戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

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ポーランドに生まれホロコーストを生き延びたユダヤ人のモリス・チャンドラーさん

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺のことを「ホロコースト」と呼びます。強制収容所での過酷な労働や広場に集めての銃殺や人体実験、ガス室での毒殺・・・ユダヤ人の絶滅を狙った様々な迫害や殺戮は人類の歴史に暗い影を落とし、今も史実の検証や戦犯に対する裁判が続けられています。このホロコーストを生き延びた一人が、今回お話を伺ったモリス・チャンドラーさんです。チャンドラーさんは1924年、ドイツの隣国ポーランドでユダヤ人の家庭に生まれました。ポーランドに侵攻してきたナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害は1939年、チャンドラーさんが住んでいた村にも忍び寄ります。その時、モリス・チャンドラーさんは15歳でした。

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インタビューしたのは、シカゴにある息子のポールさんのご自宅。チャンドラーさんは現在ミシガン州在住です。そしてミシガン州と言えば、アーサーさんの生まれ故郷というご縁!


ドイツが侵攻したポーランドでもチャンドラーさんの暮らすワルシャワなどの都市部ではユダヤ人たちがゲットーと呼ばれた狭い区画に押し込められました。チャンドラーさんは地方の農家に住み込んで働く事にしましたが、その農村部にもナチスの魔の手は忍び寄りユダヤ人を雇うことが禁じられます。しかしチャンドラーさんが働いていた農家の女主人は辞去を伝えたチャンドラーさんに対して「もう少し待っていなさい」と命じます。深夜になり帰宅した役場務めをしている女性の甥が握りしめていたのは、チャンドラーさんと同世代の亡くなった男性の身分証明書。「あなたはこれからこの人になりすますのです」 そう伝えた甥は、チャンドラーさんにカトリック教徒になりすますための習慣や挨拶などを3時間に渡って徹底的に伝授したのです。


チャンドラーさんは、カトリックにおける「聖人」とは何かについて話をしてくれました。当時、ポーランドにおいてもドイツにおいても、ユダヤ人を匿う事は自分の家族や家や財産も危険にさらす行為でした。自分が生き延びるために他人の身分証明書を準備し、カトリックの風習や言葉を教えて送りだしてくれたポーランドの農家の女性とその甥。チャンドラーさんは「彼らこそが聖人なのだと思う」と話してくれました。

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40年以上経って後、チャンドラーさんは自分を助けてくれたポーランド人の農家の女性の所在を確認する事ができました。チャンドラーさんの友人が彼女を村に訪ねました。そしてチャンドラーさんがアメリカで元気に暮らしていると報告した瞬間、彼女は驚きと喜びのあまり泣き崩れたそうです。彼女はチャンドラーさんから預かった写真を大切に保管してくれていました。そしてその写真は40年の時を超えてチャンドラーさんの元に戻ることになりました。チャンドラーさんは彼らと念願の再会を果たすためにポーランドを訪れる事になりました。しかしチェルノブイリ原発事故が発生してアメリカ人に対する旅行規制がかかったために渡航はできなくなります。夢はかなわず、その後、再会を果たせぬまま女性は亡くなります。しかし生きているうちにチャンドラーさんの無事を報告する事ができたのはせめてもの救いでした。チャンドラーさんを救ってくれた農家の女性とその甥には、イスラエルにあるホロコースト博物館から「諸国民の中の正義の人」という称号が贈られました。彼らのおかげ生き延びるきっかけをつかんだチャンドラーさん。その後アメリカに渡って子供が生まれ、そして孫ができました。

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アーサーさんとモリスさん、孫のカイラさんと息子のポールさんです。
写真には写っていませんが、モリスさんとアーサーさんの橋渡しをして下さったのはポールさんの奥様でシカゴの大学で教べんを取る日本人の近松暢子さんです。カイラさんは今年来日し、広島・福山にある日本で唯一のホロコースト教育センターで祖父チャンドラーさんの経験を語る予定です。 チャンドラー家の物語は、子から孫へと語り継がれています。


なおモリスさんの体験は、2014年に出版された
「Three Minutes in Poland: Discovering a Lost World in a 1938 Family FilmHardcover(グレン・カーツ著)」でも詳しく綴られています。 日本語での出版を強く願うばかりです。


Podcastでも日本語の訳を重ねたバージョンでお送りしますが、アーサーさんの「モリスさんの温かみのある声を皆に聴いて欲しい」というリクエストで、モリスさんの声をそのまま生かした形で改めてホームページにアップする予定です(日本語訳をホームページに掲載します)。少しお時間を頂く事になると思いますが、どうかお待ちください。

アーサーのインタビュー日記

僕は母国語である英語以外の言葉、全く知らなかった「日本語」という言葉に分け入って今まで生きてきました。だからチャンドラーさんがポーランド語に分け入っていった体験と少なからず共通点を見つけることができます。しかし、チャンドラーさんと僕には大きな違いがひとつあります。僕は普段の生活の中で、日本語ができるかどうか試されることはあっても命を取られる事はありません。ところがチャンドラーさんは少しでも表現や発音を間違えると命を奪われるという究極の試され方で、毎秒毎秒を乗り越えて生き延びることができました。チャンドラーさんがどのようにカトリック教徒のポーランド人達の生活に心や行動を合わせていったかという体験を聞いて、改めて人種差別というものは一体何なのだろうという疑問が湧いてきました。チャンドラーさんはユダヤ人の言葉や文化、過去を捨てたわけではありませんが、ポーランドと言うもう一つの文化と言葉と宗教を完璧に身に着けることで生抜きました。しかもその体験を僕に語ってくれた際に使った言語は英語。それだけではなく、チャンドラーさんが自身を振り返る際にはポーランド人になりすましたユダヤ人になりきっているのですから本当にすごいことです。チャンドラーさんの存在は、言葉を変えて文化を変えて生き延びていくことができる...人間はそういうすごい才能のある生物なのだという事を教えてくれます。
チャンドラーさんは彼自身の生き方がそのまま、人種差別がいかに愚かであるかという事を、皆に示している存在だと思います。

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