戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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樺太(サハリン)で終戦を迎えた中島邦男さんが帰国を果たすまで

あけましておめでとうございます。
「アーサー・ビナード 探しています」は春まで続きますので、ぜひお聴きください。
なお、今年からは番組情報のお知らせも兼ねて放送前に内容をご紹介していきます。今週は、前週に続いて中島邦男さんの後編です。

父親のそばにいたくて樺太へ転勤を願い出た中島さん。豊原に住んでいた父は一度息子の顔を見に職場を訪ねてくれました。しかし、そのとき2人で酒を酌み交わし駅まで見送ったのが最後となりました。中島さんの父は終戦を待たず急性肺炎で亡くなります。雨龍の陸軍気象観測所に移動し、しばらく経った8月15日。観測データを送った郵便局から電話が入ります。女性郵便局員は中島さんにこう告げました「日本が負けた」と。電話の向こうで女性はそれだけを告げて一方的に電話を切るのでした。その女性の言葉がどうしても信用できず茫然としていた中島さんでしたが、その後正式に敗戦したとの連絡が入ります。翌日、中島さん達が機密情報であった気象観測データを上官の命令で焼却していると、黒煙を発見したソ連の戦闘機が突如飛来し、中島さん達に機銃掃射を浴びせました。命からがら逃げた中島さんですが、今度は正気を無くしてソ連機に向け銃を乱射し続ける観測所長を皆で止める事に。そんな事があり、最後にこれで見納めと屋上にあがった中島さん。目に飛び込んできたのは、いろいろなところでソ連の空爆を受け立ち上る煙の数々でした。下を見ると上官たちが移動の準備を始めていました。「中島、お前も一緒にシベリアに来い」との上官の命令を振り切って、中島さんは列を抜けて逃げました。その後、日本からソ連に再び戻った極寒の地で中島さんは生き抜き、そして3年後ついに帰国を果たしました。

中島さん宅の気象神社.JPG
中島さん宅には気象神社も祀ってあります。

中島さん5.jpg
中島さんら戦前の気象のプロ達は戦後、気象観測の方法が変わったために気象庁で現業に戻る事はできませんでした。それは中島さん達にとって極めて不本意な事でした。その後、関東電波監理局に転じた中島さんは何と文化放送に仕事でいらした事もあったそうです。

アーサーのインタビュー日記

中島さんが樺太で観測の仕事したという話を最初聞いたときには、寒くて大変な場所に命令を受けて向かったのだと思っていました。しかし話を聞くと、家族と一緒にいたかったからという理由でした。中島さんの話を聞いていると、軍とも、樺太の生活とも、どこか距離が取れているというか客観視できる立ち位置がある気がします。日々、仕事として夜空を見上げて夜の雲が見えてくるまで寒い中空の動きを読み解いて予報につなげる視点が、もしかしたら反対に自分を上から俯瞰して客観視できる視点につながっていったのではないかと思います。
日本の敗戦を聞いたときに最初嘘だと疑った中島さんですが、それでも日本が負けたから絶望するということにはなりませんでした。国のために仕事をするという感覚はあっても、冷静に俯瞰する視点も持てたので、3年間生き抜いて家族を守りシベリアに連れて行かれないように危機をのり越える力になったのではないかと思います。

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