2017年01月30日

『ブロックチェーン・レボリューション』  Forbes JAPAN書評 第7回

今回、フォーブス ジャパンの書評で取り上げたのは、
『ブロックチェーン・レボリューション』ドン・タプスコット アレックス・タプスコット著 
高橋璃子訳(ダイヤモンド社)(
です。

ブロックチェーンは、インターネットの登場に匹敵する革命的技術と言われています。
いま書店にいくとたくさんの関連書が出ていますが、本書が決定版。
もし1冊しか読む暇がないという方にはこちらをおススメします。

よろしければこちらからどうぞ!

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月23日

『蜜蜂と遠雷』 音楽の奇跡をみせてくれる一冊


第156回直木賞は恩田陸さんの 『蜜蜂と遠雷』に決まりました。
候補6回目での受賞、本当におめでとうございます。

直木賞は間が悪いことでも知られていて、
過去何回も候補になった人などに、
「えっ!?この作品で?」というタイミングであげちゃうことも多いんですが、
今回の 『蜜蜂と遠雷』は、これまでの恩田さんの作品の中でも最高傑作ですから、
長年の読者としても、まさに待ったかいがある慶事となりました。


あらためてこの素晴らしい作品について紹介させてください。

舞台となるのは、3年にいちど開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。
これは実在する浜松国際ピアノコンクールがモデルになっています。

「ここを制した者はやがて世界最高峰のS国際ピアノコンクールでも優勝する」という
ジンクスもあり、近年は世界の音楽関係者から若手の登竜門として注目されています。
この芳ヶ江に、各国のオーディションで選ばれた精鋭たちが集いしのぎを削る、
その約2週間にわたるドラマを描いたのがこの小説です。

物語はパリのオーディションから始まります。

風間塵という16歳の少年が彗星のごとく現れ、審査員の度肝を抜く演奏をみせます。
彼はまったくの無名であるにもかかわらず、ユウジ・フォン・ホフマンという
いまは亡き伝説のピアニストの推薦状を持っていました。
世界中の音楽家がリスペクトするホフマンは、
弟子をとらないことで有名だったにもかかわらず、風間塵にだけは推薦状を書いた。
これだけでも事件です。
しかもホフマンの推薦状には、次のような謎めいた言葉が書かれていました。


「皆さんにカザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。
恐らくは、天から我々への。だが、勘違いしてはいけない。
試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。
彼は劇薬なのだ。中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。
しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、
皆さん、いや、我々にかかっている」


審査員に恐怖心すら抱かせるほどの途方もない才能を持つ風間塵は、
驚くべきことに、養蜂家の父親とともに各地を転々としながら暮らしていて、
正規の音楽教育を受けたことがありませんでした。
しかもそんな少年のもとに、あのホフマンがわざわが出かけていき
稽古をつけていたことまでわかって、審査員たちはますます混乱します。

この推薦状にあった言葉、風間塵が「ギフト」であるとはどういう意味か。
これが、本書を貫くひとつの大きなテーマになっています。

既存の音楽界を破壊する爆弾みたいな意味かと思いきやそうではありません。
この「ギフト」には、もっとスケールの大きな意味が込められているんです。

読者は物語の終盤に、深い感動とともにその意味するところを知ることになります。
そこはぜひ本書でお読みいただきたいのですが、
ここでは「才能を覚醒させることができるのは優れた才能だけ」とだけ言っておきましょう。

さて、となれば必要となるのが、ライバルの存在です。
芳ヶ江には風間塵のほかにも、天才たちが集まっていました。

かつて天才少女として国内外のコンクールを制したにもかかわらず、
母親の突然の死以来、ピアノが遠ざかっていた20歳の元天才少女・栄伝亜夜。

完璧なテクニックとカリスマ性を兼ね備え、未来のスターの地位が約束された
名門ジュリアード音楽院の天才、マサル・C・レヴィ・アナトール19歳。

楽器店に勤めながら音楽家の夢をあきらめられずにいる
28歳の妻子持ち、高島明石。

彼らコンテスタントが芳ヶ江の地に集い、ドラマティックな2週間が幕を開けるのです。


本書を開くとまず目に留まるのは、
それぞれの登場人物が弾く曲目が冒頭に掲げられていること。
第一次~三次の予選と本選の課題曲です。

コンクールの描写のほとんどが、これらの曲の演奏シーンになるわけですが、
この小説の凄いところは、そのすべてのシーンを作者が「書き分けている」ことです。

これは大変なことです。
たとえば、一次予選の課題曲バッハの
「平均律クラヴィーア曲集第一巻第一番ハ長調」であるならば、
4人の演奏をすべて違う書き方で表現してみせるのですから。

それだけではありません。
それぞれの演奏シーンをまったく違った表現法で書き分けた上に、
「読者の頭の中にその音楽を響かせる」という離れ業をやってのけるのです!

