2017年01月19日

直木賞予想は恩田陸さん!


本日、『福井謙二グッモニ』の中で第156回直木賞の受賞作を予想いたしました。

今回の直木賞は、
恩田陸さんの 『蜜蜂と遠雷』で決まり!!

対抗なし、本命一本の予想です。

コーナーの最後に、福井さんから芥川賞についても訊かれたので、
こちらは山下澄人さんの『しんせかい』(新潮社)を挙げておきました。

選考委員会はきょうの午後5時から開かれます。

投稿者 yomehon : 09:00

2017年01月17日

第156回直木賞直前予想(5) 『夜行』


最後の候補作、森見登美彦さんの『夜行』にまいりましょう。

これは現代の怪談ですね。
ホラーではなく、怪談。

学生時代に英会話スクールのメンバー6人で鞍馬の火祭を観にいった帰りに、
そのうちのひとりである長谷川さんという女性が行方不明になります。

十年後にメンバーが再会し、ひょんなことから5人全員が
旅先で岸田道生という銅版画家の手になる「夜行」という連作に出合っていたことが判明します。
尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡……それぞれが体験を打ち明けるうちに、
各人の体験はすべて「夜行」の作品世界と繋がっていることがわかってきます。
そして最後に「私」の物語が語られる中で、さらに不気味なことが起きるのです……。


それぞれの「夜行」との関わりが連作短編形式で語られていくわけですが、
実はこの作品、ストーリーがどうこうという作品ではありません。
というと伝わりづらいかもしれませんが……。
つまり長谷川さんが消えた謎の解明といったストーリはさして重要ではなくて、
それよりもむしろ作品に漂う不気味さ、不穏な雰囲気、その手触りを感じて欲しい作品なのです。


こうした雰囲気や手触りを味わう趣向は、やはり日本の怪談ならではという感じがします。

欧米のホラーなんかだと、「実は多重人格でこうなった」とか
「ひどい育ち方をした結果こうなった」とか、
わりと種明かしをしておしまい、というケースが多いんですが、
これが怪談だと、友だちが路地を曲がった途端、ふいにいなくなってしまうとか、
そういう暗がりにふっと姿が消えてそのままになってしまうような独特の怖さがあります。

本書もそういう怪談特有の論理的ではない怖さというか、
感覚に訴えかけてくる怖さみたいなものがよく描けていると思います。

そしてあまり詳しくは書けないのですが、
最後に「向こう側」(夜の世界)とこちら側をつなぐような仕掛けもあったりして、
不気味なトーンの中にもちょっとした希望や救いも描かれています。

森見さんはとても器用な作家ですが、
こういった怪談も書けるのだということを本書であらためて知らしめてくれました。

連作短編というのはわりと直木賞が好むパターンではありますが、
この手の感覚に訴えるような作品が果たしてどう評価されるでしょうか。


ということで、各候補作をみてまいりました。
受賞作品の予想は、1月19日(木)の『福井謙二グッモニ』
「グッモニ文化部 エンタメいまのうち」のコーナーで行います。
今回の受賞作は「あれ」しかありません!!
お楽しみに!!

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月16日

第156回直木賞直前予想(4) 『また、桜の国で』


続いては、須賀しのぶさんの 『また、桜の国で』です。

須賀さんはもともとコバルト文庫でティーン向けの小説を書いていた方ですが、
近年読み応えのある歴史小説を次々発表して注目されています。

本作で舞台となるのは、第二次大戦間近のポーランド。

日本ではあまり知られていませんが、
ポーランドはナチスドイツに対して最後まで抵抗を続けた国なのです。
ナチスに占領された後も「ワルシャワ蜂起」と呼ばれる武装蜂起を起こし、
多くのポーランド国民が命を落としています。


物語の主人公は、ロシア人の父を持つ外交官・棚倉慎。

ワルシャワの日本大使館に書記生として赴任した彼は、
ナチス・ドイツの影が忍び寄る中、ポーランドの人々との間に強固な信頼関係を築き上げます。

でも現実は非情です。
やがてナチスによってワルシャワは蹂躙され、政府は亡命を余儀なくされます。
そしてポーランドは地図上から姿を消してしまうのです。

そのような絶望的な状況の中、慎は外交官として、日本人として戦い続けます。
そして「ワルシャワ蜂起」を前に、慎はある決断を下すのでした……。


この重厚な物語には、いくつものテーマが詰め込まれています。
そのひとつが「アイデンティティの問題」。

慎自身が父から受け継いだスラブ系の容姿のせいで疎外感を覚えながら育ってきたし、
ユダヤ系のポーランド人ヤンや、敵国人でありながら慎と行動をともにするレイなど、
本書には複雑なバックボーンを抱えた人物が登場します。
そこではしばしば「国家とは、民族とは何か」という問いが発せられます。

「外交とは何か」というのも本書が突きつける大きな問いですね。

作中たびたび登場する「外交とは、人を信じるところから始まる」という言葉は、
昨今の世界情勢を見渡したときにとても重く響きます。

そして知られざるポーランドの歴史もまた本書の大きなテーマでしょう。

ユダヤ人に寛容な国だったにもかかわらず、
ポーランドはあのアウシュビッツ収容所があった国として記憶されることなってしまいました。
本書で仔細に描かれるユダヤ人への仕打ちは、読んでいて震えがくるほどです。
本書を読んでいてなにより辛かったのは、
ポーランド人とユダヤ人とのあいだに亀裂が生じるのを目の当たりにすること。
自らが生き延びるために昨日までの隣人を裏切るのが当たり前の社会になる。
もちろんナチスがそう仕向けているわけですが、
差別が剥き出しになっていく様を目の当たりにするのは実に辛かった。

人道にもとる行為に手を染めたのはナチスだけではありません。
捕虜となったポーランド人将校たちがソ連によって虐殺されたカティンの森事件も
この時代に起きたのです。そうした史実も物語にしっかり織り込まれています。

巻末にあげられた参考文献の一覧をみると、
ほとんどが読んだことのない本で、
自分がいかに歴史に無知かということを痛感させられます。

そうした歴史を知ることができただけでも本書は手に取った価値がありました。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月13日

第156回直木賞直前予想(3) 『室町無頼』


続いては、垣根涼介さんの  『室町無頼』です。

時代小説マニアの間では、この作品を2016年のベスト1に推す声がとても多いのですが、
その評判に違わず、ずっしりと読み応えのある骨太の作品です。

舞台は応仁の乱前夜の京都。
室町幕府が弱体化し、無政府状態となる中、
人々の貧富の差はこれまでにないくらいに拡大して、巷には不満が渦巻いています。
そんな時代背景のもと、零落した武家の子である少年・才蔵が、
底辺から持ち前の武辺をもとに頂点へと駆けあがっていく様を描いています。


