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『三木鶏郎 日曜娯楽版大全』が遂に発売!!

〈TV AGE〉シリーズ最新作として『三木鶏郎 日曜娯楽版大全』が発売されます。
 本作『日曜娯楽版大全』は、我が国における「冗談音楽」および「CM音楽」の開祖として知られる作曲家・三木鶏郎が、NHKのラジオ番組『日曜娯楽版』、『ユーモア劇場』のために制作した楽曲並びに一部コントを交えて編んだ作品集。
 代表曲はもとより、今回が初音盤化という楽曲や既発曲のヴァージョン違いを豊富に選曲。当時番組に接した世代には懐かしく、若い世代には新鮮に響く作品の数々を収録しました。初音盤化・初CD化曲を多数含んだ決定盤です。
[監修:濱田高志]
発売日:4月15日/定価:¥3,300+税/品番:CDSOL-1624/25
販売:株式会社ウルトラ・ヴァイヴ
*各種通販サイトもしくはCDショップにてご予約受付中です。

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今週のトリメロ

「冗談工房」に集った作家の個人作品集あれこれ

 CM音楽やテレビ・ドラマ、テレビ・アニメの音楽からポピュラーソングの数々まで、埋もれた音源を発掘し新たな光を当てる復刻企画〈TV AGE〉シリーズでは、これまで、三木鶏郎の知られざる側面にして神髄である"リリカル・ソング"を集めた初のコンピレーション「三木鶏郎リリカル・ソングス」をはじめ、「冗談工房」に集った、鶏郎門下の作家の活動をまとめた個人作品集を複数発売している。
 いずれも誰もが一度は耳にしたことのあるキャッチーなフレーズとメロディで、聴けばわかる名作揃い。三木鶏郎が標榜した「コマソンとはキャチフレーズwithミュージックである」を実践した作品群だ。また、三木が、いずみたく、桜井順、越部信義らの才能を見出す場となったABCホームソングの楽曲を集めた「ABCホームソング大全」も名曲の宝庫。合わせてチェックをおすすめします。
 なお来年2月11日には三木鶏郎の迸る才能を記録した「三木鶏郎 日曜娯楽版大全」(2枚組)の発売が決定。初音盤化曲を含む歴史的音源が豊富に収録される。
 これら〈TV AGE〉シリーズに関する情報は以下のサイトで随時告知されているので、合わせてチェックしていただきたい。
下記のテキストをクリックすると、それぞれ別のサイトにジャンプします。
リンク先のサイトは文化放送が運営するものではないことをご了承ください

[関連サイト]
TV AGEオフィシャル・サイト
TV AGEオフィシャルTwitterアカウント 
週刊てりとりぃ

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今週のトリメロ

テレビ番組主題歌

ラジオからテレビの時代になると、三木鶏郎はテレビの番組制作に関わり、番組主題歌も手がけることになった。50年代後半から60年代にその数はピークを迎える。
『うちのママは世界一』『パパは何でも知っている』『スーパーフューリー』『CQペット21』『ミスター・エド』『鉄人28号』『トムとジェリー』『ジャングル大帝』『遊星少年パピイ』『スター千一夜』『遊星仮面』等、タイトルを見ただけで主題歌を思い出される方も多いだろう。

三木鶏郎は生前、主題歌作成の時、歌詞とメロディーが同時に出てくると語っていた。
「ビルの町にガオー 夜のハイウエイにガオー」(『鉄人28号』)や「トムとジェリー 仲良く喧嘩しな」(『トムとジェリー』)等、特にアニメ主題歌に関しては、ポンと口をついて出たようだ。
また当時、番組提供スポンサー名をオープニングまたはエンディングに歌い込んでいるのも特徴的である。グリコの『鉄人28号』、サンヨーの『ジャングル大帝』、旭化成の『スター千一夜』と、リスナーはスポンサー名と歌をセットで記憶することになった。鶏郎は、双方をまさにセットと考え作成したため、レコード化の折、これを切り離すのにかなりの難色を示したそうだ。

『うちのママは世界一』『パパは何でも知っている』等のアメリカのテレビ映画は、日本語版オリジナルとして鶏郎が主題歌を手がけたが、アメリカのTVアニメ『トムとジェリー』には主題歌がなかった。主題歌をつけての放送が日本独自のアイデアであったことも興味深い。
『トムとジェリー』は、1937年に誕生し64年にTVアニメとして日本初放送されてから今年で50年。今でも新作アニメが製作され、多くのファンから愛され続けている作品である。クラシックアニメシリーズDVD「トムとジェリーVol.1-10」には、三木鶏郎作詞作曲の「トムとジェリー」主題歌が収録され、懐かしい歌を映像と共に聴くことができる。

