戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

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帰国者たちの第2の人生を開いた駆逐艦「雪風」と西崎さんの戦後

今週は、最後まで沈まなかった主力駆逐艦、「雪風」の元乗組員、西崎信夫さんのお話の後篇です。「生きて帰ってきなさい」と語った母との約束を守り激戦を生き延びた西崎さんですが、最後に京都の宮津湾で再び30機のB29による集中攻撃を受けます。
右往左往と逃げまどいながらもやはり撃沈を免れた雪風を、多くの人たちが山の上から「がんばれ」と声をかけ見守っていたと言います。そしてついに迎えた終戦。最初は戦争に負けたことすら信じられなかった西崎さん、ふと考えたのは「これからどういやって生活していこう」ということでした。奇跡の不沈艦「雪風」は戦後、海外からの引揚者を輸送する「引揚船」として第2の人生を歩み始めます。そして西崎さんもまた「雪風」の甲板長として、1万3600人を内地に連れ帰り、彼らの第2の人生の道筋を作りました。

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西崎信夫さんは、15才で特別少年兵として海軍に入隊し雪風に、1943年11月から乗船。
戦後、引揚船としての使命が終わる1947年7月まで、運命を共にしました。
15歳の時、駅で600人に見送られながら特別少年兵として故郷を後にした
西崎さん。しかし戦後は、時代の様変わりに愕然としたそうです。

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収録は池袋駅前のレンタル会議室で行いましたが、何と時間切れで立ち退きのはめに。しかしここはあきらめず喫茶店に場所を移して話は続きました。この番組としては、初めて途中で収録場所が変更になる緊急事態が発生。後ろに聴こえるノイズも途中で急に変わっております。ご容赦下さい(汗)

アーサーのインタビュー日記

西崎さんは「雪風」の記録を全部焼いたという話をしてくれました。それは上からの「機密文書を焼け」という命令でした。自分の過去を消すこと。自分と自分の仲間たちが成し遂げた事を忘却のかなたに片づけることは本当に悔しかったと思います
もしその記録がいま残っていたら70年後の僕らが沢山のことを学べたのにそれらはすべて焼却されました。
焼却されることの背景には何があるかと考えると僕は「本土決戦」という言葉の矛盾に表れていると思います。
「本土決戦」「一億総玉砕」のプロパガンダを降らせながら権力の中枢にいた人たちは皆、自分たちの出口戦略を考えて、
都合の悪いものは全部消して次の就職を考えていたのではないでしょうか。全く決戦する気が無くて、次の豊かに生きていくための道を考えていた事がその煙に現れていたと思います。
最前線で戦った西崎さんは、悔しさや矛盾、戦争の馬鹿馬鹿しさを噛みしめながらも、戦後は雪風とともに、沢山の人を日本に連れて帰り、沢山の人の戦後の始まりを作りました。それこそが本当の武器の平和利用だったと言えると思います。

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