2019年07月16日

第161回直木賞 最終予想


これまで直木賞候補全6作品を紹介してまいりました。
それでは第161回直木賞の受賞作を予想いたしましょう。

今回はどうしても
「史上初めて候補がすべて女性作家」
というところに目がいってしまいます。
いずれもキャリアのある作家で、ポッと出感のある人はひとりもいません。
候補作もしかり。読み応えのある作品ばかりで予想が非常に難しい。

ただ関係者に聞いた話だと、女性候補が揃ったのはまったくの偶然らしいですね。
だからそこにこだわってもさほど意味はないのかもしれませんが、
とはいえ偶然に必然性を見出したくなってしまうのも人間の習性です。
天井の木目が人の顔に見えてしまうがごとく、
今回の女性候補者勢揃いがなにかの啓示のようにも思えてくるのです。

最終的に迷ったのは、以下の3作です。
大島真寿美さんの『渦 妹背山婦女庭訓魂結び』
窪美澄さんの『トリニティ』
原田マハさんの『美しき愚かものたちのタブロー』

大島さんの文章は全候補作の中でピカイチです。
大阪弁や京都弁が読んでいてとても心地いい。ですが前にも書いたように、
作中に突然登場する語り手にどうしても違和感を感じてしまいます。

窪さんの『トリニティ』は現代の女性史として素晴らしいと思います。
ただ、あまりにマガジンハウスをモデルにし過ぎているところが
選考会ではマイナスに働いてしまうかもしれません。
この小説の舞台となっている時代にマガジンハウスで
仕事をしていた人も選考委員の中にはいるからです。

原田さんの松方コレクションを素材にした作品もタイムリーですが、
歴史的な事実をきちんと押さえるところと、
フィクションで遊ぶ部分が少しギクシャクしているところが気になります。
ピッチャーの投球フォームでいえば、動きがカクカクしているというか。

うーん、どうしましょう……。
で、冒頭で述べた、女性候補が揃ったことに
啓示のようなものを感じてしまう、という話に戻るわけですが、
今回は窪美澄さんの『トリニティ』を受賞作と予想します。

マガジンハウスの黄金時代を知る選考委員にとっては
「私の知っているananは違う!」とか
いろいろ言いたいことはあるかもしれませんが、
この小説は別にノンフィクションノベルではありません。
作品の勘所は事実はどうかというところではなく、
いつの時代も変わらない女性の生きづらさにあるのですから。

窪さんは作品の中で、登場人物たちが束の間、
女性が自由に生きる時代の到来を夢見た瞬間をうまく描いています。
そしてその夢が潰えた瞬間も、ある歴史的な事件と絡めながら
巧みに描いています。そこがとてもいい。

直木賞に権威を感じる人も年々少なくなっています。
若い人の間ではもはや知名度も関心もそれほど高くないでしょう。
そんな中、世間に対して直木賞のインパクトを出そうと思ったら、
とんがったメッセージを発するしかないと思うのです。

史上初の女性候補だけの直木賞で、
戦後の日本を懸命に生きた女性たちを描いた作品が選ばれる。
今回の直木賞にふさわしいストーリーはこれではないでしょうか。

さて、最後に芥川賞にも触れておきましょう。
今回は今村夏子さんと高山羽根子さんが軸になると思いますが、
いよいよ今村さんの番ではないでしょうか。
こちらは今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』を受賞作に推します。

受賞作は7月17日(水)の夜、発表される予定です。

投稿者 yomehon : 07:00

2019年07月15日

第161回直木賞直前予想⑥ 『マジカルグランマ』


最後は柚木麻子さんの『マジカルグランマ』にまいりましょう。
今回、女性ばかりの候補者が揃ったことに、
時代の空気みたいなものを見出すのであれば、
この作品も象徴的な作品と言えるでしょう。

かつて女優だった正子は、
映画監督との結婚を機に引退し主婦になりました。
ところが75歳を目前に再デビューすることになり、
「理想のおばあちゃん」として世間にもてはやされるようになります。
しかし自宅の同じ敷地内で別居していた夫が孤独死したことで
仮面夫婦であることがバレ、正子の発言も炎上したことから、
一挙に人気者の座から引きずり降ろされてしまいます。