まず舞台が室町時代であるところが珍しい。
時代小説の世界ではあまりこの時代が選ばれるとはありません。

でも室町時代というのは大変重要な時代です。
たとえば、能や歌舞伎、茶道や作庭といった
いまぼくたちが「日本らしさ」と認識しているような美意識や感性が
生まれた時代でもあるんですよね。

この小説はそうした日本的美意識の淵源みたいなことには触れていませんが、
この時代を境に我が国の戦のあり方が変わったこと、
つまり騎馬戦から足軽が入り乱れる白兵戦が主流になったことはしっかりと描かれています。

戦国時代へとつながるこれも大きな変化でした。
この戦のあり方の変化はこの小説の読みどころのひとつにもなっていますので
ぜひ本書で堪能していただきたいと思います。


もうひとつ、この作品が持つ今日性というか、美点をあげておくとすれば、
室町時代を舞台にしていながら現代が描かれているという点ではないでしょうか。

室町時代と現代に共通する点、それは格差の問題です。

おそらく作者の意図も、この格差の問題を描くことにあったのではないでしょうか。
ただし作者は、富める者を断罪し、弱きものに思いを寄せるようなありがちなスタンスはとりません。

作者が描こうとするのは「頼れる者がいない世界でサバイバルするには何が必要か」ということ。
その試行錯誤が主人公の才蔵に託されています。

この小説は才蔵の修行の描写にも多くを割いています。
特に近江での凄まじい修行の描写には息を呑むことでしょう。
この小説にはそうした修行小説としての面白さもあります。

人の命がいまとは比べものにならないくらいに軽かった時代の話ですので、
あっけなく人が死んでいきます。
冷徹なリアリズムが支配していた時代だからこそ、
この小説で描かれる男の友情や男女の交情が光を放ちます。

底が抜けてしまった社会の中で、
寄る辺なき身の才蔵は何をたのみに生きていくのか。

時代を覆う閉そく感を打ち破るようなパワーとヒントに溢れた一冊です。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月12日

第156回直木賞直前予想(2) 『蜜蜂と遠雷』

続いては恩田陸さんの 『蜜蜂と遠雷』です。


作品について説明する前に、まずお礼が言いたい。
誰に?この作品に引き合わせてくれた本の神様に、です。

実に、実に素晴らしい小説でした。
こんな素晴らしい本に出合えるなんてなんて幸運なんでしょう。

語りたいことはたくさんあるんですが、
詳しくは機会をあらためることにして、
きょうはざっと内容を紹介するにとどめます。


この作品は、
芳ヶ江国際ピアノコンクールという、
世界が注目するコンクールを舞台に、
個性豊かなコンテスタント(演奏者)たちが繰り広げる人間ドラマを描いた小説です。

物語は、パリで行われた予選にまったく無名の少年が現れ、
審査員の心胆を寒からしめる演奏を披露するところから始まります。
彼は養蜂家の父親のもと、ピアノも持たずに各地を転々しながら育つという、
およそピアニスト志望とは思えないような生活を送っていました。
しかも彼は、弟子をとらないことで有名な伝説のピアニストが遺した唯一の弟子でした。

彼だけでなく、表舞台から姿を消していた元天才少女や、
妻子を持つ身でありながら音楽家への夢を捨てきれないサラリーマン、
カリスマ性とスター性を兼ね備えたアメリカ人青年らがステージで躍動します。

本の中から本当に「音楽が聴こえてくる」奇跡のような作品。

恩田陸さんのキャリアの中で、間違いなくこれは最高傑作といっていいでしょう。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月11日

第156回直木賞直前予想(1) 『十二人の死にたい子どもたち』

選考会の日が近づいてまいりましたので、本日より直木賞予想をスタートいたします。

では順に候補作をみていきましょう。
トップバッターは冲方丁(うぶかた・とう)さんの『十二人の死にたい子どもたち』です。

冲方さんといえば、これまでSF小説『マルドゥック・スクランブル』
時代小説『天地明察』のような話題作を発表してきました。

冒頭からいきなり脱線しますが、小説だけでなく、昨年出版された
『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置所』もむちゃくちゃ面白かった。
奥さんに暴力をふるった濡れ衣を着せられ逮捕された顛末(結果は不起訴)を綴った本書は、
もしも冤罪で身柄を拘束されるなんて目にあった際に役立つ知識が満載でした。

そんな彼がデビュー20周年を迎えて挑んだ本作はミステリー。しかも密室ものです。

インターネットの自殺志願サイトを介して廃病院に集まった見ず知らずの子どもたち。
ところが、全部で12人のはずが、そこにはすでに謎の“死体”が横たわっていました。

予期せぬ13人目の登場に動揺した子どもたちは、話し合いを始めます。
その過程で次第にそれぞれの「死にたい事情」が浮き彫りにされて……というお話。

ストーリーはきわめてロジカルに設計されています。
12人のキャラクターがうまく対立構造になるように配置されている。
たとえば、亡くなったアイドルの後を追おうとしているファンがいるかと思えば、
そんな理由で死ぬのは自分勝手すぎると反発する人物がいる。

そんな彼らが戦わせる議論がこの作品の読みどころのひとつ。
対立点をうまく利用した話し合いで読者を引っ張っていく作者のテクニックはさすがです。

そしてもうひとつの読みどころが密室の謎解き。
なぜそこに“死体”があるのか。
これも子どもの「死にたい理由」とうまくリンクしていて、なるほど!の真相になっています。

でもそれ以上にこの作品の読みどころになっているのは、
議論を繰り返すなかで、子どもたちの性格やそれぞれの事情が明らかになっていくところでしょうね。
主張をぶつけあううちに、それぞれの人間性が剥き出しになっていく。
この人間ドラマこそが本書の最大の魅力ではないでしょうか。

ただ、「密室」という作り物めいた舞台装置と、
論理的に構築された「対話」でストーリーを進めていくという手法のせいで、
作品全体からはどうしても理のほうが勝っている印象を受けてしまいます。
読者の感情を揺さぶるというよりも、理詰めな感じが先に立つというんでしょうか。
このへんが選考会でどう評価されるかが気になります。

投稿者 yomehon : 00:00

2016年12月23日

『罪の声』 ノンフィクションとミステリーの幸福な邂逅


2016年の国産ミステリーのナンバーワンは、
なんといっても塩田武士さんの『罪の声』(講談社)でしょう。

1984年(昭和59年)から翌年にかけて
日本中を震撼させたグリコ・森永事件に材をとり、
読み応えのある物語に仕立て上げた作者の手腕には脱帽です。

ある世代の人々にとっての3億円事件や連合赤軍事件がそうであるように、
グリコ・森永事件が記憶に焼きついているという人も多いのではないでしょうか。

ぼくもこの事件のことは本当によく覚えています。
警察をナメきった関西弁の挑戦状や、
いちど目にしたら忘れられない「キツネ目の男」の似顔絵など
映画やドラマさながらの展開にメディアが過熱していく様子は、
ちょうど興味関心が社会に向き始めた多感な時期の子どもにとって、
まさに「生まれて初めて体験する大事件」でした。