この小説が傑作であるゆえんはここにあります。
この作品は、文章から本当に「音楽が聴こえてくる」のです!!

これまでいろんな小説を読んできましたが、
こんな読書体験は生まれて初めてです。

彼らの演奏シーンを文字で追いながら、
ぼくの頭の中ではいつも最高の音楽が鳴っていました。
彼らの演奏になんども鳥肌が立ち、時には目頭が熱くなったりもしました。

もちろんその音はぼくにしか聴こえないもの。
でも、たしかにぼくの中では美しい音楽が鳴り響いています。
これを神業といわず、なんと言えばいいでしょう。

本書の書評の中には、
「ドラマ化すればヒット間違いなし」というようなことが
書かれたものもありましたが、とんでもない!
これ、映像化したら間違いなく興ざめです。
だって本を読んだ読者の頭の中では、
もうすでに最高の音が鳴っているんですから。
それ以上の演奏を、映像で表現できるとは思えません。


ある時は、演奏者の人生のいちページを回想しながら、
またある時は、波乱万丈の物語になぞえらえながら――。

作者はあらゆるテクニックを惜しげもなく注ぎ込んで、
それぞれのコンテスタントの演奏シーンを書き分けて行きます。
同じ曲目なのにもかかわらず、
演奏者ごとにまったく違う音が読者の頭の中で鳴るというこの奇跡。

本書を読むのにクラシック音楽の知識は必要ないのでご安心を。
ぼくも知っている曲のほうが少なかったけれど、まったく支障はありませんでした。
曲を知らなくても頭の中で音が鳴るからこそ、この小説は凄いのですから。

そんな素晴らしい演奏の果てにこの小説がみせてくれるのは、音楽の秘密。
次の一節に、作者のメッセージが凝縮されているように思います。


「本当に、音楽とは不思議なものだ――改めて、彼はそのことを思う。
演奏するのは、そこにいる小さな個人であり、
指先から生まれるのは刹那刹那に消えていく音符である。
だが、同時にそこにあるのは永遠とほぼ同義のもの。
限られた生を授かった動物が、永遠を生み出すことの驚異。
音楽という、その場限りで儚い一過性のものを通して、
我々は永遠に触れているのだと思わずにはいられない。
そう思わせてくれるのは、本物の演奏家だけであり、
今目の前にいるのは紛れもない本物の演奏家なのだ」(416ページ)


本書を読み終えたときに感じるのは、
素晴らしい音楽にどっぷりと身を浸した心地よい疲れと、
身体の奥底にいつまでも残る深い感動の余韻です。

めったに本を読まないという人、
小説はずいぶんご無沙汰という人、
そんな人にこそぜひこの小説を手にとってほしいと思います。

音楽に負けないくらい、小説も素晴らしいものだと知ってほしいから。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月19日

直木賞予想は恩田陸さん!


本日、『福井謙二グッモニ』の中で第156回直木賞の受賞作を予想いたしました。

今回の直木賞は、
恩田陸さんの 『蜜蜂と遠雷』で決まり!!

対抗なし、本命一本の予想です。

コーナーの最後に、福井さんから芥川賞についても訊かれたので、
こちらは山下澄人さんの『しんせかい』(新潮社)を挙げておきました。

選考委員会はきょうの午後5時から開かれます。

投稿者 yomehon : 09:00

2017年01月17日

第156回直木賞直前予想(5) 『夜行』

最後の候補作、森見登美彦さんの『夜行』にまいりましょう。

これは現代の怪談ですね。
ホラーではなく、怪談。

学生時代に英会話スクールのメンバー6人で鞍馬の火祭を観にいった帰りに、
そのうちのひとりである長谷川さんという女性が行方不明になります。

十年後にメンバーが再会し、ひょんなことから5人全員が
旅先で岸田道生という銅版画家の手になる「夜行」という連作に出合っていたことが判明します。
尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡……それぞれが体験を打ち明けるうちに、
各人の体験はすべて「夜行」の作品世界と繋がっていることがわかってきます。
そして最後に「私」の物語が語られる中で、さらに不気味なことが起きるのです……。


