2016年07月19日

第155回直木賞受賞予想作はこれ!


今回の候補作のラインアップは、
初エントリーの方がひとりもいないという極めて珍しいケースでした。
(調べたらどうやら戦後では過去に1例だけあるようですが)

ということはつまり、誰がとってもおかしくないわけで、予想はとても迷いました。

あれこれ検討した結果、最終的に残ったのは、
伊東潤さんの『天下人の茶』(文藝春秋)と、
原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』 (新潮社)の2作品。


その中から、『暗幕のゲルニカ』を当欄の受賞予想作として推すことにします。


他の候補作がすべて短編集なのに対して、
『暗幕のゲルニカ』だけが長編で、
それだけ強い印象を残したということももちろんありますが、
それ以上に、このところ世界中でテロが続いていることから、
やはりこういう作品こそがいま読まれるべき小説ではないかと考えました。


同じようなことは芥川賞にも言えて、
こちらは政治に翻弄される在日朝鮮人の女の子の青春の日々を描いた
崔実さんの『ジニのパズル』(講談社)が受賞するのではないかと思います。

直木賞や芥川賞はしばしば時代を反映します。

世界が急速に不安定化しつつあるいま、
ぼくたちを正気に踏みとどまらせるような作品こそが
選ばれるのではないか(いや、選ばれて欲しい)と考えるのですがいかがでしょうか。

選考会は本日午後5時から、築地の新喜楽でひらかれます。

投稿者 yomehon : 09:00

2016年07月16日

直木賞直前予想その(6) 『真実の10メートル手前』


いよいよ最後の候補作、
米澤穂信さんの『真実の10メートル手前』(東京創元社)です。

米澤さんはミステリーファンのあいだでは
以前からその才能を高く評価されてきた作家です。

古今東西にわたる文学作品を読んで蓄えられた知識と、
その膨大な知識を背景にした批評精神、そして確かなテクニック。

このところ『満願』(2014年に各種ランキングでベストミステリーに選出)や、
『王とサーカス』(2015年ベストミステリー)といった素晴らしい作品を
立て続けに出しているし、いまもっとも勢いのある作家といっていいでしょう。

『真実の10メートル手前』は、
フリージャーナリスト・太刀洗万智(たちあらい・まち)を主人公にした連作短編集。


彼女は『さよなら妖精』という初期の米澤作品にヒロインとして初登場し(このときは高校生でした)、
その後『王とサーカス』で成長してジャーナリストになった姿をみせてくれました。

本書には太刀洗万智がフリージャーナリストになる前と後のお話、
つまり前日譚と後日談とがおさめられていますが、
もちろん本書で初めて米澤作品に触れるという方でも支障なく読めます。


表題作の「真実の10メートル手前」は、
経営破たんしたベンチャー企業で「美人広報」としてスポットライトを浴びていた
女性が姿を消し、わずかな手がかりをもとに太刀洗万智がその足取りを追うお話。

少ない手がかりから彼女がどのように女性の居場所を導き出すか。
そのプロセスはひじょうに論理的で、
ミステリーの謎解きとしてもなるほどと納得の出来。

ただラストはちょっと苦くて、
ぼくはこの苦さがこの作品集のひとつのトーンになっているように思います。

というのも、ここで描かれているのは、ある種の諦念のようなものだからです。

事件の謎解きの面白さはもちろんあるんですが、
それ以上に、凶悪事件を前にしてジャーナリストに出来ることの限界というか、
後からやって来た単なる部外者に過ぎないにもかかわらず、事件に首を突っ込むこと、
その胡散臭さへの自覚、みたいなものが、この作品の通奏低音としてずっとあるのです。

要するに太刀洗万智はジャーナリストとしてものすごく倫理的だということです。

「知る権利」という言葉を免罪符のようにこれみよがしに掲げながら、
事件の関係者のもとに平気で土足で踏み込んでいく
覗き見趣味のゲスな連中とは一線を画す人物なのです。

そのような人物だからこそ、
人々が見落としている真相に気づくことができる。

世間で美談として伝えられていることの裏にある、
事件の当事者が隠している真相を見破ることができるのです。

真実が明らかになることで、真犯人が突き止められることもあれば、
胸につかえていたことを吐露して関係者が救われることもある。
そのあたりのバリエーションはぜひ本書でお楽しみいただきたいのですが、
ひとつ難点があるとすれば、
主人公の太刀洗万智はひじょうに頭が切れ、かつ倫理的な人物であるがゆえに、
読者の中には、彼女に感情移入しづらいと感じる人もいるのではないかということです。

シャーロック・ホームズはおそろしく優秀な人物ですが、
読者が安心してこの物語を楽しめるのは、
そこにワトソンというごく普通の人間が寄り添っているからではないでしょうか。
(ちょっと話が脱線しますが、BBCのドラマ『SHERLOCK』が魅力的なのは、
その優秀なホームズの愛すべき欠陥人間ぶりを徹底的に描いてみせたからだと思います)

ワトソンのような存在がいないがゆえに、
読者にしてみれば、
何を考えているのが表情からは読み取れない太刀洗万智という冷静な人物が
スパッと事件の謎解きをするのを、ただただ「すごいなぁ」と脇から眺めているだけのような、
そんな置いてけぼり感があるんですよね。

そういう意味では、やや読者を選ぶようなところもある作品かなと思います。


さて、これですべての候補作をご紹介しました。

最終予想は、選考会当日の朝、
7月19日(火)オンエアの『福井謙二 グッモニ』
「グッモニ文化部エンタメいまのうち」のコーナーにて発表いたします。
ぜひお聴きください!