この作品はフィクションとはいえ、事件の輪郭を正確にトーレスしています。
グリコ・森永事件は、名称こそ「ギンガ・萬堂事件」となっていますが、
発生日時や関係先、犯人による挑戦状や脅迫状の内容、
当時ささやかれた犯人像など、ほぼすべてが現実通りで、
その中で一点だけ、著者が考える「真犯人」に関わる部分だけが
フィクションというかたちをとっているのです。

「現実をもとに作者がありえないような真相を適当にでっちあげた小説じゃないの?」
と、もしあなたが思ったのだとしたら、ちょっと待っていただきたい。

たしかに現実の事件を下敷きにして書かれた小説で成功したものは少ない。
「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、
現実の凄さに物語が完全に敗北してしまって(というか屈服させられ)
無残な結果に終わってしまうのが常です。
現実というものは、凡庸な作家の想像力なぞやすやすと超えてしまうものなのでしょう。
でも、この『罪の声』は違う。
決してそのような安易な推理にもとづいて書かれた小説ではありません。

元新聞記者の著者は徹底的に事実を調べ上げた上で、
最後に残った謎の部分にのみ、想像力を働かせます。
そして、その作者の想像力は、
事件そのものの見え方すら変えてしまうようなインパクトを持っている。

「現実」という液体で満たされたグラスの中に、
たった一滴の「フィクション」を垂らしたら、
グラスの中が見たことのない色に一気に変わったような感じと言ったらいいでしょうか。
まさに魔法をみるよう。
この小説を読み終えた人の目には、
事件は以前とはまったく違った見え方をしているはずです。

なぜ作者はここまで力のある作品が書けたのでしょうか。
それは、これまであまり重視されることのなかった視点から
事件に光を当てたことにあります。

それは何か。
この事件が「子どもが関わった事件」であるという視点です。

グリ森事件の犯人グループは、捜査をかく乱するために、
子どもに犯行声明文などを読み上げさせたものを
テープに録音して送りつけていました。
使われた子どもは3人。
「いまももしどこかでこの子どもたちが生きていたとしたら」
この小説はそんなアイデアがもとになって生まれました。


物語の舞台は2015年。
京都でテーラーを営む曽根俊也は、
父の遺品の中からカセットテープと黒革の手帳を発見します。
手帳には、英文に混じって「ギンガ」「萬堂」の文字があり、
テープには幼い頃の自分の声が録音されていました。
「きょうとへむかって、いちごうせんを……にきろ、
ばーすてーい、じょーなんぐーの、べんちの、こしかけの、うら」
それは31年前に社会を震撼させた「ギンガ・萬堂事件」で恐喝に使われた
録音テープの内容と同じものでした。
なぜこんなものがうちにあるのか。
俊也は父親の友人の協力を得ながら、事件について調べ始めます。

一方、大日新聞大阪本社文化部記者の阿久津英士は、
社会部の年末企画取材班に組み入れられ、
迷宮入りした「ギン萬事件」を洗いなおすことになります。
阿久津は事件発生の4ヶ月前に起きた世界的ビールメーカー
「ハイネケン」の会長誘拐事件のことを知り、ヨーロッパへと飛びます。

俊也と阿久津、ともに細い糸を辿るうちに、
やがてその糸は、思いもよらない事件の真相へとつながっていくのでした……。


ラジオの仕事をしている者からすると、
なによりも「声」に注目した著者の慧眼を称えたい。
これまでにない切り口であるのはもちろん、
一本の古ぼけたテープから物語がどんどん拡がっていくところが素晴らしい。
「声」にはさまざまなイメージを喚起する力があります。

文化放送にも吉展ちゃん誘拐殺害事件のスクープ音声があります。
1963年(昭和38年)の事件発生当時、文化放送の社員が行きつけの喫茶店で、
公表されていた脅迫電話の声に「よく似た男を知っている」という情報を聞きつけ、
男がよく顔を出すという飲み屋に張り込んで音声を録音することに成功したのです。
このときの録音は後に行われた鑑定で、犯人の特定に大きく貢献しました。

本書を読んであらためて痛感したのは、グリコ・森永事件は、
子どもを犯行に協力させた許しがたい事件であるとともに、
お菓子を標的に子どもを人質にとった卑劣な事件でもあったということです。
この事件をきっかけにお菓子の箱がフィルム包装されるようになったのを
覚えている人もいることでしょう。

「ひょうご犬警」といった人をおちょくったような文言を散りばめた挑戦状が
犯行の凶悪性を薄めていたかのように錯覚しがちですが、
実際にやっていることは極悪だということをあらためて思い知らされました。
(もっとも挑戦状で世間を笑いに誘う裏側で、企業には凶悪さをむき出しにした
脅迫状を送りつけていました。この使い分けも犯人の狡猾さを物語っています)


「子どもを犯罪に巻き込めば、その分、社会から希望が奪われる。
『ギン萬事件』の罪とは、ある一家の子どもの人生を粉々にしたことだ」(P386)

事件に関わった子どもたちのその後の人生を知るとき、
この著者の言葉は読む者の胸に深く沁みます。

まるで調査報道の現場を目にするかのような興奮を味わいつつ、
事件に翻弄された子どもたちのその後の人生に魂を震わせる。
ノンフィクションとミステリーのこの幸福な邂逅を、おおいに喜ぼうではありませんか。

投稿者 yomehon : 00:00

2016年12月20日

第156回直木賞候補作が発表されました!