さらに夫が遺した2千万円の借金が追い討ちをかけ、
年代ものの家を売ろうにも1千万円の解体費用がかかると告げられます。
でも正子はめげません。家にあったものをメルカリで売りまくり、
自宅をお化け屋敷にして稼ぐことを思いつくのですが……というストーリー。

「おばあちゃんというのは、いつも穏やかな笑みを浮かべていて優しいもの」
そんな世間の勝手な「理想のおばあちゃん」像を、正子は壊していきます。
明らかにこれは「♯MeToo」の流れにある作品といえるでしょう。

4年も口をきいていなかった夫が死んで浮き立つ心を抑えられなかったり、
若い娘にいじわるをしてみたり、その姿は「理想のおばあちゃん」像からは
著しくかけ離れたものです。でもその正直な正子がとてもチャーミング。

週刊誌での連載がもとになっていることもあって、
ストーリーは起伏に富んでいて楽しめます。
「♯MeToo」の流れにあるといってもエンタメに徹していますのでご安心を。
特定のイデオロギーを打ち出しているような作品ではありません。

この作品をめぐって議論になる点があるとすれば、
正子のキャラクター造型ではないでしょうか。
まるでTVドラマの登場人物のように、
正子のキャラクターは濃く、強く、わかりやすく造型されています。
そのせいか、この小説を読みながらしばしば、
TVドラマのノベライズを読んでいるかのような錯覚に陥りました。
この「キャラクター小説」的な部分がどう評価されるのか。
ただ見方を変えれば、重さとは無縁の軽やかな筆致で
「♯MeToo」やLGBT、老いの問題などを
見事な物語に仕立て上げたとも言えるわけで、
その手腕が高く評価される可能性もあります。

ともあれ、「マジカルグランマ(理想のおばあちゃん)」という
本書が提起するテーマは、意外と応用範囲が広いと思いました。
「マジカルママ(理想の母)」「マジカルワイフ(理想の妻)」あたりは、
いまだに現実に存在すると思い込んでいる人(特に年配の男性議員とか)がいます。
そういうありもしない理想像を女性に押し付ける人が少しでも少なくなるためにも、
この小説が広く読まれるといいなと思います。

「マジカル○○」は他にもまだまだありそう。
もし受賞したら流行るかもしれませんね。

投稿者 yomehon : 07:00

2019年07月12日

第161回直木賞直前予想⑤ 『美しき愚かものたちのタブロー』

原田マハさんの『美しき愚かものたちのタブロー』にまいりましょう。

本書の出版は今年の5月30日。
ということは、出て間もないタイミングで候補作に加えられたということになります。
文藝春秋社の本気をひしひしと感じますね。原田さんのこれまでの候補作はすべて読んでいますが、
それほどまでに版元が自信を持つ作品とはどんな内容なのでしょうか。

この小説は、国立西洋美術館誕生にまつわる物語です。
上野にある国立西洋美術館といえば、近年では2016年にル・コルビュジェの建築が
世界文化遺産に指定されたことで話題になりました。

戦後この美術館が創設されるにあたり、その礎となったのは「松方コレクション」でした。
松方コレクションとはいまから100年近く前に実業家だった松方幸次郎がが私財を投じて
ヨーロッパ各地で買い求めた美術品のことで、その数は1万点を超えるとも言われていますが、
第二次大戦中に散逸したり焼失したりしてしまって、コレクションの全貌はいまだにわかっていません。

現在、国立西洋美術館に収蔵されているのは、コレクションのうちフランス政府が
「フランス国内にある敵国の財産」として没収していたものです。
没収されたことでコレクションの一部が奇跡的に守られたわけです。
戦後日本側の粘り強い働きかけによって寄贈というかたちで返還されました。
その返還のプロセスにどんなドラマが隠されていたのか。
史実をもとにしながら、作家は歴史の空白をフィクションで埋めていきます。

