作曲バス (1960〜)

1950年代から60年にかけて多忙を極めた三木鶏郎は、過労がたたり40代前半で糖尿病と診断された。入院生活も余儀なくされたが、仕事を断わるわけにはいかない。入院中は病室にピアノを入れ、面会を避けて仕事を続けた。そして退院後、鶏郎が考え出したのがマイクロバスを改造し移動ピアノを設置した「作曲バス」で、ここに録音機材も組込み作曲から簡単な録音も可能な移動スタジオを作った。
これは快適だった。月1回1週間行程の旅行に出掛ければストレスの解消になる。何しろ糖尿にストレスは大敵である。またコマーシャルソング作りには前に作ったものを忘れるため頭の切り替えが必要で、バス旅行はこれにも有効。さらに作曲のため現地視察に出掛けた帰り、その印象が新鮮な内に仕事に取りかかれるという利点もあった。
鶏郎ならではの仕事場に報道各社が取材に駆けつけ「作曲バス」を追った。

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