本日、第156回直木賞の候補作が発表されました。

ラインナップは以下の通り。

冲方丁  『十二人の死にたい子どもたち』(文藝春秋)

恩田陸  『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)

垣根涼介  『室町無頼』(新潮社)

須賀しのぶ 『また、桜の国で』(祥伝社)

森見登美彦  『夜行』(小学館)


今回はひさびさに面白いですね。素晴らしい作品が並んでいます。

選考会は来年の1月19日(木)に開かれます。
あらためて当欄で受賞作の予想をいたしますのでお楽しみに。
(たぶんあれとあれの一騎打ち……)

そうそう、今回は芥川賞も面白いですよ。

社会学者の岸政彦さんのエントリーには驚きました。
生活史と呼ばれる分野のエキスパートで、
『断片的なものの社会学』といった素晴らしい本をお書きになっていらっしゃいます。

あと宮内悠介さんが芥川賞でエントリーされたのも意外でした。
すでにSFでは世界水準の作品を書かれている方です。


直木賞と芥川賞、
どちらもひさしぶりにワクワクさせられる候補作となりました。


投稿者 yomehon : 14:21

2016年12月05日

『この世界の片隅に』 戦時下の日常を描いた傑作


もうご覧になった方も多いと思いますが、
映画『この世界の片隅に』が大ブレイクしていますね。

ぼくが観たのは公開から6日目のテアトル新宿でしたが、
その時点でも既に客席は完売御礼状態で、立ち見客も入れていました。

それにしてもこの作品を取り巻く熱気は凄い。
もちろん当初は上映館が少なくなかなか観ることができなかったせいもあるでしょうが、
やはりこれは作品の持つ力と言うべきでしょう。
「あの作品は今年いちばんの傑作」という情報がSNSでどんどん拡散して、
劇場に人が押し寄せた結果だと思います。


ご存じない方のために簡単に説明しておくと、
『この世界の片隅に』は、
こうの史代さんの同名漫画『この世界の片隅に』(双葉社刊・全3巻)。を原作にしたアニメ作品です。
こうのさんは広島市出身の漫画家で、
原爆投下以後の庶民の人生を3世代にわたって描いた傑作
『夕凪の街 桜の国』で高い評価を受けました。

いまわかりやすく漫画家と書きましたが、
個人的にはこうのさんのことを絵師と呼びたい気もします。

特に東日本大震災を受けて描かれた『日の鳥』シリーズなどは
こうのさんの絵師としての実力を存分に感じ取れる作品で、
スクリーントーンを使わず、描線の一本一本を
カリコリとペンで描き込んでいるところなんてまさに絵師という言葉がぴったりです。


さて、映画のほうに話を戻すと、
物語は「8年12月」からはじまります。
もちろん時代は昭和。舞台は広島です。

ちなみに原作では9年1月から物語が始まるのですが、
おそらく監督はあの時代の歳末の風景が描きたかったんでしょうね。
「もろびとこぞりて」が流れ、サンタクロースに扮した売り子がいて。
そんな昭和モダニズムの平和な町の光景から物語は幕を開けます。

主人公は、浦野すず。
兄と妹に挟まれ、絵を描くのが得意な、のんびりやの女の子です。

時代は、すずの成長を追いながら飛び飛びで進んでいくのですが、
(「8年12月」の次は「10年8月」というように)
もちろんぼくたちはこの数字がやがてどこに行き着くかを知っています。
破滅への予感を孕みながら、ひとりの女の子のみずみずしい日常が描かれていく。


「日常」――。
これこそが、この作品を読み解く上でのもっとも重要なキーワードです。

戦争が悲惨なものであることは論を俟ちませんが、
意外とぼくたちの認識から抜け落ちているのが、
戦時下にも庶民の日常生活があった、ということです。

たとえば斎藤美奈子さんの『戦下のレシピ』
などが教えてくれるように、、
戦時中にも婦人雑誌がちゃんと刊行されており、
そこには配給食などを利用したレシピが掲載されていました。

戦後しばらくのあいだは、軍国主義への反発もあって、
当時の日本を糾弾するかのような作品が数多くつくられましたが、
戦時下にあっても、庶民の生活は暗くて悲惨なだけではなかったということが、
この映画ではとても丁寧に描かれているのです。

もちろんだからといって
この映画があの時代を肯定しているわけではありません。
むしろ強い反戦のメッセージが読み取れます。

あの時代にも人びとの日常はあった。
でも戦争は、そんな日常の中にいつの間にか忍び込んでくる。
気がついたときには、
人びとの日常はかつてのようなものではなくなってしまっている。
映画ではそのプロセスが淡々としたトーンで描かれていきます。

けっして声高ではないけれど、
そこからははっきりと反戦のメッセージが読み取れる。
絶対的な正義の立場からあの時代を告発調で描いた作品などよりも、
よほどこちらのほうが製作者の誠実なスタンスを感じます。


物語に話を戻しましょう。
昭和19年にすずは18歳で呉に嫁ぎます。
嫁ぎ先でのちょっとした失敗や笑いが丁寧に描かれることによって、
ますます日常と戦争とのコントラストがくっきりと浮かび上がります。

呉は軍港ですから、連日激しい空襲に見舞われます。

この作品を監督した片渕須直さんは、
宮崎駿さんのもと『魔女の宅急便』で演出補を務めるなどして、
『マイマイ新子と千年の魔法』で注目された監督ですが、
空襲のシーンなどを観ていて思い出したのが、
彼がシリーズ構成と脚本、監督を手がけたアニメ『BLACK LAGOON』です。

『BLACK LAGOON』は、
商社マンから海賊の仲間になった日本人が主人公で、
毎度毎度の激しい銃撃戦がウリの海洋バイオレンスものでした。

この娯楽に徹した作品の中で存分に披露されているように、
銃器や兵器について抜群の知識を持つ監督だけあって、
『この世界の片隅に』でも米軍による攻撃の細部がとてもリアルに描かれます。
(たとえば砲弾の破片が畑に次々と刺さるシーンのシズル感を見よ)

作中、すずの身の上に起きる極めて重要な出来事なので
あまり詳しくは明かせないのですが、
ぼくが感心したのは、不発弾の描き方です。

あるところで不発弾が爆発するのですが、
原作での描かれ方よりも、より爆破理論に沿った描き方に変更されていて
さすがだと思いました。
こうした片渕監督の細部への目配りが、
作品を研ぎ澄ましたものにしていることも見逃してはなりません。


戦況が悪化するにつれて、すずの日常も戦争に侵食されていきます。
それにつれて、スクリーンを観るぼくたちの切なさも強まって行く。
彼らをどんなに過酷な運命が待ち受けているかをぼくらは知っているからです。

そしてあの日――。
昭和20年の8月6日がやってくるのです。

この日の描き方は、
映画と原作とで違いますので、ぜひ観比べてみてください。

爆風によって死んでしまった母親にすがりつく女の子が出てきます。
この涙なしでは観ることの出来ない一連のシーンを、
ぜひ原作と映画とで観比べて欲しい。

どちらが優れているというのではなく、
映画と漫画、どちらの描き方にも胸を揺さぶられるはずです。

最後に原作者のこうの史代さんが好きな言葉を紹介しておきましょう。

こうのさんは、
「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」
というジッドの言葉が好きなのだそうです。

あの戦争は多くの貴い命を奪い、人びとを深く傷つけたけれど、
あの時代には一方で、孤児をひきとって育てたり、
女手ひとつで必死に家族を養うような
「真の栄誉をかくし持つ人たち」がたくさんいました。

