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diary

2017年2月20日 春の喜び

今年も東京に春一番が吹いた。
春が近づくと、西高東低の冬の気圧配置が崩れ、
日本海に低気圧が発生。
その低気圧に向かって、
太平洋側にある太平洋高気圧から暖かい空気が吹き込む。
この最初の南からの暖かい風が、春一番だ。
関東の春一番の条件は
(1) 立春から春分までの間
(2) 日本海に低気圧がある
(3) 東京で最大風速8.0m/s以上
(4) 西南西から東南東の風
(5) 前日より気温が高い
秒速8メートル、時速にすれば28.8キロ
かなりの強風だ。
その証にベランダの植木鉢が半分倒れていた。

「春に三日の晴れなし」という天気のことわざがある。
文字通り、この時期に大陸から移動してくる高気圧は、
大きさや日本付近に留まる時間に限度があるため、
3~4日で天気が変わるのだ。
春の天気は人生のようだ。
この絵日記を、現在病室で記している。
先日母が倒れた。
徐々に悪化していた心臓がいよいよ悲鳴を上げたのだ。
詳細は省かせていただく。
会社から緊急入院先に駆け付け、まず医師と面会。
ブルーのドクター服を着た医師が、私の目をみて言った。
「息子さん、この波形みて!
これね、いつ止まってもおかしくないの」
今生きているのは奇跡に近いですよ。一回死んでる。
でも、お母さん頑張ったんだね。すごいよ。
出来るだけの処置はしました。
ただ此処は専門病院ではないので明日転院の手続きを取りますよ。
今晩持ってくれれば、・・ね。
持たなかったら、寿命と考えましょう」
命の儚さを母の容態で実感。
突然、死はやってくることもあるのだ。
病室に行くと、苦しそうな呼吸の母が横たわっている。
酸素マスクをつけた口が動いた。
「悪いね~驚かしちゃったね。3日で出る(退院する)から」
生死を彷徨ったという実感がないようだ。
「ゆっくりしなよ。何か夢見た?」
「ああ、自分の部屋があまりに散らかっているから掃除してた」

その夜、何とか持ち堪え、翌日転院。
移った病院で緊急処置を施し、呼吸は少し楽になったようだ。
一方で、米寿の母親の筋肉は急速に衰え始めた。
現在一人では立てない。
これから心臓と相談しながらの歩行訓練が始まる。
先ずはトイレまでの移動を目指すという。
出来ることなら代わってやりたい、
そして少しでも長く見守ってあげたい、
肩で息をしている白髪の老女
彼女は紛れもなく私の母親なのだ。
母の命の枝は、春一番では折れなかった。


人生は諸行無常。
何ひとつとして同じ状態が保たれるということはない。
毎日変化している。
何時、何が起こるかわからない。
それは己に、そして家族に訪れるかもしれない。
今不幸な出来事があっても、その状態が不変に続くことはなく、
逆に、幸せな出来事も、一生続くことはない。
たとえ悪いことがあっても、その状態が、何時までも続くことはない。
全てを受け入れ、前向きに捉えねば、改めて背筋を伸ばした。

春の喜び
春の喜び