戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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戦地に残した仲間達の遺骨を拾い続けた気骨の人、西村幸吉さん

出兵した将兵の9割が生きて戻れなかったと言われる東部ニューギニア戦線。アメリカやオーストラリアの連合軍との戦いで、12万7600人の日本兵が戦死しました。その遺骨の多くは、今なお日本には戻ってきていません。飢えと感染症にも苦しみ、負傷した兵士は置き去りにもされた戦場で、西村さんも22歳の夏に最前線で戦いました。西村さんは60歳の時にかつての戦地に戻り、25年間に渡って共に戦った仲間達の遺骨を拾い続けます。その姿は敵国であったオーストラリアで「ボーンマン」として尊敬を集める事となります。上官も一目置く存在だった兵長としての生活。上官の遺体を回収する間、一発の弾も撃ってこなかったオーストラリア軍。戦後アメリカ兵を手りゅう弾で脅かそうと目論んだ話など、放送で語りつくせなかった逸話も沢山あります。ぜひ木曜日更新のPodcastでもお聴きください。

語る西村さん.JPG

遺骨収集は仲間と交わした約束を守っただけで、戦争とは関係ないよと語った一言にしびれました。

やりを持つアーサーさん.JPG

槍を手にするアーサーさん。気を付けて!

西村さんとツーショット.JPG

オーストラリア兵に感じた武士道をアメリカ兵には全く感じなかったそうです。
なのでアメリカ人は好きではないそうですが(汗)、アーサーさんとは意気投合できました。


アーサーのインタビュー日記

西村さんにお会いする前から、25年間も遺骨を拾い続けるとは一体どういう事なのだろうとずっと考えていました。
西村さんは戦争の技術を身に着け、戦争を知り尽くし、戦争のいろいろな修羅場を乗り越えてきた人です。しかし戦後は平和を背負った武器を持たない一人の人間としてもう一度パプア・ニューギニアに向かいました。敵を殺めた日々や仲間を失った日々を思い出しながら、想像の中でもう一度戦争を体験しながら仲間の遺骨を探し続けたのでしょうか。現地の人達と協力し作業を進める日々の中であの時代は何だったのかと考えたのでしょうか。僕は西村さんの遺骨収集が、今の国家にはできないほどの大きな任務を一人の自由になった人間が果たした、加害と被害を超越した大きな事業だったと思います。そしてそれがあの戦争に対する西村さんの一つの答えだった気がします。

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