三木鶏郎プロフィール 1914/1/28 - 1994/10/7

戦後、焼け跡の歌「南の風が消えちゃった」を作り、1946年、NHKラジオ『歌の新聞』に出演。
音楽に時事コントをはさむスタイルでスピーディーに番組を展開。
翌朝刊に「彗星の如き天才現わる」のコメントが掲載された。
音楽のほか、脚本、構成、演出も担当。ラジオ界に旋風を巻き起こし、
聴取率80%とも90%だったとも云われる伝説的数字を記録。

1954年、「歌の新聞」~「日曜娯楽版」~「ユーモア劇場」と8年間続いたNHKラジオが終了、
同じ年の8月、文化放送で「みんなでやろう冗談音楽」(提供:文藝春秋社)がスタート。
「冗談音楽」で放送の冗談ヒットメロディーから誕生したヒット曲に、
「僕は特急の機関士で」「毒消しゃいらんかね」「田舎のバス」他。
子供番組への童謡作品、舞台音楽、映画音楽の仕事も数多い。
1951年、民間テレビ開局にあわせ、日本初のコマーシャルソング「僕はアマチュアカメラマン」 を発表。「ミツワ石鹸」「明るいナショナル」「キリンレモン」他数多のコマーシャルソングを 送り出し、コマソン全盛時代を築いた。

同時に、商品のコピー、ネーミングなど、アイデアコンサルタントも行う。
1954年公開のディズニー映画「ダンボ」('53制作)、1956年公開「わんわん物語」('55制作) では、日本語版音楽監督に。 1960年代のアニメ主題歌に、「鉄人28号」「トムとジェリー」 「ジャングル大帝」他。繁田裕司として歌曲の分野でも足跡を残す。

1956年、文部大臣賞奨励賞。
1961年、民放賞。
1962年、正力賞、芸術祭奨励賞。
1986年、日本レコード大賞「特別企画賞」。
1994年10月7日、逝去。

(三木鶏郎企画研究所HP「三木鶏郎資料館」より抜粋)