投稿者 yomehon : 05:00

2016年07月15日

直木賞直前予想その(5) 『ポイズンドーター・ホーリーマザー』


次は湊かなえさんの『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社)です。

湊さんはよく「イヤミスの女王」などと評されます。

「イヤミス」というのは、後味の悪いミステリーのこと。
読み終えた後、イヤ~な気持ちになるミステリーのことです。

読んだことのない人にとってみれば、
「なにを好き好んでそんなものを読むんだ」と疑問に思うかもしれませんね。

もう少し丁寧に説明すると、
「イヤミス」というのは、
ぼくらがふだん目を背けがちな心の暗黒面を描くジャンルなのです。

先ほど「読み終えた後、イヤ~な気持ちになる」と書きましたが、
それは「不快感を覚える」という意味ではなくて、
それまで気がつかなかった(もしくは気がつかないフリをしていた)
自分自身の醜い部分を目の前に突き付けられて、
動揺したり、落ち込んだりする、という意味だと思ってください。

イヤミスを読んだ後の副作用は、
もはや素直な目で世界を見ることができなくなること。

職場に誰もが絶賛するような人物がいたとしましょう。

その人は男性で、どんな困難な状況でも決してあきらめず、
部下を励まし、上司ですらその人を頼りにしてしまうような
どこから見ても非の打ち所のない魅力あふれる人格者だとしましょうか。

もしそんな人物がいたとすれば、
普通は憧れや称賛の目でその人のことを見るはずです。

しかしイヤミス読者(たとえばぼくのような)は違います。

「ほんとは家で奥さんに暴力を振るっているんじゃないだろうか」とか、
「実は幼児性愛者なんじゃないか」などと、裏の顔を想像してしまうのです。

誰がみても善人にみえるような人物こそ、
とんでもないダークサイドを心の中に隠し持っているかもしれない・・・・。

イヤミスが教えてくれるのは、そういう人間の見方だったりするのです。


さて、『ポイズンドーター・ホーリーマザー』ですが、
こちらは湊かなえさんの原点回帰の一冊。

最近は毛色の違う作品にも手を広げていた湊さんが、
ひさしぶりに堂々たる「イヤミスの女王」っぷりを見せつけてくれました。

もちろんここにおさめられた6編すべてが、人間の暗部に光を当てた作品です。


でも、早とちりしていただきたくないのは、
湊さんの書く作品は、ただ単純に善い人の裏の顔を描いたようなものではない、ということ。


たとえば、「罪深き女」という作品をみてみましょう。

警察の事情聴取に答えて女性が過去を振り返るなかで、
徐々に事件のあらましがみえてくるという構成になっています。

この女性は子どもの頃、シングルマザーの母と小さなアパートで暮らしていて、
当時、同じアパートに住む年下の男の子のことを気にしていました。
男の子が淋しそうにアパートの階段付近に座っていたからです。

男の子は母親にネグレクトされていて、
食事も満足にとれないような境遇にあったのですが
この女性は当時、そんな状況にあるということにまでは気がつきませんでした。

その時のことを女性はこんなふうに警察に説明します。


「児童虐待やDVの起きた家の近隣に住む人たちが、
声が聞こえていたはずなのにどうして通報しなかったのかとか、
見て見ぬフリをしたのかと暗に責められているのを、情報番組などで見かけることがあります。
その度に、専門家は近所づきあいが希薄になったとか、
他者に無関心な人が増えているとか、したり顔で言ったりするものですが、
私は決してそれだけではないと思います」

「気にはなるけど、それよりも自分の問題で精一杯な人はたくさんいるはずです。
退屈な人がじっと耳をすましていれば、怒鳴り声や泣き声と解る音でも、
気持ちを外に向けていない人にとっては、窓の外を車が通り過ぎるような、
無音ではないけれど、耳まで届くことがない音になってしまうのです」


「自分だって毎日が精一杯」という人にとっては、
同じような境遇にある隣人が助けを求めていても、
その声は「窓の外を車が通り過ぎるような」音と同じようなものになってしまう……。

こういう細かいところまで分け入って人間心理を描くのが湊さんの真骨頂です。


そもそも人間に二面性があるなんて当たり前の話です。

湊さんの凄さというのは、
この当たり前の地点から、
さらにさらに深いところまで掘り進んで、「真実」を掘り出してくるところにあります。

しかも、そうして湊さんがぼくたちに見せてくれる「真実」という名の石は、
光を当てる角度が変わるたびに、次々と色が変わるようなものなのです。


人間が持つ複雑さを描かせたらピカイチの
「イヤミスの女王」による原点回帰の短編集。

選考委員がどのように評価するか楽しみです。

投稿者 yomehon : 04:00

2016年07月14日

直木賞直前予想その(4) 『暗幕のゲルニカ』

続いては原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』 (新潮社)

原田さんは、ベストセラーとなった『楽園のカンヴァス』以降、
美術ミステリーという新ジャンルを切り拓きつつある期待の作家です。

『楽園のカンヴァス』ではアンリ・ルソーの幻の絵をテーマにした作者が
本作で取り上げるのは、もちろん書名にもあるようにピカソの傑作『ゲルニカ』です。


1937年4月26日、ナチス空軍によって
スペインのバスク地方最古の町として知られるゲルニカが爆撃されました。

町が廃墟と化すほどの凄まじい爆撃は、
人類史上初めての無差別空爆であるとも
初めて焼夷弾が使用された空爆であるとも言われています。
(空からの無差別攻撃の歴史については、
前田哲男さんの『戦略爆撃の思想」』が多くのことを教えてくれます)


このゲルニカ爆撃に大きなショックを受けたのがピカソでした。

フランコ軍との内戦のさなかにある共和国政府からの依頼を受け、
ピカソは5月に開幕するパリ万博のスペイン館に展示する絵画を制作することになっていました。

ピカソはゲルニカの悪夢を世界に伝えるために絵を描き始めます。

この傑作が生まれるまでのドラマを、
ピカソの愛人で、傑作「泣く女」などのモデルにもなった写真家
ドラ・マールの視点で描いたパートが、物語のひとつの柱になります。
(ドラはゲルニカの貴重な制作過程をすべて写真におさめたことで歴史に名を遺しました)


そしてもうひとつ、ピカソの物語のかたわら、
現代を舞台にした物語も並行して語られます。

こちらの主人公は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の絵画彫刻部門で
アジア人初のキュレーターとなった瑤子。

