戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

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元ゼロ戦パイロット、原田要さんが語る真珠湾攻撃

原田さん宅の長野駅.JPGのサムネール画像
今回、アーサーさんがやってきたのは長野です。長野駅から一路向かったのは元ゼロ戦パイロット、原田要さんのお宅。乗車したベテランのタクシー運転手さんのお子さんも通ったというひかり幼稚園が、原田さんの仕事場でした。戦時中、敏腕パイロットして激戦を戦い抜いた原田さん。戦後は何と幼稚園の園長先生として、子供たちに「平和の大切さ」を語りかけていたのでした。そして、御年99歳!

どのような方なのか想像しながら、やや緊張気味にお宅を訪問したアーサーさんでしたが、待っていたのはこの笑顔。3秒で打ち解けることができました。
原田さん3.JPG

原田要さんは多くの著書もあり、ゼロ戦乗りとして戦争の最前線の現場がどのようなものであったかを語って来たまさに生き証人。原田さんが語り始めたのは75歳の時だそうですが、それから四半世紀が経とうとしています。そしてまもなく12月8日を迎えますが原田さんはあの真珠湾攻撃の際のメンバーの一人。哨戒機に乗って日本の航空母艦を守るのが役目でした。
原田さんの詳細なメモ.jpg
このノートは、原田さんの出撃メモ。戦後、公式資料は上官命令で焼却させられましたが、詳細な資料を記憶と証言を元に再構築しました。まさに一級の戦争資料です。


今から74年前、1941年12月8日。
日米開戦、太平洋戦争の始まりとなったハワイ・オアフ島の真珠湾攻撃。日本の大東亜共栄圏構想をめぐり、経済封鎖を打ち出したアメリカとの交渉が決裂。日本は、太平洋での戦いを優位に進めるため、アメリカ太平洋艦隊の中心基地となっていた真珠湾への奇襲を計画。6隻の航空母艦を中心とした、日本海軍の機動部隊が総攻撃を行いました。原田要さんは、17歳で海軍に入隊。1936年にパイロットとなり、その真珠湾攻撃に哨戒部隊として参加します。攻撃の急先鋒として突撃の覚悟を固めていた原田さんに待っていた司令は、ベテランパイロットで下士官でもあったからこそ空母を守れという指示でした。そして真珠湾攻撃は大成功に終わります。しかし攻撃部隊からの報告を聞いた原田さんには、この攻撃が成功とは思えないのでした。その理由を原田さんは「もっとも攻撃して欲しかった空母がいなかったとの報告を受けたから」と語ってくれました。原田さんの脳裏に浮かんだのは、
「彼らは我々の攻撃を知っていたのではないか」。これは日中戦争から戦場の最前線で戦ってきた原田さんの経験が紡ぎ出した疑念でした。

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今夏、スタッフが訪問した現在の真珠湾。お土産コーナーも充実し、観光地の装いですが、日本人が少なかったのが印象的でした。

真珠湾3.JPG
数々の展示。アメリカ人にとって日本の攻撃部隊がいかに恐ろしかったかというのが伝わってきました。アーサーさんもこの真珠湾を訪れた事があります。

原田さん2.jpgのサムネール画像
次週も引き続き、原田要さんのお話をお送りします。
真珠湾攻撃に参加した原田さんはその後コロンボやミッドウェー、ガダルカナルなどで戦い、終戦を迎えます。しかし原田さんの戦争ドラマはそれでは終わりません。何と戦後、空中で撃ち合ったアメリカやイギリスの兵士と涙の再会を果たすのです。

アーサーのインタビュー日記

真珠攻撃はアメリカ国民にとっても日本国民にとってもとてつもなく重要な出来事です。太平洋のどちら側から見るかによって意味や解釈が大きく変わってしまうので、その真珠湾攻撃の現場にいて攻撃に立ち会った方から直接話を聞けるということは僕にとってはまるでタイムマシンに乗るくらいのスリルがありました。そして話を伺い、原田さんが淵田さんたちと一緒に飛んで攻撃に参加せずに空母を守る哨戒の任務に就いた事がとても良かったと強く思いました。哨戒部隊という立ち位置、任務だったので原田さんは攻撃から戻ってきた仲間にまず「空母はあったか?空母を沈めたか」と聞いたのですが、空母はいなかったと聞いたときに「これはまずい」と感じたそうです。それをご本人は出撃させてもらえなかった自分のひがみもあったからという言い方もされていました。しかし、そういう立ち位置だったからこそ本質を見抜くことができ、攻撃を終えて成功させて戻って来た高揚感ではなく冷静に空母が無いという事の意味を捉えていましたのではないでしょうか。それがまさに真珠湾攻撃を正確に読み解く鍵だと思います。軍艦を沢山沈めて日本に戻ったら日本のメディア=大本営は大成功と伝えて、現場を知らない具体的に戦争がどう進められるか理解していない国民は喜びました。一方、アメリカ国民も表面的な事だけを伝えられて「日本はずるい、日本は奇襲攻撃をやった、日本はとんでもない」と。全くアメリカの軍隊の中枢にいる人が考えていることは違うことを表面だけの報道を大々的に浴びせられ実写フィルムを含めて皆が大騒ぎのメディアのPRに巻き込まれて....それを真に受けて「戦争だ」と。いっきに戦争を嫌がっていた世論も変わり戦争に突っ走っていきました。宣戦布告もすぐに可決という流れができていきました。しかしアメリカ国民は自国の軍隊がすでにレーダーを開発していることも知らないし事前に真珠湾攻撃を知っていたかも知れないという事も知らされていません。偶然なのか意図的なのか決定的な証拠は出てきませんが、空母が全て留守だったという事はとても不思議なことだし、もしアメリカ国民がその現場の状況を知っていたらもう少し懐疑的に政府のプロパガンダを捉える事ができたはずです。日本国民もアメリカ国民も踊らされていて、そして踊った結果とんでもない殺し合いの太平洋戦争をやったと言うことが、原田さんの現場の立ち位置や彼が語った話からからくりとしてあぶり出されます。

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