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今週のトリメロ

雪のワルツ (1952年)

三木鶏郎は生前、自身の音楽作品をカテゴリー別に分類しリスト化している。その中の一つ「リリカル・ソング」の筆頭に掲げるのが「雪のワルツ」で、鶏郎自身にとって大変思い入れの深い作品である。
1952年12月28日NHK『ユーモア劇場』の中の「冗談音楽」冗談ヒットメロディーで楠トシエが歌ったのが初出だが、鶏郎が本作品の着想を得たのは戦中に遡る。

43年、習志野東部軍教育隊に勤務し、陸軍主計中尉だった繁田裕司(三木鶏郎)は、その傍ら諸井三郎門下として作曲を勉強中だった。またこの頃、暁星中学5年の弟・繁田文吾(三木鮎郎)、伊藤海彦、狩野新、岡田晋ら同好の士によってギニョール人形劇団「人形座」が結成されていたが、鶏郎はこの音楽を書くことになり座長となった。間もなく劇団は名称を「貝殻座」と改め、本格的に始動。そして翌44年1月5日の夜、「貝殻座」は、渡辺暁雄弦楽四重奏団他、諸氏の参加を得て、最初にして最後の奇跡的な公演を持った。
戦況が切迫し誰しも時間のない中で、それぞれが束の間の自由を求めたステージは大成功。感動と興奮のうちに幕を閉じた。
この夜の東京は稀にみる大雪だった。
恋人と外に出た鶏郎の目に映った一面の銀世界。彼女が言った。
「あなたと一緒に歩くこの道、すてきね、夢みたい。この道どこまでも続くといいわね」(「三木鶏郎回想録」より)
この時の印象が鶏郎の胸に焼きつき、8年後、「雪のワルツ」となって甦った。
"雪が積もる、静かな町に... "

美しい旋律と歌詞に耳を傾けながら今から70年前の情景に想いを寄せたい一曲である。
(文中敬称略)

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今週のトリメロ

泣きたいような <夜のショパン> (1949年)

1955年、ディズニー映画「わんわん物語」日本語版制作の時、三木鶏郎は、オリジナルで「ララルー」「ベラ・ノッテ」「シャム猫の歌」等の7曲を歌ったペギー・リーの吹き替えをナンシー梅木にオファーした。戦後、進駐軍のキャンプでジャズを歌い、当時人気のジャズ・バンドのステージでも活躍していた彼女は、アメリカのオリジナルものが得意で歌唱力も音楽的センスも抜群であった。鶏郎は、彼女ならきっと出来ると確信していた。

ナンシー梅木のために三木鶏郎が初めて書いた作品が、49年発表の「泣きたいような」だった。原曲は、ショパンのノクターン<夜想曲第2番変ホ長調(作品9の2)>で、鶏郎は歌詞をつけてスローバラードにした。クラシックの旋律に日本語の歌詞を乗せて歌うのは大変難しい試みだったが、彼女のバラードに対する感性は素晴らしく、またそのハスキーヴォイスが歌にぴったり寄り添った。
鶏郎は彼女を放送にも呼び、49年7月NHK『日曜娯楽版』中の「冗談音楽」冗談ヒットメドレーのコーナーで「泣きたいような」を紹介した。以後、彼女は時々市ケ谷のトリ小屋を訪れるようになり、三木鶏郎作品をプライベート録音する等、交流を深めた。

55年7月18日、「わんわん物語」でのナンシー梅木の歌の吹き替え収録が終了した。鶏郎の思惑通り、彼女の歌は完璧だった。
その約一週間後、彼女は渡米し、映画、舞台に出演。三年後にはアカデミー賞を受賞する大スターになった。
(文中敬称略)

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今週のトリメロ

ルルの歌 (1957年)

現在放送中の風邪薬「ルル」(三共製薬)のコマーシャルで聞こえて来る「♪熱・のど・鼻にルルが効く」のオリジナルは、「♪クシャミ3回 ルル3錠〜」で、1957年発表の三木鶏郎作詞作曲「ルルの歌」に歌い込まれたサウンドロゴである。
「ルルの歌」を歌ったのは伴久美子。真冬の空に響き渡るような歌声と明るいハーモニーに心が温まる。

