毎週日曜日17:00~17:27 文化放送AM1134

みのもんたのニッポンdiscover again

5月24日のアーカイブ音源

↓↓↓ こちらでお聴き頂けます!


放送を聴く

みのもんたのニッポンdiscover again2015年5月25日(月) 20:00

5月31日の放送告知

5月24日の「みのもんたのニッポン discover again」


山本晋也監督のお話は、いかがでしたか?


放送を聴き逃してしまったという、あなた!!


5月25日(月)20時から6月1日(月)17時まで、こちらのブログ内で、アーカイブ音源をお聴き頂けます。


さて、次回(5月31日)のゲストも、映画監督の山本晋也さんです。


思春期のほとんどを映画鑑賞に費やし、その後、市川崑監督作品「東京オリンピック」のカメラアシスタントとして参加した山本さん。


今回は、東京オリンピック開会式の様子、そして映画少年だった青春時代などについて伺いました。


山本監督は、終戦の時、6歳・・・


物心つく段階で、戦争の惨禍を自らの目ではっきりと見た現実。


そして、その記憶が今なお鮮明に残っているという事実。


戦後70年を機に、まだまだ伝えてほしいことがたくさんあります。


私が学生時代にトゥナイトを見ている時、山本監督が戦前戦後を生き抜いていたことは全く知りませんでした。


もしかしたら、ところどころで戦前や戦後の東京の話をしていたのかもしれませんが、あのレポートが強烈で、そこが記憶に残っていないのかもしれません。


山本監督が壮絶な体験をしたのに、そうしたことを感じさせずに映るのは、私の先輩の構成作家で、先日亡くなってしまった松本耕一さんに似ています。


お2人は全く別人ですが、収録の際、山本監督をそばで見ながら、松本さんのことも思い出してしまいました。


それと、この仕事を始めてからでしょうか、この人は西暦何年生まれなのかと調べて、終戦の時は何歳だったのかと考えるようになったのは。


調べた後にびっくりすることも、たびたびありました。


その人が戦後生まれでも、日本が戦争で負けた空気を知っている人と、そうでない人とでは、たとえ1歳や2歳の差でも、自らの生き方や国に対する考え方がかなり異なると感じています。


戦争というのは、その人の人生に大きな影響を与えるものなのだと、つくづく思います。


あと、戦後について分けると、東京オリンピックを生で見ている人と、そうでない人との東京に対する思いも、かなり違いますね。


以前、文化放送の寺島アナウンサーと商店街の中継へ行っていた時、取材で商店主に東京の街並みについて聴くと、必ず「東京オリンピックから、ガラリと変わった」と話していたものです。


あれから10年、皆さん、お元気にしているでしょうか。


話が長くなりましたが、次回の山本監督のお話も期待してください。


東京オリンピックの時の東京、そして朝鮮戦争が起きた1950年ごろのお話も出てきます!


構成作家 後藤知紀

みのもんたのニッポンdiscover again2015年5月24日(日) 19:07

5月24日の放送告知

5月17日の「みのもんたのニッポン discover again」


作家で、東京大空襲・戦災資料センター・館長の早乙女勝元(さおとめ・かつもと)さんのお話(2週目)は、いかがでしたか?


皆さんには、是非、東京大空襲・戦災資料センター(江東区北砂1-5-4)へ足をお運び頂きたいと思っております。


放送を聴き逃してしまったという、あなた!!


5月18日(月)20時から5月25日(月)17時まで、こちらのブログ内で、アーカイブ音源をお聴き頂けます。


さて、次回(5月24日)のゲストは、映画監督の山本晋也さんです。


IMGP1490 山本監督.jpg


山本さんは、1939年(昭和14年)生まれ。東京・神田のご出身。


戦後、GHQ占領下でアメリカ文化に触れ、映画の魅力に目覚めました。


日本大学・芸術学部を卒業後、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に入社。


その後、映画監督の羽仁進(はに・すすむ)さんに弟子入りし、岩波映画へ移り、監督業に転向。


1964年の東京オリンピックでは、市川崑監督作品「東京オリンピック」でカメラアシスタントとして参加。


1970年代前半までに、およそ120本のピンク映画を撮影。


70年代の後半、山本さんについた助監督の1人が、2009年に「おくりびと」でアカデミー賞外国語映画賞とった滝田洋二郎さんです。


現在、山本さんは東日本大震災の被災地で映画の上映会を行うなど、ボランティア活動にも積極的に携わっています。


今回は、東京大空襲、終戦直後の東京の様子などをお話し頂きました。


戦後30年生まれの私にとって、山本カントクといえば、深夜番組「トゥナイト」や「トゥナイト2」です。


毎週何曜日だったんだろう・・・カントクの風俗街レポートが楽しみでした。


まさに明るいエロ!カントクがとても愉快にレポートしていたのをよく覚えています。


早く大学生になって、バイトして、あんな風な楽しいお店に行きたいと思っていましたね。バカですねぇ。


それは置いておいて、カントクのあの明るさは、天性のものなのか。


あるいは戦後の荒波を乗り越えて、生き抜いてきた自信の表れなのでしょうか。


今回、カントクには、東京オリンピック当時の国鉄の切符をはじめ、貴重な品々も見せて頂き、当時の東京の様子も教えて頂きました。


まだ自動改札やスイカなんて無かったあの時代。


切符だって、今より随分と分厚かったです。


高校生くらいまで、私の地元でもまだ駅員さんが鋏で切符を切っていましたね。


あの音が聞かれなくなって、もう随分たちます・・・


今回、カントクのお話は聴きどころ満載です。


粋な江戸弁から、古き良き都の息づかいも感じてみてください。


構成作家 後藤知紀

みのもんたのニッポンdiscover again2015年5月17日(日) 17:45

5月17日の放送告知

5月10日の「みのもんたのニッポン discover again」


作家で、東京大空襲・戦災資料センター・館長の早乙女勝元(さおとめ・かつもと)さんのお話は、いかがでしたか?