彼らの犠牲と努力があったからこそ、
いまぼくたちは平和に暮らすことができているわけですが、
そのことに思い至るとき、ぼくはふと不安に駆られるのです。


「ぼくたちの日常は確かなものだろうか。
気がつかないうちに、何か不穏なものが忍び寄っていないだろうか」と。

この作品は、
特定のイデオロギーに拠ることなく、
庶民の目の高さで、真っ直ぐにあの戦争を見つめた傑作です。

この作品のまなざしからぼくらが学べることはとても多い。

映画も原作も、ぜひたくさんの人に観てもらえることを願ってやみません。

投稿者 yomehon : 03:00

2016年11月30日

『使用人たちが見たホワイトハウス』  Forbes JAPAN書評 第6回

今回、フォーブス ジャパンの書評で取り上げたのは、
『使用人たちが見たホワイトハウス 世界一有名な「家」の知られざる裏側』(光文社)です。

著者のケイト・アンダーセン・ブラウワーは、
ブルームバーグ・ニュースでホワイトハウス担当記者だった女性。

とんでもなく口が堅い大統領の私生活をサポートするスタッフたちの口を開かせることに成功し、
歴代大統領の知られざるエピソードをいくつも掘り起こした労作です。

トランプ氏が大統領に就任する前に読んでおくと、
新しい大統領がどんな生活を送ることになるかがよくイメージできると思いますよ。

ほんと読み出したら止まらない面白さ!

新しい大統領がホワイトハウスのスタッフたちから認められるような人物だといいんですけど。

よろしければこちらからどうぞ!

投稿者 yomehon : 20:48

2016年11月14日

『ハリー・ポッターと呪いの子』 弱いハリーがとっても新鮮!話題の最新作


人生は振り子のようだという人がいます。
良いことがあれば必ず悪いこともある。
華やかな成功ほど目にとまりがちですが、その裏には試練にさらされた過去がある。
プラスとマイナスの間を振り子のように揺れるのが人生だというのです。

それが見事に当てはまるのがハリー・ポッターかもしれません。
ハリーといえばご承知の通り、闇の魔法使いヴォルデモートを倒し、
魔法界に平和と秩序を取り戻した立役者として知られていますが、
シリーズ最新刊『ハリー・ポッターと呪いの子』 でのハリーはまるで別人のよう。

魔法界を巻き込んだ「ホグワーツの戦い」から19年後、
2男1女の父親になったハリーにかつての勇敢さはありません。

子どもたちの中でも、次男のアルバス・セブルス・ポッターとは、
うまく関係が結べずに悩んでいます。
「アルバス」と「セブルス」という(ファンにもお馴染みの)
2人の偉大な魔法使いからとられた名前をつけられた上に、
父親もあの有名なハリー・ポッター。

有名人の息子であるがゆえの重圧から反抗的な態度をとるアルバスを前に、
ハリーはただオロオロとするばかり。
挙句の果てにはキレて息子にひどい言葉を投げつけてしまったりして、
そのみっともない姿に読者は、「これ、本当にあのハリーなの?」と愕然とするはず。
これではそのへんのわからずやのダメな父親とまったく変わりません。

しかし親子のコミュニケーションが断絶状態にある中、
アルバスには密かに魔の手が迫っていました。
そこにはポッター自身の過去も関係していて、
やがて父と子はポッター家の歴史と向き合うことになります。
その時、父と子がとった行動とは?そして明らかになる真実とは――?


さすが全世界の発行部数が4億5千万部を超えたという
ベストセラー・シリーズの最新刊だけあって、期待を裏切らない面白さです。

「人生は振り子」ということでいえば、
ハリーのかつての天敵ドラコ・マルフォイの息子スコーピウスが
むちゃくちゃいい子なのがとても新鮮。
まるでハリーにおけるロンのように、
スコーピウスはアルバスの無二の親友になるのです。

また嫌な奴だったドラコも、ハリーと同様、息子の前では無力な父親なのも面白い。
父親どうし「お互い大変だよね」と居酒屋のカウンターで慰め合うかのように、
ハリーとドラコの間に同志的な友情が芽生えるところも本作の読みどころのひとつ。


なお本作は小説ではなく、
ロンドンのパレス・シアターでの舞台公演の脚本を書籍化したものですのでご注意ください!

脚本ですので、「ト書き」と「台詞」で物語が進んでいきます。
戯曲やシナリオなどを読んだ経験をお持ちでない方は少々戸惑うかもしれません。

版元の戦略もあるのか、このことはあまり事前にアナウンスされていなかったように思います。
もちろんまったく情報がなかったわけではありませんが、
僕自身、少し丁寧にリサーチしてようやくわかった程度の情報量でしたから。

しかも店頭ではビニールがかけられていますので、買ってみるまで中身はわかりません。
これでは本書で初めてハリー・ポッターに興味をもって店頭で購入した人はびっくりするかも。

いくらベストセラーが確実な商品とはいえ、
版元からはもう少し積極的なお客さんへの情報提供があってしかるべきでした。
なけなしのお小遣いをはたいて買う子どももいるのですから。

いまや時代は積極的に情報公開してなんぼ。
情報を伏せることで興味をひこうとするやりかたはかえってカッコ悪く見えてしまいます。

小説だと思って購入した人のがっかりコメントをネット上であまりにもたくさん目にしましたので、
これからご購入を検討されている方々のために申し添えておきます。

ただ、脚本形式だからといって、
小説に比べて物語の面白さが半減するようなことはまったくありませんのでご心配なく。

むしろ脚本ならではのスピーディーな展開は、
あなたに新鮮な読書体験をもたらしてくれることでしょう。

こういうかたちでのハリー・ポッターも「あり」だと思いますよ。

追記:その後、書店の中には、ビニールをとって販売するところや
    小説ではなくシナリオであることをPOPなどで告知するところも出てきました。
     
  

投稿者 yomehon : 01:00

2016年11月07日

『勝ち過ぎた監督』 若き名監督の栄光と挫折


日本球界の偉業とは何かと問われたら、あなたはどう答えますか?
今年だとやはり日本ハム・大谷翔平選手の二刀流の成功ですよね。
投手でも10勝、打者でも22本塁打、打率.322という成績は驚異的です。

では過去に遡ればどうか。
アマチュア球界の大物として知られる元駒澤大学監督の太田誠さんは、
「川上・巨人のV9」とともに意外な名前を挙げています。

それは、駒大苫小牧の全国制覇です。


2004年夏の甲子園で、
駒大苫小牧は北海道勢として初めての全国制覇を成し遂げました。
これがいかにすごいことだったか。
いまでも当時の大フィーバーぶりは語り草になっています。

駒大苫小牧が初優勝したその日、2004年8月22日は、
偶然にもアテネ五輪の女子マラソンで、
野口みずき選手が金メダルを獲得した日であったにもかかわらず、
北海道では駒大苫小牧の優勝が大きく報じられ、
コンビニや駅売店では新聞があっという間に売り切れたそうです。

