戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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原田要さん 太平洋戦争、その後の死闘

今週も先週に続いて、元ゼロ戦パイロット、原田要さんにお話を伺いました。真珠湾攻撃に哨戒部隊として参加した原田さん。その後、ウェーク島の戦い、ボートダーウィンの空襲などを経て、コロンボ空襲では敵の戦闘機5機を撃墜、逃げるイギリスの戦闘機ホーカー・ハリケーンを深追いしてしまいます。煙を噴いて水田に落下した敵機を確認し空母に戻ると、すでに空母蒼龍の姿は有りませんでした。着陸する母艦を失った戦闘機に残された運命は墜落する事だけです。原田さんは敵機にぶつかって死ぬと決め、先ほど敵機が墜落した現場に戻りますが、なぜか敵機の姿はありませんでした。それから、56年後、イギリスのジャーナリストを経由して、その時の敵機のパイロットだったジョン・サイクスさんが存命だという事を知らされた原田さんはイギリスに向かい、涙の再会を果たします。その後、戦争の行方を大きく変えた自身も九死に一生を得た大惨敗のミッドウェー海戦を経て、ガダルカナルの戦いではついにアメリカのグラマン戦闘機と撃ち合いともに墜落しました。
しかし、またしても奇跡的に命を長らえ、負傷帰国した原田さんは神風特攻隊の教官を務め、8月15日の敗戦を迎えます。しかし物語はそこで終わりませんでした。何とそのグラマンのパイロット、アメリカ人のジョー・フォスさんとも1991年に再会を果たしていたのです。

原田さんの腕.jpgのサムネール画像
フォスさんに機体が撃たれた際に飛び散った破片が左腕に突き刺さりました。

最前線の死闘と戦後の再会のドラマ。小説でも描けない人間の物語です。お国のために飛び続けた原田さんの総飛行時間は、およそ8000時間。凄まじい戦争の現場を知り尽くした原田さんが辿り着いた境地は「戦争ほど愚かなものは無い」という信念でした。

原田さん4.jpg
前のめりの姿勢で語り続けた原田さん。本当の戦争を見た人だからこそ伝わる反戦の意味です。

アーサーのインタビュー日記

原田さんは、ゼロ戦というもの凄く速く恐ろしい戦闘機のパイロットでした。原田さんが敵機と撃ち合い、そして撃ち落とし、また自身も撃ち落とされた話を聞くと背筋が寒くなり、どういう感覚だったのか想像するだけで怖い話です。しかし同時に、原田さんの話を聞いていると、撃ち合っている相手、戦っている敵の顔もところどころ見えてきて、人間同士が命のやりとりをしていたという感覚も鮮やかに伝わってくるのです。今も戦争は続いています。シリアで戦闘機が撃ち落とされるニュース、アフガン、イラクで無人偵察機が地上の誰かを撃ち殺すというニュースを聞き、一体どういう状況で命のやり取りが行われたか考えると、パソコンによる遠隔操作で無人偵察機を動かし、カメラで確認しながらゲームの延長線上でやっているような感覚だと思います。原田さんの戦争体験と70年経った今の戦争は「人間同士の感覚」が変わったのだと思います。 

しかし原田さんの物語は、単なる飛び道具の問題だけでは終わりません。原田さんは、自分が撃ち落とした敵が実は生き残っていた事を知って、アメリカやイギリスまでに行ってその相手と対面して語り合い互いがどうやって命をつないだか確認しているのです。
そういう命の確認作業が、原田さんの戦争体験とつながって
戦争がいかに間違った方向に人間を引っ張っていくかを知りました。
原田さんは戦争体験を語りながら戦争を憎んでいる人です。
しかし敵を憎んでいるわけでも、自分自身を否定しているわけでもありません。
戦争が自分と自分の敵にさせた事を人間として憎んでいるのです。
そんな原田さんの持っている感覚、原田さんの到達した戦争の大きな否定は、
技術の進歩で敵と顔を合わせなくてよい戦争の時代になってもおおいにあてはまると思います。戦争を止めるには原田さんの戦争体験と原田さんの平和作りの体験が実に役に立つと思うのです。

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