瑤子は9・11のテロで夫を喪います。

ゲルニカの空爆とニューヨークでの9・11テロ、
20世紀と21世紀の悲劇が物語のなかで対置され、
両者をピカソの『ゲルニカ』がつなぎます。

第二次大戦とイラク戦争。
並行していた物語は、
やがて『ゲルニカ』を軸に思いもよらないかたちで交差するのです。


国連本部のロビーには、「ゲルニカ」を精巧に模したタペストリーが飾られているのですが、
2003年2月、ここで当時のパウエル国務長官がイラクへの空爆を示唆する演説をした際、
このタペストリーが布で覆い隠されたことがありました。
この史実をもとに、作者は「暗幕のゲルニカ」という物語を生み出したのです。


意表を突く展開と巧みな構成でぐいぐいと読ませる手際はお見事。

また毎日のようにテロに巻き込まれて
犠牲になった人々の痛ましいニュースが伝えられているように、
テロは非常に今日的なテーマでもあります。

作中、「ゲルニカは誰のものか」という問いが繰り返されるのですが、
この問いは、読者の胸に重く響くはず。

まさにこんな時代だからこそ読まれるべき小説です。


ところで、読みながら気になって仕方なかったのが、
20世紀パートの登場人物がほぼ実在するのに対して、
21世紀パートでは、ブッシュ大統領やパウエル国務長官のような
誰もが知っている人物でさえ架空の名前に置き換えられていたこと。

9・11テロは現実の事件なのに、
ここだけ読みながら「なぜ?」と引っかかってしまいました。

ブッシュやパウエルまで架空の人物にするのには
なにか作者の意図があるのかもと思いましたが、最後までその理由はわからず。

もうひとつ、物語がやや唐突に終わる感があります。
ラストに至るまでが重厚なだけに、
この幕切れは選考委員のあいだで議論になるような気がしました。

投稿者 yomehon : 15:00

2016年07月13日

直木賞直前予想その(3) 『家康、江戸を建てる』

門井慶喜さんの『家康、江戸を建てる』(祥伝社)にまいりましょう。

これはですね、一言で言うと「江戸のインフラ小説」。
江戸という都市がどのようにつくられたかをインフラの視点から描いたユニークな時代小説です。


天正18年(1590年)、小田原攻めの陣中で、
家康は豊臣秀吉から北条家の領地だった関八州をやると言われます。

北条征伐の功に報いるとみせかけて、
代わりに現在の領地である駿河や遠江、三河などを差し出させるという老獪なやり口でしたが、
家臣たちが反発する中、家康はこの国替えに応じます。

「関東には未来(のぞみ)がある」

家康は家臣たちにそう宣言するのです。

居城となるのは武州千代田の地にある江戸城。

とはいえ、家康がはじめて江戸に足をふみいれたとき、
そこには未来の繁栄を予想させるようなものは何ひとつありませんでした。


「これが江戸じゃ」
灰色の土地。
としか、言いようがなかった。
江戸城の東と南は、海である。いまは干潮のため砂地が露出しており、
竹の棒が何十本も立てられている。網でも巻きつけて魚をとるのか、
あるいは棒そのものに付着した海苔のたぐいを集めるのか。
いずれにしても、沿岸のところどころに藁葺の民家がさびしそうにかたまっているのは、
漁師町にちがいなかった。
西側は茫々たる萱原。
北は多少ひらけている。みどり色にもりあがった台地にそって農家がぽつぽつならんでいるのは、
唯一、心なごませる光景だった。
とはいえ、百軒あるだろうか。せいぜい七、八十軒くらいではないか。
駿府や小田原の城下町とくらべると、五百年、六百年も発展を忘れたような
古代的な集落でしかなかった。


その後、江戸は世界最大の人口を抱える都市へと変貌します。
(たとえば『歴史人口学で見た日本』など速水融さんの一連の著作をお読みください)

しかしこの時点では、誰もが「そんな未来はあり得ない」と考えたことでしょう。

「江戸の地ならし」をするために、
家康は次々と壮大なプロジェクトを命じます。

洪水の原因となる利根川の流れを東へと捻じ曲げ、
肥沃な大地を出現させたかと思えば(「流れを変える」)、
武蔵野に湧き出る清水を市中へと引っ張ってくる(「飲み水を引く」)などなど。

ぼくが面白く読んだのは、江戸独自の貨幣を鋳造するプロジェクトの話(「金貨を延べる」)。
独自の通貨を鋳造することで、水面下で上方との通貨戦争が起きるのですが、
金融もまた都市のインフラのひとつなのだという視点を教えられました。

物語はプロジェクトごとに連作短編のかたちでまとめられていますが、
まるっきりフィクションというよりは、ノンフィクションノベルと言ってもいいかもしれません。

江戸の街づくりに関しては、
鈴木理生さんの『江戸はこうして造られた』(ちくま学芸文庫)という凄く面白い本がありますが、
この小説を読むだけでもかなり当時の街づくりのダイナミズムがわかるのではないでしょうか。

それにしても切り口がユニークですね。
築城を描いた小説というのは他にもあるんですが、
都市を造りだすプロセスを小説にした例は
ぼくの乏しい知識ではちょっと思い浮かびません。


江戸時代というのは、
260年あまりも戦のない世の中が続いた日本史上でも稀な平和な時代でした。

戦に明け暮れた半生を送り、
「灰色の土地」と評された広大な土地を前にした家康の目には、
いったいどんな未来が見えていたのでしょうか。

天守閣の色をめぐる謎解きを描いた一編(「天守を起こす」)で明かされる家康のビジョン。
そこに作者は混迷する現代社会へのメッセージを込めているように思います。


ただ、今回の候補作のなかで、
もっともユニークな切り口で描かれた作品ではありますが、読み口はわりとあっさりした感じ。
そこが選考委員にどう評価されるかではないでしょうか。


投稿者 yomehon : 16:00

2016年07月12日

直木賞直前予想その(2) 『海の見える理髪店』

続いては、荻原浩さんの『海の見える理髪店』(集英社)です。


この短編集をひとことで表現するなら、「普通の人の人生に起きる奇跡」でしょうか。


おすすめは「成人式」という一編。

5年前に一人娘を交通事故で亡くした夫婦の日常が描かれます。

ふたりとも娘を喪ったことが受け入れられず、
時間が止まってしまったような日々を送っています。

日航ジャンボ機墜落事故の遺族の心のケアにあたった
精神医学者の野田正彰さんに『喪の途上にて』という名著がありますが、
まさに愛娘を喪ったふたりも延々と続くかのような喪の途上にいます。

ある日、そこに成人式のダイレクトメールが届きます。

生きていれば娘は成人式を迎えていたのに……・。

業者は入手した個人情報をもとにDMを送っているだけなのでしょうが、
夫婦にとっては傷口からふたたび血が流れるかのような酷な仕打ちです。

ところが物語はここで意外な方向へと舵を切ります。

娘が出るはずだった成人式に夫婦で出席しようという話になるのです。
保護者としてではありません。
なんと新成人として参加しようというのです!