それぞれの「夜行」との関わりが連作短編形式で語られていくわけですが、
実はこの作品、ストーリーがどうこうという作品ではありません。
というと伝わりづらいかもしれませんが……。
つまり長谷川さんが消えた謎の解明といったストーリはさして重要ではなくて、
それよりもむしろ作品に漂う不気味さ、不穏な雰囲気、その手触りを感じて欲しい作品なのです。


こうした雰囲気や手触りを味わう趣向は、やはり日本の怪談ならではという感じがします。

欧米のホラーなんかだと、「実は多重人格でこうなった」とか
「ひどい育ち方をした結果こうなった」とか、
わりと種明かしをしておしまい、というケースが多いんですが、
これが怪談だと、友だちが路地を曲がった途端、ふいにいなくなってしまうとか、
そういう暗がりにふっと姿が消えてそのままになってしまうような独特の怖さがあります。

本書もそういう怪談特有の論理的ではない怖さというか、
感覚に訴えかけてくる怖さみたいなものがよく描けていると思います。

そしてあまり詳しくは書けないのですが、
最後に「向こう側」(夜の世界)とこちら側をつなぐような仕掛けもあったりして、
不気味なトーンの中にもちょっとした希望や救いも描かれています。

森見さんはとても器用な作家ですが、
こういった怪談も書けるのだということを本書であらためて知らしめてくれました。

連作短編というのはわりと直木賞が好むパターンではありますが、
この手の感覚に訴えるような作品が果たしてどう評価されるでしょうか。


ということで、各候補作をみてまいりました。
受賞作品の予想は、1月19日(木)の『福井謙二グッモニ』
「グッモニ文化部 エンタメいまのうち」のコーナーで行います。
今回の受賞作は「あれ」しかありません!!
お楽しみに!!

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月16日

第156回直木賞直前予想(4) 『また、桜の国で』

続いては、須賀しのぶさんの 『また、桜の国で』です。

須賀さんはもともとコバルト文庫でティーン向けの小説を書いていた方ですが、
近年読み応えのある歴史小説を次々発表して注目されています。

本作で舞台となるのは、第二次大戦間近のポーランド。

日本ではあまり知られていませんが、
ポーランドはナチスドイツに対して最後まで抵抗を続けた国なのです。
ナチスに占領された後も「ワルシャワ蜂起」と呼ばれる武装蜂起を起こし、
多くのポーランド国民が命を落としています。


物語の主人公は、ロシア人の父を持つ外交官・棚倉慎。

ワルシャワの日本大使館に書記生として赴任した彼は、
ナチス・ドイツの影が忍び寄る中、ポーランドの人々との間に強固な信頼関係を築き上げます。

でも現実は非情です。
やがてナチスによってワルシャワは蹂躙され、政府は亡命を余儀なくされます。
そしてポーランドは地図上から姿を消してしまうのです。

そのような絶望的な状況の中、慎は外交官として、日本人として戦い続けます。
そして「ワルシャワ蜂起」を前に、慎はある決断を下すのでした……。


この重厚な物語には、いくつものテーマが詰め込まれています。
そのひとつが「アイデンティティの問題」。

慎自身が父から受け継いだスラブ系の容姿のせいで疎外感を覚えながら育ってきたし、
ユダヤ系のポーランド人ヤンや、敵国人でありながら慎と行動をともにするレイなど、
本書には複雑なバックボーンを抱えた人物が登場します。
そこではしばしば「国家とは、民族とは何か」という問いが発せられます。

「外交とは何か」というのも本書が突きつける大きな問いですね。

作中たびたび登場する「外交とは、人を信じるところから始まる」という言葉は、
昨今の世界情勢を見渡したときにとても重く響きます。

そして知られざるポーランドの歴史もまた本書の大きなテーマでしょう。

ユダヤ人に寛容な国だったにもかかわらず、
ポーランドはあのアウシュビッツ収容所があった国として記憶されることなってしまいました。
本書で仔細に描かれるユダヤ人への仕打ちは、読んでいて震えがくるほどです。
本書を読んでいてなにより辛かったのは、
ポーランド人とユダヤ人とのあいだに亀裂が生じるのを目の当たりにすること。
自らが生き延びるために昨日までの隣人を裏切るのが当たり前の社会になる。
もちろんナチスがそう仕向けているわけですが、
差別が剥き出しになっていく様を目の当たりにするのは実に辛かった。

人道にもとる行為に手を染めたのはナチスだけではありません。
捕虜となったポーランド人将校たちがソ連によって虐殺されたカティンの森事件も
この時代に起きたのです。そうした史実も物語にしっかり織り込まれています。