59年、「ルルの歌」に合わせた映像の監督を依頼された三木鶏郎は、ストーリー性のあるCF を企画した。そして東京は青山の神宮外苑で丸二日間のオールロケーションを決行し、これを2分の掌篇ミュージカル風ドラマに仕上げた。
ストーリーを追ってみよう。
可愛い女の子(伴久美子)が「ルルの歌」を歌いながら大通りを歩いて行くと、高原駿雄扮する6役(登場順に、巡査、サラリーマン、靴磨き、コック、カメラマン、サンドイッチマン)が次々と写り、くしゃみをする。「♪ハクション ハクション ハクション」。そこをすかさず女の子が指差し、「♪そらカゼだ!」。「♪クシャミ3回 ルル3錠」と続く。間奏で女の子は喫茶店に入るが、雨が降り出し、コックに傘を借りて外に出る。傘をさして再び歌いながら歩き出すと、ずぶ濡れのサンドイッチマンとすれ違う。やがてサンドイッチマンが雨宿りのためプラカードを脇に置いて階段にしゃがみ込み、寒さに震えて情けない表情になるラストシーン。最後は、プラカードに書かれた「クシャミ3回 ルル3錠」のロゴがクローズアップされ幕となる。
当時オンエアでは、この2分のコマーシャルをそのまま放映することができた。また冒頭、"「ルルの歌」三木鶏郎作詞作曲"とタイトルが映し出された後、歌詞が最後までテロップされた。
本制作の記録がスナップ写真とメイキング映像(カラー)に残されており、本番前のテスト版では三木鶏郎が6役全てを演じてみせ、大きなクシャミをする姿等が映っている。
(文中敬称略)

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毒消しゃいらんかね (1953年)

宮城まり子のデビュー曲は、50年に三木鶏郎が大泉映画『なやまし五人男』に書いた主題歌「なやましブギ」(テイチクレコード)で、鶏郎とのデュエットで吹き込まれた。
その3年後、ビクターレコードから彼女のための新曲を頼まれた鶏郎は、自身のラジオ番組で放送することを条件に引き受けた。
浪曲もジャズも流行歌も何でも歌いこなす宮城の個性を生かす異色作を望まれて考え出したのが、薬売りの娘の歌、「毒消しゃいらんかね」だった。
しかしレコードは発売迄に時間がかかったため放送が先行し、同年2月1日NHK『ユーモア劇場』中の「冗談音楽」ヒットメロディーのコーナーで先に楠トシエが歌うことになった。
「♪毒消しゃいらんかね〜」の印象的な売り声に始まり、続く歯切れよい歌詞とメロディーの覚えやすさで、放送後間もなく全国に知れ渡って大ヒット。3月1日放送『ユーモア劇場』本篇では、「バラバラ・コメディー<毒消しゃいらんかね>」のタイトルで特集。歌詞の一部を世相風刺に替え、曲間にコントを織り交ぜた楽しいプログラムになった。
4月、宮城まり子が歌うレコードが発売されてこちらも大ヒット。
両者ともに愛嬌のある歌い回しで娘の心情を表現したが、都会的で上品な楠トシエと土着の娘の雰囲気が漂う宮城まり子の歌唱は好対照である。

「毒消しゃいらんかね」は、「僕は特急の機関士で」「田舎のバス」と共に"三木鶏郎5大ヒット曲"中の1曲で、いずれも冗談ヒットメロディーであった。そしてまたこれら3曲は、"宣伝の歌"とも言える。すなわち富山の薬、電車、バスのコマーシャルソングである。

(文中敬称略)

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今週のトリメロ

これが自由というものか(1954年)

三木鶏郎の風刺ソングには、「フラフラ節」等があるが、「これが自由というものか」もその代表曲に挙げられる。

榎本健一(エノケン)主演のNHKラジオドラマ『とかくこの世は』(54/4/14-55/3/29)の挿入歌として放送されたのが初出。
エノケンは、NHK『日曜娯楽版』『ユーモア劇場』の「冗談音楽」のファンで同番組へ出演もしていたが、何より三木鶏郎の作る音楽が大好きだった。だから本作に出演が決まった時、「音楽は三木鶏郎」と指名したのだった。

