雪のワルツ (1952年)

三木鶏郎は生前、自身の音楽作品をカテゴリー別に分類しリスト化している。その中の一つ「リリカル・ソング」の筆頭に掲げるのが「雪のワルツ」で、鶏郎自身にとって大変思い入れの深い作品である。
1952年12月28日NHK『ユーモア劇場』の中の「冗談音楽」冗談ヒットメロディーで楠トシエが歌ったのが初出だが、鶏郎が本作品の着想を得たのは戦中に遡る。

43年、習志野東部軍教育隊に勤務し、陸軍主計中尉だった繁田裕司(三木鶏郎)は、その傍ら諸井三郎門下として作曲を勉強中だった。またこの頃、暁星中学5年の弟・繁田文吾(三木鮎郎)、伊藤海彦、狩野新、岡田晋ら同好の士によってギニョール人形劇団「人形座」が結成されていたが、鶏郎はこの音楽を書くことになり座長となった。間もなく劇団は名称を「貝殻座」と改め、本格的に始動。そして翌44年1月5日の夜、「貝殻座」は、渡辺暁雄弦楽四重奏団他、諸氏の参加を得て、最初にして最後の奇跡的な公演を持った。
戦況が切迫し誰しも時間のない中で、それぞれが束の間の自由を求めたステージは大成功。感動と興奮のうちに幕を閉じた。
この夜の東京は稀にみる大雪だった。
恋人と外に出た鶏郎の目に映った一面の銀世界。彼女が言った。
「あなたと一緒に歩くこの道、すてきね、夢みたい。この道どこまでも続くといいわね」(「三木鶏郎回想録」より)
この時の印象が鶏郎の胸に焼きつき、8年後、「雪のワルツ」となって甦った。
"雪が積もる、静かな町に... "

美しい旋律と歌詞に耳を傾けながら今から70年前の情景に想いを寄せたい一曲である。
(文中敬称略)

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