巻末にあげられた参考文献の一覧をみると、
ほとんどが読んだことのない本で、
自分がいかに歴史に無知かということを痛感させられます。

そうした歴史を知ることができただけでも本書は手に取った価値がありました。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月13日

第156回直木賞直前予想(3) 『室町無頼』

続いては、垣根涼介さんの  『室町無頼』です。

時代小説マニアの間では、この作品を2016年のベスト1に推す声がとても多いのですが、
その評判に違わず、ずっしりと読み応えのある骨太の作品です。

舞台は応仁の乱前夜の京都。
室町幕府が弱体化し、無政府状態となる中、
人々の貧富の差はこれまでにないくらいに拡大して、巷には不満が渦巻いています。
そんな時代背景のもと、零落した武家の子である少年・才蔵が、
底辺から持ち前の武辺をもとに頂点へと駆けあがっていく様を描いています。


まず舞台が室町時代であるところが珍しい。
時代小説の世界ではあまりこの時代が選ばれるとはありません。

でも室町時代というのは大変重要な時代です。
たとえば、能や歌舞伎、茶道や作庭といった
いまぼくたちが「日本らしさ」と認識しているような美意識や感性が
生まれた時代でもあるんですよね。

この小説はそうした日本的美意識の淵源みたいなことには触れていませんが、
この時代を境に我が国の戦のあり方が変わったこと、
つまり騎馬戦から足軽が入り乱れる白兵戦が主流になったことはしっかりと描かれています。

戦国時代へとつながるこれも大きな変化でした。
この戦のあり方の変化はこの小説の読みどころのひとつにもなっていますので
ぜひ本書で堪能していただきたいと思います。


もうひとつ、この作品が持つ今日性というか、美点をあげておくとすれば、
室町時代を舞台にしていながら現代が描かれているという点ではないでしょうか。

室町時代と現代に共通する点、それは格差の問題です。

おそらく作者の意図も、この格差の問題を描くことにあったのではないでしょうか。
ただし作者は、富める者を断罪し、弱きものに思いを寄せるようなありがちなスタンスはとりません。

作者が描こうとするのは「頼れる者がいない世界でサバイバルするには何が必要か」ということ。
その試行錯誤が主人公の才蔵に託されています。

この小説は才蔵の修行の描写にも多くを割いています。
特に近江での凄まじい修行の描写には息を呑むことでしょう。
この小説にはそうした修行小説としての面白さもあります。

人の命がいまとは比べものにならないくらいに軽かった時代の話ですので、
あっけなく人が死んでいきます。
冷徹なリアリズムが支配していた時代だからこそ、
この小説で描かれる男の友情や男女の交情が光を放ちます。

底が抜けてしまった社会の中で、
寄る辺なき身の才蔵は何をたのみに生きていくのか。

時代を覆う閉そく感を打ち破るようなパワーとヒントに溢れた一冊です。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月12日

第156回直木賞直前予想(2) 『蜜蜂と遠雷』

続いては恩田陸さんの 『蜜蜂と遠雷』です。


作品について説明する前に、まずお礼が言いたい。
誰に?この作品に引き合わせてくれた本の神様に、です。

実に、実に素晴らしい小説でした。
こんな素晴らしい本に出合えるなんてなんて幸運なんでしょう。

語りたいことはたくさんあるんですが、
詳しくは機会をあらためることにして、
きょうはざっと内容を紹介するにとどめます。


この作品は、
芳ヶ江国際ピアノコンクールという、
世界が注目するコンクールを舞台に、
個性豊かなコンテスタント(演奏者)たちが繰り広げる人間ドラマを描いた小説です。

物語は、パリで行われた予選にまったく無名の少年が現れ、
審査員の心胆を寒からしめる演奏を披露するところから始まります。
彼は養蜂家の父親のもと、ピアノも持たずに各地を転々しながら育つという、
およそピアニスト志望とは思えないような生活を送っていました。
しかも彼は、弟子をとらないことで有名な伝説のピアニストが遺した唯一の弟子でした。

彼だけでなく、表舞台から姿を消していた元天才少女や、
妻子を持つ身でありながら音楽家への夢を捨てきれないサラリーマン、
カリスマ性とスター性を兼ね備えたアメリカ人青年らがステージで躍動します。

本の中から本当に「音楽が聴こえてくる」奇跡のような作品。

恩田陸さんのキャリアの中で、間違いなくこれは最高傑作といっていいでしょう。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年01月11日

