騒ぎになるでしょうし、
ただでさえ受賞作はベストセラーが約束されているところで
SEKAI NO OWARIのSaoriの作となれば、ミリオンも夢ではないでしょう。

又吉直樹さんの芥川賞の時のように、こんどは直木賞が事件になるのです。


それでもやはり今回は受賞はないと予想します。

もちろんデビュー作でこれだけの作品を書いた作家です。
実力の持ち主であることは間違いありません。

だからこそもっと書いてほしいのです。

彼女のつくる曲や詩の世界観からいえば、
ファンタジーも書けるかもしれないし(直木賞とファンタジーは伝統的に相性悪いとはいえ)、
それこそ彼女が学んできたクラシック音楽の時代を舞台にゴシックロマンなどもありかもしれない。

試行錯誤の痕跡もあらわなこのデビュー作ではなく、
藤崎さんの書いた2作目、3作目を読んでみたいと思うのです。
おそらく選考委員も同じような感想を持つのではないでしょうか。


そんなわけで、注目度の高い藤崎彩織さんは今後に期待、となると、残り4作品となります。

ここでぼくは、今回の賞レースの隠れテーマを見つけてしまいました。

それは「同志社大学」。

今回の直木賞のキーワードは、「同志社の戦い」なのではないか。
同志社出身者とはすなわち、文学部卒業の門井慶喜さんと、大学院修了の澤田瞳子さん。

受賞作はこの二人のうちのどちらかのような気がします。
うーん、どっちだ……。


悩みながらある日、書店の中を徘徊していると、不思議な場面に遭遇しました。

ふと目をあげると、向こうから本を持ったおばさんが歩いてきます。

これからレジに向かうのでしょう、そのおばさんは本を小脇に抱えるのではなく
大事そうに両手に持って、しかもなぜか表紙をこちらに向けているではありませんか!
こっ、これは……!?

ぼくは勝負事において、この手の偶然に過剰に意味づけをするタイプ。
間違いなくこれは神のお告げです。天啓です!

グレーのダウンジャケットを着たそのおばさんが掲げていた本は、
嗚呼!まるで保護色のようなグレーっぽい表紙をしているではありませんか!

そう、その本の名は、『銀河鉄道の父』!!

ということで、第158回直木賞の受賞作は、
天啓に導かれて、門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』と予想いたします。


あ!それから、ついでに芥川賞の予想も。

今回の掘り出し物はなんといっても
若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』でしょう。

74歳の桃子さんの一人暮らしを描いたこの作品、
岩手弁がなんともユーモラス。
笑ってそしてホロリと泣けて、人生を思いっきり肯定する最強の終活小説です。

著者は岩手県遠野市出身。
55歳から小説講座に通いはじめ、
本作で昨年文藝賞を史上最年長の63歳で受賞しました。

それにしても、この「おらおらで ひとりいぐも」というタイトルどこかで……あっ!
宮沢賢治の「永訣の朝」だ!

著者は遠野市、賢治は花巻…・・・あつ!
ここにも隠れキーワード、「岩手県」が!!

どうやら第158回直木賞と芥川賞は、
どちらも岩手県と宮沢賢治がらみのようです。

直木賞 『銀河鉄道の父』  門井慶喜 (講談社)

芥川賞 『おらおらでひとりいぐも』 若竹千佐子 (河出書房新社)

今回はこれで決まり!!

投稿者 yomehon : 05:00

2018年01月12日

第158回直木賞直前予想(5) 『ふたご』


最後は藤崎彩織さんの『ふたご』です。
人気バンドSAKAI NO OWARIのSaoriが初めて書いた小説が
いきなり直木賞にエントリーしたということで大きな話題になりました。

ネットの評判をみると賛否がわかれていますね。
でもアンチの評をみると、読まずに書いたと思われるものが結構あったりして
有名人はほんと大変だなと思います。

あと多いのが、Saori自身とバンドのボーカルFukaseのことを書いた小説だと断定するパターン。
ふたごとはすなわち二人のことだというわけです。
作品をどう読むかは読者の自由ではあるものの、
個人的には、作品を現実の反映だとする読み方は窮屈だなぁと思いますね。

以前、桜庭一樹さんが『私の男』で直木賞を受賞した時に、
あるドキュメンタリー番組で桜庭さんに取材が殺到している様子が紹介されていて、
その中で男性インタビュアーが、
「本に書いてあることは桜庭さんのご経験?」みたいな失礼な質問をして
(『私の男』では近親相姦の場面が出てきます)
桜庭さんが不快感をあらわにしていてほんとお気の毒だったことがあります。

もし小説に書かれていることがすべて現実だとしたら、
ミステリー作家のほとんどは殺人犯になってしまいますよね。

日本では私小説という特殊なジャンルの伝統があるせいか、
読者は小説には現実にあったことが書かれているととらえがちですが、
小説家というのは優れた想像力&創造力の持ち主であるということをお忘れなく。

小説はあくまでフィクション。
フィクションでしか語りえないものを語るために選び取られた表現方法が小説なのですから。

ですので、この『ふたご』も、
SEKAI NO OWARIと切り離して、
新人作家のデビュー作として読んでみることにいたしましょう。

ただ、とは言ってみたものの、この小説の評価はとても難しい!
というのも、この小説は第一部と第二部とに分かれているのですが、
このふたつがまったく別の小説のような出来上がり具合だからです。

おそらく第一部と第二部とを書いた時期が、けっこう離れているのではないでしょうか。

まず第一部では、14歳の夏子がひとつ先輩の月島と出会い、
彼に恋心を抱いていく過程が描かれます。

「ふたご」というタイトルにはおそらく
「自分の片割れ」みたいなニュアンスが込められているのでしょう。

片割れといえば、プラントンは愛について書かれた『饗宴』の中で、
愛し合う男女のはじまりについてアリストファネスにこんなふうに語らせています。
いわく、男女というのは、元はひとつだったのを神がふたつに割った割符なのだと。
だからこそ欠けている相方を求める、それを愛というのだと。

夏子と月島の関係もそんなイメージのもとに書かれているのではないかと思います。
ところがこのふたりの関係は、そんなロマンチックなものではなく、
ちょっと精神医療の世界でいうところの共依存っぽいんですよね。
お互いがお互いの関係に過剰に依存しているというか。
(実際、月島は精神を病むのですが……)

第一部を読み終えたときに真っ先に思ったのは、「閉じている」という感想でした。
作者はもしかしたらピュアな愛を描こうとしたのかもれませんが、
ふたりの関係が閉じているために、読んでいる間ずっと息苦しかったです。

例えば、父親に抱きかかえられながら月島が発作で叫びまくる場面があるんですが、
夏子はなぜか月島を野生の獣のように美しいと感じ、うっとりと見入ってしまう。
なかなか他者が入っていけない独特の空間ですよね。
閉じているという印象を持ったのはこういうところ。

打って変わって雰囲気が変わるのが第二部。
ここでは、ふたりがバンドを結成して、
その中で居場所を見つけるまでが描かれます。

他のメンバーも加わるし、互いにぶつかり合いながらも世に出ようと頑張るし、
この第二部では閉じた空間の中にようやく外部の空気が入ってきた感があります。
息苦しかった前半を経て、後半にきてやっと息継ぎができるようになったというか。
第二部はむしろオーソドックスな青春小説といえるでしょう。

こういう個性的な構成の作品なのですが、さて選考委員はどう評価するでしょうか。
版元の文藝春秋にとってみれば、
『火花』の成功よ、ふたたび、というところでしょうが……。


さあこれで候補作5作品をすべてご紹介しました。
この中から選ばれるのはどの作品でしょうか。
予想作の発表は次回。
次は、1月15日(月)朝に更新いたします。お楽しみに!!