主人公のひとりは、かつて松方の水先案内人を務めた美術史家の田代雄一。
松方が絵画を買い漁るのに同行し、作品選びの手助けをした田代は、
戦後は吉田茂の命を受け、フランス政府との返還交渉に臨みます。

もうひとりの主人公が日置釭三郎。飛行機乗りだった彼は
松方に見出された後フランスに移り住み、戦時下に命がけでコレクションを守ります。

松方、田代、日置の三人を中心人物として、作者が描こうとしたこと。
それは「タブロー(絵画)とは何か」ということでしょう。

松方は人を見る目は抜群に持っているけれど、絵画に関しては素人です。
日置もしかり。でもこのふたりがそれぞれタブローの魅力のとりこになるのです。
松方はロンドンで偶然出会ったある作品によって運命を変えられますし、
日置も愛する妻の死に直面したところをタブローによって救われます。

人はなぜタブローに魅せられるのか。
作者はこのふたりを通してそのことを丁寧に描いていきます。
モネの自宅で松方が作品の率直な感想を告げる場面などは特に素晴らしい。
美術史の知識は持ち合わせていなくても、嘘偽りのない感情を伝えようとする松方の言葉に、
モネのハートは真っすぐに射抜かれるのです。

現在まさに国立西洋美術館で「松方コレクション」展が開催中です。
小説の中に出てくる名画を実際に見ることができるまたとない機会ですので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

投稿者 yomehon : 07:00

2019年07月11日

第161回直木賞直前予想④ 『落花』


次は澤田瞳子さんの『落花』です。

澤田さんといえば時代小説、中でも舞台となるのはあまり手がける人のいない奈良平安時代、
ということで、この作品の舞台も平安中期。平将門の乱が主題となっています。

主人公は仁和寺の僧・寛朝。歴史上実在した人物です。
宇多天皇の孫で仁和寺の僧となった寛朝は、朗々たる梵唄(声明)でも知られています。
彼はかつて衝撃を受けた「至誠の声」の持ち主である豊原是緒の後を追い、従僕の千歳とともに、
当時は荒ぶる辺境の地だった坂東へと下ります。そしてこの地で平将門と出会うのでした。

都から忽然と行方をくらました是緒の行方、そして千歳の秘めたる目的など、
ミステリーの要素も散りばめられていて読みやすいストーリーになっています。
船団を組んで沿岸部をまわり春を売る傀儡女や盗賊などの個性的なキャラクターも登場して物語はにぎやか。
たまに時代小説が苦手という人がいますが、本書は大丈夫です。ぜひ手にとってみてください。

本書で描かれるのは、まずひとつは「音楽」です。
梵唄の他に琵琶や篳篥など、当時の人々を虜にした音楽の魅力を言葉で描き出すことに、著者は挑戦しています。

そしてもうひとつが、「坂東のならず者」の自由な生き方です。
都の硬直した身分制度のもとで生きてきた寛朝は、坂東の地に響く合戦の声にさえ「至誠の声」を見出すようになります。

寛朝は平将門の乱を調伏するために坂東へと下り、
その際に祈祷をした不動明王を本尊として創建されたのが、成田山新勝寺だとされています。
この史実をもとに著者は「寛朝と将門との間にもし交流があったら」というフィクションを拵えたのでしょう。

後に大僧正になるほどの人物と天下の謀反人との間に魂の交流があったとするなら、
これほど面白い話もないと思いますが、意外とそのあたりの描写は淡白です。

もう少し、互いの本音をぶつけ合った後に生涯の友情を結ぶ、といった
ベタな描き方をしても良かったのではないでしょうか。その方が将門が討ちとられる場面が際立ったと思います。
というか、いまの読者には抑制的な書き方だとあまり響かないような気がするのです。
ベタでいいのかという問題はありますが、もっとドラマチックに行っても良かったかと。

また音楽の描写も、もう少ししつこく描写しても良かったかもしれません。
音楽小説といえば、ぼくたちはすでに『蜜蜂と遠雷』という素晴らしい先例を知っているわけですから。
本作は新聞の連載小説だったので、もしかしたら延々と音について描写したりすることが難しかったのかもしれませんが。