第156回直木賞直前予想(1) 『十二人の死にたい子どもたち』

選考会の日が近づいてまいりましたので、本日より直木賞予想をスタートいたします。

では順に候補作をみていきましょう。
トップバッターは冲方丁(うぶかた・とう)さんの『十二人の死にたい子どもたち』です。

冲方さんといえば、これまでSF小説『マルドゥック・スクランブル』
時代小説『天地明察』のような話題作を発表してきました。

冒頭からいきなり脱線しますが、小説だけでなく、昨年出版された
『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置所』もむちゃくちゃ面白かった。
奥さんに暴力をふるった濡れ衣を着せられ逮捕された顛末(結果は不起訴)を綴った本書は、
もしも冤罪で身柄を拘束されるなんて目にあった際に役立つ知識が満載でした。

そんな彼がデビュー20周年を迎えて挑んだ本作はミステリー。しかも密室ものです。

インターネットの自殺志願サイトを介して廃病院に集まった見ず知らずの子どもたち。
ところが、全部で12人のはずが、そこにはすでに謎の“死体”が横たわっていました。

予期せぬ13人目の登場に動揺した子どもたちは、話し合いを始めます。
その過程で次第にそれぞれの「死にたい事情」が浮き彫りにされて……というお話。

ストーリーはきわめてロジカルに設計されています。
12人のキャラクターがうまく対立構造になるように配置されている。
たとえば、亡くなったアイドルの後を追おうとしているファンがいるかと思えば、
そんな理由で死ぬのは自分勝手すぎると反発する人物がいる。

そんな彼らが戦わせる議論がこの作品の読みどころのひとつ。
対立点をうまく利用した話し合いで読者を引っ張っていく作者のテクニックはさすがです。

そしてもうひとつの読みどころが密室の謎解き。
なぜそこに“死体”があるのか。
これも子どもの「死にたい理由」とうまくリンクしていて、なるほど!の真相になっています。

でもそれ以上にこの作品の読みどころになっているのは、
議論を繰り返すなかで、子どもたちの性格やそれぞれの事情が明らかになっていくところでしょうね。
主張をぶつけあううちに、それぞれの人間性が剥き出しになっていく。
この人間ドラマこそが本書の最大の魅力ではないでしょうか。

ただ、「密室」という作り物めいた舞台装置と、
論理的に構築された「対話」でストーリーを進めていくという手法のせいで、
作品全体からはどうしても理のほうが勝っている印象を受けてしまいます。
読者の感情を揺さぶるというよりも、理詰めな感じが先に立つというんでしょうか。
このへんが選考会でどう評価されるかが気になります。

投稿者 yomehon : 00:00

2016年12月23日

『罪の声』 ノンフィクションとミステリーの幸福な邂逅

2016年の国産ミステリーのナンバーワンは、
なんといっても塩田武士さんの『罪の声』(講談社)でしょう。

1984年(昭和59年)から翌年にかけて
日本中を震撼させたグリコ・森永事件に材をとり、
読み応えのある物語に仕立て上げた作者の手腕には脱帽です。

ある世代の人々にとっての3億円事件や連合赤軍事件がそうであるように、
グリコ・森永事件が記憶に焼きついているという人も多いのではないでしょうか。

ぼくもこの事件のことは本当によく覚えています。
警察をナメきった関西弁の挑戦状や、
いちど目にしたら忘れられない「キツネ目の男」の似顔絵など
映画やドラマさながらの展開にメディアが過熱していく様子は、
ちょうど興味関心が社会に向き始めた多感な時期の子どもにとって、
まさに「生まれて初めて体験する大事件」でした。

この作品はフィクションとはいえ、事件の輪郭を正確にトーレスしています。
グリコ・森永事件は、名称こそ「ギンガ・萬堂事件」となっていますが、
発生日時や関係先、犯人による挑戦状や脅迫状の内容、
当時ささやかれた犯人像など、ほぼすべてが現実通りで、
その中で一点だけ、著者が考える「真犯人」に関わる部分だけが
フィクションというかたちをとっているのです。

「現実をもとに作者がありえないような真相を適当にでっちあげた小説じゃないの?」
と、もしあなたが思ったのだとしたら、ちょっと待っていただきたい。

たしかに現実の事件を下敷きにして書かれた小説で成功したものは少ない。
「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、
現実の凄さに物語が完全に敗北してしまって(というか屈服させられ)
無残な結果に終わってしまうのが常です。
現実というものは、凡庸な作家の想像力なぞやすやすと超えてしまうものなのでしょう。
でも、この『罪の声』は違う。
決してそのような安易な推理にもとづいて書かれた小説ではありません。