投稿者 yomehon : 05:00

2018年01月10日

第158回直木賞直前予想 『火定』


続いて澤田瞳子さんの『火定』です。

「火定(かじょう)」というのは、仏教の言葉で、
修行者が火の中に身を投げ入れて死ぬこと。
火の中で入定(にゅうじょう)することを言います。

物語の舞台は奈良時代。
時代小説ではあまり取り上げられることがありませんが、
澤田さんはこれまでも精力的にこの時代を手がけてきました。

時は天平、藤原氏が栄華を極める寧楽(なら)の都・平城京で、
天然痘が猛威を振るいます。
疫病の蔓延を食い止めようと絶望的な戦いに挑む医師たち、
そして偽りの神をでっちあげて徒に世間をかき回そうとする連中など、
感染症をめぐって繰り広げられる人間界の明と暗が描かれます。
いわば奈良時代のパンデミック(感染爆発)を描いたパニック小説です。

人類は長いこと天然痘に苦しめられてきました。
ジェンナーが種痘を発表したのが1796年、
WHOが天然痘の根絶を宣言したのが1980年とごく最近のことですから、
本作の舞台となっている時代(737年)ではまだ死の病でした。
古代の話ですから、なにしろ原因がわかりません。
苦しみながらバタバタと死んでいく患者たちを前に、
医師は常に自らの存在意義は何かという問いを突きつけられます。

この時代の都には、皇后が慈善事業としてつくった
貧しい病人の治療を行う施薬院や孤児などを収容する悲田院がありました。
当時、政治を我がものにしていた藤原四兄弟への世間の悪評を考慮して、
四兄弟は実の妹である皇后を菩薩のような慈悲深い存在に祭り上げることで、
人々の非難をかわそうとしたと言われています。

でも、いくら設立の動機が不純だろうが、
目の前に助けを求めて苦しむ患者がいれば、
全力で助けようとしてしまうのが医者というもの。
施薬院に次々に担ぎ込まれる患者たちをなんとかしたいと
医師たちは不眠不休で治療に当たりますが、
助けようとするそばから患者たちは死んでいく。

本作でまず圧倒されるのは、このバタバタと死んでいく人々の姿です。
現代は死を出来るだけ隠そうとしますが、
この時代は遺体が普通に河原に打ち棄てられていたりする。
死は常に目の前にあるものなのです。
だからこそ感染被害の凄まじさも一目瞭然でわかってしまう。
目の前の地獄こそが、いま起きていることなのです。

加速度的に事態が悪化していく中で、
医師はおのれの非力を痛感せざるを得ません。
作者は「医師とは何か」というテーマを、
主人公のひとり、施薬院で働く蜂田名代の目を通して描いていきます。
火定とは誰を指すのかということも、そこから見えてくる。

大災害が起こったときに個人に何が出来るかというのは今日的な問いですし、
災厄の原因を外国人のせいにして彼らを排斥しようとする動きも現代に通じます。

巻末の参考文献をみると書籍は少なく、
むしろ専門家による論文のほうが数多くあげられていて、
この古代のパンデミックについては
まだほとんど一般には知られていないのだということがわかります。

時代小説に資料との格闘は付きものとはいえ、
一部の専門家にしか知られていない歴史的な事実を
物語のかたちでわれわれに届けてくれた作者の努力に拍手をおくりたい一冊です。

投稿者 yomehon : 05:00

2018年01月09日

第158回直木賞直前予想(3) 『銀河鉄道の父』


続いては、門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』にまいりましょう。
タイトルから推測できるように、宮沢賢治の父親を主人公に据えたこの物語、
「宮沢賢治を描く方法がまだあったなんて!」とまさに虚を衝かれた一冊です。

ご存知のように宮沢賢治その人については、
これまで膨大な数の本が書かれてきました。
昨年はその中でも決定版といっていい評伝
『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』今野勉(新潮社)が出版され、
読んで深く感動させられた記憶も新しかったので、
もうこれ以上、宮沢賢治の新しい本と出合うことはないだろうと思っていました。

それがまさか父親の視点をとおして描く手があったとは。
宮沢賢治の父・政次郎にフォーカスした本は、
ぼくの知る限り小説はもちろん研究書も評伝も存在しないはずです。
つまり本書は、本邦初の試みになるわけです。

これまで賢治について書かれた本では、
生家が質屋を営んでいたことや、
裕福で父親は地元の名士でもあったことなどについて
わずかに触れられる程度でしたが、
著者はこの部分に命を吹き込み、豊かな父と子の物語をつくりあげました。

宮沢政次郎は明治7年(1874年)生まれ。
幼い頃から学業優秀で進学を希望するものの
父親の喜助から「質屋に、学問は必要ねぇ」と一蹴され家業を継ぎます。

この時代の父親のパブリックイメージといえば「厳父」と相場が決まっていますが、
いくら表面上はしかつめ面を取り繕っても、内心は賢治のことが心配でたまりません。

物語の冒頭、7歳の賢治が赤痢にかかったと聞いて取り乱した政次郎が、
病院に押しかけて泊り込みで看病をする場面が出てきます。
その後、政次郎も感染してベッドの上で苦しむことになり、
見舞いに来た喜助から「お前は、父でありすぎる」と嘆かれる始末ですが、
父が息子を必死に看病するこの場面は微笑ましい上にとても美しく、
その後もこの幸福な記憶は、物語の随所で絶妙な効果を生むことになります。


ですが、私たちはやがて悲しい出来事がこの一家を襲うことを知っています。
賢治が心から愛した妹トシの死、あの名詩「永訣の朝」に結実する悲しい別れは、
読んでいて胸を締め付けられるような思いがしました。

ああ、そうか、それは思いが至らなかった、と不意を突かれたことがあります。
トシを看取った後、政次郎はトシの葬儀を取り仕切っているのですね。
父親なのだから当たり前と言われればそうなのですが、
この時、賢治はといえば、自室に引きこもって弔問客に顔も見せなかったといいます。

政次郎だって娘の死にとてつもないショックを受けていることを読者は知っています。
にもかかわらず、彼は悲しみをその胸に秘め、
立派に葬儀を取り仕切り、父親としての役割を全うするのです。

この小説の素晴らしいところは、
こんなふうに世間の中で立派な社会人として生きてきた父親と、
生涯にわたり夢を追い続け、天性の才能に恵まれた息子を、
等しく価値を持つものとして扱っているところにあります。

世間で揉まれてきた父親には、
世の中で認められるには並大抵の努力ではダメだということがわかっています。
だからこそ、芸術のことはわからずとも、息子の背中を押すことができる。
胸を病んで伏せってしまい、気力が出ないと弱音を漏らす賢治に
政次郎はこんな言葉をかけるのです。


「机に向かえません」
その口調はさっぱりしている。
ほとんど自慢そうだった。政次郎は頭にきた。さらしを丸めて右手ににぎると、
頬をたたいて、
「あまったれるな」
「え?」
賢治は、まばたきした。政次郎は二度、三度とたたきながら、厳父の顔で、
「くよくよ過去が悔やまれます。机がないと書けません。宮沢賢治はその程度の
文士なのか?その程度であきらめるのか?ばかめ。ばかめ」
内心では
(何も、そこまで)
自分でも嫌になるのだが、どうしようもなかった。口も手もやまない。
父親の業というものは、この期におよんでも、どんな悪人になろうとも、
なお息子を成長させたいのだ。
「お前がほんとうの詩人なら、後悔のなかに、宿痾のなかに、
あらたな詩のたねを見いだすものだべじゃ。
何度でも何度でもペンを取るものだべじゃ。人間は、寝ながらでも前が向ける」
賢治は目を見ひらいた。
わずかな瞼のうごきだったが、たしかに瞳は、かがやきを増した。


心の中では、何もそこまで言わなくても、と思っているのに、
息子をなお成長させたいと願い、強い言葉をかけてしまう――。
ものすごくよくわかります。
この小説にはこういう世の父親たちが共感できるところが随所に出てきます。

けれども父親の激励の言葉も空しく、賢治は次第に衰弱していきます。
鉛筆がしっかり握れなくなり、ある日は、カタカナで詩を書いていて、
ちらりと見ると、――マケズ、――マケズという文句が見えました。