新聞社の中にはふたたび輪転機を回して増刷したところもあり、
翌日のコンビニなどには「昨日のスポーツ紙あります」と貼り紙が貼られ、
これまた飛ぶように売れたそうです。
前の日の新聞が売れまくるなんて前代未聞ではないでしょうか。

この他にも駒大苫小牧の優勝は意外なところにも影響を及ぼしています。

いまではプロ・アマ問わず当たり前のようにみかけるようになった
優勝したときに人さび指を高く天に掲げるナンバーワンポーズ。
あのポーズを考案して世間に広めたのも駒大苫小牧の選手たちでした。


駒大苫小牧は翌2005年の夏も優勝。
夏の連覇は57年ぶりの快挙でした。
史上初の3連覇がかかった2006年夏も田中将大投手を擁して決勝に進出。
準優勝に終わりましたが、早稲田実業と決勝再試合の死闘を演じたのは
記憶に新しいところです。


『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の3連覇』中村計(集英社)は、
北海道に初の深紅の大優勝旗をもたらした若き名将、
香田誉士史(こうだ・よしふみ)監督の栄光と挫折を描いたノンフィクション。

北の大地に全国屈指の強豪校が生まれるまでの濃密な人間ドラマが見事に描かれた
今年のスポーツノンフィクションの収穫のひとつです。


佐賀県出身で、もともと北海道に縁もゆかりもなかった香田さんは、
恩師の駒大野球部御大こと太田誠氏に命じられ、
1994年に駒大苫小牧高校の野球部監督として赴任します。

当時、北海道で甲子園常連校といえば、
「ヒグマ打線」の名で知られる駒大岩見沢が有名で、
駒大苫小牧のほうは全国的には無名でした。

しかも「寒さ」というハンデキャップもありました。
太平洋に面した苫小牧は北海道では雪が少ないほうだとはいえ、
それでも12月になると息を吸うと鼻毛も簡単に凍ってしまうほど寒く、
赴任した当初は、「こんなとこ、野球やるところじゃないと思った」と言います。

北海道では11月くらいからは寒さでボールも握れなくなり、
翌年の4月になってようやくグラウンドが使えるという状態なため、
必然的に長い冬の間は室内練習場にこもって
ウエイトトレーニングなどに精を出すことになります。
その結果、きめ細かい野球というよりは、冬の間に鍛え上げた体を武器に、
思い切り速いボールを投げ、遠くまでボールを飛ばすという豪快な野球が主流になりました。

驚くべきことに香田監督は、
この北海道特有の野球の常識に真っ向から挑戦します。

地方再生のヒントが詰まった藤吉雅春さんの『福井モデル』(文藝春秋)の中に、
地域を変えるのは「若者とバカ者とよそ者」であるという話が出てきますが、
香田監督自身がまさに若者であり、バカ者であり、よそ者でした。

「自分の理論がないから、なんでもやってやろう」と思ったという香田監督は、
なんと真冬の屋外練習に取り組み始めたのです。

ショベルカーで雪をどけたグラウンドは氷上のようにカチンコチンに凍っています。
軽く打っただけでも鋭い打球になるうえに、足元は滑るし、捕るほうも命がけ。
しかも低温による劣化で金属バットがまっぷたつに折れるというのですから凄まじい。

しかしこれまで誰も試みることのなかった真冬の屋外練習は、
思いもよらない効果をもたらします。
滑らないようにバランスをとるのが上手くなり、選手の体幹が鍛えられる。
マイナス1度や2度なんてむしろ暖かく感じられるようになる……。

田中将大投手は仙台が本拠地の楽天時代も
それよりさらに寒いニューヨークでも平気でプレーしていますが、
マイナス15度でも雪上練習を敢行したという高校時代の練習を知ればそれも納得です。

こうしていくつもの固定観念が覆されていきます。

先ほどちらっと紹介したナンバーワンポーズも、
チームの気持ちをひとつの方向に向けるために象徴となるポーズを決めたほうがいいという、
脳トレーニングの専門家からのアドバイスを受けて、選手自身が考え出したもの。
彼らは恥ずかしさを乗り越えて普段から、
それこそ職員室に入る時もあのポーズで挨拶していたそうです。

意図をもって日常生活にあのポーズを取り入れているのと、
「なんか流行ってるから」とあのポーズを真似しているのとでは大きく違います。
いつしか恥ずかしさは消え、選手たちの胸に「全国制覇するんだ」という強い思いが育っていきます。

香田監督が指導していた時代は、グランドにはゴミひとつなく、用具も整然と並んでいたそうですし、
そうしたひとつひとつの積み重ねがやがて他校に大きな差をつけることになるのです。

他校との差は、選手のプレーや日々の行いだけではありません。

強さの秘密を聞かれ、
「吹奏楽部っすよ」とあの田中将大選手をして言わしめるほど、
駒大苫小牧の吹奏楽部は有名ですが、
本書には吹奏楽部の演奏のテンポまで、
選手たちのプレーのリズムを後押しするよう
180(1分間に180拍ということ)に設定されていたとか、
驚くようなエピソードが次々に出てきます。
(こうしたディテールの豊かさが本書の魅力。著者の取材力は称賛に値します)


しかし北海道勢初の栄冠は、若き名将にプレッシャーとして重くのしかかります。

取材依頼や講演依頼、宴席への誘いなどがひきもきらず、
中傷の郵便物なども毎日のように届くようになります。

そんな中、チームの不祥事が明らかになり、
香田監督は一挙にどん底へと突き落とされるのです。

このあたりの詳しい経緯は
本書の重要な部分を成しているので、ぜひ本をお読みください。

ひとつだけ書いておくと、
高校野球で不祥事が明らかになる場合、
そのほとんどは控え選手の親による告発だそうで、
駒大苫小牧の場合も控え選手の父親がメディアに情報を流していました。
その結果、その息子さんはチームメイトから疎んじられ、
卒業後も誰も彼の連絡先すら知らないという状態だったそうですが、
驚いたのは、香田さんだけは卒業後もその生徒とつきあいを続けていたことです。

「あいつのせいじゃない。あいつも俺の教え子」という香田さんの言葉を
著者が当時の関係者に伝えると、皆一様に驚き二の句が継げなかったそうです。

ただ、本書にはそういう美しいエピソードだけではなく、
体罰の問題などもしっかり書かれています。
それらをどうとらえるかは本書を読んでそれぞれご判断ください。

香田誉士史という若き監督は、
北海道勢初の全国制覇、そして夏連覇という偉業を成し遂げ、
最後は学校側の心ない仕打ちもあって北海道を去ることになります。

大きな成功も、とんでもない失敗も、
高校野球の素晴らしいところも、薄汚い一面も、
そのどちらもが本書には描かれているけれど、
本書を読み終えていちばん心に残ったのは、
ただひたすらに生徒たちに全力で向き合う香田氏の姿でした。

