戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

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作家・森村誠一さんの原点 熊谷空襲

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今週は日本のミステリーの第一人者、森村誠一さんにお話を伺いました。
森村さんのインタビューは15日午後1時から文化放送でお送りした「報道スペシャル・70回目の8・15~語り継ぐべきこと」(アーサーさんも生登場)の中でも、拡大版を送りしました。
森村さんは埼玉県北部の街、熊谷市のお生まれ。熊谷と言えば、大阪や小田原、秋田、光など玉音放送を目前にした14日から15日にかけて空襲を受けた町のひとつです。
近くの町、群馬県太田市を中心に零戦が製造された一大軍事製造拠点でしたが、当時は生産能力も残っておらず、なぜポツダム宣言の受諾を通告した後に殺されなければならなかったのかという疑問が70年間残されたままです。8月14日、午後11時30分ごろ。昼をあざむく照明弾とともに、激しい焼夷弾の雨がこの街を襲いました。瞬く間に火の海と化し、傷つき、逃げ惑う人々。市街地の3分の2を焼きつくし、266名が犠牲となりました。
そしてその逃げ惑う人々の中のひとりが森村さんでした。火がようやく消えたのは、15日午後5時ごろ。玉音放送が流された後のことでした。しかし好きだった幼馴染の女の子の遺体を翌日川で見つけるというこの辛い体験が、人気作家・森村誠一を生む原点となったのです。

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ダンディな森村さん、収録の合間にスタッフ全員でコーヒーの飲み方指南も受けました。

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いい感じにクリームが回ってます!

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衰えぬ取材力と反骨の正義心が森村作品を裏打ちしています。
アーサーさんと森村さん、とても波長の合うお二人です。

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Podcastでは、森村さんの人生観、戦争観、平和観、そして国家観が熱く語られています。
ミステリー作家と詩人が語る太平洋戦争。聴きごたえのある1時間です。
アップするまでもうしばらくお待ちください。

アーサーのインタビュー日記

第二次世界大戦の歴史の中で、熊谷の空襲はもっとも不条理が満ちている出来事と言えるかもしれません。
低飛行で飛んできたB29は、撃ち落とされる危険は無いとわかっていて焼夷弾を落としています。戦争が終わることは日米両政府の共通認識だった中でどう考えても街を焼く必要性はなかったのです。でも町が火の海になった。
それが何なのか?どう説明すれば良いのか?理由は何なのかということを森村さんの話を聴いて皆さんも大きな疑問符を手渡された思いでしょう。ミステリーというおのは不思議で、説明がつかなくて、大きな不条理をはらんでいるものに作家も読者も一緒に取り組み向き合い掘り下げていくジャンルです。森村さんがどうにも説明がつかないものを語るという文学者になったということは熊谷の空襲と深いところでつながっている気がしました。
経済のシステムに対しても大きな政治勢力に対しても問題を突き付けるという森村さんの生き方も、70年前の8月14日、15日の出来事と深くつながっている気がします

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