父親を主人公にしたことで、
私たちは賢治の臨終の場面にも立ち会うことができます。
「これから、お前の遺言を書き取る。言い置くことがあるなら言いなさい」
と愛する子どもに詰め寄る場面の凄まじさ。
最期まで息子の遺志を聞き漏らすまいという政次郎の覚悟には迫力があります。

本書を読み終えて思うことは、
国民的作家・宮沢賢治は父親なくしてはあり得なかったということです。
しかも政次郎は何か特別なことをしたわけではありません。

ただ息子のことを深く愛し、時には我を忘れて怒り、時には心から褒め、
また時にはみっともなくうろたえながら、接したのです。

つまり政次郎は、ごく普通の父親となんら変わらなかった。
そこにこの作品の普遍性があるように思います。

投稿者 yomehon : 05:00

2018年01月08日

第158回直木賞直前予想(2) 『彼方の友へ』


次は伊吹有喜さんの『彼方の友へ』にまいりましょう。
戦時下の少女雑誌編集部を舞台に、雑誌づくりに情熱をそそぐ人々の物語です。

老人介護施設に入所している佐倉ハツのもとに、ある日美しいカードが届けられます。
そのカードは若い頃にハツが大好きだった少女雑誌の付録でした。
懐かしいものとの再会をきっかけに記憶の扉が開き、ハツは過ぎ去った日々を思い出します。

時は昭和12年。大陸にわたった父親が失踪したことで進学をあきらめ、
音楽家の家で女中として働きながら歌を学んでいたハツは、
あるきっかけから憧れの雑誌『乙女の友』の編集部で雑用係として働くことになります。

若き主筆の有賀憲一郎と、可憐なイラストで少女たちをとりこにする長谷川純司のコンビが
牽引する『乙女の友』は、当代一の人気雑誌。
「友へ、最上のものを」をモットーに掲げた志の高い雑誌づくりは、
少女たちから熱狂的に支持されていました。
右も左もわからず当初は邪魔者扱いされていたハツでしたが、
持ち前の素直さと根性とで、次第に編集部にはなくてはならない人材へと育っていきます。

ですが戦局の悪化に伴い、編集部員や書き手が召集され人手が足りなくなり、
出版に欠かせない紙も統制下に置かれ、雑誌づくりには著しく不利な環境となります。
そしてなによりも、美しいものを華美だ、贅沢だと我が物顔で糾弾する人々が世に溢れたことが、
『乙女の友』の未来に暗い影を落としていました。

そんな過酷な運命の下、ハツはどのように生き抜いたのか。
物語のラストには、ちょっとした奇跡が用意されています。
戦火を潜り抜け、70年の時を越えてハツのもとに届けられたある人物からのメッセージには、
きっと多くの読者が涙することでしょう。

糸をひくような美しいストレートをど真ん中に投げられたかのような、そんな小説です。
物語の中心にすえられているのは、「友へ、最上のものを」という情熱。
そして人の熱い思いは、時の隔たりさえも超えるのだという作者の力強いメッセージ。
読む者の魂を奮わせる、「これぞ物語の王道」と言いたくなるような力作です。

戦時下を舞台にした物語にもかかわらず、
ある種の切迫感を持って感情移入できてしまうのは、
やはり現代がますます当時の時代状況に似てきているからではないでしょうか。

その言葉は敵性語ではないかとか、そのリボンは派手だからけしからんとか、
そういった当時のくだらない揚げ足取りにそっくりなやり取りは、
現代のSNSにいくらでも見つけることができます。
この小説の中で起きていることは、まさに今、私たちが経験しつつあることでもあるのです。

ある意味、選考委員の時代認識も問われる候補作かもしれません。
読んで他人事ではないと思える選考委員であれば、
東日本大震災が発生した年に『下町ロケット』を選んだように、
この作品を暗い時代の入り口にさしかかった現代に
送り出すのにふさわしいと考えるかもしれません。

ただその一方で、選考委員からも指摘があるのではと思ったところもあります。

それは父親に関係した部分。
大陸で失踪した父親には何か秘密があるらしいということを、
作者は物語の前半でしばしば仄めかします。
しかも父親の失踪の秘密は、母親も知っているようなのです。

ジェイドなる謎の男装の麗人がハツに接触してくる場面があるのですが、
そのジェイドと母親とのやりとりなどは、いったい過去に何があったんだと
おおいに読者の興味をそそるようなものになっている。

当初、この物語を手に取った時は、
「おそらく戦時中の出版社を舞台にしたお仕事小説だろう」と予想していました。
ところが、父親の失踪をめぐる思わせぶりな記述を目にして、
「どうやら背後には主人公も知らない謎があるようだぞ」と期待が膨らみました。

ところがその後、父親のことはほとんど出てこず、
物語の最後のほうであわただしくその消息が知らされるだけ。
母親も転地療養でいなくなってしまうし、物語はもっぱら
戦火の下で懸命に雑誌をつくり続けるハツの姿にのみフォーカスが当てられます。

ならば、あの前半部分での仄めかしはいったいなんだったのか。
伏線が回収されていないというか、ひろげた風呂敷が畳まれていないというか、
そんなおさまりの悪さがちょっと残ってしまっています。

本書は雑誌の連載がもとになっているようなので、
書いているうちに方向性が変わったのかもしれませんが、
通読してみると、この点が結構気になってしまいます。
単行本化の際に手直しをしたほうが良かったのではと残念に思いました。

投稿者 yomehon : 05:00

2018年01月05日

第158回直木賞直前予想(1) 『くちなし』


彩瀬まるさんの『くちなし』を読み終えたとき、はたと考え込んでしまいました。
「この小説の個性を、どうすればうまく伝えることができるだろう?」
そう思ったのです。

この本には7つの短編がおさめられています。いずれも「愛」を題材にしているといっていい。
ただ、それは誰にでも説明できることに過ぎません。この本におさめられた短編は、
どれもそんなくくり方からははみ出してしまうような個性的な相貌を持っています。
むしろ大事なのは、この「はみ出してしまう」ところをどう説明できるかなのです。

実際に雰囲気を味わってもらったほうが、話が早いかもしれません。
以下に「山の同窓会」という作品の冒頭を引用します。



同窓会前日になってもまだ、私は出欠の連絡を入れられずにいた。
「クラスでまだ一回も卵を作っていないのは、ニウラを入れて三人だって」
そう、連絡を回してくれたコトちゃんが世間話のはずみで口を滑らせた。
自分にとって居心地の悪い会になることは初めからわかっていた。
それでもすぐに断らなかったのは、クラスの半分近くの女の子たちがもう三回目の妊娠を果たし、
お腹に卵を抱えていたからだ。そんな優等生の一群には、一番仲の良かったコトちゃんも
含まれている。三回の産卵を果たした女は大抵力尽きて死んでしまう。
これが、彼女らにお別れを言える最後の機会になるかもしれない。

おわかりいただけたでしょうか?
「クラスでまだ一回も卵を作っていない」だの、
「三回の産卵を果たした女は大抵力尽きて死んでしまう」だの、
同窓会の話にしては随分と奇妙な言葉が出てきます。
その後もこの奇妙な設定についての説明は特になく、
女たちが卵を産む不思議な世界がごく当たり前のように描かれます。

他の作品も同様です。
表題作の「くちなし」では、長年の不倫関係を解消するにあたってなにか贈りたいという男に、
女は男の「腕」を希望します。それを当たり前のように受け入れた男は、
自分の左腕をパーツのように外して女に与えるのです。

また「けだものたち」という作品では、女が獣に変化して、好きな男をバリバリと食べてしまう
奇妙な世界が描かれます。

そう、この「奇妙な味わい」こそが、彩瀬さんの作品の魅力なのです。
わかりやすくジャンル分けするなら「幻想小説」になるでしょう。
直木賞以外では泉鏡花賞なんかを受賞してもおかしくない作品です。