とはいえふたりともいい歳。
当然のことながら若づくりをしなければならず、
ここから夫婦の悪戦苦闘が始まります。

ここから先はぜひ本をお読みいただきたいのですが、
娘の代わりに夫婦で成人式に参加しようという突拍子もない思いつきが、
次第に喪の途上で足踏みをしている夫婦を変えていくんですね。

その「魂の再生」のプロセスはまさに奇跡としか呼べないような感動的なもので、
でも一方で中年夫婦の悪戦苦闘ぶりは可笑しくもあって、
泣いて笑って、読み終えたときにこんなにあたたかい気持ちになれる
作品というのもそうそうないなぁと思いました。

この他にも、
海辺の小さな町でひっそりと理髪店を営む店主の過去が明らかになる「海の見える理髪店」。
画家の母に反発して家を出た女性がひさしぶりに帰郷して目にしたものを描く「いつか来た道」。
赤ん坊を連れて実家に帰った若い母親に毎晩届く不思議なメールを描いた「遠くから来た手紙」。
両親が離婚して田舎に引っ越した少女の小さな冒険が楽しい「空はきょうもスカイ」。
父の形見を手に古い時計店を訪れた男が時計職人に聞かされた話を描く「時のない時計」といった
作品がおさめられています。

どの登場人物も、過去になんらかの過ちを犯していたり、
喪失を経験していたりという共通項を持っています。
そんな彼らの身の上にちょっとした奇跡が起きるというのが、この短編集の趣向です。

荻原浩さんは若年性アルツハイマーを描いた『明日の記憶』 (渡辺謙さん主演の映画を
ご覧になった方も多いでしょう)で山本周五郎賞を受賞するなど、
もともとストーリーテラーとしては定評のある方。

「大人が泣ける短編集」というのは、
直木賞が大好物なカテゴリーではありますが、
さて本作はどのように評価されるでしょうか。

投稿者 yomehon : 04:00

2016年07月11日

直木賞直前予想その(1) 『天下人の茶』

お待たせいたしました!
今回より直木賞の候補作をみてまいります。

トップバッターは、伊東潤さんの『天下人の茶』(文藝春秋)です。

秀吉と利休との相克を描いたこの作品。
戦国の世を舞台にした小説ではお馴染みといいますか、
むしろ手垢にまみれたといっていい題材で選考会に挑みます。

このテーマでは過去に山本兼一さんが
『利休にたずねよ』という素晴らしい作品で直木賞を受賞しています。

当然のことながらこの作品と『天下人の茶』は比較されます。

『利休にたずねよ』は、利休が死ぬところから物語が始まり、
そこから時間が遡って行くという凝った構成になっていました。

これに対して『天下人の茶』は、
帝の前で自ら能を舞う秀吉の心中を描くところから始まります。

無心で能を舞おうとしながらも、
秀吉はまるで傀儡子に操られているかのような感覚にとらわれていきます。
傀儡子、つまり人形遣いですね。

「わしは豊臣秀吉だ。まごうかたなき天下人ではないか!」
疑念を打ち払うかのように、
そう自分に言い聞かせようとすればするほど、
その胸には疑いが黒い雲のようにわいてくるのです。
その疑念とは、「いったい、わしは誰なのだ」という問いです。

死してなお、秀吉の精神をここまで支配する傀儡子とは、もちろん利休のことです。
千利休とはいったい何者なのか。

作者は、利休の高弟だった牧村兵部、瀬田掃部、
古田織部、細川忠興らの視点を通して、
利休の姿を浮かび上がらせるという手法をとります。

これが見事にハマりました。
他人の目を通して描くことで、
本作は利休のミステリアスな部分を際立たせることに成功しています。

しかも作者はここに利休の「死の真相は何か」という謎解きをもってくる。

茶の湯の席では、
帝だろうが庶民だろうがみな平等であるという
当時としては珍しい利休の平等思想に、
武家社会のヒエラルキーを崩壊させられるおそれを抱いた秀吉が
切腹を命じたというのがよく言われる「真相」ですが、
作者はここに加えて、さらに驚くような死の真相を持ってくるんですね。

それは作者のいわば独創的な歴史解釈をもとにしたもので、
いまとなっては事実を確かめようのない仮説に過ぎませんが、
なるほど利休ほどの人物であればそういうことを企んだかもしれないと
思わせるだけの説得力を持った説になっています。

そしてその死の真相に至ったとき、
ミステリアスだった利休が、
こちらの背筋が寒くなるような凄みのある人物へと変貌するのです。


伊東潤さんはかつて渾身の一作
『巨鯨の海』で直木賞を逃しています。
直後に番組でお目にかかる機会があったのですが、
やはり御本人にとっても手応えのある作品だったようで
落胆の色は隠せないなと感じたことを覚えています。


秀吉と利休という手垢にまみれた題材を
ここまでの物語へと昇華してみせた手腕は、
はたして今回はどのように評価されるでしょうか。

投稿者 yomehon : 17:00

2016年06月21日

『Forbes JAPAN』で書評スタート

「グッモニ」火曜日コメンテーターの藤吉雅春さんといえば、
昨年ノンフィクション作品としては
異例のベストセラーになった『福井モデル』をお書きになったジャーナリストでもあり、
また雑誌『フォーブス ジャパン』の副編集長でもあります。