物語は、エノケン扮する主人公が戦犯で釈放されたところから始まる。お人好しでぼんやりものの主人公がインフレで物価が高くなったのをビックリしたり、あちこちタライ回しにされ面喰ったりして、「これはあきれた オドロいた」となり、当てどころのない鬱憤を「何がなんだかわからない」と歌う。
「知らない間に○○○で 知らない間に○○○」
○○○の中にはどんな言葉でも入れることができる。
エノケンは、この曲がたいそう気に入って新しい歌詞を加えては長い間歌った。
LP「エノケン・トリメロを歌う」では、「知らない間に税金で」と歌っている。これはエノケンが、知らない間に税金がたまって差し押さえられ、家を売って引っ越したというドラマの主人公そのままの話をモデルにしたそうだ。

60年後の昨今も「何がなんだかわからない」ことのなんと多いことだろう。「知らない間に○○○」の○○○に恐い言葉がいくらでも入る。その内「知らない間に自由に歌えなくなっちゃった」、なんてエライことにならないだろうね、とエノケンとトリローの声がそろって空から聞こえて来そうだ。
ちなみに、今年は三木鶏郎生誕100年であり、榎本健一生誕110年である。

(文中敬称略)


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かぐや姫より「吟遊詩人の歌」 (1955年)

1955年、大阪朝日放送の『ホームソング』から三木鶏郎に曲の依頼があった。鶏郎が「マンボ」を書いて渡したところ、「マンボ」は困るので別の曲に替えて欲しいと言う。〆切直前、鶏郎は仕方なく、その頃マイナー調の歌の流行が癪に障っていたこともあって、生まれて初めてマイナー調の曲を書いてみることにした。
ふと浮んだのが「竹取物語」。かぐや姫を取り巻く五人の男の物語である。そして3分で書き上げたのが、「吟遊詩人の歌」。吟遊詩人の詩に仕立て、異国情緒漂う哀愁を帯びた旋律に仕上がった。
さて、誰に歌ってもらおうか、と考えた時、河井坊茶が浮かんだ。それに伊藤翁助のギターソロがぴったり合う、と思った。
和風フラメンコスタイルになった録音を大阪に送ると、予算が余るのでオーケストラを使ってくれないかと頼まれた。そこでオーケストラの演奏でダークダックスが歌うタイプも録音して送った。

それきり鶏郎は、「かぐや姫」のことを忘れ、10月、文藝春秋の講演旅行で小林秀雄、今日出海、中野好夫らと九州に出発。その九州からの帰路、朝日放送から「大阪(伊丹空港)で降りてください」との連絡が入った。そこで待ち構えていた局のプロデューサーが興奮して言った。
「9月1日に"かぐや姫の歌"を放送して以来、大変なヒットで、聴取率が5倍、毎日投書が平均300通、一年分の楽譜が品切れです」と。
鶏郎が半信半疑で心斎橋を歩いて行くと、向こうの方から子供達が「♪泣く泣く〜かぐや姫・・・」と歌いながらやって来た!
「かぐや姫」ブームが大人たちのものだけでないことを知り、鶏郎は嬉しくなった。

急遽、この曲を元にした「かぐや姫」で芸術祭参加作品が制作されることになり、作並びに音楽:三木鶏郎による「庶民のためのミュージカルオペラ」が完成した。雪村いづみのかぐや姫、河井坊茶の吟遊詩人、伊藤武雄の翁、旗照夫のミカド、五人の求婚者に市村俊幸、トニー谷、柳沢慎一、フランキー堺、高英男という配役、ダークダックス、服部リズムシスターズの合唱が加わっての豪華版になった。同年11月27日に放送され反響を呼んだ。

(文中敬称略)

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今週のトリメロ

田舎のバス (1954年)

三木鶏郎が中村メイコと知り合ったのは、1952年、彼女が三木鶏郎演出・音楽のラジオドラマ『緑の天使』に出演した時だった。
ちょうど三木鶏郎グループが解散し、NHK『日曜娯楽版』が廃止となり、『ユーモア劇場』とタイトルを変えた頃のことだ。
鶏郎は、すぐに彼女が才気煥発、たいへんな才能の持ち主であることを知る。と同時に中村メイコは、『ユーモア劇場』にも欠かせないメンバーの一人になった。

