戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

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漫画家ちばてつやさんが満州で体験した終戦(ちばさん前編)

1932年に今の中国東北部に建国され、事実上日本の支配下に置かれた満洲国。日本からはおよそ27万人の満蒙開拓移民が入植し、戦時中は日本国内よりも豊かな暮らしを送っていたと言われています。しかし日本の敗戦と同時に生活は暗転。ソ連軍や現地住民に追われ逃げまどうまさに地獄の日々が始まります。そして6歳になったばかりのちばてつやさんもその一人でした。
親切だった中国の人たちの態度が敗戦の色が濃くなるにつれ変化していく様子。敗戦と同時に塀の向こうから聞こえてきた爆竹の音。そして凶器を手に塀を乗り越えてくる人々...。ちばさんのお話を聞きながら手に冷汗を感じる一方、偶然通りかかった父親の友人、徐(じょ)さんに救われるエピソードには荒れ野の中で一輪の花を観る様な思いでした。そしてアーサーさんが尋ねた「徐さんってひょっとしたら...」の一言でちばさんの表情が少し変わりました。その質問とは...。


アーサーとちば2.JPG
ちばさん宅の応接間に永遠の名作「あしたのジョー」の大イラストが!顎だけですみません...

アーサーのインタビュー日記

ちばてつやさんの話を聞いていると、根本的な事を大きな疑問符とともに突き付けられる思いです。それは「日本とは何だろう?」「国家とは何ぞや?」という事。僕はアメリカに生まれ育ち22歳の時に日本に来ましたが、ちばさんは東京に生まれ、赤ん坊の時に大陸に渡りました。そして「内地」と言う言葉を使って我々が「日本」と呼んでいる列島を遠くから大人たちの話を通じて想像していました。ちばさん一家は満州の中で「日本人」というある種特権階級にいたわけですが、ちばさんのお父さんは、「人として」他の民族、他の言語を話す人たちと接し、徐集川(じょしゅうせん)さんという一人の現地人の同僚と親友の契を結んでいました。そして2人の友情が結果として、ちば家6人の命を救ったわけです。徐さんは危機的な状況の中で、民族の線引きや国家の問題をこえてちばさん一家を匿ってくれました。一方で頼りにしていた「国家」は一日で崩壊し、ちばさんたちをはじめ開拓団27万人を何の説明もなく異国の地に捨てました。しかし国家を超えた権力とは違うルートで作られた友情や人間関係が一家を救い、その記憶がちばさんの人生の中で続いています。そしてちばさんが生みだす作品にもつながっているのです。「日本」と僕らが普段使っている国の名前は「国家」を指すときと生活に基づいた「人間」を指すときに大分意味が違います。今も沖縄や北海道で使われる「内地と外地」という言葉はとても重要な線引きだと思います「内地と外地」という言葉を忘れずに、日本の満州の歴史を忘れずに、「国家を疑い、人を信じる」という生き方がちばさんの話の中からはっきり見えてきました。

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