澤田瞳子さんは、大学院まで進んで奈良時代の仏教制度などを専門に勉強しただけあって、
本作でも膨大な専門書や論文が参考文献として挙げられています。

ぼくは素人ですので判断できませんが、おそらく歴史考証などは完璧なのだと思います。
ただその作品にどこか学者っぽい生真面目さを感じてしまうのも事実。

並の作家では敵わないような知識をお持ちなのですから、もっと暴れればいいのに、と思います。
それこそ「ならず者」のように自由に筆をふるって、血沸き肉踊る物語を書いて欲しいと思いました。

投稿者 yomehon : 07:00

2019年07月10日

第161回直木賞直前予想③ 『トリニティ』


窪美澄さんの『トリニティ』にまいりましょう。

先日、今回の直木賞の候補はすべて女性作家だと書きました。
小説の良し悪しに作家の性別は本来関係ありませんが、
もしも今回女性が揃ったことに何らかの意味を見出そうとするなら、
この窪さんの作品ほど象徴的な作品はないでしょう。
なぜならこの小説は、女性たちによる女性の生き方をめぐる物語だからです。

主人公は3人の女性です。
72歳で独り暮らしをしている鈴子のもとにある日、
かつて一世を風靡したイラストレーターの早川朔が
亡くなったことを知らせる電話がかかってきます。
早川朔こと藤田妙子は、亡くなったら連絡してほしい人のリストに
鈴子の名前を載せていたのでした。リストにはもうひとり、佐竹登紀子の
名前もありました。彼女はフリーライターのはしりとして出版界でその名を
知られていた存在で、鈴子は若かりし頃、朔や登紀子が関わっていた雑誌の
編集部で働いていたことがあるのです。
鈴子は登紀子に連絡し、斎場の場所や時間を伝えます。

鈴子の近所には娘の満奈美一家が住んでいます。
仕事を持つ満奈美に代わって、鈴子は孫の奈帆の世話をしてきました。
奈帆は就職難の中、ある中堅出版社に就職しましたが、
ブラックな職場環境のせいで心身のバランスを壊しています。
鈴子は家に閉じこもっていた奈帆を、一緒に斎場に行こうと誘います。
鈴子とともに斎場に向かった奈帆は、そこで出会った登紀子に突然、
フリーライターの仕事について話を聞かせて欲しいと頼み込みます。

一週間後、鈴子とともに訪ねてきた奈帆に対して、登紀子が昔話をはじめます。
それはこれまで語られることのなかった女性たちの歴史でした……。

3人が仕事をしていた出版社のモデルは平凡出版(のちのマガジンハウス)で、
雑誌は平凡パンチであることは読んでいればすぐにわかるでしょう。
ただこういった事実関係はさほど重要ではありません。
大切なのは、雑誌がもっとも輝きを放っていた時代を舞台に、
仕事をもつ3人の女性の、その後の三者三様の生き方を見事に描いてみせたことです。

高卒で事務職として会社に入り、その後は専業主婦の道を選んだ鈴子。
祖母、母、自分と三代続く物書きの道を選んだ登紀子。
若くして時代の寵児になるも、その後長く不遇の時代を送る朔こと妙子。

それぞれが置かれた環境で足掻き、その時々で女性としての選択を迫られ、
何が正解なのか答えもみえないままに、自らの人生を選びとっていきます。
そこに時代背景が重なり合い、この作品全体が、昭和から平成にかけての女性史にもなっています。

3人は1964年の東京オリンピックの年に編集部で出会い、親しく交わるようになるのですが、
その中でとても印象的なのが、新宿騒乱の場面です。

1968年10月21日、国際反戦デーの日に学生デモ隊が機動隊と激しく衝突し、
新宿駅構内に乱入した新宿騒乱事件。この現場に興味本位で出向いた3人は、
気がつけば取材者の立場から、自らも線路に散らばった石を投げる当事者に
なっていました。ガス弾を見舞われ、咳き込みながら、彼女たちは
「馬鹿にするな!」と叫びます。このシーンがとてもいい。


