戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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一年間、本当にありがとうございました

去年の4月から始まったこの番組も最終回を迎えました。

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51回の放送で、47人におよぶ戦争体験者の方々のインタビューをお届けしてきました。体験を聞くことは「戦争話を聞く」ということでは無く「生き方を教わる」「生き延びていくための知恵を頂く」ということだったと思います。「もっと聞きたい」「もっと生きるための知恵を教わりたい」という思いが毎週毎週強くなる中、最終回に辿り着きました。

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日本語で多くの方の話を聞いてきましたが、今年に入ってからは英語で伺った話も紹介しました。和訳をつけるために何度も何度もインタビュー録音を聞き直す作業もしました。その時に気付いたことは、実際に当事者と向き合って話をすると、それだけで「理解できた」つもりになってしまっていたのではということです。しかしインタビュー音声を繰り返し聞く事で会って話した時には気付かなかった部分も沢山浮かび上がってきたのです。詳細な話の隙間に多くの生きていくための知恵を見つけることができました。

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これからも皆さんの話を振り返りながら、伺った話をもっともっと掘り下げていきたいと思います。そのためにも僕はこの番組を書籍化する作業をこれから始めようと思っています。もう一度47人の皆さんの話を繰り返し聞くことで自分が気づかなかったことやまだ気づいていないことが沢山見えてくると思います。

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一年間番組を続けたことで、伺った話はどれも生き延びることを可能にした「成功例」だったことに気づきました。戦争体験を聞くことは悲惨な体験や惨めな体験を聴くことだという先入観を持っていましたが、皆さんは悲惨な戦争を力強く生き延び今も元気に語り続ける証言者です。満州からの帰国体験を持つ漫画家のちばてつやさんは、日本という国家から見捨てられた満州に暮らしていた人達がどうやって悲惨な状況を乗り越えて生き抜き、そして日本に帰りついたのかという話を語ってくれました。それはまさに「生きる知恵」の具体例であり、命が輝く話でした。僕がこれからの人生で苦難に直面した時に、どういう知恵と行動が必要かということを一人一人から教わったという思いでいっぱいです。

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僕の歴史のとらえ方も大きく変わりました。自分の母国アメリカと日本の関係を考える上で重要になるのは真珠湾攻撃です。テレビや映画で多く描かれてきたので知識が自分のものになっていると思い込んでいました。真珠湾を訪れた際にはアリゾナ号に向かい資料も確認しました。真珠湾攻撃が本当に奇襲攻撃だったのかという疑問符はこの番組が始まる前から掴んでいるつもりでもいました。そして、元ゼロ戦パイロットの原田要さんに会いに長野に行きました。原田さんは真珠湾攻撃の際の哨戒機担当でしたが、真珠湾攻撃の現場にいたものとして「攻撃部隊の報告を聞いて、アメリカの空母の姿が見えなかったのはまずい事ではないのかと思った」と語ってくれたのです。「空母がいない」ということの持つ意味について、真珠湾攻撃の現場でリアルタイムで考えていたということが僕には衝撃的でした。アメリカ軍が戦場には不可欠で代用のきかない大事な空母は遠くへ避難させ、軍艦だけを並べておいたのではないかと僕は後知恵ながら疑い続けていたのですが、原田さんの現場体験が自分の疑りとつながったことで初めて歴史が少し見えてきた気がしました。

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原田さんの後、今度は択捉島で育った鳴海冨美子さんに会いに青森に向かいました。鳴海さんが漁師の娘として暮らしていた択捉島。島の中部にある単冠湾(ひとかっぷわん)は原田さんが真珠湾攻撃に備えて空母に乗りやって来た場所です。1941年の11月下旬のことでした。鳴海さんと原田さんの2人は同じ時間、同じ択捉島にいたということになります。そう考える事で択捉島の「生活」と択捉島の「軍事的な意味合い」と現在の択捉島の「北方領土問題」がつながります。択捉島の存在が立体的なものとして現実的なものとして見えてきました。真珠湾攻撃が何だったかを考えるにはハワイの真珠湾で掘り下げれば見えるものではないということを知りました。長野に向かい原田さんに話を聞いて、アメリカ・シカゴに飛んで日系人に話を聞いて初めて真珠湾攻撃が何だったのか見えてくる。ひいては日米の戦争、日米関係が何なのかも見えてくるのではないでしょうか。

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沢山の人に出会い、ひとりひとりがそれぞれの大変な体験をいつから語り出したかということも教えて頂きました。半世紀経ってようやく語ることができた方もいました。家族同士でも話をしなかった方もいたのです。そういう方がこの世の中には沢山います。それぞれが語ることができる心の準備の期間があると思いますが、「聞きたい人」がそばにいることで語りはじめることが可能になるのではと実感しました。過去の話を語り継ぐだけではなく、未発見の知恵を掘り起こすために聴いていくという事の中に、僕たちがこれから生き延びていくための知恵が沢山潜んでいるのです。そしてその聴いた話を周りに伝えていくことが、自分が生きていく上で必要になるのではと考えています。

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自分が知っていると思っている話も、白紙の気持ちになって身近な人に聞く事で未発見な知恵が現れてくる。そういうことを71年目の今年やっていきたいのです。皆さんも身近な人の体験から尋ねてみてください。

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この一年間で学んだことの中でもっとも大きいものは「聞きたい」という思いです。これから広島で今まで誰にも語らなかった方の原爆体験を聞きに行きます。長崎原爆の被害者、谷口稜曄(すみてる)さんの話も5月に話を聞く機会に恵まれました。放送になるか、原稿になるか、自分の生きる知恵として頂く事になるのかはまだわかりませんが「聞く事」は自分が生きていくために重要だということを実感しました。この番組を滑走路にしてこれからまずます聞き役として羽ばたきたいと思っています。

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これからも皆さんと一緒に聴いていきましょう。

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アーサーのインタビュー日記

お話を聞かせて頂いた47人の皆さまに改めて御礼を申し上げます。またお目にかかりたいと思います。そして僕と一緒に戦争体験者のお話を聞いて下さったリスナーの皆さま、本当にありがとうございました。
~福島菊次郎さんと西村幸吉さんのご冥福を祈って~         アーサー・ビナード

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