元新聞記者の著者は徹底的に事実を調べ上げた上で、
最後に残った謎の部分にのみ、想像力を働かせます。
そして、その作者の想像力は、
事件そのものの見え方すら変えてしまうようなインパクトを持っている。

「現実」という液体で満たされたグラスの中に、
たった一滴の「フィクション」を垂らしたら、
グラスの中が見たことのない色に一気に変わったような感じと言ったらいいでしょうか。
まさに魔法をみるよう。
この小説を読み終えた人の目には、
事件は以前とはまったく違った見え方をしているはずです。

なぜ作者はここまで力のある作品が書けたのでしょうか。
それは、これまであまり重視されることのなかった視点から
事件に光を当てたことにあります。

それは何か。
この事件が「子どもが関わった事件」であるという視点です。

グリ森事件の犯人グループは、捜査をかく乱するために、
子どもに犯行声明文などを読み上げさせたものを
テープに録音して送りつけていました。
使われた子どもは3人。
「いまももしどこかでこの子どもたちが生きていたとしたら」
この小説はそんなアイデアがもとになって生まれました。


物語の舞台は2015年。
京都でテーラーを営む曽根俊也は、
父の遺品の中からカセットテープと黒革の手帳を発見します。
手帳には、英文に混じって「ギンガ」「萬堂」の文字があり、
テープには幼い頃の自分の声が録音されていました。
「きょうとへむかって、いちごうせんを……にきろ、
ばーすてーい、じょーなんぐーの、べんちの、こしかけの、うら」
それは31年前に社会を震撼させた「ギンガ・萬堂事件」で恐喝に使われた
録音テープの内容と同じものでした。
なぜこんなものがうちにあるのか。
俊也は父親の友人の協力を得ながら、事件について調べ始めます。

一方、大日新聞大阪本社文化部記者の阿久津英士は、
社会部の年末企画取材班に組み入れられ、
迷宮入りした「ギン萬事件」を洗いなおすことになります。
阿久津は事件発生の4ヶ月前に起きた世界的ビールメーカー
「ハイネケン」の会長誘拐事件のことを知り、ヨーロッパへと飛びます。

俊也と阿久津、ともに細い糸を辿るうちに、
やがてその糸は、思いもよらない事件の真相へとつながっていくのでした……。


ラジオの仕事をしている者からすると、
なによりも「声」に注目した著者の慧眼を称えたい。
これまでにない切り口であるのはもちろん、
一本の古ぼけたテープから物語がどんどん拡がっていくところが素晴らしい。
「声」にはさまざまなイメージを喚起する力があります。

文化放送にも吉展ちゃん誘拐殺害事件のスクープ音声があります。
1963年(昭和38年)の事件発生当時、文化放送の社員が行きつけの喫茶店で、
公表されていた脅迫電話の声に「よく似た男を知っている」という情報を聞きつけ、
男がよく顔を出すという飲み屋に張り込んで音声を録音することに成功したのです。
このときの録音は後に行われた鑑定で、犯人の特定に大きく貢献しました。

本書を読んであらためて痛感したのは、グリコ・森永事件は、
子どもを犯行に協力させた許しがたい事件であるとともに、
お菓子を標的に子どもを人質にとった卑劣な事件でもあったということです。
この事件をきっかけにお菓子の箱がフィルム包装されるようになったのを
覚えている人もいることでしょう。

「ひょうご犬警」といった人をおちょくったような文言を散りばめた挑戦状が
犯行の凶悪性を薄めていたかのように錯覚しがちですが、
実際にやっていることは極悪だということをあらためて思い知らされました。
(もっとも挑戦状で世間を笑いに誘う裏側で、企業には凶悪さをむき出しにした
脅迫状を送りつけていました。この使い分けも犯人の狡猾さを物語っています)


「子どもを犯罪に巻き込めば、その分、社会から希望が奪われる。
『ギン萬事件』の罪とは、ある一家の子どもの人生を粉々にしたことだ」(P386)

事件に関わった子どもたちのその後の人生を知るとき、
この著者の言葉は読む者の胸に深く沁みます。

まるで調査報道の現場を目にするかのような興奮を味わいつつ、
事件に翻弄された子どもたちのその後の人生に魂を震わせる。
ノンフィクションとミステリーのこの幸福な邂逅を、おおいに喜ぼうではありませんか。

投稿者 yomehon : 00:00

2016年12月20日

第156回直木賞候補作が発表されました!