「馬鹿にするな!」ガス弾の煙に咳き込みながら、鈴子が言葉を続ける。
「私のことを鈴ちゃんなんて慣れ慣れしく呼ぶな!お茶くみなんて誰でも
できるって馬鹿にしないで!」
「ベトナム反戦にはなんにも関係なんじゃない」と登紀子が鈴子に叫ぶと、
そばにいたヘルメット姿の女子大生が登紀子の顔を見てにやりと笑った。
「女を馬鹿にするな!女は学生運動の飯炊き女じゃない!」
彼女はそう叫んだあと、手にした石を群衆のその先に向かって投げつけるが、
石は人の群れに届かない。さあ、と言うように、女子大生が登紀子に石を渡す。
登紀子はこんな騒ぎに巻き込まれるのなどまっぴらだったし、人前で大声で
叫んだこともない。けれど、女子大生の叫びに自分でも意識していなかった
心の蓋が吹っ飛んだような気がした。
「馬鹿な男どもの下で働くなんてもううんざり!」
石を投げながら叫んだ。声が掠れた。それでも叫んだ。
「ふざけるな!男どもふざけるな!女を下に置くな!」
(略)
鈴子が妙子の手に石を握らせる。どこかクールに二人が叫ぶのを見ていた
妙子だったが、鈴子に持たされた石をまるでピッチャーのようにポーズを
決めて投げた。鈴子より登紀子より、それは力強く飛び、はるか向こうにいる
機動隊の群れの中に落ちた。
「すごい!」鈴子が興奮して叫ぶ。
「もうこりごり!ライズの表紙なんて描きたくない!」妙子が叫んだ。
「男の絵なんて描きたくない!好きな絵を好きなだけ描きたい!」


この作品の中でもっとも心に残るシーンです。
男たちが借り物の言葉で革命を叫んでいる時、彼女たちが
自分の中から出てきた切実な言葉を叫んでいることに注目してください。
この違いはとても重要です。
なぜなら、戦いに敗れた男たちがその後、あっという間に宗旨替えして
体制に順応していったのに対して、女性たちはいまも戦い続けているからです。
そう、彼女たちの戦いは、現在も続いているのです。

3人の女性の歴史は、それぞれの戦いの歴史でもありました。
そして彼女たちの想いは、新しい世代の奈帆へと託されるのです。
この流れもとてもいい。男のぼくがこれだけ胸が熱くなるのだから、
女性たちが読んだらどれだけ感動するのだろうと思います。

窪美澄さんはもともと男女の間の機微や家族の関係などを書かせたら
抜群に上手い作家でしたが、この小説はこれまでにないスケールの大きな作品です。
間違いなくこれは、作家・窪美澄のターニングポイントとなる作品ではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 07:00

2019年07月09日

第161回直木賞直前予想② 『渦 妹背山婦女庭訓』


次は、大島真寿美さんの 
『渦(うず) 妹背山婦女庭訓(いもせやま おんなていきん)魂結び(たまむすび)』です。

「妹背山婦女庭訓」というのは、人形浄瑠璃の演目です。
作者は近松半二(1725年—1783年)。
本書はこの実在の浄瑠璃作者の生涯を描いた作品です。

「近松」という名前ですが、近松門左衛門とは血の繋がりはありませんし、師弟関係もありません。
物語の舞台は江戸時代の大坂は道頓堀。半二は、浄瑠璃狂いの父親に連れられて芝居小屋に出入りするうちに
作者を志すようになります。父親から譲り受けた門左衛門愛用の硯を手に「近松」を名乗りデビューを目指すも、
なかなかその夢はかないません。一方、浄瑠璃は次第に歌舞伎に押されるようになります。
そんな逆風の中、半二が書いた「妹背山婦女庭訓」が大ヒットとなるのですが……というお話。

この小説の読みどころは、半二の創作の現場を丁寧に描いているところです。
書くことをめぐる苦しみや落とし穴、また書くことでしか得られない楽しみなどが事細かに描かれているのです。

