冗談工房 (1956年)

1949年の三木鶏郎文芸部発足以来、代々の文芸部部長は、常連コント作家らが書いた「冗談音楽」のコントをまとめ、またその運営もやりくりしていた。そうした中で「冗談音楽の会」が発足し機関紙が発行される等、文芸部は工房の様相を呈していた。いつしかそこが「冗談工房」と呼ばれるようになった所以である。やがて民間放送の番組制作依頼が増えるにつれ、これに対応する組織の必要が生じてきた。
56年4月2日有限会社「冗談工房」が設立。市ヶ谷のトリ小屋第1号跡地に建てたトリローオフィスでスタートし、翌年銀座に移転した。
主に番組やCM制作のためのプロダクションで、ニッポン放送『トリローサンドイッチ』『冗談天国』、文化放送『仁丹一粒エチケット』『トースト冗談』等、歌とコントで構成するラジオ番組の企画制作を請け負った。
社長:永六輔、専務(経理):阿木由起夫<野坂昭如>、常務:宇野誠一郎、監査役:繁田裕司<三木鶏郎>。三木鶏郎以外、社長以下、スタッフもほとんど二十代。永六輔の発案で、皆、派手なポロシャツにジーンズというバンドボーイ風のスタイルだったと云う。

当時の様子は、野坂昭如著「風狂の思想」に詳しい。
四谷左門町に「森や」という旅館があり、二階の大広間に工房のライター達二十数名が毎週土曜日に集い、与えられたテーマのコントを持ち寄っての選句会が行われた。文芸部時代からの運座制で、三木鶏郎と担当プロデューサーの山川浩二が判定した。
主なメンバーは、小泉準司、野口汀、川崎慎一、黒子恭正といった「冗談音楽」時代からのベテランや、阿木由起夫、小川健一、北川伸介、桜井順、渡辺修(なべ・おさみ)、他。多忙であった永六輔は、月一度の参加。文芸部時代からのキノトール、三木鮎郎も作家グループの一員だった。
阿木由起夫=野坂昭如は、冗談工房設立の一年後、経理の役職と三木鶏郎のマネージャーから離れ、コント作家に転身していた。

野坂らによってコント作家養成のため各大学に研究生募集のポスターが貼られた。それを見て冗談工房の門を叩いた学生は数多く、実にいろいろなタイプが集まった。誰もが入門でき、面白いコントであれば採用される。
コント職人集団が一丸となってコント制作に熱意を注いだ時代であった。

(文中敬称略)

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