そんなご縁で、『フォーブス ジャパン』で書評の連載をすることになりました。

編集部がつけてくれたタイトルが『本は自己投資だ』。

なんと恐ろしい……。

「毎日毎日、本ばっかり買い込んできやがって」と文句をたれるヨメに
いちどでいいから、そんなふうに啖呵をきってみたいものですが、
言えば血の雨が降るでしょうね。
絶対に口にできないセリフです。

繰り返しますが、ぼくがそう言っているのではなく、
編集部がつけたタイトルですからね。
(って誰に向けて予防線張ってるんだか)

『フォーブス ジャパン』といえば、
起業家みたいなスタートアップ業界の方々や
ビジネスマンのみなさんがおもな読者層というイメージがあるんですが、
さてどうなりますことやら。

もしよろしければ、こちらをどうぞ

投稿者 yomehon : 03:00

2016年06月20日

第155回直木賞 候補作発表!

本好きは梅雨明けではなく
直木賞によって夏がやってきたことを知るのです。

そんなわけで、上半期の直木賞の候補作が発表されました。

候補は以下の5作品です。

伊東潤 『天下人の茶』 (文芸春秋)

荻原浩 『海の見える理髪店』 (集英社)

門井慶喜 『家康、江戸を建てる』 (祥伝社)

原田マハ 『暗幕のゲルニカ』 (新潮社)

湊かなえ 『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社)

米澤穂信 『真実の10メートル手前』(東京創元社)


実績のある方ばかりですね。
でもいずれも「これぞ代表作!」というような作品ではないところが特徴でしょうか。

つまりは誰がもらってもおかしくない、ということでもあって、
うーん…いつにも増して予想が難しい。

ちなみに選考会は、7月19日(火)。

それまで候補作をじっくり読み込みたいと思います。

直前予想はあらためてアップしますのでお楽しみに!

投稿者 yomehon : 06:00

2016年06月06日

『翻訳できない世界のことば』 世界は多様で素晴らしい!


好きな日本語をあげろと言われたらおおいに迷いますが、
子どもの頃から妙に惹かれる言葉をあげるとするならば、
それはもう迷うことなく「たそがれどき」だと答えます。

日が沈んだ直後、西の空がまだうっすらと赤味がかっているわずかなひとときを指す言葉。

ご存知の通り、漢字で書けば「黄昏時」ですが、
もともとは「誰(た)そ彼(かれ)」からきています。

つまり「あなたは誰ですか?」と尋ねてしまうくらい
相手の顔が判別できない状態、ということですね。
薄暮というやつです。

一方、「彼(か)は誰(たれ)」となると「かわたれどき」で夜明け前をさします。
こちらは薄明ですね。


でも夜明けよりも「たそかれどき」のほうに惹かれてしまうのは、
この時間が一方で「逢魔時(おうまがとき)」とも呼ばれるからです。

文字通り、物の怪であるとか、
人ならぬものと出会ってしまう時間帯ということで、
ものすごく想像力をかきたてられる言葉です。

夕暮れ時に相手の顔がみえないことをもって、
昔の人は「もしかしたらあの人は人間ではないかもしれない」と想像したんですね。


いつ頃この言葉を知ったかはもはや記憶が曖昧ですが、
子どもの頃は、黄昏時に道で誰かとすれ違うたびに、
「いまの人はお化けだったかもしれない」と妄想してはゾクゾクしたものです。

幼い頃の記憶で鮮烈におぼえているのが、
真夏の週末にひらかれていた夜市の光景です。

その頃、ぼくは山奥の小さな町に暮らしていました。
周囲を真っ黒な山に囲まれた中、
商店街の電飾の光に、
金魚すくいやお面の並べられた出店がぼうっと浮かび上がる様は、
まさに異界との境界があいまいになったかのごとき光景で、
大人になったいまでも、あの夜市には相当数の物の怪たちが紛れ込んでいたと信じています。
(恒川光太郎さんの傑作ホラー小説『夜市』にそういう雰囲気がよく出ていますのでぜひお読みください)


このように、日没から夜に移行するまでのわずかな時間に特別な言葉を当てるところに
日本人の独特な感性を見て取ることができます。

でもそれは別に日本人が特別に感性が優れているということではなくて、
世界中の国や地域に、その土地の言葉でしか表せないような
独特なニュアンスの言葉があるんですよね。


余談ですが、
もしかしたらここで、
「そうそう!イヌイットには『雪』を表現する言葉がたくさんあるだよね」
なんて思った人がいるかもしれません。

この「たくさん」は人によって「30個」とか「100個以上」とかバリエーションがあるのですが。

実はこれはアメリカのアマチュア言語学者のベンジャミン・ウォーフという人が、
1940年に書いた論文がもとになって広まったガセネタのようです。

言語学者のマーク・C.ベイカーという人が、
『言語のレシピ』(岩波現代文庫)という本の中でこのエピソードを紹介しつつ、
この話が「(アメリカ人の)民間信仰の中にしっかりと根をおろしてしまった」と嘆いています。


さて、そんなわけで今回ご紹介したいのが、
世界中の微妙なニュアンスの言葉を集めた素敵な一冊、
『翻訳できない世界のことば』エラ・フランシス・サンダース 前田まゆみ訳(創元社)


これ、素晴らしい本です。
著者は各国を旅する旅人&イラストレーター。
彼女が世界中で収集した言葉がかわいらしいイラストともに掲載された
とてもチャーミングな本です。

ちなみに原書のタイトルは「Lost In Translation」。

ソフィア・コッポラに同タイトルの映画作品があるけれど(2003年 ビル・マーレイ主演)、
あの作品が言葉の通じない異国の地で孤独を感じる主人公を描いていたのに対し、
本書はまったく違います。

著者いわく、
「(読者にとってこの本が)忘れかけていたなにかを思い出すものであったり、または今まではっきりと
表現したことのなかった考えや感情に言葉を与えるものであればと願っています」と書いているように、
パラパラと本書をめくっているだけで、
世界には人間の行動や感情を表現するこんなにも多様な言葉があるのかと驚かされるはず。


そしてこういう言葉が生まれたその国の文化についても想像をかきたてられるのです。

たとえば、さっき触れたついでに、イヌイットの言葉をみてみましょう。

イヌイット語にはこんな言葉があるそうです。

「Iktsuarpok(イクトゥアルポク)」
意味は、
「だれか来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出て見てみること」

雪深く、訪れる人も少ない土地に住む人ならではの
人恋しい感じが出た言葉だと思いませんか?