「ええか、半二、ひよったらあかん。書いている最中に、
書いているもんを勝手に裁いたらあかん。なんでもやれると信じて、
己を信じて、まずは書いていくんや」

「ただひたすらに文机に向かい、硯で墨をすり、起きているあいだは
二六時中筆を走らせる、あるいは芝居小屋でああでもない、こうでもないと
知恵を巡らすという暮らしを延々、来る日も来る日も黙々とつづけていると、
あるとき、ふと、底知れない虚無に足をすくわれそうになるのだった。
芯の芯まで消耗し朦朧とし、倒れこんだそのときに、それは口を開けて
待っている。その深淵はみてはならぬもの。のぞきこんではならぬもの」

「半二はふと己の手をみた。指を動かしてみた。
握っていない筆がみえた気がした。まだ書かれていない文字がみえた気がした。
わしはわしのためだけに浄瑠璃を書いてんのやない、とふいに半二は思う。
たとえばわしは、治蔵を背負って書いとんのや。いや、それだけやない。それをいうなら、治蔵だけやのうて、
筆を握ったまま死んでいった大勢の者らの念をすべて背負って書いとんのやないか。
ひよっとして浄瑠璃を書くとは、そういうことなのではないだろうか、と半二は思う」

読みながら、これは作者の大島さん自身のマニフェストだと思いました。
「書くことから決して逃げない」という覚悟の表明ですね。
そう考えると、穿った見方かもしれませんが、歌舞伎人気に押されて
客足が途絶えがちなこの時代の浄瑠璃が、現在の出版界にもみえてきます。
落日の浄瑠璃の世界にあって、ひとり奮闘する半二。
そしてその中から傑作「妹背山 婦女庭訓」が生まれるのです。

ところでこの小説は途中からメタ構造というか入れ子構造になっていて、
半二が書いたある物語の中心人物が、
途中から小説の語り手として登場してくるのですが、
直木賞の選考会では、この語り手の処理が議論になるのではと思いました。

というのも、この語り手がやや語りすぎなのです。
なにしろ半二が死んだはるか後の、現代についても語ってしまうのですから。
舞台袖に浄瑠璃の詞章が映し出されるようになっているとか、
イヤホンガイドなるものが登場しているとか、
半二が創作した人物が、半二に向けて呼びかけるかたちで語るのですが、
個人的には少しやり過ぎかなと思いました。

「作者が死んでも物語は生き続ける」ということなのでしょうが、
ここは選考会で議論になるような気がします。

投稿者 yomehon : 07:00

2019年07月08日

第161回直木賞直前予想① 『平場の月』

それでは朝倉かすみさんの『平場の月』からまいりましょう。
山本周五郎賞を受賞している話題の作品です。

この小説のストーリーはとてもシンプルな構造をしています。
「中学生の頃、意識しあっていた同級生の男女が、50歳で再会してつきあい始めるものの、女性が病で亡くなってしまう」
まとめるとこんな感じ。

「ネタバレじゃん!ひどい」と思った人もいるかもしれませんが、二人の関係の結末は冒頭で明かされているので大丈夫。
それにこの小説の魅力は、お話の筋を追うことにはありません。

主人公の青砥健将は、一人暮らしの母親の面倒をみるために都内から地元の埼玉に移り住んだ50歳の男です。
妻子とも別れ、地元の小さな会社に転職し、地味な生活を送っています。
ある時、身体の不調をおぼえて検査に訪れた病院の売店で、中学時代の同級生、須藤葉子と偶然再会するのですが、
彼女もまたいろいろな事情を抱えて今に至っているのでした。

この小説の魅力は、中年男女のリアルな描写にあります。
青砥や須藤と年齢が近い読者には、特にこの作品は沁みるはず(ぼくがそうでした)。
恋愛小説を読むときに、いつもぼくが気になるのはセックスシーンです。いや、その、そういう趣味とかじゃなくて、
セックスシーンの描き方に作家の姿勢というか、誠実さというものが垣間見えると思うからです。

たとえば(大御所の名前をあげてしまいますが)渡辺淳一さんの小説のセックスシーンなんかはツッコミどころ満載です。
そこで描かれるのは、若い女性が年上の男性によって悦びを知るという、なんともおじさん本位のセックスだからです。
スケベなオヤジの願望を投影した描写というか。こういう著しくリアリティに乏しい描写を目にしてしまうと、
読み進めるのが苦痛になってしまいます。そしてこの作家は、果たして女性という性について真面目に
考えたことがあるのだろうかと疑問に感じてしまうのです。

