戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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長崎原爆の爆心地から2キロ 松原淳さんの家族の物語

とても陽気で快活な松原淳(ただし)さんですが、原爆の話をする際は本当はとても気が重くなるそうです。1945年8月9日、午前11時2分。長崎市上空で炸裂したプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」。一瞬にして、摂氏3000度を超える「熱」「放射線」「爆風」が襲い、街を、山を破壊しました。威力は、広島に落とされたウラン型原子爆弾の1.5倍。その年の内に、およそ7万4000人の方が亡くなったと推計されています。あの日、夏休みを過ごしていた松原淳さんは爆心地から2キロ離れた自宅で、戦争帰りの長兄とすいとんを作っていました。松原さんの語る戦争体験は弟の命を守った長男、爆心地から戻った父、原爆で重傷を負い3年以上寝たきりとなった4番目の兄、その兄を寝ずに看病した母。そして今も連絡を取り合う幼馴染と家族や友人たちの物語につながります。その母はその後、軍艦島に働きに出て人望を集める存在となります。そして若いころはやんちゃをしていて、その後猛烈に働き始めた自身の事。陽気で明るい松原さんの語り口からはその人柄とともに、陽気な松原さんの口をも重くさせる戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さもまた伝わってきます。

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熱く語る松原さん、最近は社交ダンスにも励んでいる快活でモテモテの81歳です。

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追伸
8月15日はアーサー・ビナードさん出演で「戦後70年スペシャル」をお送りしました。
パーソナリティ久保純子さんが母として子に伝えたい平和への思いを語ってくれました。
ゲストに森村誠一さん半藤一利さんをお迎えして骨太な番組となりました。
メール、ファックスを下さった皆様、ラジオをお聴き頂いた皆様、本当にありがとうございます。

もうひとつ追伸
9月に「探しています」でお話を伺う西崎信夫さんの講演会が
8月16日(日)午後2時~3時半 くにたち市民芸術小ホールで行われます。
いま、国立市では「語り継ぐこと」を大きなテーマとして取り組んでいます。
テレビをつけても新聞を開いても戦後70年の見出しが躍っていますが、
8月15日が過ぎてから、いかに「戦争」を学ぶかがとても大事な事だと思います。
西崎さんは、駆逐艦ゆきかぜの乗組員として、戦争の最前線にいた方です。

お知らせでした。

アーサーのインタビュー日記

「ピカ」と光った瞬間に身を挺して松原さんを守ってくれた戦争帰りの一番上のお兄さん。工場で熱線を受けやけどを負い、同僚の兵隊におんぶされて自宅に戻ってきた4番目のお兄さん。当時11才だった松原少年の家族の物語を知ると原爆投下のおかげで戦争が終わったという定説はどうしても受け入れられません。僕らが毎年すりこまれているこの定説と、松原さんの家族の物語。どちらが歴史の本当の仕組みに即しているかというと松原さんの体験が事実というものにより近いと思います。体験者の体験と思いを抜きにして歴史を語ってしまうと、必ず一部の人たちにとって都合の良い話にまとめられてしまうのではないかと思います。松原さんの家族の話と大きな歴史をつなげてみるととても大事な問題提起になると思いました。

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