戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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米軍が空から撒いたビラでポツダム宣言を知った村山元総理大臣

今週は、元内閣総理大臣の村山富市さんです。村山さんは神風特攻隊の基地があった大分県で11人兄弟の6男として生まれ、義務教育を終えると上京し町工場で働きました。その後、勤め先を変え、夜間学校に通い始めます。そして明治大学への入学を果たしました。その村山さんが学徒動員の後、徴兵されたのは20歳の時。夜間学部生には本来は受験資格が無かった幹部候補試験に甲種合格し、1年間の軍隊生活を送ります。そして終戦間近のある日、空から降ってきた米軍の宣伝ビラを思わず拾うのでした。
村山さんは当時、料亭で軍刀を持って柱に斬りつける特攻隊員らの姿を目にします。明日をも知れぬ中で、追い込まれていく彼らの姿を見た事で戦争というものがいかに人の心を変えていくものかという事を痛感。そしてその事が、戦後、平和運動、労働運動に足を踏み入れるきっかけになっていったと語ってくれました。周囲に押されるままに市議会議員、県議会議員、国会議員と上り詰めていった村山さん自身が「なぜこのようなことになったのか」信じられない思いで就任した総理大臣。
木曜配信のPodcastでは、村山さんが総理になるまでの数奇とも言える人生も語ってくれています。

村山富市さん.JPG

眉毛は現役時代以上に長かったです。「安保法制を止めるために命がけで戦うぞ」と豪快に笑った村山さん。御年91歳。益々意気軒昂です。


(番外編)
アーサーさんと大友宗麟.jpg
大分駅に到着したアーサーさん、後ろはキリシタン大名の大友宗麟。ここまではまだ良かったのですが...

アーサーさんとザビエル.jpg
オーマイガー。悪のりでやらかしてしまいました。ザビエルとアーサーさん(汗)ビナード家もカトリックらしいので赦してあげて下さい。




今回のポッドキャストは前編と後編でお送りいたします。
前編はこちらから
後編はこちらから

アーサーのインタビュー日記

村山さんは陸軍の軍曹だった1945年の7月の終わり、アメリカの飛行機が上空から撒いたビラに印刷されたポツダム宣言を読みました。そして当時自分の置かれている状況と国家の状況をつなげて「近々降伏するのだな」と気が付いたそうです。そういう体験を持った村山さんが半世紀後に総理大臣になり、戦後50年談話を発表した事に歴史の不思議さを感じます。
今、70年の節目に談話を出そうとしている安倍総理は、当然戦争経験はありません。そして国会のやり取りの中で「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と発言し世間を驚かせました。
実感があるか無いか、体験があるか無いかという違いが、歴史との関わり方や向き合い方に大きな相違点を生むものです。
ちなみに村山さんの話にはところどころで「しょうがない」という言葉が出てきました。「しょうがない」と聞くと大抵「あきらめる」とか「現状を認める」など、多くの場合は、消極的であきらめを含んだ「しょうがない」です。しかし村山さんは「しょうがないからやるか」「しょうがないから頑張ろう」「しょうがないから引き受けてみるよ」と一貫して前向きで積極的な意味が入っているのです。一見、消極的にみえて実はとても積極的。そんな村山さんの生き方が、「戦後50年談話」にも表れているような気がしました。
村山内閣の頃は、「積極的平和主義」という言葉は無かったでしょう。しかしまさにそういう言葉が当てはまるような50年談話です。僕はこう思います。歴史と向き合うことに消極的ならば、本当の意味での「積極的平和主義」にはなれないのではないか?今の総理をみていて、そんな「消極性」と「積極性」の違いを考えさせられました。

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