戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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極寒のシベリア生活を馬の手綱捌きと明るさで乗り越えた民謡歌手の舘松栄喜さん


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今週は、戦後にも関わらず、推計5万5000人が亡くなり「極寒の地獄」と呼ばれた「シベリア抑留」からの生還者。民謡歌手の舘松栄喜(たてまつ・えいき)さんにお話を聞くため八戸駅からタクシー乗り場へ。


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1945年8月9日未明、突如始まったソ連による満州侵攻。そして迎えた、8月15日の敗戦。満州には、開拓団の住民、投降した日本軍兵士ら、大勢の日本人が取り残されました。ドイツの降伏以後は日に日に増えていくソ連兵たち。これに対して日本軍は鉄砲もままならない状況でした。舘松さんたちは、車内が真っ暗な貨物列車に乗せられ、シベリアの大地を行軍させられて収容所に到着します。自分たちで藁を積み作った簡易ベッドで始まった抑留生活。シラミと南京虫に悩まされる毎日でしたが、子供の頃から馬の扱いに長けていた舘松さんはその馬さばきでソ連の兵士たちを驚かせます。そのうちソ連の将校と将棋を指すようになり、ボルガを教えてもらうことに。民謡で鍛えた喉でボルガも聴かせてくれました。


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舘松さんは、「マレーの虎」山下奉文陸軍大将に仕えていた時期があります。後ろの掛け軸は山下大将から贈られた書。山下大将、普段はとても穏やかな人物だったそうです。山下夫人にも優しく接して頂いて、戦後未亡人となってからも賀状のやり取りなど交流を続けていたというエピソードも披露してくれました。放送ではご紹介できなかった山下大将との横顔はPodcastでお聴きください。南部民謡の復興に尽力し「南部俵積み唄」を誕生させた御大ですが、笑顔通りの謙虚なお人柄。「偉い人ほど偉ぶらない」を地でいく舘松さん。90歳を過ぎて元気いっぱい。地肩が強そうなタイプです。


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収録が終わった瞬間運ばれてきたのは瓶ビールとグラス!ついついお言葉に甘えてしまいました。


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そしてお尻に根が生えてしまいました。気がつくといつしか南部地方の日も暮れなずんでいったのでした。

アーサーのインタビュー日記

舘松さんの歌のレパートリーには、「馬」にまつわるものが多くあります。ご本人も小さい頃から、馬たちとともに生活をし、巧みに馬を使いこなし、その才能が舘松さんの命をつなぐことに大きく貢献しました。
舘松さんは、まるで馬と同じ立ち位置でソ連という国家に使われ強制労働を課せられ、過酷な状況の中で苦しみながら働いていたはずでその経験の辛さは70年経っても決して軽くなるものでありません。しかし舘松さんの話を聞いているとロシア人に対する憎しみは全く感じられず、ロシアの歌を本当に楽しく歌ってくれました。
それは捕虜として自分がやった仕事に誇りがあるのだと思います。木材を切り出して馬とともに引っ張る仕事は強制的なものだったはずですが、それを自分が能動的にやる仕事に変えていったのです。
舘松さんの生きる知恵の根本にあるのは、運命が自分に押し付けたものであってもそれを引き受けた瞬間から自分が積極的に関わるということだったのではないでしょうか。ソ連軍の兵隊たちとの関係も平等ではないにも関わらず、決して自分が下に立っていない、その基本姿勢が舘松さんの民謡にも表れていると思いました。
舘松さんの声をラジオ番組や生で聴くたびに「本当に力強いな」と思っていましたが、今回の取材でその理由が少し汲み取れた気がします。

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