本日、第156回直木賞の候補作が発表されました。

ラインナップは以下の通り。

冲方丁  『十二人の死にたい子どもたち』(文藝春秋)

恩田陸  『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)

垣根涼介  『室町無頼』(新潮社)

須賀しのぶ 『また、桜の国で』(祥伝社)

森見登美彦  『夜行』(小学館)


今回はひさびさに面白いですね。素晴らしい作品が並んでいます。

選考会は来年の1月19日(木)に開かれます。
あらためて当欄で受賞作の予想をいたしますのでお楽しみに。
(たぶんあれとあれの一騎打ち……)

そうそう、今回は芥川賞も面白いですよ。

社会学者の岸政彦さんのエントリーには驚きました。
生活史と呼ばれる分野のエキスパートで、
『断片的なものの社会学』といった素晴らしい本をお書きになっていらっしゃいます。

あと宮内悠介さんが芥川賞でエントリーされたのも意外でした。
すでにSFでは世界水準の作品を書かれている方です。


直木賞と芥川賞、
どちらもひさしぶりにワクワクさせられる候補作となりました。


投稿者 yomehon : 14:21

2016年12月05日

『この世界の片隅に』 戦時下の日常を描いた傑作

もうご覧になった方も多いと思いますが、
映画『この世界の片隅に』が大ブレイクしていますね。

ぼくが観たのは公開から6日目のテアトル新宿でしたが、
その時点でも既に客席は完売御礼状態で、立ち見客も入れていました。

それにしてもこの作品を取り巻く熱気は凄い。
もちろん当初は上映館が少なくなかなか観ることができなかったせいもあるでしょうが、
やはりこれは作品の持つ力と言うべきでしょう。
「あの作品は今年いちばんの傑作」という情報がSNSでどんどん拡散して、
劇場に人が押し寄せた結果だと思います。


ご存じない方のために簡単に説明しておくと、
『この世界の片隅に』は、
こうの史代さんの同名漫画『この世界の片隅に』(双葉社刊・全3巻)。を原作にしたアニメ作品です。
こうのさんは広島市出身の漫画家で、
原爆投下以後の庶民の人生を3世代にわたって描いた傑作
『夕凪の街 桜の国』で高い評価を受けました。

いまわかりやすく漫画家と書きましたが、
個人的にはこうのさんのことを絵師と呼びたい気もします。

特に東日本大震災を受けて描かれた『日の鳥』シリーズなどは
こうのさんの絵師としての実力を存分に感じ取れる作品で、
スクリーントーンを使わず、描線の一本一本を
カリコリとペンで描き込んでいるところなんてまさに絵師という言葉がぴったりです。


さて、映画のほうに話を戻すと、
物語は「8年12月」からはじまります。
もちろん時代は昭和。舞台は広島です。

ちなみに原作では9年1月から物語が始まるのですが、
おそらく監督はあの時代の歳末の風景が描きたかったんでしょうね。
「もろびとこぞりて」が流れ、サンタクロースに扮した売り子がいて。
そんな昭和モダニズムの平和な町の光景から物語は幕を開けます。

主人公は、浦野すず。
兄と妹に挟まれ、絵を描くのが得意な、のんびりやの女の子です。

時代は、すずの成長を追いながら飛び飛びで進んでいくのですが、
(「8年12月」の次は「10年8月」というように)
もちろんぼくたちはこの数字がやがてどこに行き着くかを知っています。
破滅への予感を孕みながら、ひとりの女の子のみずみずしい日常が描かれていく。


「日常」――。
これこそが、この作品を読み解く上でのもっとも重要なキーワードです。

戦争が悲惨なものであることは論を俟ちませんが、
意外とぼくたちの認識から抜け落ちているのが、
戦時下にも庶民の日常生活があった、ということです。

たとえば斎藤美奈子さんの『戦下のレシピ』
などが教えてくれるように、、
戦時中にも婦人雑誌がちゃんと刊行されており、
そこには配給食などを利用したレシピが掲載されていました。

戦後しばらくのあいだは、軍国主義への反発もあって、
当時の日本を糾弾するかのような作品が数多くつくられましたが、
戦時下にあっても、庶民の生活は暗くて悲惨なだけではなかったということが、
この映画ではとても丁寧に描かれているのです。

もちろんだからといって
この映画があの時代を肯定しているわけではありません。
むしろ強い反戦のメッセージが読み取れます。

あの時代にも人びとの日常はあった。
でも戦争は、そんな日常の中にいつの間にか忍び込んでくる。
気がついたときには、
人びとの日常はかつてのようなものではなくなってしまっている。
映画ではそのプロセスが淡々としたトーンで描かれていきます。