放送を聴き逃してしまったという、あなた!!


5月11日(月)20時から5月18日(月)17時まで、こちらのブログ内で、アーカイブ音源をお聴き頂けます。


次回(5月17日)も早乙女勝元さんにお話を伺います。


映画監督・山田洋次さんとの出会い、東京大空襲を経験したからこそ語れる平和に対する思い・・・


山田監督については誰かに伝えたくなるお話、早乙女さんの平和への思いは多くの人に伝えていかなければいけないお話でした。


実際にお会いしてみて、早乙女さんの存在は戦後70年における日本の良心という気がしています。


個性を強く押し出すわけでもなく、いつも穏やかで、誰に対しても優しく接する早乙女さん。


学生時代や子どもの頃、学校や近所に、早乙女さんのような先生や大人がいましたよね。


早乙女さんの静かなる叫びを、しっかりと皆さんにお届けできたらと思っております。


さて、東京には、1945年3月10日の大空襲以外にも、死者が出た空襲が56回もありました。


そのたびに一般市民が犠牲になり、辛うじて生き残った方々も戦後70年が経ち、その大半が亡くなっています。


中には、戦争のことなんか思い出したくないから、当時のことを話したくないという人も大勢いたことでしょう。


現に、軍人経験者の中には、ご家族にさえ、戦争や現場のことを話さなかった人も多いとか。


あえて話さなかったのか、本当は話したかったけど話せなかったのか、粘り強く聴けば話してくれたのか・・・


人の未来や人格を変え、狂わせ、そして心の扉を閉ざしてしまうのも、戦争です。


男の見栄で始まるのも戦争ではないでしょうか。


祖母が言っていました。「戦争で泣くのは、女、こどもだ」と。


構成作家 後藤知紀

みのもんたのニッポンdiscover again2015年5月10日(日) 17:54

5月10日の放送告知

5月3日の「みのもんたのニッポン discover again」


ジャーナリストの田原総一朗さんのお話は、いかがでしたか?


3週にわたってお送りしましたが、皆さん、どんな感想をお持ちになったでしょうか。


放送を聴き逃してしまったという、あなた!!


5月4日(月)20時から5月11日(月)17時まで、こちらのブログ内で、アーカイブ音源をお聴き頂けます。


さて、次回(5月10日)のゲストは、作家で、東京大空襲・戦災資料センター・館長の早乙女勝元(さおとめ・かつもと)さんです。


IMGP1488 早乙女さん.jpg


早乙女さんは、1932年(昭和7年)、東京生まれ。向島の寺島町で育ちました。


1945年3月10日、12歳の時に東京大空襲を経験。


作家としての活動とともに、戦時中、何度も東京を襲った空襲について、次の世代へ語り継ぐ活動を長年にわたって行っています。


1970年、「東京空襲を記録する会」結成し、「東京大空襲・戦災誌」で菊池寛賞を受賞。


「早乙女勝元自選集」(全12巻)、「東京が燃えた日」、「空襲被災者の一分」など著書も多数。


2002年には、4000人以上の寄付をもとに、東京都江東区に、「東京大空襲・戦災資料センター」を設立。


終戦から57年後のことでした。


この東京大空襲・戦災資料センターは、東京大空襲の惨状を次世代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立つことを願って設立され、最も戦禍の大きかった江東区北砂1丁目にあります。


国や東京都が建てたものではなく、民立、民営の資料センターです。


土地は、篤志家によって無償で提供され、2階が会議室で被災地図、資料映像などを見ることができ、3階には東京大空襲の焼夷弾、被災品、写真、文書、書籍などが展示されています。


地方から修学旅行生も訪れています。


私も、早乙女さんの収録前にこちらを訪れ、特別展「東京空襲写真展」を見学・取材しましたが、アメリカ軍による無差別殺人の非道さ、3月10日の大空襲はもちろん、3月10日だけではない数多くの東京への空襲の惨状、戦争の恐ろしさを、この目ではっきりと見てきました。


東京大空襲のことをもっと大勢の人に知ってほしいし、マスコミのはしくれとして、こんなにひどい大虐殺が今から70年前にあったという事実を、もっと伝えていかなければと思った次第です。


警視庁のカメラマンだった石川光陽さん、東方社の林重男さん、菊池俊吉さん、後藤種吉さんが撮り続けた貴重な写真がなければ、東京への空襲は歴史に埋もれていたのではないでしょうか。


しかも、戦後、日本は、この東京大空襲の計画立案者であるカーチス・ルメイというアメリカの軍人に、勲章まで与えているのです。


こんなバカなことがあっていいのでしょうか。


私たちは、戦後70年を機に、考えなくてはならないことが山ほどあります。


今回は、70年前の東京大空襲、そして戦後70年の節目を迎えた今の日本の状況に
早乙女さんが感じている憂いについてお聴きしました。


皆さん、是非、東京大空襲・戦災資料センターへ足をお運びください。


どうぞよろしくお願い致します。


構成作家 後藤知紀

みのもんたのニッポンdiscover again2015年5月 3日(日) 17:58
番組へのお便り
〒105-8002 
文化放送「みのもんたの
ニッポンdiscover again」係
パーソナリティ

みのもんた

番組概要

歴史・文化・芸能・スポーツなどに造詣が深いみのもんたが【東京】【日本】【時代】【人間】をテーマに、各界の著名人をゲストに迎えます。
対談を通じて、日本の伝統・文化、日本人の生き方など様々な事象を掘り下げ、「再発見」し、未来につながる理想の日本、そして日本人の姿を描き出します。

ページTOPへ戻る