戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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海軍の特攻隊から生き残った岩井忠正さんが訴える平和の意味

自爆を前提とする「特別攻撃隊」略して「特攻隊」。
太平洋戦争では陸軍の「神風」、海軍の「回天」をはじめ、
いくつもの特攻隊が編成されました。
その「回天」に所属したのが慶応大学在学中、学徒出陣により海軍に招集された岩井忠正さん。
京都大学の学生だった弟の忠熊さんもまた海軍の特攻隊所属となります。

岩井さんの昔.jpg

左が弟の忠熊さん、右が忠正さんです

子供の頃から「西部戦線異常なし」を熟読して戦争の愚かさを知り、ニュース映画でアメリカの戦車の強さを知っていた岩井さんにとって、アメリカとの戦争は到底勝てるとは思えない無意味なものでした。
一方で、空文句の精神主義教育が大嫌いで反骨心旺盛な若者が、なぜ自ら特攻隊に志願したのか?それはアーサーさんにとって実に興味深い謎でもありました。放送では長い時間を割けなかったその理由について、木曜日更新のPodcastでじっくりとお聴き下さい。哲学を学び戦後は翻訳者としてご活躍された岩井さんと日本語で詩を紡ぐアーサーさんの、哲学や文学に関するやり取りも聞き応えのあるものです。

岩井さんの今.JPG


アーサーのインタビュー日記

兄弟2人とも特攻隊に所属し、どちらも生き残った岩井忠正さんと弟の忠熊さん。忠正さんは人間魚雷の回天と人間機雷の伏竜に、忠熊さんは小型のベニヤ製モーターボートで突撃する震洋という特攻隊に所属していました。実は2人は生き残ったものの特攻隊にいたことは口をつぐんでいたそうです。しかし特攻隊があまりにも美化される風潮に黙っていてはいけないと10年ほどまえから自らの経験を語り始めました。戦争に突入していく空気を作ったのは、「皆が沈黙したことだ」と岩井さんは繰り返していました。

岩井さんの話を聴いていると、特別攻撃隊の「特別さ」は、その矛盾の大きさや不条理さの鮮やかさだったのではないかという気がします。特攻隊に所属しながらも命を落とさなかったことは本当に大きな奇跡だと思います。しかしその体験を今語って伝えようとしている岩井さんの存在は、実はもっと大きな奇跡を持っているんではないかという気がしました。

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