短い間に人生の絶頂とどん底を味わった男の濃い人間ドラマを
あなたもぜひ味わってみてください。

投稿者 yomehon : 01:00

2016年10月31日

『君の名は。』 新海誠が描く「災後の物語」


今年最大のヒット作といえば、
なんといっても新海誠監督の劇場版アニメ『君の名は。』ですよね。

これまでの新海作品は
どちらかといえばコアなファンに支持される作風でしたから、
満員の観客で埋め尽くされた光景を前にしたときは感慨無量でした。

しかしそれにしてもなぜ『君の名は。』が
これほどまでのポピュラリティーを獲得するに至ったのでしょうか。

それは一考に値するテーマではないかと思うのです。


まだ観ていない(あるいは読んでいない)方のために
簡単にストーリーを説明しておくと、
東京と地方で離れて暮らす少年・立花瀧と少女・宮水三葉の心が
ある日突然入れ替わってしまうという、
「男女の入れ替わり」のアイデアが物語の核になっています。

戸惑いながら互いの生活を送るうちに、
入れ替わりにある種のきっかけや、
周期などのパターンがあることを知ったふたりは、
スマホにお互いの行動などを記録することでコミュニケーションをとりはじめます。

ところがある時、瀧がサプライズで三葉のもとを訪れようとしたことから、
物語は思わぬ方向へと動き始めるのです。

まだ観ていない人のためにあまり詳しくは書きませんが、
東京と地方という遠距離によって隔てられていたふたりが、
実は現在と過去という時空によっても隔てられていたことが明らかになり、
ここから物語は一気呵成に結末へと走り始めます。


実は『君の名は。』は、
これまでの新海作品を踏襲している部分も多いんです。

新海作品の特長を思いつくままに挙げてみると、
作品ごとに繰り返し変奏される「男女のすれ違い」というテーマ、
各作品に通低する「切なさ」の感覚、
「喪失」への痛み、
さまざまな表情をみせる「空」の描写、
そして美しい細密画のように描かれる「都市の風景」、といったところが挙げられます。


『君の名は。』もこれら新海作品の特長を踏まえています。

冒頭、地上へと落下していく彗星の映像は、
あの新海誠の作品が、まさにこれから始まるのだということを高らかに宣言するものに他ならないし、
時空を隔てた瀧と三葉のすれちがいは、狂おしいほどの切なさを掻き立てます。

それらはみな、この作品が他ならぬ新海誠監督の作品であることを
証し立てているわけですが、この『君の名は。』にはひとつだけ、
これまでの新海作品にはない特色があります。


それは、「巨大災害後の世界を生きているということへの深い自覚」とでも言うべきもの。
明らかににこの作品は、「災後の物語」として描かれています。


この作品にはもともと
「夢と知りせば 男女とりかえばや物語」という仮タイトルがつけられていたそうです。

古今和歌集にある、小野小町が詠んだという
「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」
(あの人のことを思いながら眠りについたから夢に出てきたのかしら。
夢と知っていたら目を覚まさなかったのに)という和歌と、
古典の『とりかえばや物語』からストーリーの着想を得たそうですが、
男女の入れ替わり生活がコミカルに描かれる前半から
物語のトーンがガラリと転調して、
「死者の存在」が物語の前景へと急にせり出してくるところなどには、
やはりぼくは3・11の体験が大きく影響していると思うのです。


特にぼくがリアルだと感じたのは、
瀧も三葉も互いの名前を忘れてしまうところ。

「いつまでも大切な人のことを忘れない」というメッセージを打ち出す作品は
よくありますが、この『君の名は。』では忘れてしまう。
ここが他の作品にはなかった点です。


さらにここからが重要で、
瀧も三葉も、忘れても忘れても、「思い出そう」という意志は持ち続ける。
忘却に必死に抗う。

「君を忘れない」みたいなメッセージでは終わらずに、
そこからさらに踏み込んで、人間だから忘れてしまう。
でもだからこそ、全身全霊で思い出せ、というメッセージを全力で発しているのです。

これはこれまでにないアプローチです。


唐突に感じるかもしれませんが、
ここで思い出すのが古代ギリシャの哲学者プラトンです。

哲学というと、なにか難しいことを考え続ける行為のように思われるかもしれませんが、
プラトンの哲学のもっとも重要なコンセプトは、「想い出すこと」でした。

人間の魂は、本当に大切なことはもともと知っているものだ。
だから大切なのは、考えることではなくて想い出す(想起する)ことなのだと
プラトンは考えたのです。


そういえば、村上春樹さんは、
物語を語るというのは、
「意識の下部に自ら下っていくこと」だと述べています。(『職業としての小説家』

大切なものは地下の暗闇のようなところにあって、
そこに下りていって発見したものを、
物語のかたちで私たちに見せてくれるのが小説家なんだと村上さんは言います。
(先日のアンデルセン文学賞の授賞式でのスピーチでは、
「自分の影と向き合う」と表現していましたね)

村上さんがここで述べていることは、
ぼくにはほとんどプラトンが言っていることと同じように思えます。


長く続いた「戦後」が終わったのか、
それともまだ続いているのかということにはいろいろな意見があるようですが、
しかし少なくとも、個人的な実感に基づいて言えば、
いまはもう戦後よりも「災後の時代」であると言っていいのではないでしょうか。

ある日突然、理不尽に大切な人の命が奪われてしまう。

自然の猛威、
テロなどのコラテラル・ダメージ
あるいは最近の痛ましい事件でいえば、
87歳の老人が暴走させた軽トラックによって
未来ある子どもの命が奪われるという信じがたい暴挙のように。

愛する人や、か弱く小さき者たちの命が、突然に奪われてしまう。
そんな悲しい場面をぼくたちはどれほど目にしてきたことでしょう。


忘れても、想起し続けること。
たとえ忘れたとしても、大切なことは私たちの中に眠っているのだと気づくこと。

『君の名は。』は、
そういった理不尽な現実への
ひとつの態度表明になっているのではないでしょうか。

理不尽で悲しい出来事と人はどう向き合えばいいのかというテーマは、
昔から宗教が取り扱ってきたテーマでもあります。
(たとえば聖書でいえば「ヨブ記」がそうです)