ですが作者はただ幻想的で不思議な世界を描いているわけではありません。
作者の導きのままに作品世界に身を浸していると、
この奇妙な異世界での営みを、読者はいつの間にか違和感なく受け入れ、
現実の世界と同じように登場人物に共感し、驚き、感動していることに気がつくでしょう。
この本におさめられた奇妙な味わいの作品たちが読む者の胸に迫ってくるのは、
ここで描かれているのが、どれも私たちが生きている世界のことだからです。

たとえば「けだものたち」でいえば、
「食べる女」と「食べられる男」という設定から浮かび上がるのは、
異性間のディスコミュニケーションです。
決して交わることのない、女性と男性それぞれの世界の常識が描かれています。
ものすごく奇妙な設定の物語にもかかわらず、
ここでは私たちがよく知っていることが描かれている。

「山の同窓会」にしてもそうです。同窓会で主人公の感じる孤独は、
子育て話に花を咲かせる同級生たちを前にした
子どもを生んだことのない女性の孤独そのものでしょう(でもこの主人公はやがて自分なりの
人生の使命を見つけます。ぼくはこの心に沁みる物語が本書の中でいちばん好きです)。

奇妙な設定だからこそ、私たちが普段当たり前だと思い込んでいる
常識のおかしさを浮かび上がらせることができる。実にうまくできています。

幻想小説というのは、単純に現実ではあり得ない世界を描けば成立するものではありません。
そこには世界観がなくてはならない。
世界観とは、私たちの世界と地続きでありながら、私たちが気づかなかった
アナザーワールドを垣間見せてくれる作者の視点のことをいいます。

彩瀬さんの『くちなし』は、見事な世界観のもとに描かれた一冊です。
直木賞に幻想小説という取り合わせ。
なるほど、これも「あり」かもしれません。

投稿者 yomehon : 20:29

2018年01月03日

新年のご挨拶と直木賞

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

と、年始の挨拶をしているうちにやってくるのが直木賞。
第158回直木賞は、すでに以下の5作品が候補作として発表されています。

彩瀬まる 『くちなし』 (文藝春秋)

伊吹有喜 『彼方の友へ』 (実業之日本社)

門井慶喜 『銀河鉄道の父』 (講談社)

澤田瞳子 『火定』 (PHP研究所)

藤崎彩織 『ふたご』 (文藝春秋)

バンド「SEKAI NO OWARI」のSaoriこと藤崎彩織さんのデビュー作が
候補になったことがニュースになっていますが、
まず今回の候補作をみた第一印象は、「本命不在」でした。

もちろん各候補作が面白くないということではありません。
面白さの方向性がそれぞれ違っていて、なかなかこれといった作品に絞りづらいという意味です。

言葉を換えれば、これだけバラバラな小説を
「直木賞」の名のもとに候補作としてまとめてしまえるところに、
ブランドの威力というか、器の大きさを感じますね。
どれが受賞しても「直木賞らしい」と言えてしまうというのはやっぱり凄い。

さあ直木賞の歴史に新たに名を連ねるのはどの作品でしょうか。
次回から候補作をひとつずつ見ていきましょう。

投稿者 yomehon : 05:00

2017年12月15日

サル学が面白すぎるエンタメ小説に! 『Ank』


長いこと本を読んでいると、
小説は大体いくつかのパターンに分けられることがわかってきます。
かつてロシアのウラジーミル・プロップという人も
物語をいくつかの類型に分類しましたが(『昔話の形態学』など)、
世間に流通している小説のほとんどは、実は類型化が可能です。

でもごく稀に本当に独創的な作品と出合うことがあります。
本を読んでいてこれほど嬉しいことはありません。

幸運にもそんな小説に出合えた時は、脳みそは猛烈にフル回転することになります。
未知の物体を前に「これは何?」と懸命に分類を試みているのでしょうね。
見知らぬ出来事に遭遇したり初めての場所に行ったりすると
人間の脳は活性化するそうですが(池谷裕二『記憶力を強くする』など)、
独創性にあふれた作品を前にしただけでも脳は激しく喜ぶようです。

今年、佐藤究さんの『 Ank : a mirroring ape 』(講談社)と出合えたことは、
そんな滅多にない幸せな体験のひとつでした。

Ankは「アンク」と読みます。
2026年、京都で大規模な暴動が発生します。
人々が突然凶暴化し、肉親だろうが他人だろうが見境なく襲い掛かり
殺しあうという惨事が起きたのです。凶暴化するのに人種は関係なく、
日本人も外国人も等しく凶暴化し、獣のように近くにいる者を襲いました。

3万人を超える死者を出し、後に「キョート・ライオット(京都暴動)」と
呼ばれるようになる大惨事を引き起こしたのは、
ウイルスへの感染でも、テロリストが持ち込んだ化学兵器でもありませんでした。

「アンク」と名付けられた一匹のチンパンジーが原因だったのです。

どうですか?ここまでの説明だけでも、
ストーリーがオリジナリティあふれるものであることがわかるでしょう。
誤解していただきたくないのは、この作者は、
ただふざけた妄想にまかせて荒唐無稽なストーリーを語っているのではないこと。
ちゃんとした学問的な根拠に基づいて物語が構築されていることです。

ここでちょっと話題を変えて、
日本が世界をリードしている分野の話をしましょう。

いまニュースで、丹沢山系から里に降りてきたサルが各地で目撃されて話題に
なっていますが、このサルの研究で日本は世界を圧倒的にリードしているのです。
サルといっても日本猿だけではありません。チンパンジーやゴリラなども含んだ
霊長類の研究で、日本は世界をあっと言わせるような数々の成果をあげてきました。

立花隆さんの名著にちなんで「サル学」と呼ぶことにしますが、
今西錦司というユニークな学者が生み出したサル学は、
今西がつくった京都大学霊長類研究所を拠点に世界へとフィールドを拡げ、
伊谷純一郎や松沢哲郎といった世界的な研究者を輩出してきました。

ちなみに現在の京都大学の学長の山極寿一さんもゴリラの研究者で、
ゴリラの社会に同性愛があることを発見して世界に衝撃を与えました。
このように、日本のサル学が世界に与えた影響は計り知れません。
ヒトはどうやってサルから進化したのか、ヒトとサルを分かつものは何か、
日本のサル学は人類の進化の謎の解明に多大な貢献を行ってきたのです。

サル学は面白すぎて話し始めるとキリがないのでこのへんで止めますが、
実はこの『Ank 』のストーリーには、
日本のサル学の学問的成果が反映されています。
京都暴動を引き起こしたアンクは、
人類の進化の謎を解く鍵を握るチンパンジーでした。
進化の謎を解く鍵とは果たして何なのか。

本書には、サル学や進化論やゲノムの話などが出てきますが心配ご無用。
それらの予備知識がなくても不自由なく読み進めることができます。
京都暴動の謎解きも違和感なく「なるほど!」と思えるものだし、
サル学が牽強付会に、あるいはご都合主義的にストーリー展開に
利用されているようなところも一切ありません。
作者はアカデミズムの成果をもとに、
きわめて面白い物語を作り上げることに成功しています。

ちなみに「アンク」というのは、古代エジプトで「鏡」を意味した言葉だそうです。
作者が独創的なのは、人類の進化の謎を解く鍵として、
サル学の成果に加えて「鏡」のアイデアを持ってきたことでしょう。

「鏡」が人類の進化とどう関わるのかは本書を読んでのお楽しみ。
ヒントはフランスの精神分析家ジャック・ラカンとだけ申し上げておきましょう。
ラカンの名前を出すと、鏡が何を指すか
わかる人にはわかってしまうかもしれませんが。

ともかく本書は今年最大の知的興奮を与えてくれた小説でした。
映像化は不可能でしょうが(なにしろ金閣寺などで人が殺しあうのですから)、
この作品も世界水準のエンターテイメントであることは間違いありません。

