戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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帰国を果たしたちばてつやさんの目に映った日本(ちばさん後編)

「あしたのジョー」「のたり松太郎」などで知られる漫画界の巨匠、ちばてつやさん。両親や幼い弟たちと共に帰還船に乗り日本への帰国を果たしたのは敗戦からおよそ一年後の1946年7月でした。物心がつく前に両親に連れられ朝鮮半島から満州へと渡ったちばさんに日本の記憶はありません。しかしちばさんの目に最初に飛び込んできた日本の景色は玄界灘に浮かぶ美しい島々でした。
ようやく福岡の港に到着し念願の帰国を果たしたちば一家、今度は肉親の待つ関東地方への長い旅路が始まります。祖母の住む九十九里浜に近い街の駅。ボロボロの服を身にまとった一家は、日が暮れてから駅を出発し、祖母が暮らす家に向かい疲れた足を前に進めました。半分寝ながら母親に手を引かれ到着した祖母の家。懸命に扉を叩く父親。中から聞こえてくる騒々しい音、そして姿を見せた祖母の驚きの顔。1年ぶりに安心に包まれてついた寝床の安らぎ。ちばさんのお話を聞きながら我々も長い帰国の旅を追体験できました。70年前とは思えない生々しい戦争の記憶と家族の思い出です。

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戦争論、平和論。初対面とは思えないほど意気投合したお二人でした。

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アーサーさんとあしたのジョー、鼻の形が似ていませんか?

アーサーのインタビュー日記

「引揚者」という言葉を国語辞典で引いてみたところ「外地での生活を引き払って内地に帰ってきた人々」という定義になっていました。ちばてつやさんの話を聞いた後には、この「外地での生活を引き払う」という動詞表現に引っかかりを覚えます。「引き払う」という事ではなく、追い払われる、生き延びるために命を繫ぐという表現の方がより現実に近いと思います。逆に「引揚者」を和英辞典で引くと「returnee」というあまり使われない言葉が出てきます。この「returnee」という言葉に響きも言葉も近い「refugees」という言葉があります。日本語に置き換えると「難民」です。今、世界を見渡すと「難民」の数が激増していますが、内戦に陥っているシリアという国の人々は生きていけず、命をつなぐために、追い払われて国外に出ています。彼らの体験とちば一家の体験は本質的なところでは重なるのではないでしょうか。満州で暮らしていた時にちばさんは両親に「内地って何?」「日本って何?」と聞いたそうです。すると両親は「おばあちゃんが住んでいるところだ」と説明してくれました。ちば一家6人が奇跡的に生きて帰国しどうにか「おばあちゃんの住んでいる」千葉までたどり着いた時に、ようやくちばさんの「難民生活」は終わりをつげました。
シリアをはじめ世界の難民の人々が、今何を必要としているか?何を求めているのか?そして彼らに何ができるのか?という問題を考える上で、ちばさんの体験はとても貴重なものになると思います。

ちばてつやさんの話を聞いていると、根本的な事を大きな疑問符とともに突き付けられます。それは「日本とは何だろう?」「国家とは何ぞや?」という事です。
僕はアメリカに生まれ育ち22歳の時に日本に来ましたが
ちばさんは東京に生まれて赤ん坊の時に大陸に渡りました。
そして日本ではなく「内地」と言う言葉を使って、我々が「日本」と呼んでいる列島を遠くから大人たちの話を通じて見ていました。
ちばさんたちは満州の中で「日本人」という特権階級にいたわけですが、ちばさんのお父さんは人間として他の民族、他の言語を話す人たちと接し、徐集川さんという一人の同僚と親友の契を結びました。そしてこの2人の友情が結果としてちば家の6人の命を救ったわけです。徐さんは危機的な状況の中で、民族の線引きや国家の問題をこえてちばさん一家を匿ってくれました。一方、その国家は一日で崩壊し、ちばさんたちをはじめとする開拓団27万人を何の説明もなく異国の地に捨てました。しかし国家を超えた権力とは違うルートで作られた友情や人間関係が一家を救い、それがずっとちばさんの人生の中で続いています。そしてちばさんの作品にもつながっているのです。「日本」と僕らが普段使っている国の名前は「国家」を指すときと生活に基づいた「人間」を指すときに大分意味が違います。今も沖縄や北海道で使われる「内地と外地」という言葉はとても重要な線引きだと思います「内地と外地」という言葉を忘れずに、日本の満州の歴史を忘れずに「国家を疑い、人を信じる」という生き方がちばさんの話の中からはっきり見えてきました。

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