逆に暑い南の国の言葉もみてみましょうか。

マレー語には、
「Pisanzapra(ピサンザプラ)」
という言葉があるそうです。

意味はなんと「バナナを食べるときの所要時間」!

そんなの子どもと大人じゃ違うんじゃないの?と思いますが、
あちらでは一般には「だいたい2分くらい」とされているそうです。
日本でいうところのカップラーメンの3分みたいなものかもしれませんね。


深いなぁと思う言葉も。

スペイン語で「Vacilando(ヴァシランド)」は、
「どこへ行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した旅をする」

なんか親が子どもにこんな言葉をかけたりしていそう。


ヒンディー語の「Jugaad(ジュガール)」という言葉は、
「最低限の道具や材料で、とにかくどうにかして、問題を解決すること」。

先人の知恵をかんじさせる言葉ですよね。
これから人がどんどん減っていく「課題先進国」の日本にこそ必要な言葉かも。


いまの日本に必要な言葉といえば、こんなものもありますよ。

オランダ語の「Struisvogelpolitiek(ストラウスフォーヘルポリティーク)」

直訳すると「ダチョウの政治」。
意味は、「悪いことが起きているのに、いつもの調子で、まったく気づいていないふりをすること」


いったいどういう文化的な背景からこういう言葉が生まれたんだろうと
あれこれ想像をたくましくして楽しくなってしまう言葉もあります。

ドイツ語の「Drachenfutter(ドラッヘンフッター)」

直訳すると「龍のえさ」。
意味は、「夫が悪いふるまいを妻に許してもらうために贈るプレゼント」。

なんと気の毒な風習……。

カリブ・スペイン語で「Ctisuelto(コティスエルト)」

意味は、「シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男の人」。

え?ダメなの?


ロマンティックな言葉もありますよ。

ひとつだけ紹介すると、
ブラジル・ポルトガル語の「Cafune(カフネ)」

意味は「愛する人の髪にそっと指を通すしぐさ」。

あいにく「恋は遠い日の花火」なんだよね……って若い人にはわからんか。
傑作CMコピーの歴史を勉強してください。


本書には日本語もいくつか採用されています。
「なるほどそうきたか」という言葉もあれば、意外な言葉もあります。
著者の琴線に触れた日本語は何か、それは読んでのお楽しみ。


最後に個人的にグッと来た言葉を紹介しておきましょう。

スウェーデン語で「Resfeber(レースフェーベル)」

この言葉をみて初めていまの自分に不足しているものがわかりました。
日頃のストレスの原因はこれだったのか!

意味は「旅に出る直前、不安と期待が入り混じって、絶え間なく胸がドキドキすること」。

今年の夏は絶対に旅に出よう。
それも誰にも邪魔されない一人旅に。

そう固く誓ったのでした。

投稿者 yomehon : 17:00

2016年05月27日

『由布院の小さな奇跡』 ふるさとを襲った地震について

ふるさとに甚大な被害をもたらした地震からまもなく1ヶ月半がたとうとしています。
この間、たくさんの方から励ましの声をいただき本当に感謝しております。
この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

今回の地震は、
ぼくが子ども時代を過ごした土地土地を
乱暴に塗りつぶすかのように広範囲にわたる被害をもたらしました。

風に波打つ草原で
赤牛たちがのんびりと草を食んでいる阿蘇も、
幾筋もの湯煙がたなびく別府も、
湖底から湯が湧き出る小さな湖のほとりに美しい宿が佇む湯布院も。

幼い頃から慣れ親しんだいくつもの大切な場所が地震によって蹂躙されたのです。

それらはみな、自分の心の奥にあるいちばん柔らかな部分を
形づくっていたのだということにいまさらながらに気づかされました。

阿蘇山系の火山灰層を通ってこんこんと湧き出る水の甘さや、
街のあちこちから聞こえてくる温泉が吹き出る蒸気の音や
ゆでたまごを思わせる硫黄のにおい、
朝日が差し込む中、湖面から湯気が立ち昇る湖の神秘的な光景。

幼い頃に触れたそうしたものが、
いかにみえないところで自分を支えてくれていたかということに
ようやく気づかれたのです。

ふるさとが破壊されるということはこういうことなのですね。
心にぱっくりと傷口が開き、実際にそこから血が流れるのですね。

これまで大規模な災害を受けた土地を何箇所も取材してきましたが、
いかに当事者意識が希薄だったのかを今回の地震で痛感しました。

メディアの中には早々に復興を唱えているところもありますが、
現実はそう簡単にはいきません。

ある親戚の家は補修するだけでも数百万かかると言われたそうです。
年寄りだからとこのまま直さずに住むようですが、
傷んだ屋根の下、余震に怯えながら
身を寄せ合っている年寄りたちのことを思うと胸が痛みます。


親戚や友人たちが大変な思いをしている中、
自分にはなにができるだろうとずっと考えていました。

お金や物資はすぐさま送ったし、
飲食業界の友人たちは彼の地の食材を優先的に使うよう快諾してくれたし、
思いつくことはすぐ行動に移したにもかかわらず、なにか足りない気がするのです。