投稿者 yomehon : 05:00

2017年12月11日

リンカーン・ライム・シリーズ最新作!『スティール・キス』


先日、宮部みゆきさんの作家生活30周年について触れましたが、
ジェフリー・ディーヴァーの新作『スティール・キス』(文藝春秋)で、
池田真紀子さんの「訳者あとがき」を読んでいたら、
リンカーン・ライム・シリーズは、
1997年に第一作の『ボーン・コレクター』が刊行されて
今年で20年とあって(ただし邦訳刊行は99年)、
こちらもずいぶん長い付き合いになるのだなぁと感慨深いものがありました。

JDの作品はこのところライム・シリーズとキャサリン・ダンス・シリーズ
交互に出版されています。英語圏でないにもかかわらず、毎年のように
JDの新作が読めるのは、本好きにとってとても恵まれた環境。
翻訳者の池田さんにはいくら感謝しても足りません。

さて、ディーヴァーの代名詞といえば、あっと驚く「どんでん返し」ですが、
最新のテクノロジーやカルチャーを作品の中心テーマに持ってくるのも
特色のひとつ。

四肢麻痺の科学捜査官リンカーン・ライムと
恋人の刑事アメリア・サックスが活躍するライム・シリーズでは、
これまでビッグ・データやスマート・グリッド、ドローンなどといった
その時々での最新のトレンドが扱われてきました。
シリーズ12作目の本作では「IoT」、
いわゆる「モノのインターネット」がテーマとなります。

すべてのモノがインターネットを介してつながるIoT (Internet of Things)は、
これから新たなインフラになるのではと期待されていますが、
本作に登場するのは、この便利なシステムの盲点を突く凶悪犯です。

殺人事件の容疑者を追ってショッピングモールに足を踏み入れた
サックスの目の前で発生したエスカレーター事故。
乗降板が突如外れ、内部に落ちた男性がモーターに挟まれてしまったのです。
体を切断される壮絶な苦しみの中、
意識を失っていく男性の救出を試みたサックスは、
容疑者の追跡中断を余技なくされます。

本作でまず驚かされるのは、ライムとサックスがコンビを解消していること。
ある事件をきっかけにライムがニューヨーク市警の顧問から引退することを
決意したためで、これまで動けないライムに代わって
現場で目となり足となってきたサックスは、
ひとりで容疑者<未詳40号>を追うことになります。

一方、ライムは、エスカレーター事故で死亡した男性の妻から
民事訴訟のための協力を依頼され、事故の調査に乗り出します。

相変わらず見事なのは、サックスとライムが別々に追っていた事件が
思わぬかたちで合流し、さらにとんでもない事件の構図が姿を現すこと。
しかもそれだけでは終わらせないのが
ディーヴァーがどんでん返しの魔術師たるゆえんで、
決着したかに思われた事件は、ある仕掛けによって、
最後にオセロの石が一挙に裏返るような鮮やかな転換を見せるのです。

本作ではこの他にも、ライムとサックスの仲間のひとりが不審な動きをしていたり、
サックスのかつての恋人が現れたりと、いつにも増して脇筋が賑やか。
しかもこれらのサイドストーリーがすべて違和感なく回収され、
読者が「なるほど!」と納得できるところへ収まるのですからたいしたものです。
まるで熟練の手品師の技を目の当たりにしているかのよう。

また本作では新たに車椅子の元疫学者
ジュリエット・アーチャーがライムの助手として登場します。
シリーズ12作目にしてさらに魅力的なキャラクターが加わったことも
ファンにとっては思いがけず嬉しいプレゼントでした。

ディーヴァーは本作で、身近にある商品が凶器へと変わる恐ろしさを描きつつ、
さらにその奥にある巨悪の姿をも描こうとしています。
それは、商品に欠陥があると知りつつ、その事実を放置するメーカーの姿勢。
人を傷つけたり命を奪ったりする瑕疵があると知りながら、
ビジネスを優先してそれを放置する。そのような不誠実なメーカーの姿勢のために
どれほどの不利益を社会が被るかということもディーヴァーは描こうとしています。

ストーリーが抜群に面白いことはもちろん、
日本企業の不正が相次ぐタイミングだからこそ、ぜひ読んでいただきたい作品です。

投稿者 yomehon : 05:00

2017年12月07日

世界水準のエンタメ 『機龍警察 狼眼殺手』


最近、エンタメ系の小説を評価しようとする際の個人的な基準が新たにできました。
それは、「Netflixでドラマ化できるかどうか」というもの。

Netflixのオリジナルドラマをご覧になったことはありますか?
観たことのある人には同意していただけると思いますが、
はっきり言って、予算のかけ方から脚本の完成度に至るまで、
日本のドラマが太刀打ちできないような高いレベルですよね。

政治をめぐる重厚な人間ドラマに釘付けにされる『ハウス・オブ・カード』、
コロンビアの麻薬カルテルを描くギャングスター・ドラマの傑作『ナルコス』
スティーヴン・キングばりのホラー『ストレンジャー・シングス』などなど、
どれもいちどハマると日本のドラマに戻れなくなってしまうような面白さ。

このNetflixオリジナルドラマを世界水準として、
それと同じ水準で勝負できるかどうかを作品評価のものさしにするというわけです。

月村了衛さんの『機龍警察』シリーズは、
世界レベルでも楽々通用するであろう数少ない日本のエンタメ作品のひとつ。

舞台は近未来よりももっと近い至近未来。
この時代は機甲装兵という人が搭乗して操縦する
一種のパワードスーツが戦場などで使われるようになっています。
この機甲装兵の最新鋭機が「龍機兵(ドラグーン)で、警視庁の特捜部に導入されています。

龍機兵は機甲兵装と違って誰でも操縦できるわけではなく、
機体に装着された「龍骨」と搭乗者の脊髄に埋め込まれた「龍髭(ウィスカー)」とを
量子的に結合させます。つまり龍機兵は選ばれた人間しか乗れないわけです。

警視庁には3人の搭乗要員がいます。
元傭兵の姿俊之、モスクワ民警を追われた過去を持つ元刑事のユーリー・オズノフ、
IRA(アイルランド共和軍暫定派)の流れを汲むテロ集団IRFに所属していた
元テロリストのライザ・ガードナー。

3人が外部から雇われた部外者であること、
また龍機兵が機密だらけであることなどから、
特捜部の存在じたいが警視庁の中で疎まれ反発されています。

龍機兵をめぐる謎や一筋縄ではいかない特捜部メンバーの過去、
警察組織内の軋轢、スケールの大きな国際犯罪を描いてきた本シリーズは、
SF小説やハードボイルド、冒険小説や警察小説などの要素をあわせ持った
まさに世界水準の傑作といえます。

さて、シリーズ最新作の『機龍警察 狼眼殺手』(早川書房)は、
横浜・中華街で香港の多国籍企業フォン・コーポレーションの関係者ら5人が
何者かに暗殺されるところから幕を開けます。現場に残されていたカトリックの護符、
捜査の過程で浮かび上がる経済産業省とフォン・コーポレーションが進める
プロジェクト、そして「狼眼殺手」と呼ばれる正体不明の暗殺者の存在――。
今回もむちゃくちゃ面白い物語が展開されます。

経産省とフォン・コーポレーションのプロジェクトは疑獄事件の様相も呈し、
今回から新たに経済犯罪捜査のスペシャリストが登場します。
この新キャラクターは今後もシリーズで重要な役割を果たしそうな予感。
またこのプロジェクトは龍機兵の謎と深く関係することでもあるため、
特捜部長・沖津旬一郎と警察内部にいると思われる「敵」との抗争も一段とヒートアップします。

現代社会はますます複雑さを増し、
ひとりの人間が全体を見渡すことはなかなか困難になっています。
大きな物語を書くことが一段と難しい世の中になっていますが、
そんな中で、この「機龍警察」シリーズのスケールの大きさは極めて貴重です。

今年出たミステリー小説の中では、本作がナンバーワンではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 05:00