そういったものと比べて、
「『君の名は。』なんてしょせんエンタメじゃないか」という意見もあるでしょう。

でもエンタメでこういうアプローチの作品が出てきたことこそが重要なのだと思います。


3・11の後という括りでいえば、
いくつかの文学作品なども書かれてはいますが、
個人的にはいまひとつピンとくるものがなかった。

だから「災後」ということではむしろ、
水俣病をテーマにした石牟礼道子さんの『苦界浄土』のような作品を
なんども読み返したりしていました。

それが今年は、非常時のこの国の意思決定システムのあり方を
真正面から描いた『シン・ゴジラ』という素晴らしい作品が出てきて、
そしてこの『君の名は。』が出てきた。

もちろんこのタイミングで両作品が公開されたのは偶然ですが、
どちらも大ヒットしているのは偶然ではないと思います。

やはりそれは、「災後」の社会を生きる僕たちが無意識に求めているものが
ここに描かれているからではないかと思うのです。


最後に。
もしこの『君の名は。』を観て新海作品に興味を持たれた方は、
次はぜひ『星を追う子ども』を観て下さい。
『君の名は。』へとつながる
大切な人の死というテーマを扱った秀作で、こちらもおススメです。

投稿者 yomehon : 01:00

2016年10月26日

『最後の秘境 東京藝大-天才たちのカオスな日常-』 Forbes JAPAN書評 第5回

今回、『フォーブス ジャパン』の書評で取り上げたのは、
『最後の秘境 東京藝大-天才たちのカオスな日常-』二宮敦人(新潮社)です。

ノンフィクションの退潮が言われて久しいですが、
取り上げる素材と視点の面白さによっては、
まだまだ面白いノンフィクションが書けるのだという
まさにお手本のような一冊。

出版界のみなさん、この本にはベストセラーのヒントがいろいろ詰まっていますよ。

よろしければこちらからどうぞ!

投稿者 yomehon : 04:00

2016年10月25日

『煽動者』 群集を操る知能犯vsキャサリン・ダンス


朝晩に少し肌寒さを感じるようになると、
それがJDことジェフリー・ディーヴァーの新刊が出る合図。
今年もそろそろかなと書店に行くと、やっぱり並んでいました。
おそるべしJDの法則。

さて、今回の新刊は『煽動者』池田真紀子訳(文藝春秋)
キャサリン・ダンスが主人公のシリーズ4作目です。

カリフォルニア州捜査局の捜査官キャサリン・ダンスは、
ボディランゲージを手がかりに相手の嘘を見抜くキネシクスという技術のエキスパート。
尋問の達人で、「人間嘘発見器」の異名を持ちます。

ところが今回は、事情聴取の末に彼女が「無実」と太鼓判を押した男が逃走、
実は麻薬組織の殺し屋だったことが判明します。
麻薬組織を壊滅させる糸口となる重要人物を取り逃がしたミスにより、
ダンスは捜査チームから外された上に拳銃も取り上げられ、
民事トラブルを担当する部署に異動させられます。

そこで担当することになったのが、
ライブハウスで観客が将棋倒しになり、多数の死傷者が出た事件なのですが、
調査するうちにいくつかの不可解な点が浮かび上がります。

観客はライブ会場の外で焚かれた炎の煙を火事だと誤認したこと。
非常口のドアがトラックに塞がれていたこと……。

キャサリン・ダンスは、観客のパニックは
何者かが意図的に仕組んだのではないかと疑います。

群集心理を自在に操る知能犯との知恵比べが始まります。
そして思いもよらない場所で起きる第二の犯行。
そしてその一方で進行する麻薬組織の殺し屋をめぐる捜査。
凶悪な犯罪者たちとの戦いにダンスは丸腰で臨むのでした……。


ジェフリー・ディーヴァーはその時々の社会問題や最新のテクノロジーなどを
いちはやく作品に取り入れることで知られています。
しかも、ドローンやビッグデータ、スマートグリッドといったトピックスを、
作品を今ふうに飾り立てるための単なる意匠として取り入れるのではなく、
それらを大胆に謎解きの核心にも使うのです。

今回、JDが描こうとしたものは何か。
それは、人びとが漠然と抱いている恐怖や不安です。

いまや私たちは、テロのニュースが報じられても
かつてのように腰を抜かすほどの衝撃をおぼえるようなことはなくなりました。

「またテロが起きたのか……」

その時胸底にあるのは、
またも悲劇が繰り返されてしまったという暗鬱な気分。
そして自分の無力さに対するやるせない思い。
残念なことではありますが、
私たちはそれほどまでにテロが日常化した世界に暮らしています。

テロが日常化するということは、
いつ私たちがテロに巻き込まれてもおかしくないということでもあります。
私たちはテロのニュースに見慣れた印象を持つ一方で、
自分たちも被害者になり得るかもしれない恐怖心を
恒常的に抱え込むことになったのです。

たとえば、人混みのなかで爆発音のような音が聞え、
誰かが「テロだ!!」と叫ぶ声を聞いたとしたら、あなたはどう思うでしょうか。
「あぁやっぱり」「ついに起きたか」
恐怖で心拍数が一挙に跳ね上がる一方で、
おそらくそんな思いも頭をよぎるのではないでしょうか。

JDはそんな「時代の気分」を描こうとしました。
そして見事に成功しています。

群集の中でいったんパニックが起きるともう誰にも止められません。
根拠のないデマに基づいたメールやツイッターの投稿が瞬く間に拡散し、
ネットメディアやテレビなどがその拡散に加担するという負の連鎖反応が起きます。

「大勢の人の集まりには見えなかった。大きな一つの生き物のようなものが
身をよじらせながら非常口に向かっていた……」

私たちひとりひとりの輪郭は、
パニックに陥った群集の中ではいとも容易く溶解し、
その結果、暴力的な本能を剥き出しにした恐ろしい生き物が姿を現します。

現代社会が抱え込んでいる弱点のひとつを
鮮やかに描き出した作品といえるでしょう。

もちろん本書からシリーズを読み始めたという人もじゅうぶんに楽しめますが、
もしあなたが過去の作品も読んでいるというのなら、
本作ではこれまで以上にキャサリン・ダンスのプライベートが描かれていますので、
そちらも読みどころのひとつになっています。

ふたりの子どもを育てるシングルマザーでもある彼女。
今回は子どもたちの行動にも翻弄されます。
「人間嘘発見器」と呼ばれるほどの尋問の達人であっても、
子育ての前ではひとりの無力な母親に過ぎません。
そうしたダンスの悩めるワーキング・マザーぶりがしっかり描かれていることも
本作の大きな魅力といえるでしょう。

投稿者 yomehon : 03:00

2016年09月21日

『あなたの体は9割が細菌』  Forbes JAPAN書評 第4回

今回、『フォーブス ジャパン』の書評で取り上げたのは、
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン(河出書房新社)です。

今年読んだ本の中でも群を抜いて面白かった一冊。
読むと人間観や生命観がガラリと変わりますよ!

よろしければこちらからどうぞ!

投稿者 yomehon : 22:09