ある時、メイコが鶏郎にこんな話をした。
「この間、名古屋の劇場でお仕事をした時、劇場がデパートの最上階にあって、楽屋入りを一般のお客様が乗るエレベーターでしていたんだけれど、エレベーターガールさんが、『次、3階に参ります。春の婦人服、陳列してございます』とか東京の標準語でアナウンスしているところへ、たまたま彼女のお友達が乗って来たら、『で、あんた、何ぎゃい(階)行くの』って急に名古屋弁になったの。『4ぎゃい(階)だがね』って友達が応えると、すかさず、『あー、あそこはつまらんよ、あそこは何もありぁせん』と言って、それでまた急に切替えて、『はい、次は、5階に参りまーす』ってね。その標準語の職業アナウンスとプライベートの地方弁の変わり目がすごく面白かったの」
鶏郎は、エレベーターガールを物真似るメイコの絶妙な声色に感心しながら、頭の中では以前旅の列車の中で彼女がバスガールの真似をして皆を笑わせた様子が重なっていた。そしてアイデアが浮んだ。
「メイコ、それ面白いね、歌にしよう」
鶏郎はそう言うと、あっという間に曲を書き上げた。
♪田舎のバスは おんぼろ車〜
メイコは、慌てて言った。
「わたし、歌は苦手だから難しい節はすぐに覚えられません」
鶏郎は、応えた。
「これはね、フォスターみたいな健康的な簡単なメロディーだからすぐ覚えられるよ。台詞は...、そうだな、東北弁あたりにしよう」

こうして「田舎のバス」は生まれた。
1954年『みんなでやろう冗談音楽』で放送されると、大ヒット。番組中の「ヒットメロディー」の代表曲になった。
特に台詞、「皆様、毎度ご乗車くださいまして、ありがとうございます...」と、普通のバスガイドから一転、「アンレ、マしょうがネー牛だナー...」と田舎訛りのガイドに転身する。その変わり目の巧みさが大いにウケた。
決まり文句以外は、地名も場所もほとんどがメイコ自身のアドリブだった。

(文中敬称略)

☆上記の貴重なエピソードは、この度、中村メイコさんに取材の折、お話しいただいたものです。

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僕はアマチュアカメラマン (1951年)

民間放送ラジオ開局に伴い、三木鶏郎は小西六が持った番組枠30分の企画を委嘱された。そこで、会社名、商品名を一切入れない宣伝歌を作りたいと提案。了解を得て、アマチュアカメラマン心得五ケ条〜ピンボケ、構図、露出、ブレ、二重撮り〜をコミックソングにして歌に楽しく読み込んだ。
ここに日本初のコマーシャルソング「僕はアマチュアカメラマン」が誕生した。
1951年9月1日、名古屋CBCから灰田勝彦の歌声で放送。同9月7日からは三木鶏郎企画制作、三木鮎郎らが脚本を手がけた番組『冗談ウエスタン』で毎週流れた。
現在のようにスポットがなく、番組の中で延々と三分CMを放送できた時代。コマーシャルソングと気付いた人が少なかったから、聴いた人が抵抗なく受け入れ、誰でも気軽に口ずさんだ。放送後、大流行し、一般用にレコード化された。

この時、鶏郎は、当時日本の流行歌にあった湿っぽさをなくし、明るく単純なハーモニーのある曲を流行させたいという本懐も遂げたが、このヒット成功は進歩的なスポンサー精神なくして有り得なかった。

文中敬称略

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今週のトリメロ

僕は特急の機関士で (1950年)

「冗談音楽」のコーナー「冗談ヒットメロディー」で歌った鉄道唱歌冗談版。発表当時のタイトルは、「僕は特急の機関手で」。
終戦直後に流行ったサンタフェ鉄道の歌にヒントを得て作った。
当初、東海道線の巻、「東京、京都、大阪」だけだったが、リクエストに応え、全国津々浦々のお国自慢と情緒を歌い巡った。
ほぼ毎週放送で、延々五ヶ月のロングランヒット。その数、148番。
三木鶏郎は国鉄より早く全国を特急化したと評された。
その人気に、レコードは、コロムビアとビクターの二社から発売。
また三木鶏郎構成演出の同名タイトル、ステージショウが日本劇場で上演された。

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今週のトリメロ

南の風が消えちゃった (1945年)

終戦後、繁田裕司(三木鶏郎)は、自身が創刊した雑誌「音楽ウィークリー」の取材のためNHKを訪れた。
アポなしだった。インタビューに応じたのが音楽部長。ついでに焼け跡に立って作った歌、「南の風が消えちゃった」の楽譜を見てもらった。
「面白い、さっそく放送しよう!」
部長は番組予定表を手に取ると、1時間の長唄番組を50分に縮め、10分を捻出した。
瞬く間に『歌の新聞』への出演が決定した。

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