2017年12月04日

作家生活30周年記念作品 『この世の春』


同時代の作家の作品を、デビュー作からずっとリアルタイムで
追いかけることができるというのは、とても贅沢な読書体験です。
宮部みゆきさんもそんな作家のひとりですが、「作家生活30周年」などと聞くと、
そんなに長いお付き合いになるのかと実に感慨深いものがあります。

そんな作家生活30周年のメモリアル作品として刊行された
『この世の春』 (新潮社)は、素晴らしい傑作です。
一見すると時代小説ですが、サイコスリラーの要素もミステリーの要素も入っている。
あらゆるエンターテイメント小説の技術の粋を尽くして書かれた贅沢な一冊なのです。

物語の舞台は下野国(いまの栃木県)にある北見藩。
この北見藩で、美貌の青年藩主・重興が、「病重篤」を理由に
重臣たちによって強制的に隠居させられるという政変が起こります。
これは「主君押込(しゅくんおしこめ)」と呼ばれる一種のクーデターで、
通常は極端な放蕩や大酒、あるいは行過ぎた専制(今の言葉でいえば、
身代を棒に振るほどの浪費やアルコール依存、パワハラ)などに対して、
御家の存続がなによりも大切と考える家臣たちがとる最後の手段でした。
(詳しくは笠原和比古さんの『主君「押込」の構造』などを読んでみてください)

要するに主君押込自体がかなりの異常事態、緊急事態なわけです。
重興の場合は、政務の間に突然、心ここにあらずといったかのようにぼうっとしたり、
不可解なことを口走ったりするようになったため、
心が壊れたとして藩主の座を追われたのです。
それからは奇妙なことが起きるようになりました。
重興が幽閉された座敷牢からは、夜な夜な奇妙な声が聞こえてきます。
それは時に子どもの声だったり、あるいは女の声だったりもして、
人々は、藩主は死霊に取り憑かれたのではないかと噂しました。

藩の作事方(土木工事などを担当する役目)の家に生まれた多紀は、
思いがけずこの政変に巻き込まれます。

物語は、多紀が元家老の織部や医師の白田、五香苑の人びととともに、
重興を救うために奔走する姿を描きます。
ここに、死者の魂を呼び出す「御霊繰(みたまくり)」の技の使い手とされる
いまは亡き多紀の母の一族との因縁や、
かつて藩で頻発していた男児失踪事件の謎などがからみ、
読み始めたらノンストップのストーリーが展開されます。

実に見事なのは、精神医学もないこの時代に(フロイトが『夢判断』
発表したのは1900年。この物語が幕を開けるのは1710年の宝永7年)、
多紀たちが重興の奇妙な症状の謎を自力で解き明かしていくところ。

それもわが国古来の伝統である「怨霊」のような概念に拠ることなく、
「科学的」に解明していくところが素晴らしいのです。

安っぽい小説やドラマでは、安易に「トラウマ」などを持ち出して
謎解きの辻褄をあわせるのに使ったりしがちですが、
宮部さんはそういった便利な(でも手垢に塗れた)言葉を一切使うことなく、
登場人物たちが目の前の事象について懸命に考え抜き、
重興の内側で何が起きているかを少しずつ解き明かしていく様子を通じて、
わたしたちに大切なことを気づかせてくれます。

なんというか、ガリレオでもニュートンでもいいですけど、
歴史上の偉大な発見をした人びとというのは、
きっとこんな風に、なんの手がかりもないところから、
手持ちの知識をもとに自分の頭で考え続けて真理に辿りついたんでしょうね。
この作品にはそんなスリリングな思考のプロセスを
目の当たりにしているかのような面白さもあります。

本書で扱われる人間の心の暗部は、重いテーマではありますが、
現代社会で大きな問題となっていることでもあります。
江戸時代を舞台としながら本書はまさに現代を描いているのです。

また重苦しいテーマを扱っていながら、とても面白く読めるのは、
それこそが作者の30年にわたる作家生活の中で培われた技術のたまものなのでしょう。
ぜひこの超一流の技術を堪能してください。

「この世の春」という一見、テーマと似つかわしくないようなタイトルの謎も
最後には解き明かされます。

その謎が解き明かされた時、
この作品はあなたに、
暗雲たれこめる冬空から射す
暖かな一条の光のような感動を与えてくれることでしょう。

投稿者 yomehon : 05:00

2017年12月01日

知られざるスパイハンターの戦いを描く 『スリーパー』


先日オンエアされた『アメトーーク』の読書芸人特集では
「今年読んだ好きな本」という切り口で本が紹介されていましたが、
そろそろ当欄でも個人的に今年面白かった本を紹介していきましょう。

ミステリー&サスペンス小説のジャンルでむちゃくちゃ面白かったのが
『スリーパー 浸透工作員 警視庁公安部外事二課』竹内明(講談社)です。

竹内明さんはTBSの記者。今年3月まで夕方のニュース番組「Nスタ」の
キャスターを務めていたと聞けば、「えっ!?あの人が小説を書いたの?」と
びっくりされる方もいらっしゃるかもしれませんね。

竹内さんは報道記者として国際諜報戦、平たくいえばスパイの暗闘について
長く取材されている方で、彼が手掛ける公安小説は、実は本読みのあいだでは
高く評価されているのです。

警視庁で「カウンターエスピオナージ(防諜)」の役割を担うのは
公安部の外事課というところになります。
防諜というのは、外国のスパイを摘発したりスパイ行為を未然に防いだりすること。
かつてロシアの情報機関の人間に、防衛大出のエリート海上自衛官が
資料を流していたとして摘発された事件がありましたが、
スパイとの攻防は水面下で日々行われている現実の話なのです。

竹内さんにはこの事件の内幕を描いた
『秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの真実』(講談社文庫)という
とても面白いノンフィクション作品もありますが、
なんといってもおススメは、スパイハンターの筒見慶太郎を主人公とした小説です。

ほとんどの人にとって公安警察というのは馴染みがありません。
公安自体が極端な秘密主義で、その内側がうかがい知れないことや、
戦前の特高警察の苛烈な思想弾圧などのイメージもあって、
むしろ不気味なイメージを抱いている人も少なくないかもしれません。

公安の取材を重ねる中で、おそらく竹内さんはどこかで
現場で頑張っている捜査員たちの息遣いを伝えたいと思ったのではないでしょうか。
それにはまさにフィクションという形式がうってつけだったのです。

筒見慶太郎シリーズの入門編としては、
『ソトニ 警視庁公安部外事二課』(講談社プラスα文庫)がおススメ。
中国の諜報機関である国家安全部の工作員と、
警察に潜り込んだ「潜入者(モグラと呼ばれます)」の罠にかかって公安部を追われ、
ニューヨークの日本総領事館に左遷されていた筒見が、
現地で外務大臣毒殺未遂事件に遭遇したのをきっかけにふたたび戦線に復帰し、
中国のスパイたちと戦うというストーリーです。

この作品の中で「背乗り(はいのり)」という言葉が出てきます。
これは行方不明者の戸籍などを利用してその人物になりすますこと。
スパイが使う常套手段です。

『スリーパー』で描かれるのは、北朝鮮の潜入工作員との攻防。
相変わらず海外をたらい回しされている筒見は、
今回はバングラデシュの日本国大使館警備対策官として登場します。
現地で日本人の有名俳優の惨たらしい殺人事件に巻き込まれた筒見は、
事件を追いかける中で、日本人に背乗りした北朝鮮潜入工作員の存在を突き止めます。

このシリーズの面白さは、
筒見とともに戦う部下たちのキャラが立っていること、
そしてなんといっても作中で紹介される
数々のスパイの手口や公安の捜査手法でしょう。

機密書類などをすれ違いざまに手渡すフラッシュ・コンタクトや、
あらかじめ決められた公園のベンチの下などにぶら下げておく
デッド・ドロップと呼ばれる手法、また彼らをマークし追尾する
公安捜査員たちの目を見張るような尾行技術などが詳しく描かれます。

