戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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作曲家、大中恩さん。音楽を離れ特攻に向かう戦友たちを見送った海軍生活

今週は童謡「サッちゃん」や「いぬのおまわりさん」などで知られる作曲家、大中恩(おおなか めぐみ)さんにお話を伺いました。91歳を迎えた今も現役の作曲家として活躍を続けている大中さんは東京音楽学校(いまの東京芸大)の学生だった72年前の1943年10月21日、神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会でスタンドから出征してく先輩学徒を笑顔で見送り、戦意高揚の歌として愛された「海ゆかば」を歌いました。その後、大中さんもまた学徒として海軍に入隊。先輩兵士たちの鉄拳を受ける日々を送ることになります。大中さんの父親もまた「椰子の実」などの作品で知られる作曲家の大中寅二さん。寅二さんに弟子入りした作曲家志望の学生たちの出征していく姿を見ていた大中さんもまた海軍に入り、同僚兵士たちが特攻として旅立っていくのを見送りました。自身も特攻を志願するものの目が悪く不合格となった大中さんは今から思えば落ちて良かったと思えるものの、当時は無念さでいっぱいでした。そして敗戦。音楽の夢を絶ち亡くなっていった仲間たちの分も背負って70年間譜面に向かってきた人生ですが、それを決して声高に言わず照れながら話す大中さん。その温かい人間性が感じられるインタビューでした。

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終戦直後、大中さんの自宅はGHQ本部のご近所にあり、何とマッカーサーの執務室が家の窓から見えたそうです!窓から手を振るマッカーサーの子供たちや美人の奥様の姿を良く記憶しているそうです。クリスマスの日、合唱している大中家に一緒に歌わせてくれと訪問してきた進駐軍の兵士たち...。そのおおらかさにアメリカとはおおらかで凄い国だと実感したそうです。このエピソードにはアーサーさんも驚いていました。ぜひともPodcastでお聴きください。


なお、大中さんの作曲家生活も戦後の長さと同じ70年。大中さんが率いてきた合唱団「メグめぐコール」の演奏会が、10月31日(土)に紀尾井ホールで行われます!

アーサーのインタビュー日記

「海ゆかば」という歌が好きで時々聴きます。この歌は日本では「軍歌」という扱いになっていて、探そうとするとたいてい軍歌のアルバムに入っています。しかし「海ゆかば」は詩を書いた奈良時代の歌人・大伴家持も、メロディを生み出した大中さんの師匠・信時潔さんも軍歌を作るつもりはなく、ただ良い曲を作ろうとして生まれた詩とメロディーです。しかし、それが時の権力者によって軍歌にされてしまいました。大中さんからその話を伺い、詩人として自分の作品がどういう風に利用されるかを考えて作らなければいけないと改めて思いました。想定外の悪用もありうる事ですが、おかしな解釈が成り立たないようにしなければいけないなと感じました。
大中さんは今も曲を作り続けていて実に多様性に富んだ豊かな作品が沢山ありますが、僕が今まで聴いてきた大中さんの歌は、軍歌からもっとも遠い位置にある作品だと思いました。「海ゆかば」のように歪曲されないように作られているとも感じました。歌を作ることができる自由があるという事と、もっと沢山歌を作りたかったのに戦場で犠牲となっていった仲間たちへの思いも、大中さんの作曲活動の原動力になっているという事も言えると思います。

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