浜美枝のいつかあなたと

毎週日曜日
 9時30分~10時00分
Mr Naomasa Terashima Today Picture Diary

寺島尚正 今日の絵日記

2025年12月8日  紅葉

週末、八王子にある自然公園を散策した。

この時期、木々の紅葉した葉は未だ残るものの、足下は、落ち葉が絨毯を仕立て上げている。
葉が幾層にも重なり、音を吸い込み、柔らかな世界を作っているのだ。
踏む度に、微かに「ふわっ」とした反発があり、土とも草とも違う感触が足裏に伝わる。
そのふかふかした層に足を預け歩いていると、時間の流れまで緩やかになる気がした。

公園の空気には独特の匂いが漂っている。
湿り気を帯びた木の香、少し甘く、それでいてどこか懐かしい。鼻から吸い込むと、胸の奥まで静けさが沁みてくる。
なぜ私は落ち葉の匂いに安らぎを覚えるのだろう。

一つは、生きものとしての原初の記憶にあるのかもしれない。
落ち葉は、植物が命の営みを終えた証であり、やがて分解されて再び土へ還っていく。
その過程で放たれる香りには、微生物の働き、湿った土の呼吸、木々の内部に眠っていた養分が混じっている。
私達の嗅覚は、そうした「生命が循環している匂い」を感じると安堵を覚えると聞いたことがある。
森林浴が心身を整えるように、落ち葉の香りも自然のリズムと私達の体を同調させるのだろう。

また、落ち葉のふかふかした感触にも心理的な作用があるようだ。
この柔らかさは、衝撃を吸収し歩く振動を静かに受け止める。
大地そのものが、私の歩みを優しく受け止めてくれているのである。
其処には人工の舗装道では感じられない包容力がある。
手で掬ってみると、乾いた葉がぱらぱらと指の隙間からこぼれ、しっとりした層の奥からは温もりが立ち上がる。
その手触りの変化にも、自然の時間の積み重ねが潜んでいる。

落ち葉の香りは、私たちの記憶の回路にも深く結びついている。
秋の校庭、夕暮れの帰り道、焚き火の煙、そうした記憶の断片が、匂いをきっかけに呼び覚まされる。
嗅覚は感情と最も近い感覚だという。
落ち葉の匂いに懐かしさを感じるのは、子どもの頃のキラキラした時間や自然と共に過ごした安心の記憶が甦るからではないだろうか。

加えて、落ち葉そのものが「再生」の象徴である。
表面は朽ちても、その下では新しい命が芽吹く準備が進んでいる。
枯葉の下に潜む虫、湿気を好む苔、やがて栄養となる土。
落ち葉の層は、命の終わりではなく、次の命の始まりを支える舞台なのだ。
その循環の気配を身体で感じ取るとき、私達は「すべてが無駄ではない」という希望のようなものを、あの香りと感触の中に感じ取る。

歩みを進めると、陽だまりに積もった葉がキラリと光る。
風が吹くと舞い上がり、場所を移動させながら降り積もる。
小さな動きの中に、季節と命の循環を見る。足を止め、深呼吸をすると、冷たさの奥に少しだけ湿った温もりを感じる。
都会の喧噪や速い時間の流れの中で忘れていた「大地の呼吸」に再び触れる瞬間だ。
ふかふかとした落ち葉の上を歩くと、胸の奥の速度も自然と緩やかになり、言葉にならない安心感が広がっていく。
森の香りに包まれ、生命の巡りと自分を重ねてみる。落ち葉の匂いが教えてくれるのは、そんな静かな調和の感覚なのである。

紅葉
紅葉

落ち葉の絨毯
落ち葉の絨毯

1人歩く
1人歩く

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