また本シリーズの魅力は、
筒見慶太郎という凄腕のスパイハンターの陰影に富んだ人物造型にもあります。
彼には幼い息子を事故で喪った過去があり(事故ではないのでは?という疑惑も
あるのですが)、その不幸な出来事によって妻や娘とも別れることになるのです。
とてつもない喪失感を抱えたままスパイとの壮絶な闘いを繰り広げる筒見は、
これまでのミステリー小説にはなかったタイプのダーク・ヒーローです。

殺人などの凶悪事件を手掛ける刑事部に比べて、
公安を舞台にした小説というのは数えるほどしかありません。
そんな中で、詳細な取材に基づいて書かれたこの外事二課(ソトニ)シリーズは、
ぼくたちに国際諜報戦の内側を教えてくれるきわめて貴重な作品なのです。

投稿者 yomehon : 06:30

2017年11月20日

幕末維新を新しい視点で描く 『西郷の首』

来年の大河ドラマは西郷隆盛が主人公とあってか、
いま書店にはずらりと西郷本が並んでいます。
そんな一連の西郷本と一緒に棚に並べられているのを見て、
思わず「それ違う!」と声をあげてしまった一冊をご紹介いたしましょう。

『西郷の首』伊東潤(KADOKAWA)がそれ。
だってこの作品、「西郷の首」とタイトルがついていながら、
西郷が登場する場面はほんのわずかなのですから。

歴史小説を舞台に活躍する伊東潤さんといえば、
いまもっとも直木賞に近い作家といえるでしょう。
この『西郷の首』は、タイトルからは想像できないかもしれませんが、
加賀前田藩からみた明治維新を描いた作品なのです。
これまでにない角度から幕末維新の時代を描こうと試みた意欲作です。

主人公は、
島田一郎朝勇と千田文次郎登文というふたりの若者。
ふたりとも足軽身分の侍です。

幕末・明治維新を描いた作品は数あれど、
加賀前田藩をもってきたところがまず独創的です。
というのも、加賀前田藩というのは、
幕末維新においてどっちつかずの態度をとり続け、
あげく維新後の流れにも乗り遅れてしまった藩なのです。

でも特定の流れに与さなかったからこそ見えてくるものがあります。
少し外れたところにいたからこそ、客観的に幕末期の混乱を見ることができる。
加賀前田藩を通して見ることで、この作品は、
これまでにない視点で幕末を描くことに成功しています。

そしてそんな中途半端な態度の藩だからこそ、主人公のキャラクターが際立つ。
島田一郎は、若さゆえの性急さで、自分も何かしなければといつも焦っています。
その思いはやがて自らも革命に身を投じたいという熱い思いへと育っていきます。
何も持たない若者が、何事かをなしたいという気持ちだけを燃え上がらせていく。
このあたりは現代でいえばテロ活動に身を投じてしまう若者のようです。

一方の文次郎は冷静で、常に一郎を諌める役目。
理想主義の一郎に比べ、文次郎は地に足のついたリアリストです。

ふたりは幼い頃からの親友でしたが、やがて進む道が分かれます。
「侍の時代」の終焉と近代国家のはじまりをそれぞれ体現するように、
まったく別の道へと分かれるのです。

そして一方の明治政府の中でも対立と離反が生じます。
大久保利通と対立した西郷は西南戦争へと突き進み城山で自害します。
そして西郷亡き後、大久保利通もまた暗殺されてしまうのです。

この西郷と大久保の死に、一郎と文次郎はそれぞれ深く関わることになるのですが、
ここに至る長い紆余曲折が本書の読みどころです。
この紆余曲折がすなわち近代国家の誕生をめぐる混乱そのものでもあるからです。

手垢に塗れた幕末・明治維新というテーマについて、
まだこんな描き方があったのかと思わされたことへの新鮮な驚き。
そして歴史の流れに翻弄される人間の哀しさと、
それでも精一杯生きようとする人々の気高さとを味あわせてくれた一冊でした。

ただ、歴史という大きなものを描こうとしているせいか、
伊東作品にしては人間の姿が時に小さく思えるときもありました。
でもそれでもこの果敢な挑戦は買いたいと思います。

著者が直木賞を受賞する前に読んでおいたほうがいいかもしれない一作です。

投稿者 yomehon : 05:00

2017年11月16日

作家の想像力の凄さ 『ヒストリア』


物語が作家の想像力から生みだされるものであるならば、
これ以上ないというくらい自由に想像力を羽ばたかせた物語を読んでみたい。
「よくこんなこと考えつくなー」となかば呆れてしまうくらいに
壮大な法螺話を読んでみたい。小説好きなら誰もがそう願うはずです。

いまもっとも自由奔放に物語を紡ぎだす作家いえば、
池上永一さんをおいて他にありません。

このほど第8回山田風太郎賞を受賞した
『ヒストリア』のストーリーはなにしろぶっ飛んでいます。

1945年の沖縄戦で、住んでいた村も家族も失った美少女・知花煉が主人公。
彼女は米軍の爆撃に遭う中で、自分のマブイ(魂)を落としてしまいます。
戦後の沖縄で商売が成功するも、裏切りにあい逃亡の身となった煉は、
移民船に潜り込みボリビアへと向かいます。

ところが楽園を想像していたボリビアでの移民の生活は過酷なものでした。
与えられた土地は未開拓で、やっと作物ができたと思ったら、
河の氾濫ですべて流されてしまいます。
しかし煉は持ち前の頭の良さと度胸で、ここでも成り上がっていきます。

ラテンアメリカ文学には、シュルレアリスムの影響を受けて生まれた
「魔術的リアリズム」と呼ばれる一群の作品がありますが(このあたりの歴史は
『ラテンアメリカ文学入門』という素晴らしい本が中公新書から出ていますからぜひお読みください)、
この『ヒストリア』もまさにそういった文学の系列に連なるような作品です。
なにしろ煉が落としたマブイは、煉の知らないところでいろいろな騒動を引き起こすのですから。

プロレスのリングに上がったかと思えば、若きチェ・ゲバラと恋に落ちゲリラ戦に参加し、
キューバ革命に立ち会ったかと思えば、キューバ危機で世界を救う働きをする煉。
そして終戦から27年後の沖縄本土復帰後、煉はふたたび故郷の地を踏むのでした。
自分が落としたマブイを取り戻すために――。

沖縄やボリビアの現代史はもちろん、その間の世界情勢なども材料としてぶち込んで、
作者の想像力でこれでもかと攪拌して美味しいジュースにしてみせたような作品です。

ファンタジーの要素もあわせもち、ぐいぐいと面白く読める作品ですが、
実は煉の人生はずっと戦争とともにあります。この小説には反戦小説としての顔もあるんです。

反戦小説といっても決してイデオロギッシュなものではありません。
左だとか右だとかといった立場には到底おさまりきらない、
もっと大きな、神話的な時間とでも呼びたくなるような壮大な時の流れの中で
戦争を見つめているようなところが、この小説にはあります。
そこがこの作品を読んでいちばん圧倒させられたところです。

それにしてもここまでスケールの大きな物語を思いつく作家の頭の中は、
いったいどうなっているのでしょうか。
スマートだけれど、こぢんまりとした作品しか書けない作家が世に溢れる中、
池上永一の突き抜けっぷりは、いっそ清々しいくらいです。

壮大な法螺話に身を委ねるうちに、
戦後史のひとつの姿が浮かび上がってくることにも気づかされる。
ここには人類の愚かな行為も、人間にしか見せることの出来ない勇気も、
すべてが書かれています。

いやはや凄い小説を読まされてしまった。
池上さんの想像力に脱帽です。

投稿者 yomehon : 21:00

2017年11月06日

権力とジャーナリズム 『トップリーグ』


「事実は小説より奇なり」という言葉があります。
一見、事実とフィクションは対立するもののように思われがちですが、
むしろ事実に小説家の手が加わることで、
より事柄の真実が伝わるということだってあるのです。

相場英雄さんの小説がまさにそうです。
これまで食品偽装や労働者派遣法、企業の不適切会計の問題などを
扱ってきましたが、どれも重厚なストーリーでずっしりと心に残る作品ばかりでした。