その点、『平場の月』はパーフェクトです。
実はこの作品でセックスシーンというのはほんのわずかしか出てきません。きわめてあっさりとした描写です。
でもこの「あっさり」がリアルなんです。人生もとうに半ばを過ぎ、脛にもそれなりの傷を持つ身になると、
恋愛におけるセックスのプライオリティというのは下がってきます(と思います。知らんけど)。
若い頃のように会えばしたいみたいな関係から、いたわり合いに近い関係になってくる。
そこがこの小説は実によく描けているのです。

若い頃は情熱にまかせてぶつかりあって、浮気しただのされただの泣いたりわめいたりまぁ騒々しいものですが、
年をとってくると、お互いの性はどちらかといえば後景に退いて、男と女というより、
人間どうしの向き合いという感じが強くなってきます。この小説で描かれるのは、それぞれの孤独を抱えながら、
互いをいたわりあう関係です。しかも読者はやがて別れがくることを知っている。だからこそ胸に沁みるのです。

須藤が亡くなった後、青砥が思い出す光景には胸を衝かれます。
それは他人にはどうということもない見慣れた日常の光景です。
でも青砥にとっていかにかけがえのないものか。
何の変哲もないスーパーの駐車場でさえ、彼女と一緒にいた時間が思い出される場所なのです。

川内倫子さんという写真家がいます。
彼女が木村伊兵衛賞を受賞した『うたたね』(リトルモア)という写真集が大好きなのですが、
帯に「死んでしまうということ」とあるように、この写真集には、死んでしまったら見ることができなくなってしまう
日常の光景がたくさんおさめられています。それは台所のシンクであったり、シャボン玉であったり、手の甲に浮き上がる
血管であったり、どれもありふれたものです(その中に時折、鳩や魚の死骸の写真が挟まれたりするのですが)。
この写真集を開くたびに、死ぬときに頭に浮かぶのがこういう光景であればいいなぁといつも思うのです。

朝倉かすみさんは独特のセンスを持つ作家で、
タイトルがいつもユニークです(特に初期の『肝、焼ける』とか『田村はまだか』とか)。
この小説のタイトルにある「平場」というのは、金持ちのような高みではなく、
ごく普通の人々が暮らす地べたという意味でもあるし、平凡な日常という意味でもあるでしょう。
「ちょうどよくしあわせなんだ」という登場人物の言葉は、この作品の精神をよく現していると思います。

誰もがみな一度しかない生を生きています。人生でそんなにドラマチックなことは起きないけれど、
ごく普通の毎日を生きているということがいかに幸せか。そしてそんな平凡な人生の中で、
もしあなたが共に歩いてくれる人と出会えたならば、それはとてつもなく幸運なことなのではないでしょうか。

山本周五郎賞と直木賞のダブル受賞はとてもハードルが高いので、おそらく受賞はないと思いますが、
たくさんの人に読んでほしい素晴らしい作品であることには変わりありません。

投稿者 yomehon : 07:00

2019年07月03日

第161回直木賞候補作

第161回直木賞の選考会まであと2週間となりました。

候補作は既に発表されています。

朝倉かすみさん  『平場の月』(光文社)

大島真寿美さん  『渦 妹背山婦女庭訓魂結び』(文藝春秋)

窪美澄さん   『トリニティ』(新潮社)

澤田瞳子さん  『落花』(中央公論新社)

原田マハさん  『美しき愚かものたちのタブロー』(文藝春秋)

柚木麻子   『マジカルグランマ』(朝日新聞出版)

以上、6作品です。
候補作がすべて女性作家の作品というケースは初めてです。
もっとも、作品を読んでいる時に作家の性別を意識することはほとんどないので、
受賞作予想にはあまり影響はありませんが。
女性作家云々より、むしろ実力派揃いであることのほうが、予想を難しくしています。

では、これからひとつひとつ候補作をみていきましょう。

投稿者 yomehon : 07:00