いろいろ考えた末に気がついたのは結局、
可能な限り現地に足を運ぶのがいちばんだということですね。
言葉にするととても平凡なことなのですが。


「余震も収束したようだし行っても大丈夫かな」と
あなたが納得されたタイミングでかまいません。

ぜひ熊本や大分に足を運んでいただきたいのです。


たとえば、古代の巨大噴火口の名残である外輪山を車で走ってみてください。
眼下にひろがる阿蘇盆地のパノラマは日本屈指の雄大さです。

湯布院から久住を通って阿蘇に抜けるやまなみハイウェイもおすすめです。
変化に富む景色になんども歓声があがるはずです。

別府の温泉は昔から「別府八湯」といってバラエティ豊かです。
地球上には11種類の泉質がありますが、
このうち10種類が別府にあるといわれているのをご存知でしょうか。
屏風のように街の背後にそびえる活火山、鶴見岳と伽藍岳の地下から
海へと2つの断層がのび、
この断層に沿って流れる熱水が、街のそこかしこから噴出し、
その場所ごとの地層との化学反応によって多彩な泉質が生み出されています。

竹田市の長湯温泉は全国でも珍しい炭酸泉です。
まるでサイダーに漬かっているように全身に泡がつく不思議な温泉は、
かの大仏次郎をして「ラムネのよう」と言わしめました。
故・赤瀬川源平さんが愛した温泉でもあって、
建築家の藤森照信さんが設計したラムネ温泉館は
とてもかわいいので女子旅なんかには特におすすめです。

由布市の湯平(ゆのひら)温泉は、
漫画家つげ義春さんの傑作エッセイ『貧困旅行記』にも鄙びた温泉として登場します。
戦前は別府に次いで九州でも2番目に観光客の多い湯治場でした。
往時の勢いを偲ばせる寂れ具合が
なんともいえない味わいを醸し出していておすすめ。
観光地の喧騒はちょっと苦手というひとり旅の方などにいかがでしょうか。


さて、当欄では本もおすすめしているので、
一冊ふるさとにちなんだ本をご紹介いたしましょう。

由布岳の麓にある小さな町が
年間400万人の観光客を集める観光地へと成長した秘密を紐解いた
『由布院の小さな奇跡』木谷文弘(新潮新書)です。

別府につぐ全国2位の湧出量を誇りながら、
この名所旧跡もない盆地の田舎町には、
かつては観光客がほとんど寄りつきませんでした。

その街を変えたのが、
中谷健太郎さんと溝口薫平さんという名プロデューサーです。

「亀の井別荘」と「由布院 玉の湯」という日本を代表する名旅館を
それぞれ育て上げただけでなく、
「ゆふいん音楽祭」や「湯布院映画祭」などの名物イベントも生み出しました。


大資本によるゴルフ場建設計画を阻止して町の景観を守る一方で、
生産者を育て、土地の恵みを洗練された里山料理へと仕立て上げる。
亀の井別荘や旅館玉の湯がつくりあげたスタイルは、
いまでは全国の旅館に取り入れられています。


このキャラクターのまったく違うふたりの名プロデューサーにスポットを当て、
由布院が日本有数の温泉地に育つまでを追った本書は、
地域おこしに取り組む人たちへのヒントがぎっしり詰まっていると同時に、
すぐれたガイドブックにもなっています。


この本を読んで由布院を訪れていただくと、
町並みのつくりかたひとつとっても、
どれだけ地元の人の思いが込められているかを実感していただけるはずです。
(余談ですが、先ほどから湯布院と由布院を使い分けているんですが、
この使い分けについても本書で触れられています)


ちょっとマニアックなポイントかもしれませんが、
個人的には、ぜひ旅館「玉の湯」の庭をみていただきたい。

由布の野山がそのまま庭になったかのようなお庭で、
自然のままの山野草が生えているように見えますが、
実は職人さんがものすごく計算して丁寧に植えているのです。
人の手が入っているのにナチュラルにみえるあの庭は一見の価値あり。
ああいう細かいディテールへの心配りこそ、おもてなしの神髄ではないかと思います。

亀の井別荘か玉の湯でお昼を食べて、
食後のコーヒーを愉しんだ後は(どちらにも素晴らしい喫茶室があります)
ぜひぶらぶらとあたりを散策してください。

ぼくはいつも玉の湯の裏手にある木工クラフトの工房まで足を伸ばして、
口当たりのやさしい木のスプーンを買うのがお決まりのコースになっています。


聞いたところによると、
由布院の町づくりに関わった人々の多くが、
今回の地震で被災されたようです。

ご自宅や旅館の建物が壊れたりして、
中にはかなり気落ちしている方もいらっしゃると聞いています。

物資を送ることも大切ですが、
いちばんはやはり、
お目にかかって励ましの声を掛けて差し上げることだと思うのです。

だからみなさんもぜひ足をお運びください。

雄大な自然と溢れんばかりに湧き出る温泉、
豊かな土地の恵みとふるさとを心から愛する人たちが、
みなさんのお越しをお待ちしております。

投稿者 yomehon : 21:00

2016年04月08日

『ガラパゴス』 この国を蝕むものの正体


優れた小説の条件とはなんでしょうか。
あげようと思えばいくらでもあげられますが、
あえてひとつに絞るとするならば、
「読んだ前と後とでは、自分が変わってしまうような小説」のことではないでしょうか。

読み終えた後、明らかに自分の中の何かが変えられてしまっている。
そんな小説。

もちろん変わりようはいろいろです。
心に小さな引っかき傷のようなものが残されて、それがひりひりと痛むこともあれば、
初めて知ってしまった背徳の味わいにひそかに興奮をおぼえることもあります。
あるいは読む前よりも視界がひらけたような感じがすることもあれば、
これまで好きだったものが急に色褪せて見えてしまうこともあります。

どうしてそうなったのかはわからないけれど、
その小説がなんらかの化学変化を自分の中に引き起こしたことだけは確か。
ぼくにとって優れた小説とはそういうものです。


『ガラパゴス』相場英雄(小学館)もまさにそういう小説でした。

では、この小説によってもたらされた変化とは何だったのか。
この小説を読み終えたとき、
ぼくの体を駆け抜けたのは戦慄でした。
この国を根っこから腐らせているものの正体を目撃してしまったような
そんな衝撃を受けたのです。


ベストセラー『震える牛』と同様、本作の主人公も刑事の田川信一です。

田川が所属するのは警視庁捜査一課の継続捜査班。
近年、殺人事件の時効が撤廃されたことによって、
未解決の事件を再捜査する部署ができたのです。

ただ、田川が担当するのは、
いわゆるコールドケースと呼ばれるような
世間が注目する未解決の大事件を担当する特命捜査対策室とは違って、
地味な継続案件ばかり。
そのため田川の部署は「一課の墓場」呼ばわりされています。