ニュースの裏側を知り尽くした元新聞記者ならではの着眼点と、
巧みなストーリーテリングを武器に、
新しい社会派小説のジャンルを切り拓きつつある作家であるといえるでしょう。

そんないま注目の作家が次に目をつけたのは、ジャーナリズムの世界でした。
書名にある「トップリーグ」というのは、総理大臣や官房長官などの
政権幹部に食い込んだごく一部のスター記者たちのことを指します。

そんなグループほんとにあるの?と思う人もいるかもしれませんが、
実はあるんです。実際は「トップグループ」と呼ばれますが。

そういう記者は政権幹部との距離の近さを利用してしばしばスクープを飛ばします。
ただその一方で、単に政権幹部に気に入られただけじゃないかという見方もできます。

例えば、わざわざ読むほどではないので書名はあげませんが、
数年前にトップグループに属するあるジャーナリストが本を出したことがありました。

その本のあとがきだったと思いますが、
このジャーナリストは、政権との距離の近さを批判する人たちに対して、
スイカを例にあげながら奇妙な反論を試みていました。
つまりスイカの色や甘さは外側からではわからない。
実際に食べて感じた甘さまで書いてはじめてジャーナリズムと言える、
というようなことがそこには書かれていました。
政権の内側に入り込んでみないと見えないことがあるのだ、と言いたいのでしょうね。

ところが本を読んでみると、このジャーナリストがやっていることといえば、
内閣の人事案をある大臣に託されて総理の自宅まで届けにいっただとか、
そういったことだったりします。
この方にとってはインサイダーであることが誇らしくてたまらないようですが、
本を読む限りでは政治家にうまく利用されているだけにしか見えませんでした。

ジャーナリストにとって権力との距離のとり方というのは実に難しいものです。

本書の主人公のひとり、大和新聞の松岡直樹はある日、
経済部から畑違いの政治部への異動を命じられますが、
官房長官の記者会見である質問をしたことをきっかけに、
思いがけずトップリーグの記者たちの仲間入りをすることになります。
この松岡の目を通してみた政治とジャーナリズムとの関わりが読みどころのひとつ。

これに加えて、本書のもうひとりの主人公である週刊新時代の記者・酒井祐治が
追いかける謎が、この小説のさらなる読みどころのひとつです。
酒井が追いかけるのは、オリンピックに向けた開発が進む臨海地区の
工事現場から現金1億5千万円が入った金庫が発見されたというニュース。
酒井はかつて大和新聞で松岡と同期で、政治部のエースと呼ばれた男でした。

謎を追ううちに酒井は、昭和史に残る一大疑獄事件との関わりをつかみます。
政界の深い闇に記者が斬り込んだとき、はたして権力の側はどう動くのか。
いまでも新聞社の花形部署で活躍する男と、
泥臭い週刊誌の現場に戦いの場を移した男、
このふたりにとってジャーナリストの矜持とは何か。
これまでの作品同様、今回も重い問いを読者に突きつけてくる作品です。

個人的には謎の真相よりも、
本章で描かれるジャーナリズムの問題点の数々のほうが興味深かったです。

例えば政治記者の間では「あわせ」という作業がごく普通に行われています。
政治家へのぶらさがりなどの後に、みんなでメモの内容をすり合わせるのです。
政治家の言葉を間違えないために確認しているのだといえば聞えはいいけれど、
裏を返せば他社の抜け駆けを排除するための馴れ合いともとれます。

また官房長官などの記者会見などでいまやお馴染みの光景となりましたが、
あそこに座っている記者は、官房長官が話しているときに、その顔をみることなく
ただひたすらパソコンのキーを叩いています。
官房長官談話をいち早く記事にして配信するためといえば
これも聞えはいいけれど、これでは記者の質問に対する官房長官の
ちょっとした表情の変化などは見逃してしまうことになるのではないでしょうか。

作者は元新聞記者の経験をもとに、
そうしたちょっとした事柄をもとに、
現在のジャーナリズムの足腰が
どれだけ鍛えられているだろうかと問いを突きつけてきます。
残念ながらその問いに対する答えは、あまりポジティブなものとは言えません。

記者の世界ではともすれば速報性ばかりが優先されがちですが、
言うまでもなくただ伝えるだけがジャーナリズムの役割ではありません。
大切なことは、権力の側に対して「それ、おかしいんじゃないですか」と言えることです。
ジャーナリズムに課せられたもっとも重要な使命は、
権力に対するチェック機能なのですから。

本書の登場人物からは、どれも実在の人物を容易に想像できます。
それゆえに読んでいると、権力者が追い詰められた時に
どんな行動に出るかを想像して、ちょっと空恐ろしくなるかもしれません。

さて、政権にとって命とりになるような情報を手にした主人公たちは
果たしてどんな決断を下すのでしょうか。それは本書を読んでのお楽しみ。

ジャーナリズムにわずかに残された希望と、
権力者の狡猾さや恐ろしさをまざまざと見せつけてくれる好著です。

投稿者 yomehon : 23:00

2017年10月30日

カズオ・イシグロ入門


今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロ氏が受賞しましたね。
このニュースをきっかけに、「読んでみたいんだけど何を読めばいい?」と
何人かから訊かれましたので、あらためておススメ作品を紹介したいと思います。

初めて読む人におススメのイシグロ作品は、
なんといっても『わたしを離さないで』土屋政雄・訳(ハヤカワepi文庫)でしょう。

この作品は以前、文化放送の広報誌『fukumimi』でも取り上げたことがありますが、
まだ発売されたばかりだったし、とにかく少しでもネタバレを避けなくてはと、
ストーリーを紹介するのにとても苦労した記憶があります。
あれからテレビドラマ化もされるなど、ずいぶんメジャーな作品になりましたので、
当時よりは多少ネタバレをしても許されるでしょう。

この小説は、他人に臓器を提供するための
クローン人間として生まれた若者たちの物語です。

物語の語り手はキャシー・Hという女性。
彼女は介護人として「提供者」と呼ばれる人々の世話をしています。
優秀な介護人として働きながら、彼女は自らが育ったヘールシャムという
全寮制の施設のことを思い出しています。
寄宿生活を送りながら友情を育んだルースやトミーといった友人たち。
自分と同じ「提供者」の境遇にある彼らとのかけがえのない思い出。

ここで描かれるのは、未来がないことがあらかじめ運命付けられた人生。
未来に希望が見出せない子どもたちの物語です。

読後感はとても苦く、物悲しいものがあります。
発表当時もかなりのインパクトがあった作品ですが、
むしろこれだけ格差が拡大し、貧困家庭も増えている現在ほうが
この作品が読まれる意味があるかもしれません。

カズオ・イシグロ作品の大きな特色は、「日常の中で感じるふとした哀しみ」を描いていること。
日本語には「もののあわれ」というまさにぴったりの言葉がありますが、
こうした日常の中で心に浮かぶ繊細な感覚を掬い上げるのが非常に上手い作家です。

「もののあわれ」などというと、日本文化に特有の感性のように思えますが、
たとえばポルトガル語にはSaudade(サウダージ)という言葉があります。
以前、紹介した『翻訳できない世界の言葉』では、
「心の中になんとなくずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望や、
または、愛し失った人やものへの郷愁」と訳されていますが、
カズオ・イシグロ作品がこれだけ広く読まれていることを考えると、
「もののあわれ」的な感性は世界中の人が共感できるものなのでしょうね。

子どもの頃、「わたしを離さないで」という曲が気に入っていたキャシーが、
後年その曲が入っていたカセットテープと再会する場面があります。
その場面の切なさといったらありません。

理不尽な人生を強いられた人間の存在意義はどこにあるか。

そんな難しいテーマを、これほどまでの美しく悲しい物語の中で描き出した
カズオ・イシグロは、やはり現代を代表する超一流の作家なのです。

投稿者 yomehon : 05:00