戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

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奇跡の駆逐艦「雪風」の元乗組員、    西崎信夫さん

今週と来週の2週に渡って、「雪風」とともに戦中、戦後を歩んだ西崎信夫さんのお話をお送りします。

「奇跡の駆逐艦」 戦後そう呼ばれた「雪風」は、太平洋戦争開戦時から常に最前線で戦い続けながら主力駆逐艦としては唯一、沈むことなく生き残った船です。レイテ沖海戦で沈んだ戦艦「武蔵」も沖縄水上特攻で沈んだ戦艦「大和」も幻の空母「信濃」も最後を見届けたのはいつも「雪風」でした。

三重県の伊勢志摩に生まれた西崎さんは、海軍エリートの卵として600人の村の人たちに見送られて駅から旅立ちます。
動き始めた汽車と並走するようにホームを走り追いかけてきた親友は西崎さんに向かって「信ちゃん、死ぬなよ」と叫びました。
出発の日の朝「生きて帰ることが立派な軍人さんの務めだ」と諭してくれた母親。甲板で「次は靖国で会おう」とつぶやいた同郷の仲間。目の前で息絶えて行った気立ての良い上官。 最前線で戦う西崎さんに向かってくる敵機の操縦桿を握る自分と同年代の米軍兵士。西崎さんの戦時中の出来事はいつも「命」と向き合う物語です

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終戦まで生き残った駆逐艦「雪風」は、戦後海外からの引揚者を輸送する「引揚船」として生まれ変わります。
来週は西崎信夫さんと雪風の終戦、そして戦後の旅路です。


アーサーのインタビュー日記

西崎さんは海軍特別少年兵の第一期生でした。第四期生まで総勢約1万8千人が養成されましたが、戦局要員として次々前線で倒れ約3千2百人が戦死したと言われています。戦艦大和にも多くの特別年少兵が乗っていました。西崎さんは15歳で軍人になり、軍の訓練と教育を受けました。大日本帝国軍の決まりごとは「決して捕虜になってはいけない」「国のために死ぬこと」が前提だったはずですが西崎さんの話を聞くと、国のために死ぬと考えていなかったようです。お国のために働く、戦う、できることはなんでもすることを軍人の基本姿勢としながらも、死ぬことが自分の使命であるとは全く考えていなかったのです。
常に考えていたのは、自分がどうすれば良いかを考えて危機的状況の中で戦い、そして生き延びることでした。権力者がいくら「国のために死ぬことが立派なことである」という話を作り上げても現場で死ぬことが尊いとはとても思えません。
最前線で戦った西崎さんの話を聞けば、それが伝わってきます。すぐれた軍人としての支えた背骨は何なのか、活躍の原動力は何だったのかということを考えた上で、国ために死ぬとはどういうことなのかということをつなげてみると権力者が作り上げた薄っぺらい作り話は壊れます。
お国のために死ぬことは日本のためにならないのです。国のためにがんばろうと思ったら一番大事なことは生き延びること、
無意味な破壊はしないことなのです。それを西崎さんの話から改めて教えられました。

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