けっして声高ではないけれど、
そこからははっきりと反戦のメッセージが読み取れる。
絶対的な正義の立場からあの時代を告発調で描いた作品などよりも、
よほどこちらのほうが製作者の誠実なスタンスを感じます。


物語に話を戻しましょう。
昭和19年にすずは18歳で呉に嫁ぎます。
嫁ぎ先でのちょっとした失敗や笑いが丁寧に描かれることによって、
ますます日常と戦争とのコントラストがくっきりと浮かび上がります。

呉は軍港ですから、連日激しい空襲に見舞われます。

この作品を監督した片渕須直さんは、
宮崎駿さんのもと『魔女の宅急便』で演出補を務めるなどして、
『マイマイ新子と千年の魔法』で注目された監督ですが、
空襲のシーンなどを観ていて思い出したのが、
彼がシリーズ構成と脚本、監督を手がけたアニメ『BLACK LAGOON』です。

『BLACK LAGOON』は、
商社マンから海賊の仲間になった日本人が主人公で、
毎度毎度の激しい銃撃戦がウリの海洋バイオレンスものでした。

この娯楽に徹した作品の中で存分に披露されているように、
銃器や兵器について抜群の知識を持つ監督だけあって、
『この世界の片隅に』でも米軍による攻撃の細部がとてもリアルに描かれます。
(たとえば砲弾の破片が畑に次々と刺さるシーンのシズル感を見よ)

作中、すずの身の上に起きる極めて重要な出来事なので
あまり詳しくは明かせないのですが、
ぼくが感心したのは、不発弾の描き方です。

あるところで不発弾が爆発するのですが、
原作での描かれ方よりも、より爆破理論に沿った描き方に変更されていて
さすがだと思いました。
こうした片渕監督の細部への目配りが、
作品を研ぎ澄ましたものにしていることも見逃してはなりません。


戦況が悪化するにつれて、すずの日常も戦争に侵食されていきます。
それにつれて、スクリーンを観るぼくたちの切なさも強まって行く。
彼らをどんなに過酷な運命が待ち受けているかをぼくらは知っているからです。

そしてあの日――。
昭和20年の8月6日がやってくるのです。

この日の描き方は、
映画と原作とで違いますので、ぜひ観比べてみてください。

爆風によって死んでしまった母親にすがりつく女の子が出てきます。
この涙なしでは観ることの出来ない一連のシーンを、
ぜひ原作と映画とで観比べて欲しい。

どちらが優れているというのではなく、
映画と漫画、どちらの描き方にも胸を揺さぶられるはずです。

最後に原作者のこうの史代さんが好きな言葉を紹介しておきましょう。

こうのさんは、
「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」
というジッドの言葉が好きなのだそうです。

あの戦争は多くの貴い命を奪い、人びとを深く傷つけたけれど、
あの時代には一方で、孤児をひきとって育てたり、
女手ひとつで必死に家族を養うような
「真の栄誉をかくし持つ人たち」がたくさんいました。

彼らの犠牲と努力があったからこそ、
いまぼくたちは平和に暮らすことができているわけですが、
そのことに思い至るとき、ぼくはふと不安に駆られるのです。


「ぼくたちの日常は確かなものだろうか。
気がつかないうちに、何か不穏なものが忍び寄っていないだろうか」と。

この作品は、
特定のイデオロギーに拠ることなく、
庶民の目の高さで、真っ直ぐにあの戦争を見つめた傑作です。

この作品のまなざしからぼくらが学べることはとても多い。

映画も原作も、ぜひたくさんの人に観てもらえることを願ってやみません。

投稿者 yomehon : 03:00

2016年11月30日

『使用人たちが見たホワイトハウス』  Forbes JAPAN書評 第6回

今回、フォーブス ジャパンの書評で取り上げたのは、
『使用人たちが見たホワイトハウス 世界一有名な「家」の知られざる裏側』(光文社)です。

著者のケイト・アンダーセン・ブラウワーは、
ブルームバーグ・ニュースでホワイトハウス担当記者だった女性。

とんでもなく口が堅い大統領の私生活をサポートするスタッフたちの口を開かせることに成功し、
歴代大統領の知られざるエピソードをいくつも掘り起こした労作です。

トランプ氏が大統領に就任する前に読んでおくと、
新しい大統領がどんな生活を送ることになるかがよくイメージできると思いますよ。

ほんと読み出したら止まらない面白さ!

新しい大統領がホワイトハウスのスタッフたちから認められるような人物だといいんですけど。

よろしければこちらからどうぞ!

投稿者 yomehon : 20:48