でも実は田川は「地取りの鬼」と呼ばれる警視庁きっての切れ者。
「地取り」というのは犯罪捜査の基本である「聞き込み捜査」のこと。
足を棒にして地道に関係者の証言を集めていくことで、
ゆっくりとではありますが、確実に真相へと迫っていくのが田川のやり方なのです。


2013年に足立区の団地の空き部屋で男性の遺体が発見されました。
遺体のそばには練炭が置かれており、身元不明の遺体は当初、
一酸化酸素中毒による自殺として処理されました。

同期の刑事を手伝って身元不明遺体のファイルを調べていた田川は、
ふと目に留めたこの遺体の状況に、不審な点を見出します。

遺体からは殺人の痕跡が見て取れました。
自殺を偽装した殺人事件なのではないか。
田川はそんな疑いを抱きます。

当時、同じ足立区内で、
派遣労働者の男が8人を殺害する通り魔殺傷事件が発生しました。
捜査員のほとんどがそちらにかかりっきりになってしまったため、
この団地でひっそりと亡くなっていた男性は、
たいした検証もないままに自殺と処理されたのではないか――。

再捜査をはじめた田川が団地を訪れると、
住民の高齢化が進み、空室が目立つようになっていました。
遺体が発見された部屋もあいかわらず空室のまま。
田川はこの部屋でメモを発見します。
浴槽の下に押し込まれていたメモからは、
「新城 も」「780816」という文字がかろうじて読み取れました。


メモの謎を追って、田川の地を這うような捜査が始まります。

わずかな手がかりを頼りに、田川は男性の身元を突き止めます。
男性は派遣労働者でした。

まるで細い糸をたぐるように、田川は男性の痕跡を辿っていきます。

亀山、美濃加茂、草加と男性が働いていた土地を辿る過程で見えてきたのは、
低い賃金で全国を転々としながら暮らす派遣労働者の現実でした。

やがて田川の執念の捜査によって、
大手自動車会社トクダモーターズと大手人材派遣のパーソネルの関係が
浮かび上がってきます。

団地の空き部屋で無残な姿で見つかった遺体は、
両者を意外なかたちで結びつけることになるのでした……。


「24時間365日死ぬまで働け」を経営理念として掲げていた
ワタミの子会社に所属していた女性社員が自殺した事件をきっかけに
「ブラック企業」という言葉が社会で認知されましたが、
この本ではさらに輪をかけて酷い派遣労働者の実態が描かれます。

寮とは名ばかりの狭いアパートの一室に大人数で押し込まれ、
夜も昼もなく働かされたあげくに身も心もボロボロになって捨てられていく人々。

彼らの人件費は、企業のなかでは「外注加工費」という名目で処理されています。
あたかも壊れたら取替えがきく部品であるかのように。

物語では、人材派遣会社の経営者が自動車メーカーの社長に対して、
都合の悪い派遣労働者を切り捨てる意味合いで
たびたび「剪定」という言葉を使います。

さすがにこれは作者が創作した誇張表現だろうと思いつつも、
この小説で描かれる底辺の派遣労働者の悲惨な実態を読むにつけ、
労働者を人ではなく取り替え可能な部品のように扱う感覚は、
いまやこの国の経営者のあいだで当たり前のように共有されている
「常識」なのではないかと疑いたくなってきます。

作者の相場英雄氏は、
元時事通信の記者ということもあって、
物語のベースとなる事実関係がしっかりしていることには定評があります。

でもだからこそぼくは、ここで書かれていることが
すべて作者の作り話であってほしい、と思いました。
それほどまでに派遣労働者の置かれた現実は想像を超えています。


労働者を取り巻く環境について歴史的に振り返ってみると、
戦前に炭鉱などで、労働者が不安的な身分のもとに
過酷な環労働を強いられたため、
戦後はその反省に立って「職業安定法」がつくられました。

しかし規制緩和の名のもと、
1985年に「労働者派遣法」が施行されました。

そこから今日に至るまでの流れは、
まるで薄く皮を剥ぐように
労働者の権利が削り取られてきた歴史だったといえるでしょう。


この小説を読み進むうち、
次第にこの国がとんでもない方向へと
向かおうとしているのではないかと思えてきました。

職業安定法にしても、それがつくられた背景には
合理化の名の下に切り捨てられてきた
たくさんの労働者たちの怨嗟の声があったはずです。

そういう先人たちが苦しみの末に手にしてきた大切なものを、
ぼくたちは「規制緩和」であるとか、
「グローバルスタンダード」であるとか、
そういった一見もっともらしい言葉のもとに
捨て去ろうとしているのではないだろうか……。

本書で明らかにされる事件の真相は、とても重く苦いものです。
同時に、派遣労働者なくしては、
もはや日本社会が成り立たなくなっているという、
とてつもなく歪んだ構図が浮かび上がってきます。

言葉を換えればそれは、
労働者のあいだに格差を設けることでしか
いまや利益を生み出せなくなっているということでもあります。

なんと歪な社会でしょうか。

そしてそんな歪な社会を目の前にしながら、
この国の指導者がおのれの経済政策の成果を喧伝する姿を目にするとき、
その言葉はなんと薄っぺらく空疎なものだろうかと思うのです。


「普通に働き、普通にメシが食えて、普通に家族と過ごす。
こんな当たり前のことが難しくなった世の中って、どこか狂っていないか?」

本書を読み終えたいまも、田川の言葉が胸の奥で鈍い痛みを放っています。


本書をお読みいただいた後は、ぜひ以下の本もお読みいただくと、
この国の病根がよくわかると思います。
どちらもきめ細かい取材をもとにフェアな視点で書かれたノンフィクションです。


『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』佐々木実(講談社)
以前ご紹介しました。書評はこちら

『日本を壊す政商 パソナ南部靖之の政・官・芸能人脈』森功(文藝春秋)

投稿者 yomehon : 22:00